半寸

@kinutatanuki

第1話

 二十世紀は戦争の世紀と呼ばれる。第一次世界大戦、第二次世界大戦、ベトナム戦争、中東戦争、イラク戦争などで戦争が絶え間なく続いた。関わった国々は、一体何を求めて戦争したのだろう。二十一世紀はパンデミックの世紀だった。特殊な肺炎を起こす感染症の流行に苦しめられた。世界中の国が同じ病気との戦いに明け暮れた。何度も変異して生き延びようとするウイルスを抑え込んだ後、人類は少し賢くなったのかも知れないなどと讃え合ったのだった。

 二十一世紀の初期、世界の人口は七十八億人になっていたが、五十年ほど続いた感染症の大流行で非常に多くの人が死亡した。感染症患者への対応に振り回される医療機関の状況を見て、若い夫婦は出産時の安全に不安を覚え子どもを持つことを控えた。そのために世界の平均では〇・五パーセントで推移していた人口増加率がマイナスに転じ、感染症が沈静化した二十二世紀初頭でも人口が減り続けていた。そのため一時世界の人口は七十五億人にまで減少した。そして七十八億人を前提として活動していた各国の経済システムが動かしにくくなっていた。

 人口を増やせ、ということが各国で叫ばれだした。

 感染症の沈静化にともなって、出産に関わる安心感が高まった。そのため各国で急激な人口増加が進んだ。特にアフリカや中南米諸国で著しかった。世界人口は一気に八十億人に届いた。人類の知識量も増えて、輝かしい文化の花開くことが期待された。

 けれど、ほとんど人間同士の殺し合いの無い時代になっていたのに、何ということだろうか、またもや人類は火薬を殺人に使うようになった。なぜか。八十億人を越える人間が、飢えることを恐れて食糧を奪い合うようになったからだ。

 持たない者は持つ者を襲い、襲われた者は報復として襲った者を攻撃する。争ううちに飢えて倒れていく。こぼされた僅かな食糧を、争いを眺めていた者が拾いに出向こうとし、同じように出向いてきた者と血を流し合う。それが国家単位で行われ始めたのだ。さすがに核兵器を使用するところまで愚かなことはしないでいるが、使うぞ使うぞと脅し合うところまではきていた。食糧は無限ではない。それまで収穫量が一トンだった土地から、米や麦を二トン収穫することは出来ないし、一トンの水揚げを続けてきた漁場から二トンの魚を捕れば、明日の一トンは得られなくなる。しかし明日の一トンを諦めると、今日誰かが飢え死にするようになりつつある。漁を止めようとしても、飢えに狂いだした者に聞く耳は無い。仲裁に入ることはむしろ攻撃の矛先を自分の方に向けさせることになるばかりだ。それまで漁業を営んでいた海域で魚が捕れなければ、今まで行ったことのない場所まで遠征した。するとそこで今まで漁をしていた者との争いになる。どこの海も安心出来なくなった。もはや国境線も、領海の線引きも意味をなさなく成りつつある。

 限られた食糧は平等に分け合わなければならない。それが唯一の人類が生き延びる道である。二十世紀に作られた国際連合は辛うじて活動を続けている。その調停の力は衰えつつあるが、それでもかすかな尊敬の念は各国から持たれ続けていた。

 戦いを止めさせ、食糧を分かち合わさせる方法を、各国が必死に考えている。実際には隣国と砲火を交えながらも、無血で安心出来る世界にしたいという思いはあるのだ。

国連の食糧計画事務局は、世界人口が八十五億人を越えた場合、食糧争奪の戦争もさることながら、とにかく餓死する人が最低でも一億八千万人規模になってしまうと警告した。この数値は第二次世界大戦による死者五千万人、コロナウイルス性肺炎による死者七千万人を越える。いかに深刻なものかが理解されるだろう。

 各国の政府もさすがに何とかしなければいけないと考えた。二十二世紀半ばのことだった。この当時は食糧を争う戦争はまだ起きていなかった。しかし食糧やエネルギー資源の枯渇にそろそろ不安を覚えるようになってきていた。世界の人口が八十五億になればもう確実に世界中を巻き込んだ戦争が起こると予想されている。国連はその存在意義を賭けて、一つの提案を示した。

 「人口を減らしましょう。現在の五分の一に」

 そうすれば一人一人が食べる量を減らさなくても、何とか過ごせるはずだ。当面の目安として三十パーセントの人口を向こう五十年間の間に削減しようというのだった。

 しかし一度膨張した人口を減らすのは非常に難しい。ほとんど全ての産業がその人口をアテにした生産計画や販売計画を立てているし、その事業を進めるための従業員組織も拡大してしまっているからだ。人口が減るということは消費者が減るということでもあり、売り上げが落ちる。事業を縮小する時には当然失業者が出る。失業者が増えると犯罪が増えて社会不安に悩まされるし、色々な物品の売れ行きもさらに悪くなる。二十一世紀後半はそうして極度の不景気に悩まされた時代だった。

 中国では二十世紀から二十一世紀にかけて四十年ほど人口抑制政策、いわゆる「一人っ子政策」をとった。一組の夫婦が持てる子どもは一人だけ。それを守れば子ども本人の就学・就職面での優遇以外に両親の住居や所得への援助があり、それは有効に見えたのだが、生まれているのに生まれていないことにされた無国籍児の発生とその増加があり、一方で生産人口の減少も招いたため失敗政策とされている。そのことも各国の念頭にある。

 二十二世紀になって、改めて人口削減をと言われても、加盟国からとても無理だという声が次々に出ただけで、提案は総会に諮られることもなく抹殺された。

餓死が目前に迫っている中では事業も何もないはずなのだが、どこの国もなかなか頭を切り換えられないでいる。二十一世紀の苦い経験が、まだまだ重く記憶にある。

 病気に罹った人に治療を施さない。死にかけの人には気の毒だが延命措置を止める。痛みは気の毒なので、モルヒネで誤魔化してもらう。結婚しても出産はしない。それなら五十年先には確実に人口は半分になる。出産無しというのは不可能だから、一組の夫婦の出産は一人だけという一人っ子政策をもう一度やってみる。それなら現実的な方策なのでいくらになるか計算された。何とか七〇パーセントになるようだ。しかしこれではやはり人類全員で食べる量を減らさないとやっていけない。みんな我慢するだろうか。

 人類が全体として生き延びるためには仕方ないという意見も出ては来たのだが、どうして良いか分からないと思考停止の国が多い。

 そうしている間も食糧の奪い合いは続いている。わが日本も食糧争いの激しい嵐に見舞われて、瀬戸内海という内海にまで外国船が入り込んでくるのだった。そこは潮の流れが特殊で操船しにくかったり、海底がひどくデコボコで難破しやすかったりする。事情を知らない外国船はそうして次々遭難した。最初は人道的な配慮ということで救助に出向いていた海上保安庁も事故の多さに手が回らなくなり、自業自得と出動しないことが多くなった。そうすると、沿岸に次々と死体が流れ着き、耐え難い腐臭を放つようになるのだ。その付近の人たちは仕方なく、また海に投げ込んで始末した。死体は恰好の魚の餌となり沿岸漁業の水揚げは少し増えた。普通なら人の遺体を食った魚と分かると売れないはずだが、拒んでいられず、人々は魚や貝を購入するのだった。道路沿いに生えていた名も知れぬ雑草がどこの道でも見られなくなって、見通しの良い美しい通りになった。それらは茹でられたり、炒められたりして皿に載せられるのだ。

 そういう世相になっても、若者の異性を求める感性にはあまり変化は無かった。きっと何らかの形で、人類はこの状況を切り抜けられると楽天的に信じていた。若者だけでなく、どの世代も恐らくそうだっただろう。

 そんな状態であるせいか、どこの国もなかなか人口削減に進まない。出生数をゼロにすれば、寿命が尽きたり、事故死・自殺でどんどん減っていく、そうして五十年先には間違いなく半減するのは計算上分かっているのだが、それは実際には不可能だ。出産を抑えると人口が空洞化して将来の国家像が歪んでしまう。はっきり言えば極めて暗くなるのは確実だ。それに国民は緊急事態をなかなか理解しない。


 その頃日本では体格研究所なる施設がひっそりと作られた。国立の研究所はたいてい文部科学省が管轄しているのだが、これは厚生労働省の元に置かれた。大学が毎年新たに創設され、そして廃校になったように、研究所が新しく作られるのは取り立てて目新しいことではないので、マスコミにも注目されず、従って全く報道されなかった。

 それから数年後、安全保障理事会の常任理事国よりも巨額の国連運営負担金を拠出しているわりに存在感が薄いとされてきた日本から、世界中を驚倒させる提案がなされた。


 人類の体格を小さくしてはどうか。


 体格を小さくすると基礎代謝量を抑えられるのではないかというのだ。働いたり遊びに出かけたりといった活動を全くしないで、ただベッドでじっとして生きているだけという状態でも必要な食物の量を、計算しやすくするために数値化したものを基礎代謝量と呼ぶと考えれば分かりやすい。それを抑制することが出来れば、全体として食べる分量を減らせることに気が付いた。基礎代謝量を減らすには体格を小さくしないといけない。現在、人類の平均身長は百七十センチほどある。この大きさの人は一日に一五三〇キロカロリーなければ生きていけない。八十五センチの子どもは一一四〇キロカロリーほどになる。単純な計算では四分の三に相当するが、小人になっても成人はおそらく大脳でのカロリー消費が増えるだろうから五分の四ぐらいにしか縮小出来ないだろう。それでも二十パーセントほどの余裕が出来る。国連食糧計画事務局が急いで計算したところ、現在九十億の人口が百億になっても当分は現状を維持出来そうだという。実際には、人類は労働するし遊びにも行くのでもっと必要だから、もっともっと絞り込む必要がある。

 ともかくこうして組み上げられたのが、人類の体格縮小計画だった。サルから人間に進化して以来、順調に背が伸びてきた人類の歴史を、いわば逆に遡らせようというわけだ。

 日本も最初の提案の時に、人口が減少するとどうなるか考えた。三割削減すると、二十世紀半ば、太平洋戦争終了時の人口になる。現実の様子は想像しにくいが、産業が疲弊しきっていた頃だ。それと同じような人口で国を支えられるか。当時、ユニセフによる食糧供給があって生き延びられたという記録があるそうだ。七割削減すると江戸時代の半ば頃と同じだ。どうも産業革命以前のイメージしか描けない。体格を小さくした後の世界というのも想像しにくいのだが、人数が変わらない分、今と同じような社会組織で過ごせるのではないかという期待はある。科学が進んだ分、何とかなるのではないかとも。

 短期間に身長を縮めることは不可能なので、向こう三百年の間に人口抑制と並行して体格の縮小を各国に義務づけることになった。人口の増加を現状から増やさずに維持しつつ国民の平均身長が八十センチ以下に納まらなければ、その国の一年間の国民総生産に匹敵する金額という巨額の罰金を科すことも付帯決議された。実際に支払うことになれば、恐らくその国は存続出来ずに地球から消滅することになるだろう。

 恐ろしく過激な提案なのである。昔なら常任理事国のどこかが拒否権を発動して決議は無効になったような案件と思われるが、第二次大戦から二百年以上も経つとファシズムの国と真っ向から戦った功績が忘れられて、なぜこの五つの国にだけ拒否権があるのかといった反発が強くなってきた。返上せよという声がどんどん強まり、常任理事国は向こう十年間は拒否権を使わないと宣言したりしたが収まらない。遂に英国がまず折れて拒否権を返上した。次いでフランスとロシアが諦めた。米国と中国は最後まで抵抗したが、この二国が反対しても多くの加盟国は構わずに思ったことを国連の名で実行するようになっており、拒否権は実質的に骨抜きにされたのだ。そして米中は身勝手で異常な国だという評価が広まり強まるばかりなので、この二国も遂に放棄した。そうして全ての加盟国が平等になった国連の力関係が顕著に現れたのが、この問題だった。

 民族の特質として高身長のオランダやスウェーデンは、そんなことは絶対に無理だと言い続けたし、キリスト教が行き渡っている国々では、神の与えたもうた身体を人間の都合で改変するということに抵抗感が強かったが、食べる物が足らないとなれば、何とも仕方がないというところまで追い詰められている。戦争で殺し合っているという現実を何とかしなければならないのだ。食糧の自給に自信を持てない中南米・アフリカ・アジアの多くの国々が賛成したために、圧倒的な差で採択されてしまった。これらの地域では身長も低い国が多いという事情もあった。食糧の自給に絶対的な自信のある米国とフランスは沈黙していた。この両国も身長を縮めなければならないことになっている。


 こういう世界的な政治情勢には関心を持たない人たちもいる。

 「紅旗征戎、吾ガ事ニ非ズ」(朝敵の征伐など、私は知ったことではない)

と鎌倉時代の歌人藤原定家は承久の乱に際して言い放ったらしいが、それに似て、世情に疎い研究者は大勢いるようだ。

 山田幸太もその一人である。迎えに来たのは寝心地の良いベッドが設置された豪華なバスだった。乗務員は普通の夜行バスのように二人だった。もちろん運転は自動だから、二人とも接待の要員だ。一人が美味しそうな朝食を作り、もう一人がワインを抜いて配膳した時は、内心驚いた。山田はなかなか忙しいし、所得も十分でなかったので豪華旅行をしたことがなかったからだ。高速道路のインターチェンジを出たのに気付いてから、目的地である研究所の玄関に到着するまで関門が三つあった。なかなかセキュリティの厳重なところだと思った。前任地の研究所にも関門があったが、一つだけだった。研究内容を強奪する事件が世界中で起きるようになっていたので、そうなったようだ。煩わしいことと思う。別に停車したりする必要もないし、速度を落とすこともなかったのだが、通過するたびに微かにカチンという音が聞こえるのだ。ものを考えている時にそれを聞くと、気になって思考を中断されるのが不快だった。

 研究所の建物は真新しかった。

 ここで研究できる!





