秘密の言葉

春称詩音

秘密の言葉

「ここに入るには秘密の言葉が必要です!」

「秘密の言葉は―」


 中伊月平なかいづきひら小学校3年2組では、休み時間に秘密基地を作るというのが流行っていた。この小学校は市立のわりに敷地が広く、自然豊かなのが特徴である。そのため、木の上に秘密基地を作る子もいれば校舎の裏の暗い場所に秘密基地を作る子もいた。

 

 雁林かりばやしりんという女の子がこのクラスにいた。成績は優秀で素行もよく姿もかわいらしい……と教員たちの間では言われていたが、実際には先生がいないところだと周りの子をいじめ、クラスのトップに立ち取り巻きもいるといういわゆる「いじめっ子」だった。


「私の秘密基地はここよ」


 そういって凛は木や草をかき分けた先にある拓けた場所を秘密基地にした。しかも凛の秘密基地はどこの秘密基地よりも大きく、敷地も広い。近くには木もあり、登れば辺りにある秘密基地をも見渡せる絶好の場所だった。


「ここを見つけるなんて、あたしも天才ね」

「凛ちゃんはやっぱりすごいなぁ…」


 取り巻きの1人が言う。端から聞けばおだてにも聞こえるこの言葉を聞いた凛は気持ちよくなったのか、息を大きく吸って鼻で笑った。


「ここの秘密基地に入りたいという子がいたら、秘密の言葉を言ってもらうこと。秘密の言葉は『私たちは仲良し』よ」


 凛は秘密の言葉を決め終えると、さっそく木に登り辺りにある秘密基地を見渡した。


「あたしが1番。この景色はあたししか見れないわ」


 そう言って雲一つない青空を眺めていた。


 このクラスにはもう1人成績が優秀で素行もよく、教員たちからの評判がいい子がいた。桑迫くわざこ瑠理るり。瑠理はおとなしい性格で自らしゃべることはあまりなく、クラスの端で本を読んでいるような女の子だった。秘密基地を作ろうとも思わず、教室の中で静かにひっそりと過ごしているのが好きだった。ただ、瑠理は1つ、だれにも打ち明けることのできない悩みがあった。


 ある日、瑠理が1人で本を読んでいると、教室に凛と取り巻きたちが入って来た。教室にいるのは瑠理と凛とその取り巻きたちだけ。瑠理は震える手を必死に本で隠していた。


「ねぇ。あそこにいるのって瑠理じゃない?」

「ちょっとあんた、瑠理のところ行ってきなさいよ」


凛に命じられた取り巻きの1人は瑠理のもとへと向かう。


「あれ?今日も来たんだ。来るなって言ったよね?」


瑠理は勇気を振り絞って答えた。


「何で?みんなの学校でしょ?なんで私は来ちゃいけないの?」

「あんたがうざいからよ」


凛が瑠理の言葉を遮って言う。


「あんたうざいの。かわいくもないし、存在自体がうざい。まじで消えて?」


そう言いながら凛は瑠理に近づく。瑠理は必死に逃げ出したい気持ちを押し殺し、凛のことを見る。


「はぁ?何その目。気持ち悪いんだよ!」


そう言って瑠理の頬を殴った。


「凛ちゃん…いくら何でもやりすぎじゃ……」


取り巻きの一人が口を開く。


「あんたも殴られたいわけ?」

「ご、ごめんなさい……」


凛は再び瑠理のことを殴った。痛みを我慢しながら、抵抗もせずに静かにされるがままだった。


「明日、学校来たらどうなるかわかってるわよね?」


凛はそう言って取り巻きたちのいるほうへと戻っていった。瑠理はあふれる涙をこらえながら必死に耐えていた。


 翌日、凛は取り巻きたちと一緒に秘密基地にいた。家からコップやお皿などを持参して校則で禁止されているお菓子も持ってきてパーティーを開いていた。

そんな時、草むらの外から1人の女の子の声がした。


「私もいーれーて!」


 取り巻きの1人が秘密基地の外に出ると、ほかの取り巻きの1人と仲がいい女の子がいた。


「秘密の言葉をどうぞ!!」

「私たちは仲良し!!」

「どうぞ!!」


そう言って女の子は凛の秘密基地の中へと入っていった。

瑠理は偶然その姿を見ていた。秘密基地を作ることが流行っていたのは知っていたが、仲のいい子もほとんどいないこの小学校で秘密基地を作ってもだれも来てくれる子はいないと思っていたため秘密基地を作らなかったのである。ただ、だれかの秘密基地に行くのに興味はあった。


