俺、聖人なんだって。
水の月 そらまめ
聖人と聖獣
「おはようございます」
朝起きたらベットの上に知らない女性がいた。魔女の帽子を深く被り、可愛らしい猫耳にリボンがついている。
彼女は俺を見下ろしながら、妖艶な笑みを浮かべた。そして、その柔らかそうな体つきを強調するような服に、手を当てる。
「私が誰だか、わかりませんか?」
「…………」
おっさんにこんな美しい女性の知り合いがいるわけないだろ!
俺は冷静に深呼吸する。
「だ、誰ですか」
怖いんだが。普通に怖いんだが!
絶対に手を出したらやばいと俺の理性がいっている。そう思って距離を取ったら、彼女の座る反対側のベットから落ちた。
「いてて……」
「ふふっ」
朝からその姿はちょっと、おっさんには刺激が強すぎるかな、なんて。
俺は良い匂いに心惹かれながらも、警戒するように距離を取る。そんな俺の行動を楽しむように、彼女は立ち上がった。
「おっさんは知ってるぞ。こういうのを色仕掛けって言うんだ。俺から取れるものなんて何もないぞっ、美しいお嬢さん!」
「美しいだなんて……って違う!」
何が違うんだ。美しいだろう!
こほんと少しだけ取り繕ってから、彼女は妖艶な笑みを浮かべた。
「ぱんぱかぱーん。残念ながら貴方は私に呪われちゃいましたー」
美しいお嬢さんはお茶目にそう言うと胸を張る。
「ふふん、ごしゅ……貴方が私のことを思い出すまでここに居座ります」
ん?
「ちなみに私は悪魔です」
ん??
「おっぱい触り放題です」
「名前を言い当てれば良いんだよな」
むぅと女性は膨れっ面を見せた。だが俺は冷静だ。冷静なんだ。
「…………さて」
名前、言い当てたくねぇ。
言葉は胸の内にしまっておく。
だって悪魔だぞ。
この世界で悪魔と言ったら、悪でしかない。世界にいついた悪魔は人間の魂を奪い、喰らうのだとか。
彼らの存在は広く知られているが、その目で見たものはほとんどいないだろう。
よく深い人間が召喚するか、町に歪みが生じてポンと数匹出てくるかのどちらかだ。俺は召喚した覚えなんてないから、おそらく後者だと思われる。
でもあんな好意的な悪魔いるのか?
本当に召喚した者すら、捧げ物をしないと魂奪われるという、凶悪な存在が彼女だと!? ……あるな。あの美しさは罪すら感じるっ。
部屋から出て廊下を歩いていると、良い匂いがしてきた。
そして机には出来立ての朝食が置いてある。
「ふっふっふー」
「うわっびっくりた!?」
悪魔が俺の後ろにいた。ちょんと腕に触れてるところあざといっ。
「ごしゅ……おっさんのために作っといてあげました!」
「だ、誰が悪魔の作った飯を食うか」
本当はめちゃくちゃ食べたい。絶対美味しいだろ。
振り返ると、悪魔がしょんぼりしていた。
「わ、わかったよ。食べるから、そんな顔するな」
「本当ですか!? うふふっ、ご主人様大好き!」
「なんで俺がご主人様なんだ?」
「え? えと、それは……まぁまぁまぁまぁ、とりあえず朝食をどうぞ!」
しょうがないなぁ。誤魔化されてやるか。
机に座って朝食を食べる。
「美味い」
「でしょ! 私頑張って覚えたんだよ!」
ベットにいた時はとてもエロ……妖艶な雰囲気だったのに、今はとっても元気な雰囲気に見える。女性ってこんなにも場所と雰囲気で変わるものなのか。すごいな。
ニコニコしている彼女からは母親のような母性を感じる。……すごいな。
朝食を食べていると昔のことが思い浮かんできた。ちょうどこの悪魔と同じ色の毛をした猫だ。瞳の色も同じ。つけてやったリボンも、ちょうどあんな色だった。
俺にべったりと継いてきて、可愛かったなぁ。
以前、飼っていた猫はもういない。なぜいないのかは、よく覚えていないが。死んだわけではないはずだ。
…………うん? よく思い出せないが、あの子との思い出だけは強く覚えている。
「ご主人っ!」片づけをしてくれる。
「ご主人」今日は休暇日だ。買い出しの手伝いをしてくれた。