 平凡な鉄筋コンクリート造りと思われるが、薄緑っぽい汚れが建物を覆ってかなりボロボロに見えた。周囲は小高い山に囲まれていて、窮屈な感じの場所だ。大昔は鉱山があって、その遺構が残っていると聞いた。実はこの研究所も半ばその遺構を利用して建設されているらしい。研究が始まった頃は他国に情報がもれないようにという目的で、他国の偵察衛星から見えにくいここに拠点が置かれたと、後になってから聞いた。二回建て直して三代目の建物だということだが、既に七十年ほど経っているから傷むのは仕方ないだろう。地震で崩れたりしたらたまらないと思ったが、ここは小さな地震はあるが、大きな地震に襲われたことは未だかつて無いという。確かに古い建物にはよく見られる亀裂が見当たらない。カビや苔、ツタの下に隠れているのかも知れないが。

 「山田先生、研究室はこちらです」

 建物に入ると、長い廊下を歩かされた。古い建物だが掃除は行き届いていた。角を折れると、窓の向こうに学校の校舎ほどの建物が見えた。五階建てだ。それは比較的新しい建物に見えた。これから向かう建物の隣の建物で、山田が任される研究室も同じ大きさの建物にあるという。それが三棟ある。奥行きは学校の教室二十個並んだぐらいで、教室よりは一回り小さい部屋が幾つも並んでいる。その部屋にいるのは山田を支える補助研究員たちだ。どの部屋にも電子顕微鏡やマイクロスコープなどの機材が置かれ、狭苦しい。機材は進化して小さくなっているのだが、それでも機能によっては限界がある。同じような部屋が二階以上の階にも連なっていると説明された。






 研究棟の一番手前に戻ってくると、集会室があり、その隣に山田の個室、秘書室、受付が並んでいた。個室には早くも「山田功一」という名札が入っている。受付は管理棟に研究所全体のものが存在するが、研究棟ごとにも設置されているそうだ。受付前にはロビーがあり、そこに歴代の主任研究員の肖像写真が掛かっていた。先生は十四代目ですと説明された。

 この研究所、国立体格研究所全体の研究は大詰めにきている。あと四十年の間に結果を出さないと大変なことになる。

 研究所が設立されたのは二六〇年前だ。その少し前に国際連合が極めて重大なことを決めた。平均一七〇センチほどある人類の身長を半分以下の八〇センチ未満に縮めようというのだ。我が国はその為にここに新しく研究所を開いた。




 決まってしまうと、それを可能にする方法が求められる。他国に先んじて開発出来れば、それは大きな利益を生むはずだ。二十一世紀のパンデミックの際、ウイルスを抑えるワクチンを開発した国は大儲けした。科学研究に自信のある国々が巨額の研究予算を投じたのは当然のことだ。

 日本もその一つだった。絶対に勝ち抜かねばならない勝負なので、研究体制も破格のものになった。研究を実際に指揮する主任研究員は三人。彼らを支える実働部隊である補助研究員は、どこの研究所でも小間使いのような扱いを受けて時間的な拘束の割に給料が安いものだ。しかし、ここでは補助業務は週に三日と決められている。二日間は休日で後の二日間は従来からの自分独自の研究を続けて良いことになっている。その経費は研究所持ちだ。実際には四日間を自分の研究に宛てる者ばかりだ。学術雑誌への論文発表は奨励され、学会出張も思いのまま。非常に恵まれた境遇である。そのせいであろう、主任研究員が研究についての指示を出すと、即座に取り掛かることが出来、結果をきれいにまとめたレポートを出してくる優秀な者ばかりが集まっていた。

 こうしてスタートした国家的プロジェクトは「体格縮小プロジェクト」と名付けられた。略して「短身化プロジェクト」さらに「短身P」と呼ばれた。そしてそれは、欧米の国々や中国、インド、ブラジルなどとの競争になった。日本では国連決議の年以来二十年かけて平均身長一二八センチまで下げることが出来た。これは治験者だけの分で、国民一般への適用はまだまだ先になる。治験とは医学的な治療試験のこと。露骨な表現を使えば人体実験である。それの他国の研究実績は一三〇センチだった。さらに二十年かけて一二〇センチ。一一〇センチになった時、初めて米国の一〇九センチに敗れた。一〇五センチを達成した時、ドイツは一〇三センチだった。これらの国は元の身長が高いので、縮小率は日本よりも遙かに高い。責任を感じたのか、十五代目の体格研究所長駒田宗一が研究所近くの山中で首を吊った。駒田自身も優秀な研究者だったのでその死が惜しまれたが、それからも二十年ほど日本は負け続けた。これでは技術を外国に売って稼ごうという目論見は実現しない。主任研究員たちへの圧力はどんどん強まった。これ以上は出来ないと三人のうち二人が、非常に恵まれた待遇を受けられるのにも拘わらず着任一年で辞表を提出したこともある。その度に所長や厚生関係の官僚たちが懸命に関連の深い領域を専攻している研究者をスカウトしてきて研究を続けさせた。

 プロジェクトが一気に百センチを達成した時は、研究所が大いに沸いた。三部門の研究がそれぞれ百三センチを達成した直後のことである。百四十センチ達成から二百四十年掛かってようやく四十センチ縮めたのだ。所長命令で三部門の研究方法を一人の人間に施したところ、突然そうなった。

 これを発表すると、がぜん世界中の注目を集めた。欧米諸国でドイツが百二センチを達成したばかりなので、驚異的成果という報道が世界中を駆け巡った。

 駒田所長の自殺から六十年ばかり経っていた。さらに四十年経って日本は再び首位の座を確かなものとした。九十五センチ。米国もドイツも九十六センチだ。この頃まで研究を続けてきた国は二十近くあったが、そろそろ見切りを付ける国々が出そうな話が聞こえてきていた。既に幾つもの国が諦めていたわけだ。この頃英国とデンマークが、遂にこの研究から降りた。もう無理だから、出来たところから技術を導入するというのだ。日本が九十一センチに達したと喜んだ時、他の国と並んでしまった。治験者の体格はどこの国も順調に小さくなってきたし、早くもこの日米独英デンマーク五カ国のどれかの技術を導入した国も一三〇センチを割り込んでいる。さらに二十年後、またドイツに一センチ負けた。

 山田功一が着任してしばらくした頃、他の二部門の主任研究員も交替して鈴木良司、佐藤専太郎と同僚になった。

 ここは物質的には何の不足もない恵まれた職場であるが、所長や事務長といった幹部職員や、主任研究員たちとの交流がほとんど無く、寂しい気分でいた。ここは安心生活省の管轄で、所長は省の技監が兼任しているという破格の扱いを受けている研究所だ。ほとんど事務次官と変わらない格式の人だから、会えば会釈ぐらいはするのだが、食堂でも離れた席に座って話そうとしない。補助研究員たちや秘書、事務職員たちとも業務連絡は頻繁に行うのだが、私的な交流が一切無いのだ。せめて研究所の近くに小さな飲み屋でもあれば誘うことも出来るのだが、官舎はすぐ近くでみんなさっさと帰ってしまう。

 それが主任研究員交替の後、所長も退任して新しく来た所長夫妻に夫婦ごと昼食会に招待された。自分たちにあてがわれた官舎が結構ゆったりしていたので、所長の官舎はどんな所だろうと思って行ったのだが、あまり大きさに違いはないようだった。美しく飾られた部屋に腰を下ろして喋っていると、他の二人の主任研究員夫婦も来た。所長は五十代ぐらいの年齢で、山田たち夫婦は三十代半ばの者ばかりだった。それまでの経験から話しにくそうだと思っていたのだが、所長は気さくな人で、他の主任研究員たちとも気軽に言葉を交わすことが出来た。彼らも意外に話しやすそうな雰囲気の人物だということが分かった。山田はホッとした。少しは居心地が良くなりそうだ。

 鈴木が美しく盛られたサラダを食べながら、

 「所長の官舎はもっと大きいのかと思ってましたァ」

と言った。所長夫人が、

 「あまり大きい家だと掃除が大変だから、幾つか開かずの間にしようと思っていましたのよ。家は小さい方が管理しやすいわ」

と答えた。佐藤が、

 「子どもの頃、高級住宅街が校区の中にあって、学級新聞の編集にそこに住んでる奴の家に行ったことがあるけど、そこで迷子になった奴がいましたよ」

と美しい庭を見ながら言った。

 「どうして迷子?」

 皆が不思議そうに言った。

 「トイレに行って帰り道が分からなくなったんです。座敷に出れば皆に会えると思ったので、適当に襖を開けたら空っぽの座敷が広がっていたというんです。俺がまだいるのにみんな帰っちゃったのかと思ってがっかりしていたら、そこの家の子が迎えに来てくれた、ということで」

 「座敷が二つあったのか」

 「いや、四つ。それぞれ雰囲気の違う庭が付いているとかで」

 「へぇ、光源氏の邸宅みたいね」

 鈴木の奥さんが言った。名前はルミさんと聞いた。『源氏物語』という古典に登場する主人公が晩年に建てた豪邸には庭が四つあって、それぞれ春夏秋冬の雰囲気を楽しめる庭に造ったという。

 「そんな家、見に行くのは良いけど、掃除する立場に立ちたくないわ」

と所長夫人がまた言った。研究者の待遇は良いが、私的な生活に関して家政婦を雇う費用までは出してくれない。おいしい料理に楽しいおしゃべりですっかりくつろげた。山田は明日からの仕事が楽しくなりそうだと思った。宴会が終わって門を出る時、鈴木が、

 「上司の家というのは肩が凝るよな。これから二次会に行きませんか」

と言う。みんな同じ年頃だし、まだ子どももおらず帰りを急ぐ必要がないので賛成した。車を三台連ねてしばらく走ると、寂しい道路沿いにポツンと喫茶店があった。三台の車にはそれぞれ護衛の車が付いている。山田がこの研究所に着任して一番驚いたのが、このボディーガードの存在だった。それまで勤務していた研究所にはそんなものはいなかった。山田自身だけでなく妻にも付けられており、彼女の買い物に同行した。

 店に入る時に突風が吹いて鈴木の帽子が飛ばされそうになった。

 「この辺りは、時々凄い風が吹くね」

 「本当だ。前に住んでた所とよく似た雰囲気なんだけど、風だけは少し強い」

 そんなことを話しながら店に入る。田舎の喫茶店にしては垢抜けた造りで、メニューに並んだものも都会のものと変わらなかった。意外に良い店があるんだねと言いながらテーブルを囲んだ。場所が変わっても話題は特に変わらず、三人のこれまでの経歴や居住地の話になった。

 山田は東京で遺伝子の染色体を構成するヌクレオチドを人工的に合成する研究をしていた。成功すれば人間を作り出すことも出来るというものだが、先は長い。鈴木は山梨県で物理鉱物学というものの研究をしていて、衝撃に対する鉱物の反応から構造の特質を究明するという仕事をしてきたそうだ。その意義のことはよく分からなかった。佐藤は兵庫県で重力と引力が物質に及ぼす微妙な差異を研究する量子物理学者だった。そういう三人が、体格研究所に招聘されてきたのだ。研究の流れ方でそうなったのだろうが、意外な組み合わせと言えるだろう。互いに相手のしていることが体格縮小化研究にどう役立つのかは漠然としか分からない。奥さんは大学で知り合っての恋愛結婚や、結婚相談所で紹介されての見合い結婚やらで、趣味もバラバラのようだった。珍しい話が飛び交うのを聞いているうちに、佐藤が、

 「なぜ人類の身長は、ほら、これまで伸び続けてきたんでしょうね」

と言い出した。追加されたコーヒーに手を伸ばしかけていた山田は思わず手を引っ込めた。

 「確かにね。大脳が大きくなってきているんですから、その重量を支えるために低くなるまで行かなくても、止まっていても不思議でないと思いますね」

と山田は言った。夫婦たちは互いに顔を見合わせた。確かに不思議なことだ。三人が取り組まなければならない短身Pが存在するのもそのせいなのだが。

 「我々、自然の摂理に反したことをしているのかなァ」

 鈴木が言った。

 「いや、我々人類が自然全体の摂理に反した進化を続けているだけかも知れませんよ」

 山田は取りなすように言った。

 「背が高い人は、ええっと、見栄えがするよ」

 ルミさんが言った。佐藤の奥さんも同調した。名前はみりさんだ。平仮名で書くそうだ。

 「ふふふ、集団の中でリーダーっぽく見えるものねぇ」

 背が高いと少しでも遠くが見えるし、高所にも登りやすいだろう。生き延びるのに有利だったと思われる。

 「ふふふ、歩幅が大きくなると、デコボコの道も歩きやすいだろうね」

とみりさんが言う。

 「背を伸ばさないと体内に収められないという臓器類は無いよなァ?」

 鈴木が佐藤や山田に念を押す。

 「悪食が出来るように、高度な消化器官が収納出来るようになっているのかも」

 山田が言うと、みりさんが、

 「悪食出来れば、この世のそれまで食べられてなかった物も全て食べてしまえるように、ということなのね?」

と尋ねる。山田が答える前に、鈴木が呟く。

 「マンモスや恐竜のように無駄に大きくなった例もあるから、目的は問わなくて良いのかもなァ」

 「そういう言い方はさぁ、ええっと、空しいわよ」

とルミさんが注意した。

 「医者は、ほら、現状のようになっていることは仕方ない、という言い方をしますよ」

 佐藤が言う。

 「結局、伸びるように進化しだしたから伸びたというだけかも知れないな」

 「その可能性は高いんじゃないかなァ」

 山田の発言に鈴木が賛成した。定向進化説というものだ。何か合理的な意味があると思われないのに、ある方向に進化しだして極端な形になってしまうという進化論だった。

 「自然の変化は、ほら、必ずしも合理的ではないということですね」

 佐藤が断定するように言った。

 「ええっと、そんなものなの?」

 ルミさんが呆れたと言いたそうな声を出した。

 「そんなものさァ」

 鈴木が言った。

 「ええっと、伸びだしたから伸びるしかないというのなら、その一方で、どうして背の高い人と低い人がいるのかな。個人としても人種としても」

 ルミさんはなおも不思議そうな顔をしている。

 「ふふふ。確かにそうね。伸びようとしない人種もあって良さそうなのに」

 「ピグミーはどうなんだろうなぁ」

 「ピグミーなりに、ほら、伸びてるんじゃないのか」

 「ピグミーとか大和民族とかじゃなくて、人類として同じ方向に進んでいるというのが凄いですね」

 そんな話が続いた後、山田が尋ねた。

 「佐藤さん、その問題は昔から気にしてたわけですか」

 「いいや、ほら、皆さんの顔を見ている内に、ふと思い付いたんです。自分たちの仕事が短身Pですから」

 三組の夫婦はこの二次会を機会に、時々互いの家でパーティーを開くようになった。この官舎はセキュリティの関門内にあるので護衛なしで往来できるのが気楽だ。他の人たちも窮屈に思っていたそうだ。

 そこではこんな類の話題が食卓に上った。人類の平均身長はなぜ一七〇センチぐらいまで行っていたのだろうということでも議論した。元々八〇センチでも良かったはずだし、二五〇センチでも別におかしくはなかっただろう。一七〇センチは地球の引力に逆らいつつ水平移動が出来るのに適していたのではないかなどという結論のようなものになったりした。これもこのメンバーでは事実がはっきりしない問題だった。

 ともかく、山田は職場の居心地がとても良くなったのがうれしかった。夫婦共々味をしめて、補助研究員や事務職員とのパーティーも催した。

 山田夫妻が鈴木家でのパーティーに行った時だった。鈴木の補助研究員夫妻も五、六組来ていた。その時、鈴木が、

 「これがうちの家宝なんだァ」

と言って、握り拳ほどの直方体のプラスチックを見せた。百年ほど前の先祖が植物学者で、新種を発見した時の記念品なのだそうだ。美しい葉っぱだ。細く短い根のようなものが出ている。その学者が勤務していた大学の植物園で、生きているものが見られるそうだ。植物の大きさも人間の身長と同じように大きくなってきているのだろうか。

 家宝という言葉から、いろいろと話題の広がった面白い会だった。

 家に帰ると、妻の文代が、

 「ねぇ、うちにも何か無いかなァ」

と言った。

 「そんな名門の家系じゃないよ」

と笑ったのだが、しばらくすると文代は曰くありげな桐箱を差し出した。

 「じゃーん。山田家にもありましたよ」

 山田が研究内容を考える時に使っているノートや、文代が何かしらアイデアを書き付けるのに使っているノートほどの大きさだ。箱の深さは五、六センチか。墨で何か文字を大きく書いてあるが、箱全体が黒ずんでいるのと文字が少しこすれて消えているのとで読めない。

 「何、これ?」

 「ねぇ、開けてみて」

 箱を開くと、中にはプラスチックらしい円盤が入っていて、美しく虹色に光った。何かの記録をしたメディアだろう。十枚ほど入っている。

 家宝かただのがらくたか知れたものではないが、わざわざ桐の箱に入れて保存してあるからには何か貴重な記録なのだろう。

 「君は読んだのか」

 「読もうとしたんだけど読めないの。ねぇ、うちには読み出せる道具がないみたいよ」

 がっかりしたが、確かにサイズの合いそうな機材は無いような気がする。

 「ねぇ、お義母さんたちも、ただ何となくお舅さんお姑さんに保管するように言われて持っていただけで、見たことがなかったらしいわ」

 「何の記録だろう」

 「特に意味もなく保存していたそうよ。ねぇ、ひょっとしたら大変なものかも知れないけど、読んだことないって」

 山田は読み取り機を色々操作してみたがやはり読めなかった。いつの時代のものなのだろう。かなり旧式ということだけは分かる。

 山田家でパーティーを開いた時に皆に披露したが、読めていないと言うと笑われた。

 「ねぇ。だって、いつのものか分からないから読み取り機が無いのよ」

 皆がなるほどと頷く。佐藤と一緒にやってきた補助研究員が、

 「分かる奴がいるかも知れませんよ」

と言った。しかし、話題はどんどん変わって、山田自身はそのことをすっかり忘れていた。桐箱はリビングの棚に置いたままだ。数日後、文代に尋ねられたが、研究室の機材では試していない。試してみるまでもないと思う。多分だめだろう。

出勤時に妻に念を押された日、研究室で探してみたが、やはり読み出せる機械は無いようだ。どうすれば読めるだろう。主任研究室に入ってきた研究員に尋ねてみると、電気器具グループに分かる者がいるのではないかと言った。実験には多くの電気器具を使用するので、それの組み立てや接続の専門家が必要なのだ。功一のスタッフの中にも何人もいる。その中にいるのではないかというのだ。名案だと思って、朝礼の時に、誰か力を貸して欲しいと言ってみた。しかし誰からも申し出がなかった。やっぱりダメか、とがっかりした。


 中国とインド、インドネシアから、我が国に技術導入の申し入れがあったそうだ。この三つの国でほとんど世界人口の半分をカバーする市場になる。

 「どうして中国が?」

 驚いてしまう。数年前に自力の技術開発を諦めると表明していたインドやインドネシアが導入するというのは分かる。なぜ中国なのだ。先週まで世界の最先端の一つだったではないか。

 事情は明らかではないが、百センチが限界なのだろうか。なぜ限界と分かるのだろう。人体縮小の経験は人類の歴史には無いのだから、どこまで縮められるものか見当が付くはず無いのだ。五センチ、六センチの差が開いて詰められないなら、開発能力の限界と分かるが、一センチの争いを演じている最中である。ともかく向こうの現状を視察し、どうすればさらに進行させられるかを調べなければならない。

 我が国での治験は、協力者百二十六人によって実施している。協力すると入院費が無くなるからという経済的理由の人が七十八人、自分の体格を小さくして家族による介護の負担を少しでも減らしてやりたいという人が三十五人、世界最先端の実験に興味があるという人が十二人、所属の宗教団体で縮んだ方が幸せになれると言われたからという人が一人。最後の人の気持ちが研究員たちには理解し難いのだが、とにかく協力してくれることに感謝しつつ実験を進めていた。男女の比率は少し男が多い。年齢は四十代後半以上ばかりなのが研究員たちには気に入らないが仕方ない。誰かを捕まえて無理に実験台にするわけにはいかないのだ。それはこの体格研究所でプロジェクトを開始した頃と変わらない。人数も多少の増減はあるがほとんど同じだ。中国やドイツ、米国などの事情は分からない。日本と同じようなものではないかと勝手に想像している。治験対象者の氏名は互いに公表していない。姓のイニシャルと数字だけだから、何人を対象にしているのかは全く不明だ。もちろん年齢や性別も分からない。

 中国ではその治験中に何かトラブルが生じたということかも知れない。事情は明かされていない。これは完成するまで、どこの国でもそうするだろうから当然である。

 それにしてもライバル国からの申し入れに所長は大喜びだし、首相まで、わざわざ歓迎の談話を発表したほどだ。

 中国がまず導入しようとしたのは、周辺地域の住人に対してだった。ともかく三人の主任研究員は現地を見なければならないので、中国に渡った。ウイグル自治区という砂漠地帯、チベット自治区という高山地帯、海南島という温暖地、ロシアのウラジオストックに近い寒冷地の四カ所だ。特に海南島での成果は中原と呼ばれる中国中央部の住民に適用出来るかどうかの見当がつく重要な場所だった。他の場所は中国自身のためというよりもアフリカや南米、欧米への売り込みに関わる場所であろう。

 日本の技術を導入しつつ、販売利益の分け前を狙うつもりらしい。しかし、そういう銭勘定のことは山田たち研究者には関係ない。それは厚生関係か経済関係の省庁がしてくれる。金額が破格なので、国家間の外交交渉のカードにされるかも知れない。

 とにかく、中国が導入した地域での治験が始まった。中国側の窓口はウイグル自治区ではアズ・プーテー、チベット自治区ではイスル・バヤン、海南島はギーマ・ハンツ、黒竜江省はポト・ヨーラという研究者だ。どういう文字を宛てるのかは分からない。通訳はカタカナで説明した。中国というのは政治指導者が替わると、新しい人の肖像があちこちに飾られるらしい。今は孟沢山国家主席だ。ヒョウタンのような顔が町のあちこちに張られている。何だか総選挙が迫ってきた頃の日本のようだと思いながら歩いた。

 この直前まで中国、ドイツ、米国、日本の研究が世界中からアテにされており、これら以外の国では諦めて研究を打ち切ろうとしていた。そして人口の多いアジア、アフリカ、中南米の国々では身長縮小の為に使う費用を抑えるために少子化に力を注ぐこともしていた。訳の分からない新しい技術を使うよりもコンドームを配る方が手っ取り早い。コンドームも単に性交の成立を止めるだけでなく、性欲減退を進める成分を塗りつけた特殊なものが主流になっている。一回使用すると一ヶ月ほど性欲が湧かないという代物だ。これはしかし、性欲が復活した時、激しい性交を招くらしいので、本当に効果が有ると言えるか難しいところだと聞いた。日本では売られていない。性欲減退の薬品成分に従来の薬品規制に引っ掛かるものがあるらしい。

 ウイグルでの研究は砂漠地帯を抱えるアフリカのニジェールと、高地のチベットは南米のボリビアと、温暖地は地中海に面したギリシャと、寒冷地はロシアとの共同研究になり、それぞれの国の窓口はマシマ・ンギッ、スギレ・ランサ、チャー・ヤプリ、ヤーグ・チイヌという人物が担当していた。山田たち三人はこの人たちとも意見交換しなければならなかった。公用語はフランス語、スペイン語、ギリシャ語、ロシア語と多様である。勿論それに中国語、日本語が使われ、論文の遣り取りは英語で、一部ラテン語が入るという状態だ。山田たち主任研究員は日本語、英語、ラテン語しか使えないので、中国側はそれぞれに通訳を付けてくれた。翻訳機では医療上の微妙な感触の表現が難しいからだ。

 相手は日本人ではないし、言葉も違うので山田功一、鈴木良司、佐藤専太郎の三人は緊張した。それぞれが抱えているスタッフの半分ほどを日本から連れてきている。中には中国語で挨拶が出来る者もいるがほとんどみんな研究に役立つレベルの語学力はない。治験者は中国では日本より多いようだし、中国以外の四ヶ国では少ないようだ。どうしても全人口の数に比例するらしい。その四つの地域の複数治験者のうち一番成績の良い一人だけが選ばれて、日本の研究者と直接言葉を交わすことになっていた。ウイグル系漢人一〇三センチ、チベット系漢人一〇〇センチ、海南島のベトナム系漢人九十九センチ、黒竜江省の女真系漢人一〇二センチである。純粋の漢人、つまり中国の支配民族は中国人の九十三パーセントになるのだが、その治験は中国自身の技術で一〇一センチまで来ていた。

 山田は、はやく日本の技術で漢民族の治験に入りたいと思った。しかしなかなか受け入れられず、代表者たちが九十九センチ、九十七センチ、九十五センチ、九十八センチになって初めて許可が下りた。その頃ニジェール人は百十センチ、ボリビア人百一センチ、ギリシャ人百八センチ、ロシア九十九センチだった。生存に必要なカロリーは千八十キロカロリー前後まで落ちている。

 漢民族の治験は死刑囚で行われた。麻薬取引や放火殺人といった類の者ばかりだった。四百八人である。男二百六十七人、女百四十一人。いずれも四十代だった。拘置所の食事は量が少ないから、体格が小さくなって空腹を覚えなくなるならそれもいいかもと言う者もいたし、半年か一年で必ず死刑執行されてしまうのは分かっているので、それまで拘置所の食事より治験者としておいしいものを食べたいという者もいた。

漢民族の体格は欧米人より遙かに小さいが、日本人より僅かばかり大きい。従って必要な食糧も日本人よりも多い。それが十九億人だから大変な量の食糧がいる。問題を非常に深刻に捉えていた。

 山田・鈴木・佐藤の三人の研究成果によって、いよいよ本丸を落とすと思うと、三人ともわくわくしていた。中国一つで地球上の人口の五分の一か四分の一を占める。ここで成功するか否かは国連の計画全体の成否に関わる大問題だ。

 短身Pの具体的な手順はこうだ。

 人体のあちこちから(二百七十三か所になった)採取した細胞を、山田がこれまで研究所で作られてきたものを合成した薬剤で鈴木の作った機械でタイミングを計りながら刺激して変異させる。その変異した細胞を増殖させる。増殖した細胞を佐藤の作った機械のタイミングで点滴や注射をして元の場所に戻す。そうすると、三か月ほどで体中の細胞の成長が停滞し、どんどん小さくなってくる。一か所の採取でiPS細胞を作れば、たくさん採取する必要がないのだが、それでは様々な細胞に分化する時間が長くなる。山田たちの方法でも、細胞の増殖に時間がかかり、点滴できるまでにほぼ半年かかる。

 こういう時間経過は人類が生まれた時から変わらないのかもしれない。卵子と精子が合体してから母体が赤ん坊を産み落とすまでの時間、その産まれた時から赤ん坊が成長して卵子や精子を異性との交合に使えるようになるまでの時間、こういう時間の長さはネアンデルタール人も北京原人も、現代の人類も同じではないだろうか。植物における「桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿十八年」というのと同じだ。ほんの数日の誤差はあるにしても、どう頑張っても三年、八年という時間は動かない。

 なかなか成果が出ないので、ンギッもランサもやきもきしているようだった。当局からもしばしば役人が視察に訪れた。急げという暗黙の催促だと受け取った。そして遂に数字が出た。平均百七十センチ以上あった身長が一週間で百六十五センチに落ちたのだ。健康にも異常は無い。二ヶ月経って百五十二センチ。さらに二ヶ月後急速に低下して、半年年後には百一センチまで縮まった。食べる量もどんどん減った。

 背が低くなって全体としてどんな体型になるのかが気掛かりだったが、それまでの六頭身半から七頭身の基本的な比率は変わらないでいる。これは世界中のどこの国でもそうだった。当初、大脳の大きさはあまり変わらないだろうからその重量を支えるために胴長短足になるだろうと予想していたので、嬉しい誤算だった。これならまだ試みていない国々を含めて全ての人類に受け入れられるだろう。腕や足の比率も問題無いし、CTスキャンで内臓をチェックすると、健康を損ねるような歪みや亀裂が入ることもないようだ。めでたく寸法を半分にした人類は、食糧をうまく分かち合って生き延びられるだろう。

 四百八人の平均が九十六センチまで落ちてきた。目標は八十センチだ。タイムリミットはあと三十年ほどだから、もっと頑張らないといけない。また一ヶ月変動が止まり、ヤプリやチイヌも、何度も研究室に様子を見に来た。彼らは周辺地の民族の担当だったが、引き続き漢民族の担当になっている。

 「まだなんですね」

 「そうなんです。色々試してはいるんですが、この時間経過だけは何とも」

 九十二センチになった。

 「もう少しか」

 「あと二十五年ですね。子ども世代か孫の世代か」

 「ぎりぎり滑り込めるかなァ」

 「他に手立ては、もう無いよな」

 今頃になって、研究所の三つの柱に不足があるかも知れないという不安が出てきたりする。

 漢民族で九十センチを切った時、主任研究員の三人は密かに集まって祝杯を挙げた。この国は政府が進める気にさえなれば、何事もすぐに実現するので、三十年以内に間違いなく十九億人が揃って九十センチを切るはずだ。そこが日本や米国、ドイツと違うところだ。自由主義の国では必ず反対する者が出てきて事態をかき回し、進行を妨害する。山田夫妻たちにボディーガードが付けられているのもそのせいだと聞いた。キリスト教原理主義者同盟というのが特に過激で、各国の短身化研究を妨害して回っている。英国が研究から降りたのも、この連中のせいだ。主任研究員が殺されたのだ。キリスト教原理主義によれば、飢えて死ぬなら死んでしまえば良い、死んだら最後の審判の時にキリストが降臨して救済してくれるから構わないということらしい。我が国のキリスト教徒は勢力が小さく大して問題にはなっていないが、宗教に関係なく真似する連中がいるので危ない。どこの国の政府も国連決議に従うために必死なのだが。

 ところが、治験の四十八人が全員、翌朝揃って死んでいた。三人とも真っ青になった。

 解剖して調べると、どの人も体組織の目が粗くなってしまっていたのだ。体内のあちこちで血液やリンパ液などの滲出が見られた。普通なら、一部で起きてもすぐに白血球などが塞いで止まるはずのものだ。しかし止まらなかったわけだ。これでは生きられず、小さくなっても意味がない。CTスキャンではそこまで確認出来ていなかった。それほど微妙な障害だった。

 佐藤班の貧栄養担当がトリプトファンを少しだけ増やして与えることで体液類の漏出は改善された。

 なぜ亡くなる前に気が付かなかったのかが不思議だが、それほど普通に過ごせていたということだろう。

 新たな治験者が素早く五百二十三人用意された。一体、何と言って説得したのだろう。この速さは日本では考えられない。この人たちも死刑囚かも知れない。男三百二十五人、女百九十八人。やはり四十代後半。

 この五百二十三人が九十センチを切るのには二ヶ月しかからなかった。体組織の目の粗さも問題にならないようだ。目標の八十センチまであと少し。

 治験が順調に進むようになったので、一般市民に適用する。各地に細胞採取と、細胞を体内に戻すための機材が置かれた。半寸化を逃れる人間が出ないようにしなければならない。二十一世紀の肺炎ワクチンの接種では、周囲の人間がみんなワクチンを打てば自分は何もしなくても安全になると考えて、いつまでもワクチンの接種をしなかった人たちがいた。しかし、今度はそれは許されない。

 一方、半寸化した人間の数をカウントする方法が必要である。他国民に半寸化させておいて、自国だけ大きな寸法の人間で保持して戦争を仕掛ける国があると困る。人口はすでに国連の食糧計画に報告されているので、今更ごまかすことはできないが、とにかく国民一人残らず寸法を縮めていることをどこの国でも確認する必要がある。それが可能な機械を米国、デンマークが共同で開発したと発表した。開発に先立って、体格研究所に外見で施術済みかどうかを判別できるようにする方法を作ってほしいという要望が出されていた。体格研究所では人の遺伝子の地図を詳しく究明していたので、そういう種類の要望には簡単に応えられる。全てが完了すると、足の裏が緑色に発光するようにした。施術の済んだ人にカウントの機械を歩いてもらうと国中でカウントが済む。どこの国も病院の施術室の出口に設置した。

 このカウントの機械を偵察衛星とセットで運用するのだ。足裏の発光と指紋とで、確実に人数を数えられる。半寸化させる技術で日本に敗れた腹いせをしているようだ。ともかく、それでインチキを防ぐことが可能になった。

 半寸化を逃れる人間が残っていたら、国連に納入された機材でばれてしまう。全員を半寸化しないと、国家が成り立たなくなるほどの罰金が科されるのだ。支払わなかったら、おそらく国連軍が攻撃してくるだろう。少しぐらい大きな体格の人間を残していても、多勢に無勢で滅ぼされてしまうのは明らかだ。

 インドやインドネシアでも治験が順調で一般国民への施術をすることになった。

 中国政府は、細胞採取に応じた人だけ、増殖細胞の戻し入れが済んだ人にだけ、金融機関からの預金引き出しやクレジットカードの決済、食品購入が出来るようにした。いつまでも応じなければカードが使えないし、僅かな手持ち現金でも買い物が出来ない。死んでしまう。危篤状態になっても救済しないというのだ。それは宣言通り厳格に実行された。そのために四パーセントの人たちが餓死したようだ。このシステムは、インド、インドネシア、日本や欧米の各国でも取り入れられることになっている。反対派は、それを聞いてさらに荒れ狂っている。しかし野党はもう政権党の施策に反対する意欲が衰えてきたようで、選挙の度に弱小化している。欧米の民主主義を標榜してきた国々でそうなっている。危険だという声は無視されそうな気配だ。

 中国での治験は山東省で行っていた。奇妙な研究なので、もっと辺境の地でやりそうなものなのだが、なぜそんな気候の良いところが選ばれたかというと、首都の北京からも経済の中心地上海からも出向くのが便利だという党幹部の都合によるらしい。その山東省で普通サイズの人を小型サイズに一般施術を開始した。

 短身Pの研究と施術は順調だ。他国の研究もそうらしい。人口抑制と違って短身化では懸念されていた産業空洞化の問題もクリアー出来そうだ。もちろんそれまでと全く同じというわけには行かない。真っ先に対応を迫られたのは自動車産業で、新車がよく売れた。もちろん大きさが人の体格に対応した物だ。衣料品や履き物の売買が活気を呈し、建築業も少し潤った。食料品業界はカロリー換算では縮小しているが、種類の多様性を売り物にして販売額の落ち込みに抵抗している。食品業の周辺になる食器や食器洗い機、電子レンジ、冷蔵庫なども耐用期限を迎えるたびに小型のものが売れていった。掃除機、洗濯機、物干し竿も小さな物が求められた。

 犬や猫も大きいままでは人間の相手をさせにくいので、小さくさせる必要が生じた。体格研究所ではそこまで手が回らないので、国立畜産研究所に動物の短身Pが設けられた。こちらもうまくいけば、大きな収入が期待できそうだ。

 文房具や雑誌、書籍はほとんど変化しなかったが、巨大な国語辞典、英和辞典などはさっぱり売れなくなり、完全に電子ブックだけになった。映像、音響、ゲーム機産業では全く変化は無かった。これらは既に子供用の物品だったのかも知れない。


 中国でなぜか山東省から遠く離れた淅江省に突然小型サイズの人が現れたという。治験ではない。病院の近くだったが一般の住宅に住んでいる人だ。淅江省は中国南東部の東シナ海に面した場所だ。山東省からは六、七百キロほど離れている。三日ほど前まで普通サイズだった人間が急に小型になり始めたので、当人は勿論、家族も近所の人も驚きを隠せないらしい。調査団派遣を準備していたら、そういう人が青海省にも現れた。千四、五百キロ離れたところだ。黄河は西から東に流れてくる時、一度大きく北に流れを変える。その北に折れて流れだす折れ目の辺りが青海省だ。ここでも健康診断をしてみたが特別な異常は無いという。ただ体格が小さくなっただけだ。治験が済めば全ての国民を対象に徐々に徐々に小さくしていくものと思っていた三人の主任研究員にも予想外の成果だ。遺伝子を調べると、小人症だった。当人の一族にはそういう人はいなかった。地域住民の中には小人症の人もいたが、出現頻度は通常の数値を越えることはない。なぜだろう。何が起きたのか。新たに生じた事態と思われる。そう思っているうちに、治験者でもないのに小型サイズになる人が現れる地域がどんどん広がってきた。

 なぜそうなったのかという調査が進行している最中だった。人のサイズが小さくなった地域で、同じように暮らしながら小さくならない人がいて、そういう比較的大きな体格の者たちが小さくなった人を襲って略奪するという事件が起きた。小さくなった人は、普通サイズの者には到底太刀打ち出来ない。警察が取り締まりをするのだが、その警察官や軍人の方でも大小混ざり始めていた。

 半寸化の進む地域の警察や軍の上層部は人員の配置転換に忙殺され始めた。強盗などを小型の警察官が捕らえにいってもうまく行かないのだ。小型の人を刑事課から外して交通課や地域巡回課に配置換えしてやれやれと思っていたら、小型の人は従来の白バイを乗りこなせないことが分かったりした。資材を大幅に変更しないと役に立たない。車体の小さな車で走ると、これまでの交通標識では位置が高すぎて見えにくいという問題も分かってきた。

 軍隊でも小型の人用に寸法を小さくした戦車などを急いで開発したが、従来の戦車用砲弾を発射すると、そういう小型戦車は反動を吸収しきれずにひどく位置が変わった。元のあるべき場所に戻すのに時間をかけていると、軍隊としての進軍・後退のタイミングが狂ってしまう。

 家庭電化製品でも同じ問題を抱えた。それまで手が届いた冷蔵庫の最上段にものを入れたり出したりすることが出来なくなった。人々は家の中の階段の昇降にも少し手間取るようになった。消防署で出動する消防官が資材の位置に手が届かず、出動が遅れて焼け落ちる家屋が増えた。救急車が駆け付けてきてくれても、患者の体格が大きくて救急救命士の方が小さいと運べないことが起きた。慌ててフォークリフトを車の装備に追加しないといけなくなった。

 全ての人が同じタイミングで同じように小さくなってくれれば良いのだが、デコボコがひどいので、あちこちで混乱が起きている。

 政府や党の指導部は、これまで治験や一般施術が順調という報告ばかり受け取っていたので、混乱に対処するのが遅れて大いに非難された。その怒りが、出向いて研究・施術の指揮を執っている三人の主任研究員たちに向けられた。

