エピローグ
目の前を揺らめく線香の煙が木枯らしによってかき消される。
刺さるような寒さにマフラーで口元を隠す。海沿いにある墓地はやたらと風が強く、身体が芯まで冷え渡る。
チラつく小雪が本格的な冬の到来を告げていた。
「そろそろ、暖かくなってきたかい?」
眼前の墓標に語り掛ける。
供え物が置いてあるのを見るに、きっと僕の前にも誰かが来たのだろう。綺麗に磨かれた墓石に積もりかけた雪を流すように、杓で水をかける。四月の彼女には、まだ少し冷たいかもしれない。
「僕は毎日寒くて大変だよ。そういえば、涼音が転校してきたのもこれくらいの時期だっけ?」
花屋で買ってきたひまわりを供える。
「うん、やっぱり涼音にはひまわりが似合うね。墓花でひまわりはおかしいかなって思ったけど、実はひまわりってキク科なんだってさ。初めて知ったよ」
時間を確認する。まだ、バスの時間まで三十分以上あった。
「この後、もう一度あのフラワーパークに行ってみようと思うんだ。あの時、君がどんな景色を見ていたのか、答え合わせをしなくちゃね」
彼女が僕に願ったように、僕も彼女が見ていた景色が知りたい。だから、きっと何回も僕は彼女との軌跡を追いかけるように訪れるのだろう。
「本当は陽音さんも一緒に行ければいいんだけどね。まだ、リハビリが終わらなくて退院出来ていないんだ」
陽音さんは退院に向けて、毎日リハビリに励んでいる。彼女の言っていた通り、今はすごい暗い性格だけど、やっぱり双子なんだなと思わされる瞬間が多々ある。僕の絵を見てくれた時の表情は、まさに彼女そっくりだった。だから、きっと陽音さんと見る景色も良いものになるに違いない。
きっと、陽音さんとは良い友達になれる。彼女は二股大歓迎とか言っていたけれど、今はまだそんなこと到底考えられない。そんな日が来るのかわからないけれど、陽音さんとは仲良くしたい。その思いは本物だ。
「そうだ、新しい絵描けたんだ」
持ってきたキャンバスを目の前に掲げる。
小さな浜辺でピンクのワンピースの少女がこちらに足で水を弾き飛ばす。空はどんよりとした厚い雲が覆っているのに、海面と少女は透き通るように輝いている。
「本当はここに置いていきたいんだけど、飛ばされちゃうからね。君の家に飾ってもらえないか頼んでみるよ」
供えたひまわりが風もないのになびいた気がした。
「今日ここに来た本当の理由はね、これをわざわざ涼音の前で読んで恥ずかしい思いをさせてあげようと思って」
鞄から、昨日瑚春さんに手渡された手紙を取り出す。彼女が僕宛てに書いたものらしい。なぜかこの時期に渡すように彼女がお願いしていたようだ。
正直、読むのは少しだけ怖い。でも、きっと彼女のことだからくだらない恋文とかなのかもしれない。
拝啓 雨宮翔琉くんへ!
やあ、元気かい? 私は、んー気分的には超元気!
この手紙は翔琉くんが帰って寂しいから書いてます。正直、もう指動かすのも辛いんだけど、どうしても形に残るものが欲しくてね。君が最高の景色を形で残してくれたように。
なんてのは建前で、ただのラブレターだよ。
私が翔琉くんのことを好きになった話、してなかったよね。
実はほとんど一目惚れみたいなものだったんだ。初めて会った日ってわけじゃないんだけど、一緒に海へ行った日。私はあの日の翔琉くんに恋をしたんだよ。
翔琉くんは自分では気づいてないみたいだけど、君が景色を見る時、とーっても良い表情をするんだよ。
いつもは暗い眼で下手くそな笑顔なのに、景色を見る時はこれでもかってくらい輝かせて、少年みたいに無邪気な笑顔を浮かべる。
そんな君が私は最高に好きだ! ずっと見ていたい! って思わされた。
だから、これからも私の好きな翔琉くんでいてほしい。きっと、お姉ちゃんもそんな翔琉くんを気に入ると思う。
私は入学する前、すごく不安だった。本当の私はもうとっくに死んでて、今の私もいずれ消えてしまうのに新しく関係を築く意味がわからないなあって。
でも、お姉ちゃんのためにも居場所は作っておいてあげたい。だから、前にも話した通り誰かをメロメロにさせよう。私が消えてもお姉ちゃんの隣を歩いてくれる人をつくろうって。
だからね、翔琉くんにはやっぱりちゃんと謝りたいし、ありがとうって言いたい。
邪な気持ちで近づいてごめん。
私に付き合ってくれてありがとう。
私が失季病だと知って、それでもこっちの世界に踏み込んでくれたのは翔琉くんが初めてだったんだ。
お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも友達も、みんな私が病気だとわかった途端、線引きをした。
常々、「かわいそう」、「辛いよね?」なんて言葉を投げかけて、私と普通に接してくれなくなった。
いつもこちらの様子を窺うようにして、私が近づくと一歩下がる。
それが本当に悲しくて、正直に話すと毎日泣いちゃってた。
病気なんて全然辛くなかったのに、治らないかもしれないって言われたって命を落とすわけじゃないのに、みんながかわいそうな子扱いしてさ。ひどい話だよね。
だから、翔琉くんに失季病を打ち明けるのはすごく怖かった。
もしかしたら……いいや、話したらきっとこの人も私から離れてしまう。やっと、隣を歩いてくれる人が出来たのに、また離れて行っちゃう。そう思ってた。
でも、翔琉くんは違ったよね。心配はしてくれるけれど、隣から居なくならないでくれて、一緒に色んなところへ行ってくれた。
私のこと、描きたいって言ってくれた。
そして、私の最大の隠し事も見抜いちゃって、受け入れてくれて。
そんな人に好きって言われたんだよ?
嬉しくて、悲しくて、苦しくて、やっぱり、嬉しくて……。
許されないってわかってるのに。ずっと、翔琉くんの隣を歩いて行きたいって思っちゃった。
消えたくない。
初めて、そう思った。
お姉ちゃんのために過ごしていた日々が、いつの間にか私の欲のために過ごす日々に変わっちゃった。
君の横顔をもっと見つめたい。
君と色んな景色を見に行きたい。
君に私を見てほしい。
君を独り占めしたい。
君にもっと好きだって言ってほしい。
君に私の方が何倍も好きだよって伝えたい。
君ともっと一緒に生きたい。
そんなこと考えちゃ駄目だって思うほど、募って、積もって、膨らんで。
いつしか、私の世界に翔琉くんが溢れてた。いつも目で追っちゃって、気が付けば話しかけて、君の記憶に残りたくて。
こんなにも私をドキドキさせるんだから、やっぱり翔琉くんはドSだね!
でも、それに喜ぶ私はドMってことになっちゃうのかな? なんか、複雑かも。
消えたくない。
本心だよ。
だから、お姉ちゃんと翔琉くんには私の分まで生きてほしい。たくさんのこと経験して、色んな感情を抱いて、いっぱい人生を満喫してほしい。
言ったでしょ? 私は重い女だよって。
忘れられない、忘れたくない。翔琉くんがそう思ってくれたなら、まあ、消えちゃってもいいか。
だって、私という存在は君の中でずっと生き続ける。お姉ちゃんの中でも生き続ける。
そんな幸せがあるのなら、私はそれでいい。
私のために泣いてくれてありがとう。
私を見てくれてありがとう。
私に最高の景色を見せてくれてありがとう。
出会ってくれて、ありがとう。
好きだよ。
愛してる。
いつか、同じ景色を見ようね。
世界で一番幸せな女の子より!
目を閉じると、今でも彼女が鮮明に浮かんだ。僕にはまだ、やっぱり彼女の笑顔は眩しすぎた。
ひまわりに向かって笑ってみたけど、多分人並みの笑顔だと思う。それでも、少なくとも変な顔なんて人から小馬鹿にされるような下手くそではなくなったはずだ。
いつか、僕にも死にたい。彼女の居ない世界で生きる意味なんて無い。そう思わないでいられる時が来るのだろうか。
今はまだちょっとだけ難しい。
でも、彼女にお願いされちゃったなら、目一杯生きなきゃいけないなと思う。
夏からの四か月、珍しいことに一度も泣かなかった。泣きたいけれど、涙が出なかった。
それはきっと、僕がまだこの世界を正しく認識できていないからだと思う。彼女の居ない現実を認めていない。
この手紙を読むまでは。
喉から嗚咽が漏れる。
崩れるように膝を地面に着くと、ちゃんと痛かった。
生きてるって思えた。
口の中が塩辛いのは潮風のせいか、涙のせいかわからなかった。
弱虫は治ったかもしれないけれど、泣き虫なのは変わらないみたいだ。
でも、きっと泣きたい時は思いっきり泣けばいい。彼女は絶対にそう言う。
だから、今はもう少しだけ感情のままに声をあげよう。
彼女の分までたくさん、たくさん、泣こう。
いっぱい、いっぱい、笑おう。
僕がやりたいこと、彼女がやりたかったこと、全部やってやろう。
僕には荷が重い気がするから、誰かに助けてもらおう。
僕と一緒に、彼女の隣を歩いてくれる人に。
帰り際、桜の木を見つけた。
葉が散って、細い枝が冬の厳しい風にさらされている。
もっと、厚着すればいいのに。そう思った。
きっと、春には道行く人の目を奪うたくさんの花を咲かせるのだろう。
よく見ると、枝にはたくさんの蕾がついていた。
春はすぐに来る。
だから、今はこれでいい。
そんなことを思いながら、僕はずっと冬木を眺め続けた。
8月、雪の降る世界で君を見つけた 微炭酸 @-Hunya-
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます