【秘密】魔法使いの腹の底

ながる

secret love

 普通とは、装おうとすると難しいものである。

 残業はできるだけなくしたいが、毎日定時で上がるのは優秀か変人だ。

 そこそこの残業をして疲れたような顔して退社する。エントランスに下りて行けば、ちょうど『シンデレラ』が自動ドアを潜り抜けていくのが見えた。

 ひっつめ髪に瞳を隠す厚い前髪。うつむきがちに人に埋もれるように歩く姿は、夜の彼女とは別人だ。


 何かあっても直接連絡がつくようにと、昼の職場も同じ会社なのだが、部署が違うので顔を合わせることは多くない。総務部にいるので、接点を持とうと思えば持てる立ち位置ではあるのだが。今のところそこまでするほどの事態には陥っていないので、すれ違っても会釈を交わす程度だ。

 器用に気配を殺した背中が見えなくなるまで見送って、ひとつ息をつく。同時に、一番近い、煙草を吸える場所を脳内でサーチした。すっかり肩身が狭くなったけれど、一時期は禁煙にも挑戦したし、彼女シンデレラにも眉を顰められるのだけど、どうしてもやめられない。


 自分と同じように疲れた顔の人たちに紛れて、深く吸い込んだ煙を吐き出す。

 どんなに吐き出しても、淀んだものは出て行きはしないのだけれど。


 * * *


 自慢じゃないが、俺だってそこそこのエージェントだった。

 失敗したことがないわけじゃない。後始末までちゃんとやってのけて、生き残ってるんだから、優秀と言ったっていいんだろう。

 浮かれた生活ができるくらいには稼いで、少し調子に乗っていたことは認める。


 その仕事も、特になんの感慨もなく受けた。

 対抗組織に寝返った男がこちらに牙を向けたからだ。何度か一緒に仕事もして、名前も知っている。でも、それだけだ。ターゲットにすることに、これっぽっちも気持ちは揺れなかった。

 対抗組織側の女共々始末して、ある一点からこちらを遠ざけようとしていた動きに、重要機密でも隠していたのかと軽い気持ちで手柄の上乗せを計算した。

 隠し部屋の、さらに床下。記録媒体か、それともアナログに紙の束か。半ばワクワクとして開けたその場所には、当時二歳だった彼女が眠っていた。

 咄嗟に銃を向けたものの、あどけない寝顔に引き金は引けないまま。

 指示を仰ぎ、「処分できないのなら連れ帰れ」との言葉に従うことになる。


 人質として使うのか、しかしそれには幼すぎる。何より、彼女のことはあちらの組織でも把握していなかったようだ。調べてみれば、二年もの間、完璧に隠されていた。当然、戸籍もなく、厄介なものを、という雰囲気になる。

 一般の孤児院に任せてしまう話も出た。だが、目覚めた彼女は知らない大人たちに囲まれた状況でも大泣きすることもなく、俺を含めた若い連中にいたっては近寄って抱っこをせがんだりする。

 「親と同じ匂いがするのでは」と誰かがうそぶいたのがきっかけか、結局、組織の運営する孤児院で育てられることになったのだ。


 今はわからないが、当時、両親のことは覚えていないわけではなかったと思う。

 それでも彼女は、親を恋しがるより抱いてくれる他人と、広がった世界に関心を奪われたようだった。

 彼女の身体能力と射撃の適性は、小さいうちから見て取れた。

 組織は、彼女を育てる方へと舵を切った。

 そして俺は彼女のお目付け役を命じられる。

 もし、両親のことで禍根があるようなら、その素振りが見えたところで彼女を始末する。そのために。


 今日まで、彼女が我が組織に復讐をする素振りはない。

 自分の出生に疑問を持つ様子も……たぶん、ない。

 それが正しいのか、両親から受け継いだ資質なのか、俺には判らない。

 うかつに彼女に近づいて、妙な情を持つわけにもいかない。


 いかなかったのに。

 適切な距離を保ってきたはずなのに。


 この世界で生き生きと活躍する彼女に、違う道があったのではないかと、泥のような感情が溜まっていく。

 俺が、あの床下を開けなければ。

 警察や救急隊に発見されていれば。

 こんな世界に染まりはしなかったのに、と。


 * * *


 組織を抜けて二人で姿を消した『赤ずきん』に、「見つかるなよ」と心の中でエールを送った。

 下手に組織を敵に回さなければ、それなりの幸せを掴めるかもしれない。

 俺みたいなやつが、見逃してくれるかもしれない。


 根元まで灰になった煙草を灰皿へと投げ込む。

 ともかく今夜は仕事がない。『王子様ターゲット』のいない日くらい、安くてアルコール度数の高い酒でも煽って、寝てしまおう。


 いつか彼女が本当のことを知るのか、知らないままこの世界を駆け抜けるのか、俺の知るところではないが、もしも彼女が復讐を望むのなら、その時、俺は彼女の『王子様』になるつもりでいる。

 彼女は「ときめかない」と、むくれるかもしれないけれど。




おわり

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