 日本人研究員は帰国すれば良いけれど、連絡役として間に立つアズ・プーテー、イスル・バヤン、ギーマ・ハンツ、ポト・ヨーラは大変だったようだ。サボタージュではないのかと疑われ、実際に警察で取り調べを受けたし、自宅には処刑だとか、家財没収だとか、一族皆殺しだとかいった脅迫状が次々届く有様だった。

 「染色体をいじった時の薬品が洩れたんじゃないの?」

 最初、山田の担当領域の問題だと思っていた他の二人も慌てだした。

 その薬品の量はあまりに微量でいかに精密に量っても掴めるような変化とは思えない。その為に佐藤のグループが超精密な測定機器を開発しているのだ。山田は、そんな分量の成分なら自然界の空中に飛散していそうに思ったのだが、もちろんそんなありふれた成分のものではないし、測定の誤差も予想以上に小さい。治験者に施す技術は鈴木のグループが扱っている特殊な時計でタイミングを計っているので、それの狂いの可能性も無いわけではないのだが、何度計り直しても間違っていないようだ。要するに日本の体格研究所グループの失策とは思えない。それは中国側の研究員たちも同意してくれた。

 一方、小人になる人の出現と同時進行で、各地の市場での食料品買い入れ量が減ってきたという。小人になって食べなくなった人が増えてきたのだ。貧栄養にも耐えられるようになっているので、消費量が減ったこともある。売り上げが落ちて、政府は流通に関わる業者全体を救済する経済政策を打ち出さなければならなくなった。食品だけでなく衣料品も身長がどんどん小さくなると、寸法が合わなくなる。幼い子どもが成長する時にどんどん合わなくなっていくのと同じような事態だ。食べる量が減ると、調理器具や食器も大きすぎて使いにくい。それでもどの人も全員が同じペースで小さくなってくれればよいのだが、小さくならない人もいるのがひどく面倒だ。そういう者が悪いことをすると始末に負えない。

 北京や上海、南京、重慶、蘭州など他の大都市でも、変化が目立ち始めた。身長のデコボコだ。

 これらの地域の共通点は一体何か。二十一世紀初期のパンデミックでも次はどこで患者が現れるかに戦々恐々としたものだ。一刻も早く共通点をあぶり出して対策を打たねばならない。

 やがて中国科学院の担当者が突き止めたのは、三人の日本人主任研究員が出張した場所ばかりだということだった。

 「僕らが原因だって?」

 「なぜだ」

 三人の体についての調査が行われた。

 三人が特殊な薬品を持ち歩いたという事実はなかった。持っていった地域もあるが、持っていかなかったところもあるのだ。

 そして中国科学院が下した結論は、この三人の体質が何らかの影響を及ぼしたものと思われるということだった。

 「体質?」

 「体質について僕は特に何か言われたことはないぞ」

 「僕はアトピーだけどなァ」

 「僕は多汗症と言われたことはありますけど、漢方薬で治りましたよ」

 体質というものは、アトピーや多汗症もあるが、数え切れないほどのバリエーションがある。風邪をひきやすい、吹き出物が出やすい、骨折しやすい、癌になる家系だ、酒に弱い……。

 これらは何によって起きているものなのか。山田たちは、自分たちの本来の研究から離れて、人の体質についての研究をしなければならないらしい。

 これらはもちろん既に世界中で研究が進められている事柄なのだが、実はまだ全体としては解決策を見付けられずにいる。

 なぜそういう体質になったのか。

 山田は自分の体質がどうして身長低下を混乱させたのかを突き止めなければならなくなった。他の二人もきっとそうだろう。

 三人が研究に従事している現在、日本は八十二センチ、ドイツ八十九センチ、米国九十一センチ。ノウハウを持たない国々はこれらの国と購入に関する交渉を始めている。

 ところが、国連では、中国のように懸命に小型化に取り組む国がある一方で、全く何の手も打たず、それでいて科される制裁金を準備するでもない様子の国があるのにいらだっていた。そういう国々は食糧貿易の網から締め出してはどうか。それで飢え死にする国民が出るなら自業自得だという過激な意見も出ている。しかし、人道的にそれを見過ごすのも困難である。

 三人が帰国したのは、その貿易網締め出しが議論されようかという頃だった。

 新しく国家主席になった堂紹海の溢れかえる肖像画に見送られて日本の研究所に帰ってきてからも、山田には何一つアイデアが浮かばない。昔の医学者が人を粘着質とか循環性気質とかに分類したという話を思い出したが、そんなことは何の参考にもならない。

 三人はまず、なぜ自分たちが急速な小人化を起こしたのかを解明しなければならなかった。計画的に事を進めたいのに、予想外の進行状況が発生しては困る。

 自分の体質の特徴って何だ? 何度も考える。山田はそのうちに一つ気が付いた。霜焼けになりやすいということが言えるかも知れない。兄弟の中で自分が一番ひどかった。ひび割れを起こして冬にはいつも手足の指が血まみれになっていた。あれが体質か。気が付いていないが、恐らく他にも特徴的な体質があるのだろう。もしそうだとして、それが身長の変化に混乱を引き起こすものだろうか。分からない。しかし、どうも我々三人が出向いたから、混乱が起きたのは間違いないという。だから自分自身に何か原因があるのだ。あるいは三人の体質が絡み合うために起きた現象が原因なのだ。実験室への出入りには必ず空気シャワーを浴びて変なものの入り込みを防いでいる。出張時にはそんなことをしていなかった。向こう側の研究者に書類を見せて、口頭説明を足し、治験者を見舞って、……この時に空気シャワーを浴びる。そうして状況を実際に視認し、幾つか質問して、研究者同士で議論する。それが出張の中味だ。しかし、一体どこに混乱を起こす要因がある? 我々三人にあるような体質は、きっと向こうの研究者にもあるはずだ。それが何も起こさずに来て、我々が行った時だけことを起こした。どういうことだ。

 体格研究所は政治上特別な扱いを受けてきている。所長は、ほとんど事務次官級だし、機材や薬品類の購入希望を出せば、どんな特殊なものでも必ず一週間以内に届けられた。補助研究員の仕事ぶりにも厳しい目が向けられていて、仕事の遅い研究員は主任研究員が指摘する前に転勤させられていた。事務局の職員がたびたび補助研究員や主任研究員の部屋を訪れて、進捗状況を確かめていたのだ。研究統括の副所長はいつも研究雑誌に掲載された論文を読んでおり、これといった人物が招聘されるのはたびたびのことだった。山田たち主任研究員にしても一応二十年ほどずつ任されてきた歴史はあるが、いつ解任を申し渡されるか分からない。

 体格研究所の失敗は大問題なので、中国に出張していた八十人ほどの全員が国立健康研究所の付属病院に入院させられ、徹底的な体質の究明がなされることになった。問題を解決させて短身Pを迅速に進めなければならない。

 この調査は困難で、時間がかかった。

山田の体質はなかなか究明されなかったが、一週間で早くも退院が決まった補助研究員がいた。退院の挨拶に来てくれたので尋ねると、ひどく臭い汗が頻繁に滲み出るという体質に関する教えが親戚一同に伝わっていて、それを思い出して話したら体質改善の急所を突いたらしい。

 「言い伝えも馬鹿にならないんだね」

 「僕も無視してきたんですけどね」

 山田が憂鬱そうにしていることに妻の文代が気付いた。

 「体質改善、上手く行ってないの?」

 今まで入院事情について大雑把にしか話したことがなかったし、文代もそれを特に尋ねようともしなかったのだが、行き詰まっているのに気付いたからには平気でいられないようだ。ネット通話の向こうで心配そうな顔が映っている。

 だからと言って彼女に何かが出来るわけではない。大丈夫なのと問われ、大丈夫だ心配しなくて良いと答えるばかりだ。

 「こんな所に押し込められてたら、誰でも憂鬱になるよ」

 そういうことを一週間ほど繰り返した頃、

 「ねぇ、あなた、知ってた? 体格研究所の初代主任研究員はあなたの御先祖よ」

と言った。

 「何? 誰だ」

 「山田幸太」

 「へぇ、そんな人がいたのか。よく分かったな」

 「ルミさん。あの人が気付いたのよ」

鈴木さんの奥さんだ。

 「研究棟のロビーに歴代の主任研究員の写真が掛かってるんだって」

 「あぁ、そうだね。僕の研究棟にも掛かってる」

 「鈴木さん、それを旦那さんから聞いたから見に行ったんですって」

 「ほう」

 「すると、初代の人の顔が、旦那さんの顔と凄くよく似てたんだって」

 「でも鈴木さんなんて、たくさんいるじゃないか」

 「それでもその似た人のことを調べてみたら、御先祖と分かったのよ」

 「ふーん。えっ、今、僕の先祖の話をしてたんじゃないのか」

 「そうよ。鈴木さんも御先祖がここの主任研究員だったのよ」

 「えー、本当かよ。もしかして、佐藤さんもそうだったりして」

 「そうなの。私、ビックリした」

 「えー、佐藤さんの御先祖も主任研究員だったのか」

 「そうなの。三人が三人とも今、御先祖と同じ地位にいるの」

 「まさか」

 文代が掃除をしながらしゃべっているのが、ネット通話で分かる。リビングの棚に置いてあった桐箱の位置を移しているのを見た時に、ふとそれが役に立つのではないかと思った。

 今の話を聞いて、桐箱の中味が気になった。もしかすると山田家の家系に伝わる体質の話が書いてあるかも知れない。早く読みたいと思った。文代は、山田の子孫は長男だけ挙げても幸太の後、スーパーマーケット経営者・公認会計士・生物学者・カメラマン・薬局経営者・歯科医師・経営コンサルタント・清掃会社社長と変わってきていると話し続けている。そしてこの時期に化学者たる功一が現れたのだという。

「よくそんなことが分かったな」

 「そうなの。空いた時間にネットを探りまくったわ」

 「それだけで分かるのか?」

 「念のために戸籍を調べてみたの。昔は死後二十年で廃棄してたらしいけど、それが五十年、百年と保存出来る期間が延びてきていて、山田幸太さんに届いたのよ」

「へえェ」

 彼女に、何とか桐箱の中味を読みたいと告げた。

 「今、僕の体質が問題になってるのは知ってるだろ」

「もちろん」

 先祖の回顧録なら、特徴的な体質の話も出てくるのではと期待したのだと話すと、読めないのではどうしようもないねと言った。そう言った直後、「そうだ」と叫んで、彼女が突然ネットを切った。

 しばらくして山田の方から自宅にネット通話をつないだ。

 「どうしたんだ」

 妻は、薄緑のノートを見せた。彼女の物覚えの記録用だ。

 「私ね、パーティーで聞いた話を書き留めてるの。ねぇ、後で役に立つかも知れないでしょ」

 そんなことをしているのに驚いたが、昔の保存メディアを読む方法が有るかも知れないと言った人を探って、電話したのだという。確かにそんなことを言った人がいたことは覚えていた。

「ねぇ、何とかなるかも知れないわよ」

 「何か良い方法がありそうか」

 「古代学研究所なら読めるんじゃないかと教えてもらえたわ」

 あぁ、名案かもと思った。

 「ねぇ、古代学研究所のことを調べるわ。今日はもう話さなくて良いでしょ」

と言って、また通話を切られた。

 古代学研究所というのは奈良県で昔の仏像や古文書の修復をしたり、保存の為の加工をしたりしている国立研究所だ。問い合わせると、郵送すれば新しいメディアに入れ直して返せる、と料金を説明された。郵送サービスの説明もされる。

 中味が何か分からないので、人に読まれたくないんですと言ったら、窓口まで来てくれれば、目の前で作業をしますと言われたそうだ。

 翌々日、行ってきたと文代が嬉しそうに言った。

 久しぶりに梅田、難波といった関西で屈指の繁華街を通ったのが楽しかったようだ。そういえば、体格研究所の官舎に引っ越してきてからどこにも出かけていなかった。護衛の人が付くので、遠慮していたのだ。

 古代学研究所はちょうど大仕事を終えたところで、翌日からまた次の分が来るところだったという。

 「良いタイミングだったんだね」

 「ねぇ。でも、昔のメディアを読める機械を探すのに時間がかかったわ」

 千年、二千年前のものは紙や竹、木の板に文字が書かれていた。消えかけのそれを読むのが大変だった。電気的に記録されるようになると、記録させ、そして記録されたものを読み取る専用機も同時に保存しておかないと読めなくなる。それでそういう機械が巨大な倉庫にたくさん保存されているそうだ。

 「紙テープに穴を開けたのとか、プラスチックの長いテープとか」

と見てきた機械の説明を始めた。コンピュータの開発初期の機械だろう。研究室一つか二つが丸々潰れるぐらいの大きさのはずだ。高熱を発するので、操作中は空調で冷却を続けないといけなかったらしい。そういう機械を見せる博物館にもなっているようだ。

