水滴なんかなくたって

皐月墨華

 小さい頃に買ってもらった絵本の中、きらきらした洞窟を駆け抜けるお話があった。

 少し大きくなった私は、その絵本に出てきたもののカケラを手に入れた。


 鉱石、クラスターと呼ばれる手のひらサイズのもの。

 いつも私の机の上で、私の帰りを待っているもの。


 最近、ちょっとほこりが目立つようになってきてしまったけれど、それでも愛おしい、宝物で。

 きちんと拭いたり洗ったり、自分の好きを詰め込むうち、その透明感に期待するものがあった。


 天然石を持つ人たちの中で、いわゆる虹が見えることをよしとする風習があることは、知っている。いくつもの画像で自分も、見たことがある。

 でも、私の持つクラスターには、それがない。


 なんとなく、そういうきらきらしたものは、内包物がないのであれば、単純に、視覚的にそう見えているだけかもしれない、なんて思った。

 だったら、そういう虹は、人為的に作れるのでは、と思ってしまった。

 思っただけで、見た目から何から何まで気に入っているこの標柱たちを、ビシバシ、ガリゴリ、削るわけにはいかない。


 そんなことをして、壊してしまうわけにはいかない。

 仕方がないので、私は理想の虹を、絵に描くことにした。ちょうど、夏休みの宿題がなんでもいいから、静物画と決められていたこともあったからだと思う。


 画用紙いっぱいに描いた、クラスター。

 原寸の十倍くらいの大きさで、その中にきらきらと残す虹。

 賞なんて当然もらえなかったけれど、会心の出来だと思った。


 誰に褒められなくても、私はそれで満足していた。


 はずだった。

 ちょっと。

 気になるひとが、現れるまでは。

 それからというもの、虹にとても、こだわっていた。


 彼に言うこともできない衝動を、すべて、石に話した。

 けれど、虹は出なかった。

 なにか、よい兆候があれば光ると言っていたのに、と焦った。

 焦る必要もなかったのに、と今は思うけれど。

 虹が出たら、きっと、好かれているのだと思った。


 とくべつ、話したことも、話しかけることもない、他のクラスの男子だ。

 ほかのクラスメイトに聞くこともできない。

 もしかしたら学年も違うかもしれない。


 そう思っていたのに、クラス替えで一緒になった。

 田舎だったから、中学も高校も、一緒だった。


 同じクラスだから、一言も話さない、ということもなかった。

 名前も知った。声も知った。

 どういう人となりかもなんとなく、知った。


 でも、まだ、言えなかった。

 だって、虹が、出なかったから。


 だから、彼と話をするたび、その回数だけ、コツコツと指の角でノックすることにしていた。

 あの瞬間から、たぶん500回くらいは、叩いただろうか。

 でもまだ、この石には虹が出ない。


 この石が割れる前に、虹が出る前に、告白したいと思うのに。

 結局何にも言えないまま、卒業してしまうのかもしれない。


 彼は、なんとなく地元を出るのだと思う。

 近くにいる子が彼女だろうなと思うところもある。


 けれど、そういう、話ではなく。

 ただただ、私は区切りをつけたいだけなのだ。


 ああ、まだまだ。


 窓の外から、西日が射す。

 なぜこの石をノックするかなんて、決まっている。


 これをモチーフにした作品を見た彼が、ひとこと「すごい」と呟いたのを聞いてしまったから。


 私でも、彼の瞳を輝かせることができるのだと思ったら。

 画用紙に描いた架空の虹ではなく、ホンモノの虹を見せることができたなら。


「虹を見るのは、難しいなあ」


 きっと私も、勇気が出るだろうに。

 教科書と、ノートと宿題、それらの視界の端で、ずっと座って待っている鉱石。

 恋愛にいいとか悪いとか、そういうのではなくて。

 ただ、好きだったから親に買ってもらって、なにかあるたび話しかけたりして。


 それでも、クラスター自体が大きくなったり、極端に傷になったり、残念ながらそういう楽しい変化はない。


 けれどいつか。

 本当にきらきらする日がきたら。


 そう思うだけで、私は今、とても心がドキドキしてしまうのだ。


 今日、同じ時間。

 SNSにはいくつもの虹が、瞬いていた。

 フォローもしていないのに、見ていてばかりで、急に現れるアカウント。


 そこには、彼の、彼の友人らもいた。

 私は、ただただ、見ているだけの置物のような自分を愛している。


 けれど、ちょっと。

 ホンモノの内側に期待しすぎていて、私は自然現象的に起こる一瞬の大事さからも目をそらしていたことに気付いてしまった。


 コツコツ。

 コツコツ。


 湿度のせいか、今日はやけに、音が鈍い。

 まだまだ、虹は、見えないまま。

 この石だけが私の思いを知っている。

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