エピローグ お料理教室

 お料理教室を開くことになった。

 場所は我が家で、参加人数は俺だけである。

 なんども強調するが、俺だけなのである。

 俺は料理は下手ではないのだが、荻原からは下手認定されてしまったらしく、俺は今日、荻原から手ほどきを受けることになっている。

 昨晩荻原が俺の家にやって来て、「あんたも料理作ってみなさいよ」と言われたので、俺は渋々たまごやきを作ることにした。

 

 だが、たまごやきという料理は、たまに作るとスクランブルエッグになってしまうことがよくある。

 その日もたまたま調子の悪かった俺は、スクランブルエッグを作ってしまったのだ。

 これには荻原も額を叩いて「……」という表情を浮かべるしかなかった。

 というわけで、今日荻原に料理を教わることになった、ってわけだ。

 

 さすがに不本意だ。

 たまに作ってしまったからああなってしまったわけで、見られていなければあんな風にはならなかった。

 緊張してしまった。ただそれだけの理由である。

 それなのに荻原は白い目を俺に向けてきた。

 

 ……くそ。

 

 まぁ荻原も荻原で、俺に料理教えたい欲求があるんだろうな、とは思っている。

 だとしたら、俺は素直に荻原から料理を教わった方がいいだろう。

 じゃないと荻原に噛み付かれる可能性があるからな。

 



「はい、注目」

「…………」

 

 俺は素直に従った。

 エプロン姿の荻原先生が、お玉を持ってこちらに注目を促している。

 キッチンテーブルの上には、ボウルに溶いた卵があった。

 今からこれをフライパンに流して、卵焼きを作ろう、という流れである。

 

「そうねぇ、あんた好きな卵焼きある?」

「卵焼きか。なんでも好きだが、特に甘い奴が好きだ。砂糖の入った奴だな」

「あんたにはむりよ」

「おい」

 

 俺は突っ込んでしまう。

 さすがの言われように凹むぞ……。

 

「砂糖の入った卵焼きって、意外と難しいのよ。砂糖が先に焦げちゃうから」

「なるほどな……」

 

 俺は本気で納得してしまう。

 そういう理由があったのか。

 

「そ。だから初心者は、ふつうに醤油の卵焼きを作るのがベスト」

「一応言わせてもらうが、俺はべつに初心者じゃないからな」

「スクランブルエッグ」

「返す言葉もないな……」

 

 ということで俺は荻原先生に逆らえなくなってしまった。

 

「つうか、醤油の作らせるんだったら、俺の好きな卵焼き聞く必要なかったじゃないのか」

「そ、それはあれよ……。あんたに今度作ってあげるって話」

「おう……。そうか」

 

 荻原は俺のために、毎晩食事を作ってくれる。

 材料費七割だ。俺が負担するのは。

 だが、とてもそれだけじゃ足りない気がしてきている。

 荻原はふつうにレストランとか経営できるレベルで、料理がうまい。

 

 なんか俺ばっかり作ってもらって申し訳ない気分になってくる。

 だからここで料理を学んで、自分でも作れるようになっておきたい、というのが本音である。

 

「だし巻き卵にしましょっか」

「了解」

 

 荻原先生に手ほどきを受けながら、俺はなんとかだし巻き卵を完成させた。

 



 荻原先生に教わったとおり作っただし巻き卵は、一応形にはなっていた。

 味の方も悪くない。

 だが荻原先生もだし巻き卵を作っており、彼女の方が三段階くらい上手だった。

 

「……お前にはかなわないな」

 

 俺はぼつりと呟いた。

 荻原の料理の腕前に、今後勝てることはないだろう。

 絶対にな。

 

「ふふん、まぁ当然ね。けど、あんたの方も良くできた方じゃない? ふつうのヒトと比べればうまい方だと思うし」

「……たしかに」

 

 荻原が先生だからだろうな、きっと。

 やはり荻原は、教えるのもうまい。

 てっきり荻原は天才型で、教えるのが下手なタイプかと思っていたが、そうでもないらしい。

 

「ごちそーさん」

 

 俺は皿を片付ける。荻原もちょうど食べ終わったらしく、二人して皿洗いを行う。

 今では見慣れた光景だ。

 俺が一足早く皿を洗い終えると、鞄の方に近付いて、俺はあるものを取り出した。

 それを、皿洗いをちょうど追えた荻原に渡す。

 

「ほら」

「なに、これ」

「鍵だ。見てわかるだろ」

「なんでよ」

 

 俺は荻原からすかさず突っ込まれる。

 

「これ、どこの?」

「うちのだ。お前にも渡しておこうと思ってな」

「な、なんで……?」

「お前、俺のために料理作ってくれるとき、夕方俺の家に来るだろ。

 だけど今まで何回か、俺が外出しては入れないときがあったはずだ」

 

 俺が夕方用事があって家に帰るのを遅れたとき、荻原は俺の家の前で待ってたりした。

 さすがにそれは申し訳が立たない。

 だから、鍵を渡す。

 

「いいの?」

 

 これは意外な反応だった。てっきり喜ぶと思ったんだが。

 

「あぁ。好きなときにうちを使ってくれ。ゲームもお前が勝手にやってていい。接続の仕方は教える」

「……けど、え? 本当にいいの?」

「どういう意味だ?」

「だ、だってその……ここ男性のうちだし」

 

 なるほどな。荻原もそういうことを気にするタイプらしい。

 

「考えても見ろ。べつに男性の部屋ならいいんじゃないのか?