 「それからプラスチックのシートになったんだろ」

 「知ってるの?」

 「知ってる。八インチ、五インチ、3・5インチと小さくなって」

 「面白かったわ。機材の進歩が激しいので、研究所で保管しているメディアのデータを四年に一回新しい機械に合うように保存し直してるんだって」

 「四年に一回か」

 「オリンピックみたいですねって言ったら、本当にオリンピックの年に研究所総出でデータを移してるんだってよ。ねぇ、だからオリンピックを楽しめたことは無いそうよ」

 「テレビで見るぐらいなら出来るだろ」

 「ねぇ、それが物凄い量で、間違いなく中味を移せてるということを確認するために見直すので、研究員総出で時間に追われて無理だって」

 「何もオリンピックの年にやらなくても」

 「予算の出るのが、どういうわけかそういう年回りになっちゃったんだそうよ。ねぇ、変えてもらうには国会の承認が必要だとか」

 政治に振り回されるのは国立研究所の宿命かと思いながら、聞いた。今まで勤務してきた研究所でも所長や事務長が予算、予算と口にしていた。ともかく、これで内容を知ることが出来そうだ。

 「早く読みたいな」

 「ねぇ、読んでみたわ」

 「もう読んだの?」

 「そうよ。ねぇ、暇だったから」

 文代がそう言って笑った。内容は初代主任研究員だった山田幸太の日記帳らしいという。がっかりした。日常の出来事を読んでも体質のことは何も分からないだろう。

 「どんなことを書いてあったんだ?」

 一応尋ねてみた。

 「色々。ねぇ、日常のことは勿論、何だか難しいことも」

 「難しいことって?」

 「研究のことと思うわ」

 研究のことなら役立つかも知れない。データを送信してくれた。


   弘静八年六月十一日(土)曇り

 早く結婚したいと香奈子に言われた。自分も結婚したい。しかし収入が足らない。主任研究員に昇格すれば、三割ほど昇給して生活費を捻り出せるのだが。彼女にも何度か伝えてあるのだが、待ちきれないようだ。


 つまらない話だ。当人にとっては大事なことなので記したのだろうが、こんなことばかりなら桐箱で保管する意味がない。


弘静八年六月十三日(月)雨

 朝、所長に呼び出された。初めてのことだ。ヒラの研究員がなぜ直接なのだろうと思った。何か失敗しただろうかと気になった。昨日は昇格のことを考えたが、昇格どころかクビか? 暗い気持ちで長い廊下を歩いた。しかし朗報を伝えられた。

 新設の研究所に移って主任研究員をやれという。予想外の話にどう返事してよいか分からなかった。席に並んだ副所長や事務局長の方を窺ってしまった。

 京都から西に五十キロほどの町にあるそうだ。親たちのことが少し心配だが、何とかなるだろうか。

 課題について妙なことを言われた。今の研究を逆に利用するのだという。小人症の治療を逆に利用という意味が分からないので黙っていると、向こう三百年の間に人類の体格を小さくする研究だと言われた。国連が絡んでいるそうだ。


 幸太は小人症というものの研究をしていたのかと思った。今の研究が小人症の病理構造を利用しているのは知っているが、その人が初代主任研究員で始めたこととは知らなかった。功一は化学者なので、小人症そのものがどんなものかはよく知らない。調べてみると、その病気は功一や文代が生きている今はあまり問題にされていないものだった。

 小人症というのは、病的な原因によって身長が伸びないという症状で、同性同年齢の者の平均身長における標準偏差の三倍以上低いものを指した。一つの集団における成人男子の平均身長が一七〇センチあったとすると、どの人の身長も大抵一五〇~一九〇センチに収まっているものだが、僅かにはみ出している人がいる。この枠からのはみ出し方がひどいと小人症、或いは巨人症と呼ばれることになる。幸太が相手してきた人々は一一〇センチを下回っていたようだ。彼の研究は、当然のように一般的な身長まで伸ばすためのものだ。それを逆方向にしなければならなくなったのだ。伸ばすためには、今なぜ小さいのかを探っているのが研究の現状らしい。

 幸太のいた当時、小人症として治療可能なものとして、下垂体性、甲状腺性のもの、精神社会的なもの、栄養・代謝障害によるものなどがあったようだ。度忘れを防ぐつもりか、説明を書き込んであった。

 下垂体性小人症は、視床下部や脳下垂体の器質的障害によって成長ホルモンの分泌が低下または欠如した場合に発生する。外観上は頭、胴、手足などの均整がとれている小人症である。成長ホルモンの分泌低下の程度は、諸種の分泌刺激試験を行って判定する。さらに手根骨のX線写真によって骨年齢が遅延しているかどうかを調べる。治療としては、視床下部ないし脳下垂体付近の腫瘍による場合は、手術あるいはX線療法を行う。腫瘍以外の原因による特発性のものは下垂体性小人症の九割近くを占めているが、この場合の治療はヒト成長ホルモンの投与と、これに引き続いて性ホルモンの投与を行う。早期から治療を行えば、成人になって正常身長になることも可能である。

 甲状腺性小人症は、甲状腺ホルモンの分泌低下によって発生する。皮膚が乾燥し、顔がむくんだように見える。全体的に活動的ではない。治療は甲状腺ホルモンを投与するのだが、着手が遅れると知能低下を残す。当時、新生児の血液中の甲状腺ホルモンを測定して早期発見することが実施されているので、先天性の甲状腺機能低下症は将来減少が期待される、とある。

 精神社会的小人症は、別名愛情遮断性小人症ともいう。保護者、特に母親との精神的関係が著しく悪く、この状態がある期間続くと成長が障害されて小人症となる。治療は、精神的改善を図る方法をとって成長促進させる。

 栄養障害、あるいは糖尿病、糖原病、尿崩症、バーター症候群などによる代謝障害が原因の小人症の場合は、それぞれの病気を治療することによって成長が促進される。また、アレルギー疾患などで副腎皮質ホルモンを投与する際には投与量に注意することが大切である。

 これら以外のものはまだ治療法が見付かっていない。それを当時探っていたのだ。治療可能な小人症の症状を利用すれば身長の伸びを抑制出来る。それで良いか、まだ分からないでいるものの症状を利用する方が良いのかを考えなければならないらしい。


弘静八年六月十五日(水)雨

 早めに引き揚げて、香奈子とデート。いつものレストラン。

 昇格することは辞令を受け散った日に伝えてあるが、改めて伝えた。香奈子は大喜びだ。結婚式の日取りを占っておいてもらうことにする。

 彼女の父親権一郎は商人だ。海産物の卸売りで随分稼いでいるらしい。その御陰か母親芙美は働きに出ず専業主婦をしている。父親は信心深く占いに凝っている。婚約の日取りも占いで決めた。結婚式も当然占いで決めたがるだろう。成功した人物によくあるパターンだ。

 自分の父親文次はビルの清掃作業員だ。飢え死にの可能性に怯えることはなかったが、友達の家庭の暮らしぶりと比べて随分貧しかったと思う。生活に満足出来ない人はえてして世の中を恨み、宗教を軽んじ、占いを馬鹿にするが、父親は全くその典型だ。だから婚約の日取りを占いで決めることになったというと、大声で笑うだろうと思った。実際、そうだった。愚かだと言った。自分も占いはこの世に存在しなくて良い愚行と思う。

 母親絹枝はスーパーの販売員。大昔のように商品を並べたり、レジを打ったりするわけではないが、やはり気疲れするのだろう、帰るとすぐに横になりたがる。だから、洗濯は一日おき、掃除は一週間に一回やればよい方。どちらも器械がやるのだが、うちのは機種が古いし時々故障するからそういうことになる。それが当たり前の暮らしだと思ってきたので、友達が来た時に、少し臭いと言われた理由がしばらく分からなかった。最近は香奈子が毎日やって来て片付けてくれるので、見違えるような部屋になっていると思う。母はあまり自分の考えを口にしない。言うと、しばしば生意気だと言って父が殴るからだ。だから婚約の日取りが占いで決められた時も黙っていた。結婚式の日取りについても何も言わないはずだ。

 香奈子に、自分の研究内容について、初めて話した。

 国連の決議があったことはニュースで見たが、あなたと関わるなんて思わなかったと言った。自分は、国連の決議があったことも知らなかった。

香奈子は国連の決議について教えてくれた。

 世界的な人口増大による食糧危機が解決困難だ。国連では限られた食糧を如何に分配するか考えた末に、人類の人口を何とか減らす必要があると思ったのだが、なかなか合意出来ない。それで、何と人類の身長を半分にするということにしたという。体格が小さくなれば、消費する食糧が減るということらしい。そうだろうか。自分には不可能、ないしは無駄なことのように思える。

 しかし、それなら確かに自分の研究に関わるし、逆方向ということも分かる。


弘静八年六月十八日(土)晴れ

 体格研究所の所長室で着任辞令をもらう。隣の部屋で副所長から同僚を二人紹介された。鈴木文司という度のきつい眼鏡をかけた細面の男が一人。もう一人、佐藤雅史という色白でふっくらした顔の男。どちらも年齢と背丈が自分によく似ていた。三人とも主任研究員で、当面部下として十人ずつの研究員が付くという。

 課題は体格縮小プロジェクト、略して「短身化プロジェクト」と呼ばれるそうだ。

 大問題に立ち向かうにはささやかな体制に見えるが、特殊な研究は大勢で取り組んでも意味がないのかも知れない。

 互いに挨拶を終えると、すぐに各自の研究室に案内された。研究所になる前は政府高官の保養所だったそうで、管理棟からは美しい廊下が延びていた。到着して車を降りた時、研究所というよりホテルのようだと思った直感は正しかったわけだ。研究の中枢になるはずの第一実験室に入ると、基本的な研究機材が置かれていた。前の研究所からおそらくトラック五台分ぐらい移ってくるが、それらが全部楽に収まりそうな広さだ。隣に会議室があり、さらに主任研究員用の個室があった。前の研究所の主任研究員の部屋よりも広くて豪華だ。転属させられてどうなるかと思ったが、好待遇で満足だ。部下の研究員がそれぞれで使用する研究・実験室が向こう側に連なっており、棟の一階分全体がいわば自分の支配領域になる。

 鈴木文司はテロメア操作の研究、佐藤雅史は貧栄養の研究が専門だそうだ。自分と三人で体格縮小研究の中心になるのだという。

 仕事場の確認を済ませると、今度は住宅に案内された。鈴木も佐藤も独身だそうだが、みんな近々結婚し、子どもも出来るだろうと思われたのだろう、広い庭付きの一戸建てだった。どの部屋もゆったりしているし、一階にも二階にもトイレと浴室があるのに感心した。東京からは遠く離れるが、香奈子が喜びそうだ。


 当時、治療不可能または困難な小人症としては、染色体異常によるターナー症候群、骨形成不全による軟骨異栄養症、二次性徴が早く始まる思春期早発症、原因不明の家族性小人症などが挙げられた。その他のものは、まだ治療法が無いのが実態であった。

 幸太は大学医学部でターナー症候群の治療法確立を目指す研究グループの一員だったようだ。もちろん、染色体の操作に関わる方法である。遺伝子の研究が飛躍的に進歩しているので、その御陰でかなり見通しが明るいと書いてある。遺伝子操作に必要な溶媒開発の担当だったらしい。

 鈴木氏のテロメア操作もよく似た点が多いだろうが、所長が研究協力の話をしなかったのは、二人に競わせるつもりではないかと幸太は思ったようだ。功一もそう思うし、恐らく鈴木という人もそう思ったはずだ。


弘静八年十一月五日(土)晴れ

 鈴木が女性と暮らし始めた。髪の長い、なかなかの美人だ。食堂で佐藤が女房だろうと言った。羨ましそうだ。鈴木は食堂に来なかった。すぐ近くだから自宅に帰って妻との食事を楽しんでいるのだろう。佐藤はまだ相手がいないそうだ。

 佐藤の研究内容は、いかに少ない栄養で生き抜くかということで、実験のために自分自身でもそういう食生活を試みたりするらしい。女性たちには気味悪くて相手されないのではないか。大量の野菜は付けるが焼き肉一切れの夕食といったパターンになったりするらしい。それではやりきれないだろう。まるで政治犯収容所の食事だ。女性とのデートの時は普通に食べようと思うらしいが、実験を続けていると食べられなくなるとか。食堂の美味しい料理も残したのを見ると、本人が説明した通りなのだろう。


弘静八年十二月九日(金)曇

 香奈子との結婚式。研究所からは所長の岸田正格氏や副所長、鈴木、佐藤、事務長、研究室の研究員、技官、秘書たちを呼んだ。前の研究所の分はパス。大学の同期五人、須田、谷川、岸本、堀井、榊。科学院総裁や国会の科学研究推進部会に属する議員たちも来た。義父が呼べと言うから呼んだが、本当に来るとは思わなかった。香奈子の両親はそれを見渡して満足そうな笑顔で堂々としていたが、自分の両親は居心地悪そうにしているのが可哀想だった。

 佐藤は僅かしか料理を口にしなかった。初めて一緒に食べた時よりもずっと少なく、まるで小鳥が餌をつついたようなと形容するのは大袈裟だが、それでも他の列席者のものと見比べると何だか一口も食べてないような皿に見えた。それで足りるの? と尋ねると、うん、何とか食べたんだけど、と言った。食べた量の少なさではなく、残した量の多さを弁明したようだ。言葉少なく、座っている様子が何だか土産物の木彫り彫刻のようだと思った。


結婚式を済ませるとすぐに香奈子さんは同居したようだ。当時では珍しい専業主婦だ。この場所は元々リゾートだったので市場が遠く、食材の買い出しに行くだけでも半日潰れる。そんな場所だから、仕方ないとも言えるが、幸太の収入に余裕があるからというのが一番の理由だろう。結婚式の日取りを占いで決めたらしいが、良い日だったのかも知れない。幸太は毛嫌いしているようだが、功一はそれほど否定的ではない。気晴らしぐらいなら良いと思っている。実際、時々簡単な占いをする。ソリティアという名前のトランプゲームだが、手持ちの札が全て無くなれば願いは成就、残ればダメというつもりでやっている。

 鈴木氏の方は半年ほど経ってから結婚式をして幸太たちを招いたが、列席者は極めて少なかったようだ。奥さんはどこまで働きに行くのか不在のことが多いようだ。それでも香奈子さんは親しくなったようだ。

 佐藤氏が結婚出来たのは、所長が人脈をフルに生かして探し回ったかららしい。結婚して子孫の将来というものを意識しながら研究させたいということだったらしい。相手は彼以上に無口な女性だったようだ。食糧増産の研究をしている生物学者で、結婚に対する憧れはなかったそうだが、両親や向こうの研究所長がうるさいので渋々同意したということだった。それでもこちらの研究所での佐藤氏の課題が予想外に彼女の気に入ったそうで、彼の研究スタッフに加わることで同居することになったという。ともかくこうして三人ともが所帯持ちになった。

 しかし自分の子どもはともかく、三百年先には子孫の体格が半分の寸法になっているということが、皆の心を曇らせていたことは否定出来ないようだ。それがこれまでの新婚夫婦の生活との一番大きな違いだっただろう。


弘静十八年七月十九日(木)曇

出張しようとしたら、研究所から県道に出ていくまでに三つもゲートが出来ていて驚いた。

 夕食の時に香奈子に話すと、かなり前からそうなっているという。過激派の襲撃に備えているそうだ。イギリスで主任研究員が刺殺されたのだという。アルジェリアでは研究所全体に襲撃があって、駆け付けた警察との銃撃戦になって数十人が死亡したので、我が国でもこれを作ったらしい。半寸Pは喜ばれてないのだろうか。


 キリスト教原理主義のことだろう。知らずに研究を続けていたようだ。自分もほとんどニュースを見ないので、妻が頼りだ。


弘静十八年七月二十二日(日)曇

 休日だが所長から招集が掛かった。初めてのことで、何事かと思いながら出勤した。所長室に入ると、副所長も事務長もいて、緊張した様子だった。鈴木も佐藤もいたが、彼らは二人ともきょとんとしている。休日なのに呼び出しとは何事だろうとまた思った。自分も腰を下ろすと、所長が叫ぶように言った。

「中国に先を越された」

 ウイグル族を対象にして平均身長一四〇センチまで下げるのに成功したというのだ。一四〇! 我々も叫んでしまった。

 「一三〇〇キロカロリーを達成した」

 今度は佐藤が唸った。佐藤にとっては驚異的な数字らしいが、自分は驚かない。国際食糧計画が人類は食糧不足で生き延びられなくなると警告を発して、体格の縮小を議論するようになったのだが、中国はその前から研究していた可能性が高いからだ。あの国は周辺諸国との国境紛争が陸でも海でも多発している。とにかく食糧を増やすために必死なのが見て取れたのだ。しかし相手国も黙って渡すわけがないので手間がかかって大変だろう。確保出来る量が乏しければ、少なくて済ませる方法が求められるのは当然だ。

 しかし、どうやって一四〇センチまで縮小したのだろう。方法は明かされていない。何と言っても成功すれば金になる研究だ。

 「次はどこの国かな」鈴木だ。

所長「次の国が成功するまでに、我々も一四〇を達成しないといけない」。

 二番手になるのまでは仕方ないということか。ともかく、研究を急げというのが招集された理由だった。三番になっても金になる可能性は残るようだ。人種によって体質の違いがあるからだ。中国の方法が効果を上げない場合でも、他の方法で成功することがあるはずなのだ。ただ五番、六番といった順位では相手にされなくなる可能性が高い。オリンピックの表彰は六位か八位以内が対象らしいが、メダルをもらえる三位以内でないと国民に注目されない。体格縮小の研究も同じようだ。

 「急げと言われてもねぇ」研究棟に戻る廊下を歩きながら鈴木が言った。

 鈴木の研究はヒトの染色体にあるテロメアをいじって、細胞分裂を抑制して成長を止めようというものだと聞いた。テロメアが元気なうちはどんどん細胞分裂が進み体格が大きくなる。老化が進むとテロメアが不活発になって細胞の更新も遅くなり、死に至る。死なないようにしながら、細胞分裂を抑え込むのが彼の課題だ。

 「やっと三パーセントだ」と言った。身長を三パーセント縮めることが出来るようになったという。同じだと言ってやると、ホッとしたような顔をした。ウイグル人の数値は十五パーセントほどだから比べ物にならない。驚異的とはこういうことだ。

 栄養は八パーセントまで圧縮できてる、と佐藤が言った。思わず、それは素晴らしいと言葉が出ていた。鈴木も頷いた。テロメアの操作も小人症の適用も、大事なのは食べる量を減らすことなのだから。勿論、体格が小さくなれば八パーセントどころかもっと大幅に削減出来るだろう。


 この日の記載で「体質」という言葉が出てきたが、それをどうこうするとは書いてないようだ。鈴木氏に二人目の子供が生まれた頃、チベットで一二〇センチ達成とアナウンスされた。二十七パーセント削減だ。米国やドイツ、英国、デンマーク、ブラジルも驚いているようだ。しかし中国が取り組むべきは、最も人口の多い漢民族の縮小である。ここで成功しなければ何の意味もないのだ。もう着手していたのだろうか。

 香奈子さんがようやく妊娠した時は、権一郎さんや芙美さんがやって来て、腹帯を巻く日を占ったと言ったようだ。その日には文次さんや絹枝さんもやって来る。御祝いの会場は自宅で十分だが、料理人に来てもらわないといけないと思ったと書いてある。こんな雑用もこなしながら研究していたらしい。


弘静十八年九月二十八日(水)曇

 事務局の人がやってきて、護衛が付くと言われた。政府の高官みたいだ。研究室からトイレに行くのにもついてくるので、参った。家に帰ると、妻にもついているという。明日の出勤時刻を打ち合わせると帰った。

 香奈子は平気らしい。

 「初めてドライブした時、あなた、自分で運転したからビックリした」

と言うので、最初意味が分からなかった。彼女の家では専属運転手がいて、彼らが運転するのに慣れていたそうだ。家族でない人がぴったり貼り付いてくるのが当然の暮らしだったのだ。実家の暮らしに戻ったような気分らしく、落ち着いている。これも過激派対策らしいが、それほど逼迫しているのだろうか。


 幸太の研究が一歩進んだ時のことも書いてあった。ラロン型低身長症は染色体の五番目に異変があることで生じたのだが、十六番目に異変を生じさせることで成長を止められそうだ。ただ、その異変の内容が問題で、癌になってしまうと成人しないで死亡してしまう。異変の位置が僅かにずれると全身の皮膚の色が青黒くなったり、手の動きに麻痺が生じたりする。染色体の面積は極めて小さいのだが、それを千五百ほどに分割して地図を作らなければならないことが見えてきたところだと書いてある。その千五百分の一の場所から外れると、何が起きるか分からない。それでもこれまで暗中模索だったことと比べると、方向が分かっただけでも現時点では大進歩だと喜んでいる。

 これで、功一の着任した最近までも染色体の地図作りをしていたのかと納得出来た。千五百という数字は大したことないが、場所が極めて狭いので手間が掛かるのだ。

 佐藤氏は必須アミノ酸を補助するリジン、メチオニン、トリプトファンを削減して成長を阻害する方法をとっていたが、その種類と分量を確定するのが難しいようだ。しかし彼も意気軒昂だそうだ。分量を厳密に測定する必要があって、部下の研究員のほとんどを測定・分配機器の開発・製作に宛てているとか。それが今、功一の研究にも役立っているあの機械だと頭に浮かぶ。

 幸太の研究と佐藤氏の研究と、どちらを基盤にして短身化施術をするかの問題もあったようだ。双方とも自分の技術に相手のを追加搭載するつもりだったようだ。当時の所長は悩んだことだろうが、結局幸太の方に載せることになったらしい。そこの微妙ないきさつは書かれてなかった。

 問題は鈴木氏で、切る場所が僅かにずれると体格の縮小どころか拡大になってしまうという。

 「大食いを作っちゃったら、所長に何と言われるか」

と言ったと生の表現を書き記してある。前は三パーセントだと言ってたな、と言うと、そう、もう少しタイミングを早くすれば数字が大きくなると思ったんだけど、反発するらしいという返事だったようだ。

 時計の開発がいるのかと、佐藤氏が尋ねている。それで、あの時計が出来たのか、とまた現在の研究のことを思った。

 事務局前などで顔を合わせることがあるだけだが、会えば互いに励まし合って別れるという親しい関係だったようだ。幸太は昼食を食堂で摂らなくなったので、彼らと会う回数が減ったとか。自宅がすぐそばだから当然だろう。食堂は奥さんが働きに出ていて自宅で食べられない人のためにあるようなものらしい。


 山田功一たちについて、ようやく体質というものの構造を解明した時は、既に三年過ぎていた。国連が定めたタイムリミットまで十九年しかなかった。十九年の間に中国での治験を成功させ、他の国々へも技術移転をして縮めてやらないといけないのだ。尻に火がつくという言葉があるが、まさにその状態だ。ともかく中国で起きた問題は他の国でも必ず起きるわけなので、放置したままで進むわけにはいかなかった。

 こうして功一に見出された問題は、彼に小人症に対して反発するという生命現象があったことだ。小人症に罹らないようにするために遺伝子の中にそれを鋭敏に察知するという機能が生まれていた。もしくは備わっていた。彼は実は元々は小人症の研究はしていなかった。遺伝子治療のための作業を速くするための研究が中心だったのだ。それが、体格研究所の目にとまって、小人症の遺伝子状況を人工的に発生させようという仕事に取り組むことになったのだ。先祖と同じ立場に立ったが、研究者としての出発点は違っている。

彼も遺伝子を見慣れていたのだが、千五百区画の地図を作るうちに、見落としていたことがあるのに気が付いた。遺伝子はDNAをつくるヌクレオチド塩基のアデニン、グアニン、シトシン、チミンがつながって形成されているということは有名で、高校生の使う生物の教科書にも紹介されているのだが、つながる時の角度に個人差があるのだった。この四種の略号A、G、C、Tの配列、即ち順番ばかりを気にしていたのだが、実は配列だけでなくこれら四種のヌクレオチド塩基が結合する際の角度も人それぞれ異なっていた。あまりに僅かな角度の違いなので見落としてきていたのだが、これで小人症になる人とならない人の違いが生じるのだった。

 そして小人症にならない角度をずらすための薬品asl49は、人によって逆方向にずらす効果を持っていた。この薬品の成分は普通の食品にも含まれていたのだが、効果を発揮するには、別の成分ctrm625との結合が必要だった。そのctrm625は鈴木がテロメアの寿命を操作するのに使った薬品に含まれていたので、同時に使うと身長を縮めたわけだ。

 主任研究員や補助研究員の体質を改善しないといけない。体格研究所の秘書や事務職員たち、応援に来た安心生活省の役人たちが全員の生活状況を観察し続けた。自宅まで来て食事内容や使用する衣類、部屋の内装のカーテン等まで調べられた。起床・就寝時刻。部屋の温度・湿度とそれに対する当人たちの反応。そんなものまで調べられた。妻や子どものプライバシーまで無いのに腹が立ったが、身長縮小技術の売り込みは国家予算数年分ほどの稼ぎになるので、我慢を求められた。非常に腹立たしい三ヶ月間だった。

 結局、山田は他に霜焼けになりやすいということ、鈴木はたびたび下痢を起こすこと、佐藤はカフェインに弱くコーヒーを二杯飲むと十六時間経過しないと眠れなくなるといったことだけ分かった。これが三人の特異的な体質ということになった。

 これらの体質の生理機構としての構造が研究された。それはやはり国立研究所である健康研究所が担当していた。人の体質を形づくる条件は細胞同士の隙間、体表を包む皮膚の凹凸、外界刺激に対する感応度、体内各所の柔軟性、体内時計の精密さなどが主要な要因であるが、やはり三人の体質を作るこれらの条件に問題点が見られた。霜焼けは血液の成分と流れ方に問題があるものだ。功一の食生活と消化・吸収機能や肝臓機能を調べた結果、功一の体質は体内時計が正常に働いていないことに原因があるという結論になった。鈴木の下痢は、体全体の細胞同士の密着度に問題がある、つまり目の粗い肉体ということらしい。佐藤のカフェイン問題は、外界に対する反応が過敏であることによるものとされた。

 これらの構造を抱えた三人が同時に出向いた先で、問題を起こした理由だが、まとめると次のようなことと推定された。

 〈各自の体の外界に対する感応のタイミングが適切な瞬間を外れるために、防御の網の目を的確に張れなくなっている。それが原因で体内にあった抗小人症の成分が空中に拡散していた。普通は微量のために何事も起こらないはずだが、体格縮小のための薬剤注射を受けているため反応してしまったのだ。〉

 その先のことは、健康研究所よりもむしろ、山田たち体格研究所の方に解決策究明が求められた。

 染色体におけるヌクレオチド塩基は接続の角度が微妙に個人差を持っているのだった。それが今回問題を起こした。そこで、この角度を修正して体質を変える必要がある。体質性の働きが緩和されれば、問題は小さくなるか無くなると期待される。実際、結合角度の修正を受けることで、三人とも調子が良くなった。補助研究員たちも指摘された体質が変わり、顔の血色が良くなった者が多いようだ。

 角度修正の具体的な方法の詳細はこの体格縮小計画の根幹に関わりそうなので厳重に秘匿されたが、大雑把な表現をすれば、次の四段階で進行した。①化学的刺激で結合力を引き下げる。②電撃で結合部位を刺激する。③化学的刺激で再結合する。④緩めた時に生じたカスを除去する。

 こうして体質の改善された三人は、再び最前線で指揮を執れるようになった。中国の体格縮小で食糧消費が減少すれば、人類全体の食糧確保に極めて大きな余裕をもたらす。

 施術して短身化する人としない人がいる理由が解明できた。民族の混血が進んだ地域で混乱が生じていたのだ。山田たちの技術に米国やドイツのものを重ねれば、どこでも抑え込めることがはっきりした。欧州の周辺地域や中国の漢民族居住地周辺地域では多発したが、日本のようにほとんど全員が大和民族という国では問題は起きない。

 また驚かされることを聞いた。中国が日本の技術の受け入れは止めて、また自力開発に入るという。既に国民の一割に施術が済んでいるのに、である。

 「まさか」

 日本の関係者たちはとても無理と思ったが、一旦排除されていた研究員たちが戻ってくれば何とかなりそうだということらしい。なかなか凄いことだ。

 日本で国民全員に施術するのは大変だった。

 「なぜ二百七十三箇所もの場所から細胞を採取する必要があるのか」

というのが問題にされ、同調する人が多かったのだ。

 一回目の入院では全身麻酔をかけて、血液、リンパ液、骨格、筋肉、神経、脂肪、内臓などの細胞を採取するのだが、こういうものの細胞の種類と性格は互いに大きく異なっているし、血液一つとっても赤血球、白血球、血小板では細胞の種類が異なる。筋肉も腕や足を動かすものもあれば、小腸を動かして食物を少しずつ押し進めていく筋肉もある。そういう場所や機能が少し異なるものを別々に採取しようとするとこれだけの数になったのだ。採取自体は器械で自動的に行われるのだが、やはり裸になってもらわなければならないのは昔と変わらない。ともかくこれでも山田たちはかなり絞り込んだつもりだ。

 そうして、加工された細胞は増殖させられるのだが、増殖に必要な日数がばらばらである。そのために用意できてもしばらく保存して、揃ったところで二回目の入院をしてもらう。ここで出来ている加工済み細胞を体内に戻すと、半寸化する。この時も全身麻酔を要する。国民全員が、二日間を何が何でも犠牲にしなければならなかった。

 二日間の休みに対する国民的反発が大きかった。自由を束縛されることは苦痛だ。

 採取も戻し入れも技術的には十分以内に終了させることは可能だった。しかし短時間で完了させると、死亡する人が出た。特に戻し入れが問題だった。施術前に正常だった血圧が、増殖された細胞と付随する体液が戻されることによって急上昇することが原因だった。これは科学の力をもってしても解決できない。人体の自然状態はなかなか加工し難い。オリンピックで勝つためにドーピングする国が後を絶たないが、ドーピングでは死ぬ人が多い。同じ理由によるものと思われる。採取による体への負担も大きいのだが、血圧低下の方が影響は小さいらしい。

 政府と医師会、医学会との連名で国民を説得するキャンペーンを大々的に行って、何とか不満を抑え込んだ。我が国ほどの医師や学者に対する尊敬心がない国では暴動のような混乱もたびたび起きたようだ。どこの政府も懸命に説得し、反対派を抑え込んだ。必死だった。

 結局、設けられた期限を二年残して、人類は壮大な計画を完了することが出来そうだ。日本はもとよりインドとインドネシアも達成した。日本の技術を導入した国は世界に二百ほどある国々の中で一三八カ国になっている。七十六センチまで下がった国もあるが、それはそれで少し気掛かりである。損害賠償の話は来ていないから良いのだが。体格研究所のスタッフは世界各地に散っている。技術を伝えて、小さくするためだった。食糧の消費量は着実に減少しており、国連の食糧計画担当部局では予想通りの進行に安堵している。人類の身長が低くなるにつれて、もう一つ問題になっていた二酸化炭素の排出量もなぜか低下しているそうだ。

 日本に帰ってきた三人に、所長がねぎらいの言葉をかけたが、その際、なぜ中国が自国で小人化を進めるのを止めたのかを教えてくれた。それは、極めて単純な理由だった。外国の技術導入を推進してきた幹部が失脚したのだ。

 中国の政治は大雑把にまとめると、原理主義派と現実主義派との対立を繰り返してきたということだそうだ。

 諸外国と意見が食い違った時、現在の政治体制を守るためには仕方がないと諦めて、外国の意見を突っぱねるという考え方と、党の綱領にある主義の方を少々見直して融通を利かせるという考え方だ。それがこの問題でも対立を生じていたらしい。

 原理主義派は、外国頼りは危なっかしいから自国で研究を進めていかないとだめだと考えた。それで研究を進めさせてきた。ところが精査してみると研究に金がかかりすぎていることが分かってきた。外国の研究を導入した方がかなり安くすむ。それは始める前から囁かれてはいたのだが、自力の方が誇らしいことであるし、もしも実現したら金になるのは間違いなかった。しかし研究の進展が期待通りでなかったために、ただの金食い虫になってしまった。金食い虫も国家の土台を揺るがす。どう計算し直しても経済的というのならば導入しよう。自国の研究所は解散だ。何を馬鹿な、向こうが売ってくれなくなったらどうするんだ。大丈夫、向こうも商売だから金さえ積めば売るに決まっている。

 そうして研究は始められ、そして打ち切られた。主任研究員や補助研究員たちはろくにニュースも見ないで研究に没頭していたが、彼らの知らないうちに中国では党主席が交代していたのだ。功一は日本では考えられない事態だと思った。前の責任者が始めてしまってからまずいということが分かっても、なかなかストップ出来ないのが日本の政治だ。どちらが賢いのかよく分からないが、目的を達成すると体格研究所は閉鎖されることになっている。主任研究員も補助研究員たちも、全国各地の大学教員などに招聘されそうだ。

 自力開発といっても限界があるので、中国は日本の技術に自国の技術を加えて施術者の体質問題を克服し、一気に目標を達成した。ただしチベット族だけは86センチから縮まらなくなったのでドイツの技術を導入して、何とか全国民の平均身長を八〇センチ未満に抑え込んだ。

 その後中国はヌクレオチド塩基の接続角度について公表したので、ノーベル生理医学賞受賞の栄誉を獲得した。山田のグループの研究者たちは、

 「我々の方が先に掴んでいたのに」

と悔しがったが、外国への技術売り込みを優先する国策のために秘匿されていたので仕方ない。名誉と稼ぎはなかなか両立しない。中国が独自に開発した技術は結局、マレーシアとシンガポールにしか売ることが出来なかった。研究を停止させて、結局後れを取らせてしまったとして原理主義派は批判されるだろう。

 支えてくれた補助研究員たちの行く末を見届けたら、山田は少し休みたいと思っているのだが、気掛かりが一つある。誰にも言っていないのだが、今回のプロジェクトは、人類の進化の道筋をねじ曲げるものであったことは間違いない。マンモスや恐竜が体格を大きくし始めた原因が何かまだ全く解明されていないことを考えると、それは何か一種ものの弾みで起きた現象のように思われる。ということは人類の体格についても予期しない方向に物事が進んでしまう可能性を否定出来ないのではないか。

 具体的に言えば、今回人の身長を小さくしたわけだが、再び大きくなり始める可能性を否定出来ないし、さらに現在必要と思われる体格よりもさらに小さくなってしまうこともあり得るということだ。そうなると一般に使えている機材が使えなくなる。短身化の初期の社会的混乱の再現だ。

 染色体のヌクレオチド結合の角度にズレが存在することを見付けたのは良かったが、他の場所でも同様のことはあり得ると思う。それがどうして発現するか分からないのだが、発現のタイミングが悪ければ、とんでもない悲劇を招きそうだ。そんなことまで心配しだしたらきりが無いのは分かっている。だから、各国で平均身長が八十センチを割ったという報告を受けるたびに手を打って喜び合ったのだが、心の奥底の黒い一点だけがどうしても消えてくれないままだ。

 文代は分かってくれるだろうか。同僚として励まし合ってきた鈴木や佐藤も分かってくれるだろうか。

 人類はなぜ少しずつ背が高くなってきたのか。

 佐藤がちょっと思い付いただけだと言った問題だったが、これを解決しない限り到底安心出来ない。佐藤自身は心配でないのだろうか。鈴木はどう思っているのだろうか。尋ねてみたい気がするのだが、心配しすぎを笑われてもいやだ。笑わなくても、何も考えてなかったことを指摘されたように受け止めて、彼らとの友情のような気分が壊されるのもいやだった。

 こういう時、幸太の義父がやっていたように占いでもするのが良いのかも知れないと思い付いて、トランプを取り出した。気分を変えるために窓を開けて空気の入れ換えをする。そよ風が優しく入ってきた。

 シャッフルした。裏返した山から場に並べたカードと同じ種類で数字が続くように、手持ちのカードを出して行く。手持ちのカードが完全になくなったら願いは成就するというソリティアを使った占いだ。中学生の時に同級生に教わった。修学旅行の間、友人たちとほとんど口を利かずに繰り返したものだった。幸太の義父が当てにした占いは専門家によるもっと複雑なものと思うが、これでも上手く行けば、心が安まるような気がした。

 「ねぇ、何してるの?」

 文代が部屋に入ってきた。

 「占い」

 「何を占ってるの?」

 「人類の未来」

 「ひゃあ、凄い。で、ねぇ、どうなったの?」

 「いや、今始めたところだ」

 脇に座って眺めるつもりのようだ。

 「占いは一人でやる方が良いんだよ」

 「あら、お邪魔?」

 「まあね」

 ちょっと不満そうな顔をしたが、おとなしく出ていった。

 カードを置き始めたが、なかなか消えていかない。人類の未来、と口にしたが、それは暗いということなのだろうか。何だか自分が人類の未来を握っているような気がした。一方で、そんな占いを進めて良いかどうかも同時に占っているような気もした。

 文代がまた入ってきた。コーヒーのかぐわしい香りがする。

 「ねぇ、どうなった?」

 「まだ終わらない」

 「あぁ、それ、私もするゲーム」

 それだけ言って出ていった。山田功一はカステラをかじりコーヒーを飲んだ。

 捨て札の山を裏返してシャッフルし直し、また並べていく。続けて三枚捌けた。

 しばらく手が止まる。札を置く場所が無いようだ。結局、また捨て札の山を握り直す。

 人類の未来、明るくあって下さい。

 今まで神に祈ったことなんか無かったのに、何となく何かに縋りたい気持ちになっていた。そもそも占い自体がそういう類のものだった。

 シャッフルして置き場所があるかを探す。あった。一枚、隣の列にも一枚、戻って一枚。

 少しずつカードが減っていく。絶対無くなって欲しい。

 あっ、これは良いかも。カードがどんどん減る。一気に捌けていく。

 人類の未来は明るいか。

 次にどこに置くか考えていると、一瞬強い風が吹き込んで並べてあった札が吹っ飛んだ。

 あっ。

 この占いは結末に届かないうちに終わってしまった。

 「ねぇ、どうだった?」

 また入ってきた文代に尋ねられた時は呆然としていた。

 「風で吹っ飛んだ。分からない」

 「あらぁ。……残念ね。でも、人類の未来なんか分からない方が良いのよ。ねぇ、だから吹っ飛ばされたのよ」

 文代は明るい声で言った。

 「そうかなぁ」

 「そうよ」

 文代がトランプを片付けた。功一はそれをボンヤリ眺めながら、やっぱりこれは占うべきではなかったのかも知れないと思った。

 功一や文代の夫婦はまだ気づいてなかったが、世界にはまた不穏な空気が出てきている。この巨大な世界的プロジェクトを成功させるために各国政府は必死になって、反対したりサボタージュしたりする国民を抑え込んできた。キリスト教原理主義の連中も、結局食料の入手に困って雲散霧消したらしい。そうしてどこの国民も、結局、羊のようにおとなしく政府の言いなりになるしかなかったのだ。ところが、これで国民に政府の言いなりになって当然という雰囲気ができてしまった。そして、政府の指示に歯向かうことがあっても良いという考え方が消滅してしまっていた。

 そこを突いて、ファシズムが生まれようとしていた。

 ファシズムはいずれ他国を襲い始める。そして多くの人が死ぬだろう。

 功一たちの必死の努力で、誰も死なずに生存できる世界になりかけているのに、また世界は混乱状態になる。トランプ占いの結論が風で分からなくなったのは、そのせいであるかも知れなかった。

 功一はぼんやり考えている。この家は間もなく明け渡さなければならないので、そろそろその為の片づけをしないといけない。体格研究所は次は何に使われることになるのだろう。(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

半寸 @kinutatanuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