大海を知る井の中の蛙の知識無双

令和の凡夫

大海を知る井の中の蛙の知識無双

 水に浮かぶ木片の上で、俺は兄弟たちに講釈を垂れていた。


「俺たちはな、蛙という種族なんだ。俺たちは空を飛ぶことはできないが、空を飛ぶ虫を食べることはできる。つまり、生態系の頂点に立っているんだ」


「そっかー。兄さんは物知りだね。でも、僕も空を飛びたいなぁ。空が飛べたら、この高い石壁を越えて外の世界に行けるんじゃないの?」


「外に世界なんてないよ。石壁でぐるりと囲まれたここが世界のすべてなんだ」


 俺が弟に説明をしていると、突如として上から何かが降ってきて、ポチャンという軽快な水音が水面を揺らした。


「わわわっ、なんだ?」


 かつて経験したことのない出来事に弟たちが慌てている。足場の木片にへばりついて落ちないようこらえている。


「大丈夫だ。じきに静まる」


 俺は上方を見上げた。

 筒状の石壁の上には木造の屋根があって、屋根と石壁の隙間からわずかに光が差し込んで壁を照らしている。

 これ以上は何かが落ちてくる気配はない。


「よっこらしょっと」


 落ちてきたのはじいさん蛙だった。俺たちと同じアマガエルだが、知らない顔だ。


「わわっ、誰?」


「ワシはおまえさんらと同じ蛙じゃ。同族の声が聞こえると思って井戸の上から話を聞いておったら、無知な輩の滑稽な講釈が聞こえてきてな。むしゃくしゃしていたら、足を滑らせて落ちてしもうた」


 じいさん蛙の言葉に弟たちが目を輝かせた。


「おじいさん、世界の外から来たの? 世界の外はどうなっているの?」


 じいさん蛙が俺を押しのけて、さっきまでの俺みたいに講釈を垂れはじめた。


「世界の外ではない。ここは井戸といって、世界の中のほんの一部にすぎんのじゃ。世界は広い。井戸の外には広大な大地があって、その外には水で満たされた広大な海が、そして大地と海の上にはもっと広大な空という空気の層があるのじゃ」


 弟たちは嬉しそうに飛び跳ねた。


「ねえねえ。地面ってこんな感じの場所がもっとたくさんあるってこと?」


「そうじゃな。じゃが、いまおまえさんらが足を着けているのは木片じゃ。木というのは大地から生えておる。この足場はその欠片でしかない」


「すごーい! 世界って広いんだね。でも、お兄ちゃんと言っていることが違うよ。どっちが本当なの?」


 弟たちが俺に対していぶかしげな視線を向けてきた。その視線からして弟たちは見ず知らずのじいさん蛙の話を信じているらしい。


 そこにじいさん蛙が嫌味を多分に含んだ口調で俺に言ってきた。


「井の中の蛙大海を知らず、という言葉を知っとるか? まさにおまえさんのことじゃ。真実を知らないくせに物知り顔で得意げに語る様は滑稽きわまりなかったぞ」


 そこまで言われたら、さすがに俺も黙ってはいられない。


「いや、知っているんだよね……」


「よせよせ、嘘をつくでない。プライドを傷つけてしまって申し訳ないが、知ったかぶりで嘘を吹聴するのはよくないぞ」


 俺はぺチンと足場の木片を叩いて怒りを表した。

 この軽い手だと音もしないし揺れもしないので迫力はないが、俺がこんな挙動を見せるのは初めてなので、弟たちをビビらせることには成功した。


「いいや、俺は知っている。俺はな、ジジイ、おまえよりもずぅーっと物知りなんだよ。たとえば海についてだ。海は青かったろ? じゃあ、なぜ海が青いか知っているか?」


 俺が海が青いと言い当てたことで、ジジイは目を見開いて驚愕の表情を見せている。

 井戸の水面には光が届いておらず、水は黒い。もし俺が井戸の中しか知らなかったら、海が青いと言い当てられるはずがないのだ。


「たしかに海は青かった。じゃが妙な質問をするのう。なぜ青いって、青いから青いに決まっておるじゃろう」


「ほらな、大海を知らない井の中の蛙はおまえのほうだ。海が青いのはな、波長の長い赤から波長の短い青まである太陽光のうち、長波長の色の光を水が吸収して、俺たちの目に届くころには短波長の青色が残っているからだよ」


「波長……?」


 弟たちが俺の話についてこられないのは当然として、ジジイにも難しい話だったらしい。波長の意味もわかっていないだろう。


 俺はさらに続けた。


「ジジイ、これはどうだ? 大地と海の上には空があるが、その向こうには宇宙があるんだぜ。知らなかっただろう?」


「宇宙? なんじゃそりゃ。いい加減なことを抜かすでない。ワシは実際に空を見た。じゃが宇宙なんてものはなかった」


「いや、見えないからって存在しないと決めつけんなよ。宇宙は空の向こう側にあるから見えねーんだよ」


「ないものはないわい。知識で劣ったことが悔しいからって、デタラメを言うんじゃない! 見苦しいぞ」


 ジジイは足場の木片をペチペチと何度も叩いてもどかしさを表現している。俺は「エアドラムかな?」などと心の中でつぶやき冷笑した。


「ホラじゃねーよ。海が青いことは言い当てただろ」


「じゃあ、見えもしないのになぜ宇宙が存在するとわかるんじゃ」


「わかるよ。だって、人間が宇宙を観測して、それをメディアで情報共有しているんだから。実際に宇宙まで行った人間もいるんだぞ」


「メディア……? おまえさんの言っていることはさっぱりわからん」


 ジジイはポカンとしている。

 通常、蛙が人間の文化に触れることはまずない。海や空は知っていても、テレビやスマホは知るまい。


「まあ、そうだろうな。なんせ、おまえが井の中の蛙と馬鹿にした俺は、おまえよりずぅーっと物知りなんだからな」


「なぜじゃ。なぜ井戸の中にいるおまえさんが、井戸の外から来たワシよりも物知りなんじゃ……」


「当然だ。だって、俺は人間から転生した蛙なんだから」


 一瞬、その場が静まり返った。


 ジジイは目を見開き、あんぐりと口を開けた。

 弟たちは両手を持ち上げて目を輝かせている。


「えぇーっ! 兄ちゃん、昔は人間だったの?」


「そうだぞ。秘密にしていてごめんな」


 弟たちには人間という概念は教えている。暇つぶしとして物語を語り聞かせるうえで必要だったからだ。

 そのせいで弟たちの俺に対する羨望の眼差しがエグイことになっている。


「馬鹿な! それじゃったら、なぜあんなデタラメを兄弟たちに語っていたのじゃ」


「それは無闇に夢を見させないための、弟たちへの優しさだったんだよ。ここは使われなくなった廃井戸で、外に出られる可能性はほぼゼロ。だから、変な夢を見させないために嘘を言っていたんだ」


「知らないほうが幸せなこともある。だから真実を秘密にしていた。そういうことか?」


「ああ、そうだ。おまえが台無しにしちまったけどな」


 弟たちの羨望の眼差しを受ける俺は、ジジイの肩にタッチして水中へと飛び込んだ。



   おわり

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