 俺がお前の家の鍵もらうんならまだしも」

「そ、それもそっか。わ、わかった。んじゃーもらっとく」

「もらっといてくれ」

 

 鍵の話はそれで終わった。

 俺たちはまたいつものように、テレビ画面に向かっていった。

 夕飯後のココアもちゃんと準備してある。

 この時間を、俺は好ましく思っている。

 荻原と二人でゲームする時間。

 と、荻原が俺の前髪を掻き上げてきた。

 おい、いったいどういう風の吹き回しだ。

 

「へへ、あんたって意外とおでこ広い?」

「だからなんだ。っていうか、いきなりなんだ」

「あーなるほど、その分心は狭いのか」

 

 はったおすぞこの女……。

 俺は呆れたようにため息をつき、そして言った。

 

「俺のおでこがどうかしたのか?」

「あんた、おでこ出してた方がかっこいいよ」

 

 そうか……?

 俺は今まで考えたことなかった。

 適当に美容室で切ってもらっている髪型だ。

 男性にしてはやや長めの髪型。

 べつに髪型にこだわりがあるわけではないが、面倒なのでいつもこの髪型にしている。

 

「令和男子のはやりは、おでこだしスタイルだからねぇ。センターパートとか、聞いたことない?」

 

 センターパート? なんだそれは? 中堅手の守備範囲か?

 それとも合唱における中音域のことだろうか?

 俺が首を傾げていると、荻原の呆れたような声が聞こえた。

 

「あんた、今まったく違うこと考えてるでしょ?」

「違うことと言われても、なにが違うのかわからん」

「こう、クワガタみたいな髪型ってこと。センターパート」

 

 あぁ、なるほどな。それならやってる奴見たことあるかも知れない。

 っていうか、よくホストとかがやってる髪型だ。

 あの髪型にするのはちょっと勇気がいるな。

 

「――ねぇ」

 

 急に、荻原が顔を近づけてきた。びっくりした。

 

「なんだ?」

 

 俺が問いかけても、荻原は返事をしない。

 荻原は耳まで真っ赤にしていた。俺の胸に顔をうずめるのがそんなに恥ずかしいのだろうか?

 荻原はなにかを言いたそうにして、口を噤むのを繰り返していた。

 なんだ?

 荻原はなにを伝えたいんだろうか?

 すると、荻原は震える声で、こんなことを言った。


「――鍵」


 かぎ、じゃない。けん、と発音した。

 それは間違いなく、俺の名前だった。俺の両親がつけた、俺の名前。

 

「って呼んだら、怒る?」

「………………いや、べつに気にしない。嘘だ。気にはする」

「そっか。これ、めっちゃはずい……」

 

 なんでだよ……。俺は突っ込みたい衝動を、何とか抑えた。

 人には人の距離の詰め方というものがある。

 荻原には荻原なりの、距離の詰め方があるのだ。

 ならそっと見守ってやるのが、名前を呼ばれた者の役割だろう。

 

「美琴、でいいのか?」

 

 俺は荻原の名前を呼んだ。美琴、いまだに舌に馴染まない音だ。

 だがいずれは慣れるのだろう、とは思う。

 美琴。

 珍しい名前の部類に入るかも知れない。

 今まで荻原と呼んできていたから、いきなりの名前呼びはなんというか、むずがゆいものがあるな。

 

「…………ん」

 

 悪くない、という答えらしい。

 

「美琴、とりあえず離れてくれ。重い」

「わ、悪かったわね」

 

 荻原はゆっくりと、俺から体を離していく。

 まだ顔の熱が冷めないのか、ぱたぱたと手を振って顔の熱を冷まそうとする荻原。

 

「……げ、ゲームしよっか」

 

 荻原が、いつもの言葉を、いつものように呟いた。

 ならば俺は、その言葉をいつものように返してやるのが義理というものだろう。

 

「そうだな」

 

 俺と荻原の二人だけの時間は、まだまだ続いていくんだろうな、と実感した。

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隣に住む学園の女王様と呼ばれるギャルが、料理上手だった件 相沢 たける @sofuto

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