「凛ちゃんの秘密基地、行ってみたいな……」


ぼそっとつぶやいて瑠理は教室へと向かっていった。


 1週間後。瑠理は勇気を振り絞って凛の秘密基地へと向かっていった。相変わらず手は震える。だけど、これがきっかけでいじめをやめてくれるかもしれない、そう思って瑠理は震える手を握りしめながら歩いて行った。凛の秘密基地の前に着く。普通だったら見逃してしまうかもしれないような見た目だった。


「あ、あの…私も、い、入れて……」


勇気を振り絞って声を出す。その声は中にいる凛たちにも聞こえていた。


「あの声って…瑠理じゃない?」


取り巻きの一人が言う。凛の顔が曇ったが、その後すぐに何かを思いついたのかにやりと笑ってこう言った。


「ねぇ、瑠理にさ、こういってよ……」


 しばらく凛の秘密基地の前でたたずんでいると、中から取り巻きの一人が出てきた。


「瑠理ちゃん!来たんだね!」


初めて「ちゃん」付けで呼ばれた瑠理は少し違和感を覚えた。


「秘密の言葉をどうぞ!!」


瑠理は声を振り絞って言う。


「私たちは仲良し……」


すると取り巻きの一人が低い声で


「は?あんたと仲いい訳ないでしょ?」


そう言って中へと戻っていった。その様子を木に登って上から見ていた凛は声を殺しながら笑っていた。



―20年後。凛はIT系の会社で就職し、多忙な毎日を過ごしていた。毎日増えていく仕事に凛は気が滅入っていた。


「雁林さん、これもお願いね」

「は、はい……」


上司から渡された資料に目をやるがあまりの多さにやる気を失ってしまった。このころの凛はもう小学校の時の記憶や瑠理のことを忘れ去っていた。

 お昼休みになり、デスクの上にお弁当箱を開いて1人で食べていた。会社に同僚はいるものの、気が合う同僚はおろか相談できる先輩すらいなかった。


「はぁ……」


大きなため息をついたその時、デスクに置かれた凛のスマホが鳴った。


「なんだろ……」


そう言って開くと、小学校の時の友人からの連絡が入っていた。


『久しぶり!凛、元気にしてる?私たちの担任の先生が今年で退職されるんだって。だからみんなで集まらない?』


あまりの懐かしさに頬が緩んだ。凛はすぐ返信した。


『久しぶり!元気だよ!そうなんだ…もうそんなに経ったんだね…もちろん集まりたい!』


凛は小学校の頃を思い出しながらお弁当を食べていた。


 1か月後。小学校の近くのレストランを貸し切り、凛は20年ぶりに会う友人たちと話を弾ませていた。あの頃の取り巻きたちも、驚くほどに大人の顔になり有名会社の社長と結婚した人もいれば、事業を立ち上げ成功しお金持ちになった人までいた。20年のうちにいろいろと変わるもんだな、と思っていた凛は自分まで幸せになった気持ちでいた。

その時、レストランのドアが開いた。一同がドアのほうに目を向ける。そこには黒い帽子をかぶり、黒の半透明のブラウスにすらっとした黒のパンツ、そして黒のハイヒールを履いた女性が立っていた。至る所で、誰?あのきれいな女性、うちのクラスにいた?と話している声が聞こえてくる。

すると、小学校時代の担任が口を開いた。


「おぉ!瑠理ちゃん!久しぶりだね!」


そう言って瑠理に近寄る。小学校の同級生たちは唖然とした。あの地味な瑠理がこんな素敵な女性になるなんて、そう誰しもが思っていた。


「みんな、瑠理ちゃんはすごいんだぞ~!瑠理ちゃんはな、今をときめくトップモデルなんだぞ~?」


担任の言葉に一同は驚いて声も出なかった。


「やめてよぉ~先生~トップじゃないから~!」


瑠理が発した言葉や話し方に一同は言葉を失った。怪しい薬でもやっているのではないのかと話している者もいた。


「瑠理ちゃん、みんなに話したいことある?」


担任がそういうと、瑠理は口を開いた。


「みんなには感謝してます。私静かで、話しかけられなかったし1人でよくいたし。でも、こんな私と過ごしてくれてありがとう!」


そう言って、瑠理は満面の笑みを浮かべた。凛はまだ頭の整理がつかない状態だった。え…あの瑠理が…瑠理って私がいじめてた瑠理…?凛は頑張って整理しようとするがなかなかできない。

その時、瑠理が凛のもとへと歩いてきた。凛は怖いと思ったのか、来ないで…お願いだから来ないで…と心の中で願っていたが、そんな心の声も聞こえるはずのない瑠理は凛に近づいて満面の笑みで言った。


「凛ちゃんには特によくしてもらっていたんですよ~!ねぇ、後でさ、2人で話そうよ!」


そう言って去っていった。凛はまだ怖かった。2人きりになったら何をされるかわからない、ましてやあの笑顔が怖い…そう思っていた。


 ご飯会も後半に差し掛かっていたが会場は盛り上がっていた。思い出話をしたり、小学校時代に流行っていたものやゲームをしたりと、楽しんでいた。凛も当時の取り巻きたちと思い出話をしていた。その時、後ろから凛の肩を叩く人がいた。凛が振り返ると瑠理だった。


「ねぇ、凛ちゃん。お話しようよ」


そういうと瑠理は「凛ちゃん少し借りるね!」と言って凛の腕を引っ張っていった。人目につかないところに連れていかれた凛はつかまれていた腕を振り払い、


「あんたと話すことある!?」


と叫んだ。誰か助けてほしいと思って叫んだが、会場の話し声にかき消され誰の耳にも届いていなかった。


「話すことあるよ~!忘れたの~?」


そういうと、瑠理は凛の頭をつかみ、床に倒した。倒れた凛と目線が合うように瑠理はしゃがみ、笑みを絶やさずに淡々と話した。


「凛ちゃんはさ、私が学校に行くといつも『来るな』って言ってたよね?私さ、あの時辛くて辛くて」


凛は唾を飲み込んだ。


「いつも殴られるからさ、痛くて痛くて。こんな風に」


次の瞬間、瑠理は凛を殴った。痛さで視界が滲む。


「ね?痛いでしょ?これに毎日毎日耐えてたの」


そういうと次はさらに力強く殴った。


「私何も悪いことしてないのに。何で殴られるんだろうって。だからね?小学校卒業して努力しまくって、モデルオーディションに応募したの。そしたらさ、私のことをかわいいかわいいって言ってくれて合格してさ~」


さらに力を込めて殴った。


「私嬉しくてうれしくて。でも、どこか気が晴れなかった。私のことをいじめたやつは今でものほほんと生きてる。」


そういうと瑠理は立ち上がった。


「だからこの会を企画したの!この会で凛ちゃんと再会すれば復習できるって思ったから!!」


そう言っている瑠理の表情は相変わらず笑っていたが、目は死んでいた。凛は声を振り絞って話した。


「どうやってみんなを集めたの……」

「私、卒業するときに先生と連絡先交換してたんだ~!だから、私先生に連絡したの。久しぶりに先生にも会いたいしみんなにも会いたいって。そしたらね?先生が退職されるっていうから、ラッキー!って思って、先生と一緒にこの会を設けたってわけ!で、先生、ほかのことも連絡先繋がってるっていうからいろんな人に連絡してもらったってわけ~!!あはは!みんな元気でよかったよぉ~!」

「あんた、最低!」

「最低なのはどっちよ!私のことをいじめて、殴って仲間外れにして!」私は復習したかった。だけど我慢してここまで来たの!!私すごいでしょ!?」


そう言って瑠理は笑った。凛は怖かった。戻れるならあの頃に戻って、あの頃の自分にこれ以上やめた方がいいと言ってあげたいと思った。次の瞬間、瑠理は凛の頭をつかんで


「はい、秘密の言葉をどうぞ」


と言った。言いたくなかった。何をされるかわからなかった。


「早く言えよ!!」


と瑠理は叫ぶ。凛は声を振り絞って言った。


「私たちは仲良し」


―は?あんたと仲いい訳ないでしょ?


 

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