乙女ゲームの悪役令嬢もとい悪妻なモブに転生したけど、人生イージーモードすぎて不安しかない

しーの

第1話

 ごきげんよう、皆さん。

 わたくしはアイカテリナ・ゲオルギナ。名門ゲオルギウス家の惣領娘そうりょうむすめとして生を受け、このたびめでたくも婚姻の儀を迎えることと相成りましたよわい八歳のピチピチ(というか、ぴよぴよ?)の幼女でございます。

「めでたい!」

 さかずきを掲げて声を上げているのがわたくしのお父さま。ゲオルギウス一族の当主イサキオスその人です。いかにもなちょいワル風激渋オヤジで、タレ目のくせに目つきが悪い脳筋であります。ちなみに腹芸もできます。

 そんなご機嫌なお父さまを筆頭に、この場にいる大人の皆さんはご陽気に高価なワインで満たした杯を次々に空にしていっています。

 豪華で綺麗だけど、やたらとクソ重い婚礼衣装を着せられ、おとなしく座っているしかない本日の主役(笑)としては、いったい何がめでたいんだよと問い詰めたいのは山々です。

 何せ、こちとら隣に座っている結婚相手の顔すら知らない状態です。もっとも自分の頭のはるか上にある顔なんて、きちんと確認しようとしても首が折れそうになるだけですけど。

 退屈だ。目の前にあるご馳走だって、そんなに量は食べられない。でも、好物のラガナス(※バクラヴァの原型)があるので、そこは別にいいです。わたくしの記憶にあるものほど洗練されているわけではないですが、貴重な甘味ですので食べないという選択肢はありえません。

 給仕が注いでくれた香り高い薔薇と蜂蜜のコーディアルは、まだお酒が飲めない年齢のわたくしのためのものです。花や果物、香草ハーブで香り付けした水は一般的な飲み物で、残念ながらお茶や珈琲はまだ伝来していないので。

 お茶が飲みたいなぁ。日本茶が無理なら紅茶でもいいんだけどなぁ。

 もぐもぐと口を動かしながらわたくしは、飲んだことのない飲み物の懐かしい記憶を反芻します。はい、お察しの通り、わたくしは転生者です。前世は21世紀の日本人。はいはい、お約束お約束。ちっ。

 どうせなら魔法とかがある世界が良かった。そう思うのはゲーム脳が過ぎるというやつでしょうか。

 いやね、わかってます。どう見ても中世な時代と世界に生まれ落ちて、大帝国の権門の家を引き当てるなんて幸運ラッキーな方だと。衣食住に恵まれ、きちんと教育も受けられる。厳しい労働とも無縁です。そこは素直にありがたいと思います。

 しかし。しかしですよ?

 言っても中世なので、厳格な身分制度がある家父長制社会です。女性の権利云々の前に、人権ナニソレ?の時代です。もちろん21世紀でも、そのような国はあったでしょうし、日本だって一皮剥けば男尊女卑な社会であったことは否めません。

 でもなー、さすがになー。児童婚はなー。

 ねーわな。

 この時代のこの国においては、一般的とまでは言えませんが、特筆すべきというほどでもありません。ただ、社会通念的にも宗教的にも離婚はありえませんので、わたくしくらいの年齢ですと婚約というところにとどめておくのが普通です。幼少期の婚約なら解消したところで支障はありませんし、王侯貴族の子女ならままあることなので。

 そもそも結婚というのは家同士の契約ですので、親や一族の当主の意向によって決まることがほとんどです。庶民パンピーであろうと貴族であろうと、そこは変わりません。まあ、階級的に下にいくほど縛りが緩くなっていくようですが。


 さて、今回のわたくしの結婚に関しての事情はというと、父の部下である花婿さんの地位を押し上げ、我が家門に取り込んで名を与えるためのものです。

 彼、ドがつく辺境出身な上に元剣奴であったりするのですが、軍人としてもほんとに優秀で、その出自にもかかわらず出世街道を爆進中なのだそうです。んでまぁ、更なる飛躍の為にも今回の結婚が必須らしいと聞きました。

 お父さまとしては、若くて有能な部下を引き立てる都合。花婿さんとしては、もちろん出世のため。お互いにメリットのあるこれぞWin-Winの関係。

 わたくし以外は。

 コレもう完全にお飾りの妻コース確定じゃないですかー。もー。

 予想はしてた。と、いうか、いま現在お飾りでないと困るのはこっちですけどね。まじめな話、この年齢での床入りは勘弁してください。ないですよね?ね?

 隣で健啖家ぶりを発揮している花婿さんの横顔を、わたくしはじっとりこっそりと見上げた。

 うわぁ、睫毛まつげバサバサだわ。鼻筋も通ってる。へえ、金髪なんですね、珍しい。そういや西方の島国出身でしたね。あらまあ、このひとかなりのイケメンじゃないかしら……。

 う、う、うーん?

 なんか見覚えのあるビジュアルです。会ったこと、ありましたかねえ?

 わたくしの視線に気がついたのか、花婿さんがこちらを向きました。さりげなく視線を合わせるように覗き込んできます。

 どこまでも晴れ渡る真昼の空の青が、わたくしの前にありました。

「どうかしましたか?」

 しびれるような甘いテノール。

 おお、イケメンは声までイケてる。お父さまのドラ声とはえらい違いだわ。と、次の瞬間、わたくしは既視感の正体に思いいたり、はっと息を呑んだのです。

 こ、このひとっ!この顔、この声はっ!

 アルトリウス!

 アルトリウス・ゲオルギウスじゃないですかっ!



 『黄昏たそがれ暁月あかつきの千年帝國』

 前世でコアなマニアに人気のあった、いわゆる乙女ゲームです。

 ただ、このゲーム、ジャンル詐欺、パッケージ詐欺(褒めてる)とかいう声も多かったゲームでもあります。

 絵師のキャラ造形は神がかっていましたし、画面は申し分ないクオリティを誇り、シナリオは非常に骨太でした。

 いや、骨太すぎました。

 なぜなら『黄昏と暁月の千年帝國』は、乙女ゲームの皮を被った戦争シュミレーションアドベンチャーRPGだったからです……。

 メインストーリーの骨子としては、ヒロインが旅の一座の踊り子という卑賤ひせんな身から成り上がり、ついには皇后あるいは女帝にまで登りつめるという展開で、極めて王道かつシンプルなシンデレラストーリーです。

 が、攻略対象である男達の物騒なコトといったら。もうドン引きです。

 容姿スペック諸々含め、彼らがキラキラしいのは確かなのですが、それにしてもあれはキラキラしいというよりギラギラなのでは?

 よくよく考えてみれば、ストーリーの背景にある前提条件が、陰惨いんさんな宮廷闘争劇と熾烈しれつな大陸国家間の戦争という究極のパワーゲーム。悲愴ひそう勇壮ゆうそう華麗かれいにして絢爛けんらんたるサバイバルデスマッチです。

 どの攻略対象も時代の看板を張るようなキャラクター達ですので妥当ではあります。

 前世のわたくしもパッケージの美麗な絵に騙され、黄色い声をあげて財布の紐を緩めた一人です。ええ。

 んでもって、いそいそと画面の前に座し、いざ攻略にいそしんではみたものの、あまりの難易度に悲鳴を上げてしまったのも苦い記憶です。

 知らなかったんですよ。女子も男子もガチめ暦オタ軍オタ御用達ナラティブ系TRPGが原作だったなんて!

 職場の先輩(ガチゲーマー♂)からは、鼻で笑われてしまいました。くすん。

 そんな思い出のあるゲームですが、いまの今までわたくしは自分がゲームの世界に転生したなんて考えもしませんでした。

 ごくごく普通に転生しただけだと思っていたのです。

 だって、和製ゲームにありがちな、ご都合主義っぽいトコがないんだもん。魔法もないし。ピンクやブルーやグリーンの髪の人間もいないし。文明レベルは完全に中世だし。魔法もないし。魔法もないし。

 しかし、しかしです。なんということでしょう!

 わたくしは前世流行りに流行ったWEB小説定番!ゲーム世界への転生者だったのです!

 へ〜、ほ〜、ふ〜ん、オッドロキィ~!!

 ってか、巫山戯ふざけんじゃありませんよ!!

 何でわたくしの結婚相手が、攻略対象のアルトリウスなんですか!

 いや、確かにウチの家門の名前ゲオルギウスですよ? だからって気がつくわけないじゃないですか、ヤダ〜。

 勘弁してくださいよ。踏み台にされる当て馬でモブな悪妻なんて。

 この男に我が家門の名を与えるためだけに結婚させられたのに、ゲーム本編が始まっても影すら登場せず、名前だって出てこないまま、いつの間にか消えているキャラじゃないですか。しかも悪妻扱い。

 実況班や考察班のプレイヤーの間では、消えている≒死んでいると考えられており、おそらく殺されたのではないか(Q.誰に? A.彼に)との意見が大半でした。

 嫌だー、嫌すぎる!

 離婚だ、離婚。離婚しかない!

「あの……」

「はい、アイカテリナどの」

 ピカピカの王子さまっぽい爽やかスマイルが眩しい。目が潰れそう。

 いや、もう、ホントに。さすがは攻略対象。ただならぬ美形ではあります。天(この場合は運営か……)は二物も三物も彼に与えまくってますね。

 普通、金髪碧眼の王子さま系男子って、センターにドンと陣どるメイン攻略対象ですけど、なぜかこのゲームだと三番手くらいなのですよ。

 しかもですね、成り上がり軍人枠です、彼。意外性を狙ったキャラデザなのでしょうかね?

 ちなみにメイン攻略対象にしてラスボスたる御方は、我が帝国が誇る副帝〝無敵の〟ユリアヌス皇子です。他国や敵対派閥の者からは〝首刈り〟ユリアヌスと呼ばれているそうです。失礼ですね!

 あ、副帝というのは他国でいうところの皇太子です。現在の帝室はゴリッゴリの軍閥ぐんばつ貴族出身であるコンスタンティノス家で、今上皇帝マグヌス陛下の伴侶たる皇后エイレーネ・ゲオルギナ陛下は、なんとお父さまの妹なのですよ!

 ……って、何で気がつかなかったんだ、わたくし!!

 従兄いとこのユリアヌスって、思いっきり攻略対象じゃないですかぁ〜。ヤダぁ。

 何かといっちゃあ「アンナさま」「アンナさまが」「アンナさまに」な、あの残念な脳筋の見た目だけ皇子がァ?

 アホくさ。

 目の前にいる花婿さんも似たような生き物である可能性に思い至り、つくづく世の中とは儘ならぬものだと溜息を吐いた。

 齢八歳にして現実を知るというのは悲しいことですね。


 アルトリウスはせっせと目の前のご馳走を頬張りながら、ちまちまとお菓子を口に運んでいる花嫁を観察していた。

 帝国貴族はその成り立ちからか雑多な民族で構成されており、従って髪や目、肌の色などじつに様々な容姿をしている。また、上層部になればなるほど代々の政略結婚のせいで血が混じり、単一的な特徴とは無縁になるとう。

 もっとも、その複雑に入り混じった血のせいで容姿に秀でた者は多く、また一種の共通項のようなものを感じるのも確かだ。

 どうということはない。ただ、会えば理解わかる。

 いまだ世間を知らず、幼かったアルトリウスにそう教えてくれたのは、国々を旅して廻る吟遊詩人の男だ。

 実際、男の言葉は間違っていなかった。

 上司であるイサキオス・ゲオルギウスは、これぞ帝国貴族といった男だ。

 はるかいにしえに隆盛を極めた大帝国の正統なる末裔を自認し、帝国市民であることを誇りとし、皇帝の剣であり帝国の盾たる自負があり、野心があり、傲岸ごうがんながら謙虚けんきょでもあり、詩を愛する文人でありながら不屈の軍人でもある。

 そんな男の嫡妻ちゃくさいが産んだ唯一の娘が、アルトリウスの横に座している少女である。

 上司には少なくない数の子女がいるが、目下、総領娘とみなされているのは末娘である彼女だ。前妻との間に生まれた長男次男はすでに独立して久しいし、アイカテリナの母より血筋は劣る。

 帝国は男性優位社会ではあるし、国政において軍事的政治的手腕が欠かせない。ゆえに、剣奴であったアルトリウス如き者でも立身は可能だ。

 よほどの運と才能と実力の持ち主であれば。

 アルトリウスは己が豪運であることを確信していたが、それでも名門ゲオルギウス本家の総領娘の婿に据えられるとは思いもしなかった。せいぜい分家筋の娘とめあわせられ、末席に加えられる程度だと考えていたので。

 まさかゲオルギウスの名を名乗らせるためだけに、掌中しょうちゅうの珠ともいえる総領娘と婚姻させるとは。

 ついつい上司の思惑について考え込みそうになるのを断ち切り、おそろしく豪奢に飾り立てられた少女を眺める。

 小さな彼の花嫁は、からす濡羽ぬれば色した髪に金糸で縫い取りした薄紫のリボンを編み込み、それは見事なヴェールをかぶっていた。

 ひらひらとした軽くて薄い布だが、驚くほど精緻な紋様が描き出された糸の芸術品だ。サフランで染められた薄布は、おそらく同じ重さの黄金より貴重な代物だろう。花冠を模した古代風の黄金冠を戴いている。

 重たげに首から下げた真珠とガーネットとエメラルドのペンダントも、華麗な織物で仕立てられた衣装も、帝国屈指の大貴族ゲオルギウス家の地位と財力を示すものだ。

 ふと、『お姫様』という形容が浮かぶ。

 幼少の頃に己の貧弱な想像力で思い描いたお姫様は、こんな感じではなかっただろうか。

「どうかしましたか?」

 アルトリウスは意識して口角を上げ、なんとかやわらかい印象になるよう微笑みかけた。ただでさえ上背があるので、怯えられたくない。上司の命令通り、きちんと髭を剃っておいてよかった。遠征中のむさくるしい見た目だと、熊に間違われることもしばしばなので。

 アイカテリナが驚いたように両の目を見開いた。淡い青紫の瞳は故郷に咲く花の色を連想させる。

「あの……」

「はい、アイカテリナどの」

「アルトリウスさんはわたくしでよかったのでしょうか?」

 可愛らしい小さなお姫様が、ズバリと大人びた問いかけを可憐な唇に乗せた。

「その、もっと大人の女性の方が……」

 新郎である自分も若いとはいえ、さすがに成人して数年経っている。故郷であれば、子供の一人や二人いてもおかしくはない。

 ましてやアイカテリナの年頃であれば、互いに初婚とはいえ、いきなり結婚というのは昨今珍しい。帝国の習慣として普通は婚約であろうし、その期間も長めにとるはずだ。

 完全に大人の事情というやつである。

 そして、若くとも大人側であるアルトリウスとしては、この小さな花嫁を不憫ふびんにも感じたし、ちょっぴり罪悪感もあったりする。

 辺境出身の蛮族かつ剣奴だった年上の男なんて、ピカピカのお姫様である少女にはさぞ恐ろしかろう。

「すみません、こんなおじさんで」

「えっ?え、えっと……あ、アルトリウスさんはおじさんじゃないです」

「そうでしょうか」

「大人でカッコいい男のひとですよ」

 いかん、こんな小さな子に気を使わせてはと自嘲した所で、アイカテリナの苦々しい顔が目に入った。

「あんな、みっともないおっさんどもとは違います!」

 ビシッと彼女が指差した先には、早くも祝い酒の飲み過ぎで、ぐでんぐでんに酔っ払っている帝国重鎮らの姿があった。

 アイカテリナの冷え冷えとした蔑むような目付きは、思わずこちらの心臓が縮み上がるくらいに迫力がある。

 見れば、この場に参加している多くの女人が、似たような目で馬鹿騒ぎしている男らを見ていた。

 ボソリとアイカテリナが呟く。

「まったく……ただでさえおっさんなんてくさい生き物なのに、そのうえ、うるさくて下品だなんてサイテーだわ」

 ひゅっ、と息を呑んだ。

 小さな淑女の背後に控えていた給仕役の少年侍従と目が合う……ほぼ初対面にもかかわらず並々ならぬ連帯感を感じる。そのまま互いに無言で頷きあった。

 この日この時以降、いかなる場合であれ自分が彼女の前に姿を見せる時は、絶対に絶対に身綺麗にしてからにしようとアルトリウスは心に固く誓ったのである。

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