凍てつく夜に
ゆかり
愛憎の行方
(ストーカー?)
思わず早足になる。この季節は定時に退社してバスに飛び乗っても最寄りのバス停に着く頃には既に真っ暗だ。
バス停から自宅までの道はコンビニや飲食店もあり人通りもそれなりにある。そこを通れば良いのだが、今日は公園を抜ける近道を通ってしまった。最近は気を付けてこの近道は通らないようにしていたのに。うっかり考え事をしながら公園に入ってしまったのだ。
やはり誰かつけてくる。
風歌はついに走り出す。すると、それまで密かについて来ていた人物も走って追って来るではないか。もはや足音を隠そうともしていない。
風歌は叫びそうになるのを必死にこらえて走った。叫んでしまえばパニックになりそうな気がした。あと少し、あと少しで家に着く。
(このまま家に飛び込んだら、自宅の場所を知られてしまうかもしれない)
そう思うのだが家に飛び込むより他、逃げる手立てが思い浮かばない。恐怖が考える力を奪う。
その時、背後で声がした。
「何をしている!」
風歌を追う足音が止まった。だが風歌に振り返る心の余裕はない。懐中電灯の光だろう、風歌の背後からチカチカと洩れて前方を照らした。
何人かの男性の話し声が聞こえたが、風歌はそのまま走り続けた。この隙に家に帰ってしまうのがベストだと思えた。
「おかえりなさい」
家の奥、姉の
『ただいま』の声が出ない。安心したのと息が切れて辛いのとで風歌は玄関に座り込んだ。
「どうしたのぉ? 何かあった? 大丈夫?」
「大丈夫」
なんとかそれだけ答えた。
姉は部屋から出てこない。
自分の部屋に籠ってただひたすらジグソーパズルを組み立てている。
二年前に両親が事故で亡くなって間もなく、姉は外出が出来なくなった。原因は判らない。両親の死がそれほどまでに辛かったという事なのだろうか? 風歌には姉の心が判らなかった。一卵性の双子だというのに。
両親は少し離れた町に住む親族の葬儀に車で出かけ、その帰りに大型車同士の事故の巻き添えになって亡くなった。あまりに突然の出来事で、当時まだ大学生だった時歌と風歌は暫く呆然として大学にも行けない状態が続いた。経済的には、悲しいけれど事故死という事で保険金が信じられないほど振り込まれ、全く何の心配もいらなかったが、それがかえって二人を悲しみの沼に沈めたのかもしれなかった。
それでも風歌は何とかその沼を抜け出し、大学は1年留年したものの無事卒業し就職もした。しかし、姉の時歌は休学を続け、いまだに引きこもっている。
家の玄関に座り込んだまま、風歌は暫く動けない。恐怖心がひと段落するとなんとも言えない寂しさに襲われる。両親が生きていたなら、姉が元気でいてくれたなら、と思うと涙が溢れてきた。
「ふうちゃん。泣かないで」
いつの間にか部屋から出てきた姉が風歌の横に座り込んでいる。今日は少し心の状態が良いのかもしれない。
「ときちゃん、今日は気分が良いの?」
「うん。ジグソーパズルがね、もうすぐ出来上がりそうなの」
「そっかあ。じゃあ、晩御飯食べようか?」
涙を拭って風歌が立ち上がろうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
風歌は凍り付く。さっきのストーカーかもしれない。家を見つけられたのだとしたら。そう思うと体が震えて動けない。
「ふうちゃん。警察の人みたいよ」
インターフォンのモニターを見て時歌が言った。
そうか、さっき公園でストーカーを止めてくれたのは警官だったのかもしれない。そう考えると納得がいく。が、何故、家が判ったのだろうか?
「でも、ふうちゃん、警察の服を着た偽物かもしれないよ。そんな話、ネットニュースで読んだことがあるよ」
時歌が恐ろしい事を言う。確かに今の世の中、見た目だけで簡単に他人を信じてはいけない。仮に本当の警官だったとしても、善人である保証は無い。
それに、姉の時歌にはもう一つ大きな秘密があるのだ。誰にも知られる訳にはいかない。
「ときちゃん、早く部屋に戻って。早く隠れて」
風歌がそう言うと、時歌は久しぶりに昔のような笑顔を見せて言った。
「いやよ。ふうちゃん。ジグソーパズルがもうすぐ出来上がるのよ。もう私は大丈夫。ふうちゃん、お別れの時が来たのよ。さようなら」
まずい! 不穏な気配を察知して警官がドアをこじ開けた。
中では風歌が既に亡くなっていた。覚悟の自殺とはいえ何のためらいもなく首を一突きにしている。
「うわっ」
奥で別の警官が声を上げる。
この家の両親は生前、ここで食堂を営んでいた。そのためかなり大きめの冷凍庫があるのだが、そこになんとも悪趣味な遺体があったのだ。
バラバラに切断した遺体をもう一度組み立ててもとの体に戻そうとしたような、そう、まるでジグソーパズルにでも見立てたような。
「じゃあ、時歌は一年以上前に妹の風歌に殺されていたと仰るんですか」
「そのようです」
「時歌からメッセージがあったんです。つい最近。会いたいけど会えない。まだ会えない。もう少しだけ待ってほしい、と。あれも妹の風歌がなりすまして送って来ていたという事なんですか」
時歌の恋人の大輝は静かに泣いていた。静かに泣きながら問いかける。警察ではあまり話してもらえないから、取材をしたいという週刊誌の記者に聞いている。
あの日、大輝は何が何でも時歌に会わせてもらおうと、妹の風歌の後をつけた。それまでも何度か頼んではみたが、精神が安定していないから、と風歌から断られ続けていた。
そして、公園で警官に呼び止められたのだ。
警察でも以前から風歌の周辺を探っていたらしい。単なる失踪なら警察は調べない。それなりの情報がどこかから入ったのだろう。
「風歌は両親の生前から姉の時歌を妬んでいたふしがあります。どうも両親が姉ばかりを可愛がると思っていたようです。実際はそんな事は無かったようなんですが。それに加えて、両親の葬儀の折に、あなたと姉の時歌さんが付き合っていたという事実も知った。風歌も以前からあなたの事が好きだったようですね。その一方で、姉の事も大好きだったんです。そういういろんなことが一度に起こったものだから、結果、壊れてしまったのかも知れませんね」
実際には心を壊していたのは時歌ではなく、風歌だったのだ。だとしても大輝には到底納得できる話ではない。そんなつまらない嫉妬だけで人を殺したり出来るとは思えない。いくら心が壊れていたとしても。ましてや、その遺体を切り刻むなど。
「それから、これは私から聞いたとは言わないでもらいたいのですが」
記者は声を秘そめて続けた。
「時歌さんの遺体なんですが、警察から消えたそうなんです。とんでもない不祥事ですからね、警察は隠蔽すると思いますが。その、、あなたではないですよね? 時歌さんの遺体を持ち去ったのは」
怒りの矛先さえ定まらぬまま、大輝は記者の顔を睨む。が、その目に一瞬映ったのは記者の背後に立つ時歌の姿だった。いや、風歌?
その日以降、大輝の姿を見たものはいない。そしてこの時の記者もまた数日後、取材中に高所から転落し亡くなったという。
凍てつく夜に ゆかり @Biwanohotori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます