あちらの世界

常陸乃ひかる

こっちの世界

 路傍ろぼう水仙すいせんを見て目玉焼きを食べたくなったり、民家のポインセチアを見てクリスマスに戻りたくなったりする。

 このふたつの瑣末さまつな感情があれば、一月を十二分じゅうにぶんに表しきれるだろうか。

 あとは、

『お屠蘇とそ気分が抜けきらず、公道で危険運転をする一般市民』

 もプラスすると、より一月の雰囲気が出るので、こっそり追加しておこう。


 さて。

 年末年始には、近くの港町みなとまちで爆破事件とか、運行する観覧車のドアが開いたとか、なにかと物騒な出来事が起きていたというのに、私が住む片田舎は面白いくらい間延びしていた。

 三箇日さんがにちがとうに終わった現在でも、それは同じで、穏やかな日差しと冷たい東風こちが、睦月の平常運転に拍車をかける。であれば、私も同様に平穏を味わいつつ、日々を支えてくれている自分の運に感謝するのが吉だと思った。

 間延びと言えば、私が車を走らせている平坦な道もその一部である。片側二車線の県道は車の通りが少なく、左車線に居座り、南に向かってアクセルを緩く踏んでいるだけで、そのうち目的地に到着するのだから。

 一方、中央分離帯を挟んだ上り線では、様々な車種の渋滞ができていた。

 数分前を思い起こしてみる――そういえば反対車線には、赤色のパトライトを回す、地方公務員の愛車が停まり、交通事故の処理を行っていた。

 すぐ近くには、フロントがひしゃげたセダンと、リアバンパーとテールランプがわずかに損傷したトラックも停まっていたので、あれの影響で車線が規制され、あちら側の世界は地獄絵図と化しているのだ。

 しかし不思議なものだ。制限速度50kmのまっすぐな道で、どんなハンドル操作をしたら、交通事故なんて起こせるのだろう。ロードサイドショップから急発進してきた可能性を考察したとしても、不注意が過ぎる。

 民衆のお屠蘇頭は、私の認知を遥かに超えてしまっているようだ。


 時に、こういう光景を見ると私はワクワクしてしまう。そうして、その何十分とも知れない、無駄な時間を消費させられるであろうドライバーたちに着目し、また執着してしまうものだ。

 車内は言わばプライベートな空間。歌っても、怒鳴っても、シコっても、誰にも迷惑をかけない。が、思っているより外からは丸見えで、車内での生態を公開してしまっていることに気づいていないのだ。

 現に、渋滞に巻きこまれたドライバーたちは、車内で様々な行動を取っている。

 中でも多かったのが、『スマホを操作する者』だった。

 現況を確認したり、誰かに連絡を取ったりし、この時に限っては、前を向かなくてはいけない運転席で、下ばかりを向いていた。

 続いて目に入ったのは、『ドアの縁に肘をついている者』である。

 表情に嫌気を宿し、悟ったような心で時が動くのを待ち、あくびを誘発させ、眠気に頭を撫でられる。こちらはスマホのくだりを済ませ、手持無沙汰になっていると考えるのが至当だろう。

 お次は、『眉間にシワを寄せながら遠くを眺める大型トラックのドライバー』だ。

 そのひとつ前にも、さらにふたつ前にもトラックが居て、事故現場なんて到底見通せないというのに。けれど気持ちはわかる。覗きこみという行為は、行動を制された人間に与えられた、数少ない情報収集のひとつだ。

 そして――あぁ、居た居た。『タバコに火をける愚者』が。

 悲しみという感情によって喫煙を誘発されていることに気づかず、また知る由もなく、一時的なストレス緩和に身を委ねた結果、それ以上のストレスをブーストさせているのだ。いやはや、反吐が出るほど浅慮な行為は、喫煙者のみに与えられたコモンセンスであり、またギャグセンスである。

 そもそも、エビデンスベースで喫煙の恐ろしさを知っている人間は、タバコになんて手を出さないのだが。実に小気味が良くて、冷笑を禁じ得ない。

 さて、次は――いや、まさか。『ハンドルに突っ伏す者』まで現れたではないか。

 なにをそんなに追い詰められているのだろう? なにをそんなに諦めているのだろうか? 不眠大国では、こんなイレギュラーな時間さえも睡眠にてなくてはいけないというのか? であれば、声を大にして伝えたい。

 就寝時刻を十五分ばかり早めてみろ、と。

 その次は――オーマイガッシュ、やってしまった。『化粧を始める者』の登場だ。

 これは下品すぎて、言及するほどの価値もない。話をどうにか広げるとすれば、それがオジサンだった場合のみである。


 そうして車の流れが止まった景色が、こちら側ではどんどん流れてゆく。

 お次は――どんな面白い奴が、滑稽な素顔を晒してくれるのだろうかと、私はにやけながら意識を目の前に戻した。

 次に私の目に飛びこんできた人物は、ひょっとこみたいな顔をしていた。

 違う、私が交差点に飛びこんでしまっ――


 それより、もう間に合わない。


                                   了

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