「ご主人っ」一緒にいるだけでなんだか楽しい。
昼食も、夕食も。次の日も次の日も。仕事から帰れば、彼女の笑顔と、暖かいご飯が迎えてくれる。
至れり尽くせり。もうこの生活がずっと続けば良いのに。
そんなことを思いながらベットにいると、ふと名前を思い出した。アオバ。アオバだ。
わんわんと俺の足元に寄り添うようにずっと一緒にいた子。そして、少し病弱で苦労したけど、可愛い可愛い俺の家族。
朝になるといつものように起き上がる。するともはや日常となってきた言葉が降ってくる。
「おはようございます、ご主人」
「……おはよう」
悪魔はいつも通りに俺の朝食を用意してくれていた。
あの子は食いしん坊だったな。いつも用意してあげていたご飯は……。
「?」
何かいま、変な記憶が。
「ご主人? どうかしましたか?」
「……いいや。なんでもないよ」
数ヶ月後。
悪魔はいつもより大人しかった。
「今日は満月の日ですね」
「そうだね」
悪魔たちが特に暴れる日だ。
「お月様が綺麗に見える場所があるんです。一緒に行きませんか?」
夕食を食べ終わり、ちょうど、冷たい風にあたりたかったところだ。
悪魔の彼女が俺の元を訪れてから、2度目の満月。
「行きましょうご主人!」
「ああ」
悪魔に連れられ森の中へ。
森の奥にこんな場所が?
花畑だった。満月の光が満遍なく降り注ぐ、とても綺麗な場所だ。
花畑の中心にいる彼女はとても綺麗だった。
「綺麗なお月様ですよご主人様」
「うん、綺麗だ」
「ところでご主人様」
「なに――」
ビキビキと悪魔の肌が割れ、赤い線が走ったかと思うと、爪が伸びた。そして俺の腕を貫く。
グサッ!!
「うわぁぁあああ〜〜!!」
痛みで叫び声を上げた瞬間に気づいた。こいつは正真正銘、悪魔だ。その瞬間、彼女の笑みも声も恐怖へと変わる。
「思い出した。猫じゃない」
俺は猫なんて拾ってない。あの時拾ったのは――。
「思い出さなければ、懐かしい思い出の中で死ねたのにねぇ!! あははっ!」
震える俺に、悪魔は容赦なく鋭い爪で斬りつけてくる。切られた胴体からは大量の血が溢れ出していた。
「まぁ、思い出させたの私なんだけどね。絶望感と憎悪たっぷりな魂は、きっと甘美な味がすることでしょう」
暖かいのは、俺の血か。
意識がぼんやりとしてきた。見上げる月は憎いほど綺麗に輝いている。そして、俺を殺そうとしている憎いはずの悪魔も綺麗だった。
徐々に近づいてくる彼女には、俺なんて獲物としか映っていないのだろう。それでも、楽しかったんだよ。この数日間。
ちくしょー。
「悪魔め……」
「バカな人間。悪魔の言うこと信じちゃキャァッ!?」
「お父さん!!」
目の前が陰った。近づいてきていた悪魔は吹き飛び、何かもふもふなのがいる。
俺の本能が言っていた。知識としても知っている。
聖獣だ。
なんでここに。
「相棒ここだ! アオーーン!!」
「無事か!?」
二人の人間が走ってくるのが見える。目が霞んでよく見えない。
ダッと悪魔の方へ向かって行った人間と聖獣。唯一、悪魔に対抗できる、人間の最大戦力だ。
「悪魔め、覚悟!!」
遠くで戦いの音が聞こえる。
「『神よ、癒しの力をお借りします』」
近くで女性の声がした。
「お父さんは無事なんだろうな?」
悪魔の元へ走って行った聖獣が帰ってきていた。俺を治癒してくれている女性は、ふんと鼻を鳴らす。
「そう慌てずとも。私を誰だと思っているのですか」
「ふん」
仕返しとばかりの聖獣の声。ふふと笑った女性からは、優しさと気高さを感じる。
痛みがほとんどなくなってきていた。すごいな。
呆気に取られている俺には、そんな薄っぺらい感想しか浮かばない。
「悪魔は?」
俺を治療してくれていた女性が、顔を上げた。
「もちろん狩った。中級の悪魔だったが、アオバの一撃が随分と効いていたようだ。召喚したどこかのバカはとっくに死んでいるだろうな。本人もそう言っていた」
女性が剣をしまう。
治癒が終わったのだろう。女性が俺から離れていく。確かに痛みはない。
「人間の欲は尽きませんものね」
「悪魔に頼るなど、あってはならない」
「うふふ、貴方はもう少し欲を持ってもよくてよ」
「不要だ。私の欲しいものは既にある」
もふん。と目の前に狼の顔がきた。それをよしよしと撫でてやる。
「お父さん、俺のことを覚えているか」
「もちろん。アオバ。かっこよくなったな……。あんなに病弱だったのに」
俺の涙腺が緩んでいると、二人の女性が膝をついた。気遣いのある、丁寧な仕草に俺は目を丸くする。
色仕掛けはもう懲り懲りだぞ。
「聖人様ご無事で何よりです」
「……聖人? 俺が?」
聖人、それは聖獣の生まれる場所へ導かれ、育てることを許された者たちだ。
聖獣の育った土地は聖獣によって祝福される。それは旅立った後も、育ての親が生きている限り続く。
故に、聖人は保護されると聞いている。
気付かないうちに保護……されてたのか? いやここは普通の田舎町だし。
俺の困惑がもっともだとでも言うように、彼女たちは真剣な表情で頷いた。
「悪魔の気配に気づけず申し訳ない。貴方には安全のために王都へ来てもらいたい」
「2匹目の気配は感じないが、身を潜めているかもしれないのは確かだ」
もふもふなアオバが不安なことを言ってくる。
二匹目とか……。人生で悪魔に一回あったら最悪と言われるのに、まだ会う可能性があるってのかよ。
俺が聖獣を育てた聖人だから……。
「混乱しているだろうが今すぐ決めてもらいたい」
「貴方の自由を奪ってしまうから、不満の出ないよう、こちらとしても最大限の努力はしましょう」
「お父さんが嫌って言うなら、俺は認めない」
「……頼む」
いや、今すぐ決めろったって。仕事とか人間関係とか。……そもそもな話が、いまだに信じられないんだが。
「俺、本当に聖人なんですか? そんな実感少しもないんですけど」
「お父さんに育てられた。間違いない」
「確かに育てたけど、狼だとばかり……」
「神に産み落とされた子供の頃の聖獣は、普通の獣よりも脆弱です。そのため、聖人が必要なのです。何も特別なことが必要なわけではありません。ただ、一番近くにいて、一番波長が合い、穏やかで、忍耐強い者が選ばれるのです」
いや、めちゃくちゃレアでは? 聖獣、国に十五匹だよね?
「できるだけ貴方のことを尊重する。朝は――」
ぺらぺらとうら若き乙女に、自分の事情を話される俺の気持ちよ!
「好きな――」
「俺より詳しいな!」
もうやめてくれぇ。
「もちろん、安全のために『ストーカー隊』たちが見守っておりましたので」
「ストーカー隊……」
俺事情を暴露していた女性は真剣そのものだ。
「お願いします。この地域が安全だと分かるまで。もちろん、そのまま王都に移住していただいても構いません。費用もこちらが出します」
これは……いかないって言う選択肢はないのでは?
「わかりました。王都に行きます」
聖獣のアオバは嬉しそうに尻尾を振りながら擦り寄ってきた。
「では、参りましょう。荷物は後ほど」
「挨拶くらいはしていきたいんですが……」
「お供します」
えぇ。
「私たちはここでお待ちしておりますね。町に入れば大騒ぎとなってしまいますので」
「お父さんまた後でね」
「あぁ、うん」
はぁ。とんでもないことになってしまったようだ。
アオバが普通に喋ってる……。あんな小さくて可愛かったアオバが、こんなにもカッコよく。しかも聖獣だったなんて……。
あの熱心に引き取りたいと言ってきた貴族はそう言うことかぁ。
……はぁ。俺があの聖獣を育てた『聖人』だったなんて。
これからどうなることやら。
まぁ、なんとかなるだろう。
俺、聖人なんだって。 水の月 そらまめ @mizunotuki_soramame
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