辞世

月見 夕

全部墓まで持って行ってよ

 3年前の暮れにばあちゃんが亡くなった。

 親戚の中でも特に気難しい人で、近所でも人嫌いだと有名だったばあちゃんだったが、私は好きだった。たったひとりの孫である私のことだけは可愛がってくれたからだ。

 男の子にからかわれると「あたしの可愛い孫を虐める奴は誰だい」と怒鳴り散らしに行き、両親と喧嘩してばあちゃん家に転がり込めば温かいお茶を出して迎え入れてくれる、そんなばあちゃんだった。


 だから今日、私は額に汗してばあちゃんのいなくなった家を片付けている。

 既に業者の手によって片付け終わった離れでは、解体業者が重機を引連れて朝から作業をしていた。

 誰もいない家の引き取り手がおらず、かつ古くて修繕して貸すことも難しかったので、全て残らず取り壊すことになったのだ。


 ばあちゃんはじいちゃんと二人暮らしだったけれど、じいちゃんが亡くなって1週間後に後を追うように亡くなった。

 近所の人は「あんな人だったけど、ひとりになって寂しくなったんかね」と噂していた。

 祖父母がいっぺんにいなくなった当時は本当に寂しかったけれど、こうして心情が少し落ち着いて片付けに来た次第だ。


 思い出の詰まったばあちゃん家を取り壊すのは本当に心が締め付けられる思いだったけれど、これから未来永劫維持管理するのだって大変だ。感情だけでどうにかできる問題じゃない。


 せめてばあちゃんの生きた痕跡を掻き集められやしないかと開けた居間の戸棚に、何か紙束が詰まっていた。

「何これ……日めくりカレンダー?」

 それはめくられて役目を終えた、3年前の日付のカレンダーだった。ばらばらにならないよう無造作に馬鹿でかいクリップで留めてある。


 その裏側の余白に、見覚えのある筆跡を見つけた。

 めくったカレンダーと同じ日付と簡素な1行が書き添えられている。なんだろうこれ。

 ああそういえば、ばあちゃんは昔から要らないチラシや日めくりカレンダーの裏に書き物をする癖があったんだった。

 懐かしさに、クリップを外して一番上の紙を手に取る。


 12月31日

『ざまあみろ』


 何があったのよ、ばあちゃん。

 年末に書き殴ることじゃないでしょ。年の瀬だよ。

 12月31日はばあちゃんの命日だから、これはつまり亡くなる直前に書かれたものということになる。

 思いもよらない辞世の句に戸惑いしかないよ。


 1枚めくると1日遡り、まだ書き物は続いていた。もしかしたらこれは日記だったのかもしれない。

 故人の日記を覗く罪悪感と興味を天秤にかけ、やっぱり興味が勝ち、私はそばの埃被ったダンボールに腰掛けた。

 不躾ながら、腰を据えてそのまま読み進めることにしたのだ。


 12月30日

『芽依がじいさんの遺産を受け取ることが正式に発表された。和之たちには一銭も入らないことが分かって怒ってたけどいい気味だ』


 苦笑いするしかなかった。和之は私のお父さんのことだ。

 ばあちゃんは実の息子であるお父さんを毛嫌いしていた。その嫁であるお母さんにもいい感情は抱いていないようだった。

 何でも、お父さんは若い頃に相当ギャンブル三昧で借金を作り、ばあちゃんにしつこく無心していたらしい。そりゃまあそうなるよ。


 ばあちゃんは、遺産相続人を私に指定していた。

 当時高校3年生だった私は、幼い頃からの夢だった医者になるために医学部を志望していた。けれどうちは一般家庭で、高額な学費を捻出するのが難しい。将来の為とはいえ、莫大な奨学金という名の借金を背負うか、夢を諦めるかどうか悩んでいるところだった。

 そんな時じいちゃんとばあちゃんの遺産を相続し、私は念願の医学部への進学が叶ったのだ。

 本当に、じいちゃんとばあちゃんには感謝してもし尽くせない。


 12月29日

『あたしには芽依しかいない。どうか元気でいてね』


 黒鉛の柔らかい筆跡に優しいばあちゃんの声が蘇り、目頭が熱くなる。

 私にとっても祖母はばあちゃんしかいなかったから、もう少し孝行したかった。長生きして欲しかったな。


 12月28日

『決心した。もう振り向かない』


 12月27日

『大雪が降って屋根に積もった。このまま家ごと潰してくれないかな』


 12月26日

『明日は雪が降るらしい。灯油を切らした。畜生』


 12月25日

『何を食べても味がしない。家が静か』


 12月24日

『葬式も何もかも終わった。あの世に行く時は一緒にって言ったのに、じいさんの大馬鹿野郎』


 12月23日

『今朝じいさんが死んだ。脱衣所を暖房で温めてから風呂に入れと言ってたのに聞きゃあしないからだ。あたし1人でどうしろってんだい』


 12月22日

『正月飾りが風で飛んで行った』


 12月21日

『先生に頼んでいた遺言状ができた。これで金は全部はあの子のものだ。和之にはびた一文やるもんか。幸せになってほしい』


 12月20日

『臭いがましになった気がする』


 12月19日

『早めに年末の買い物を済ませた。鏡餅はやっぱり餅屋のものに限る。あとは大掃除だ』


 12月18日

『目標の金が貯まった。全額を貸金庫に預けに行く。待っててね、芽依』


 12月17日

『民生委員がまた来て、追い返した。家が臭いくらいで来ないでほしい』


 12月16日

『昼に少し雪が降った』


 12月15日

『今日来たのはよく喋る奴だった。名前は知らないけど朝ドラの俳優に似てた』


 12月14日

『腰が痛い』


 12月13日

『石灰が足りなくなったので買いに行く。重い』


 12月12日

『近所の人がうちを指さしてひそひそ話をしていた。癪だったので怒鳴ってやった』


 12月11日

『目標までもう少し』


 12月10日

『今日尋ねてきた保険の営業は良いカモだった』


 12月9日

『考え事をしていたら魚を焦がした』


 12月8日

『民生委員が尋ねてきた。チャイムが鳴るとどきどきする。面倒なので追い返す』


 12月7日

『年の瀬だからか懐が寒い奴らばかりだ。やだね、ケチ臭い』


 12月6日

『それなりの金になってきた』


 12月5日

『臭いがすごい。石灰がいいらしいので、朝からホームセンターに買いに行く』


 12月4日

『また床下に埋めた』


 12月3日

『もう後戻りはできない』


 12月2日

『離れの床を剥ぐ』


 12月1日

『案外簡単だった。後片付けの方が大変』



 ちょっと待って……待って……何、何なの?

 この1ヶ月間で、じいちゃんとばあちゃんは何をしたの?

 冷たく汗ばんだ手が紙束を取り落としそうになり、それでも私は濃い鉛筆の文字から目を逸らせないでいた。

 いや、きっと何かの思い違いだ。私の早とちりであってほしい。そう思いたくても、背筋の震えは止まらない。

 ばあちゃんが何を埋めたのか、もう私には想像がついていて、ただ喉の乾きに喘ぐしかなかった。

 ぐにゃりと歪む視界を押し止めることができずに、思わず手にしていた“前日“がはらりと床に落ちた。



 11月30日

『芽依は医者になりたいらしい。可愛いあの子の頼みだから、じいさんと相談して叶えてやることにした。大丈夫、きっとうまくいく』



 足元の11月30日を拾い上げられずに放心していると、取り壊していた離れの方から解体業者の悲鳴が聞こえた。

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辞世 月見 夕 @tsukimi0518

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