異世界との接触で壊滅的状況だけど、探索者になって冒険したい

ヴァノ紙片

第1話

 いつまでたっても取り壊されない旧校舎には、変な噂が絶えない。


 旧校舎について語るなら、あの災害について詳しく語る必要があるかもしれないけれど、それは少々面倒くさい。例の災害、異界との接触が引き起こした『魔導災害』とか略して『界触』とか呼ばれているアレの発生はかなり昔のことだし、僕も詳しく知っているわけじゃない。


 ともかく界触による本土の被害は酷いもので、元々は過疎化が進んでいたこの玖々那美島にも本土から疎開してきた人たちが爆発的に増えた。子供の数も当然のように増えて旧校舎は増築を重ねて今の歪な姿になったらしいが、結局は新校舎が建って廃墟となった。


 しかし廃墟となってからもう随分と経つのに旧校舎は依然としてそこに在る。


 今でも本土が安全には利用しがたい状態で、人口に対して土地が足りていない。多少の安全性には目を瞑ってギガフロートに住んでる人が殆どなのに、それなりの敷地面積を誇る旧校舎はそのままだ。


 かろうじて残ったかつての面影を残す国土を未来へ残すためだとか、景観条例だかで島の自然や歴史ある建築物を保全しようという話はたまに聞く。しかしながら旧校舎の今の放置されっぷりを見る限り、真面目に残そうと活動している人が居るようには見えない。旧校舎は対象外だろう、たぶん。


 やたら高台にあったせいで、新たに造成された居住区に併設された新校舎と行き来するには不便だし、取り壊しを前提に計画が進められていたと聞いているが未だ健在だ。


 取り壊そうとすると事故が起きて工事が中止になったとか、なんかえらく上の方から圧力がかかったとか変な噂もある。だけど、じゃあどこの誰が事故に遭ったんだよ?  という話になると誰も知らない。


 結局、取り壊しがやめになった理由を調べても、いまいちよくわからない。というわけで旧校舎はなんかもうそこに在るのが当然かのように、ずっと建ったままである。


 新校舎の建設は僕に物心がつく前の話であり、学校といえばもうさして新しくもない新校舎を思い浮かべる僕らにとって、旧校舎は日常と異なる世界といっていい。


 つまり、すごく異界っぽい場所だ。


 そして異界っぽいというのは、すっかりおかしくなった常識的に考えてかなり危険な場所である。そこは些細なきっかけで深刻な異界となる危険性を孕んでいるからだ。


 旧校舎の危険度は本土に存在するようなエグい深度の異界とは比べ物にならないほど小さいかもしれない。でも異界っぽいというだけで十分に危険だと思うべきなのだ。身近に存在する得体の知れない危険な場所、それが旧校舎である。


 そしてここからがやっと旧校舎の変な噂の本題なのだけど……。


 旧校舎は表向き何の価値もなく、利用する人も居ないことになっている。しかし――まぁどこにでも物好きはいるもので、忍び込んでいる奴らがいるらしい、という噂がある。


 見知らぬエルフ幼女に裾を引っ張られてホイホイついていく男は地獄ならぬ異界行きというのが常識となりつつあるっていうのに、命知らずにもほどがある。実際、男の数が減りまくって社会問題になっている原因が主にソレだというのだから笑えない。毎年洒落にならない人数の行方不明者が出ているのは事実だし、なんなら同じ学校の生徒が行方不明になったという話も珍しくない。我々は魔導災害を克服しました、なんて宣う広報を本気で信じているわけでもないだろうに、少しでも異界っぽい物に安易に近づくとかどうかしてる。


 ――だけど、そいつらは確かに居る。廃墟となった旧校舎で何かをやっている。そしてその何かは、たぶんすごく――エロい。


 噂の真相を確かめるべく旧校舎へと潜入調査を実施した僕はそこでいくつかの物を発見している。


 例えば、柔らかくしなるフレキシブル構造の名状しがたいピンク色の棒。ボタンとダイヤル操作により無段階強弱および7パターンの振動を選択可能、さらにはほんのりと温かくなるという驚きのブツである。これはエロい。他にもなんかうにょっとした形で、先端に見てると不安になる穴が開いている謎の物体もあった。これは、なんかこう吸引力が凄かった。たぶん、エロい何かだろう。


 決定的だったのは、旧校舎の一角に用意された、やたらと居心地よさげに整えられた居住空間である。ハートマークが落書きされた『生徒指導室』という札が掲示されているその小部屋には、廃墟には似つかわしくない真新しいフロアタイルが敷かれていた。不自然なほどに清潔感のあるベッドや何故か稼働していたエアコン、冷蔵庫もあって怪しげなボトルやアルミ缶がぎっしり詰め込まれていた。


 そして何より、より確実な証拠を入手すべく機材を整えて再度訪れたとき、それらの品々が忽然と消えてしまっていたという事実。


 いるのだ、誰かが。行われているのだ、エロい何かが。


 だが幾度調査を繰り返しても、実際にその人物や行為を捉えることはできなかった。かつて見た『どう考えてもおまえらそこで何かエロいことをやってるだろ』って感じの部屋も、僕の願望が見せた幻じゃねぇかな? とか僕は自分を疑い始めているところだ。


 貴重な夏休みを無駄な探索にばかり費やすわけにもいかない。僕はこれでも探索者志望だし、いずれは本土に渡って迷宮に潜るつもりで鍛錬を続けているのでやることはいくらでもある。


 それにいくら異界っぽいからって旧校舎にばかり通っているわけにもいかない。せっかくの長期休暇だし、今年こそ本土の迷宮の一つだけでも経験しておきたい。家から歩いて数分で通える旧校舎は所謂いわゆる僕のホームグラウンドであり、逆にいえば新しい刺激や経験を得ることはもう難しい。


 そう思っていたのだけど、よりによって旧校舎で僕の目を盗んでエロいことが行われているという噂は見過ごせなかった。嘘くせぇと思っていたのに意外なものを見つけちゃったものだから、夢中になって旧校舎探索を続けてしまったけど大した深度に潜れない旧校舎で鍛錬になるわけもない。


 大体エロいことをしている現場を見たとして、それが顔見知りのおばちゃんとかだったらどーすんだよ。気まずいことこの上ないし、なんか居たたまれないに決まってる。


 今更だけど、なんかこうして冷静になってみると何でこんなに必死こいて噂の真相を探ろうとしてんだ、僕は。夏休み前にちらっと聞いただけの噂に振り回されて、長期休暇を無駄に過ごすとかアホすぎるだろ。すでに丸一週間無駄にしたあとで言うセリフじゃないけど虚しさが募ってどうしようもない。


「あーもう、やってられっか! やめやめ……ん?」


 グダグダなセリフを吐いていて旧校舎から帰る途中、僕は夕焼けに染まる長い階段を上ってくる人影を見つけた。見覚えのあるこけしみたいなシルエット、あれは……


「戸叶……?」


 戸叶とがの小乃璃このり。僕とは同級生という以外、何の関係もない綺麗な女の子だ。


 整った顔立ちに切りそろえられたぱっつんの前髪。

クッソ暑いのにだぼっとしたパーカーを着ているのは違和感あるけど、下はごく薄着っぽい。

そんな変な格好にも関わらずどこか和風な人形の趣がある。可愛いけど……あり得ないほど可愛いけど、その姿には少し怯むものを感じる。その美貌が美術品として鑑賞に堪える部類とでも言ったらいいのか、凡顔の僕としては同じ人間だとは思えないレベルのそれなので。


 そんな戸叶の切れ長の目が茜色の光を灯らせて、僕を捉えている。


 何だか背筋に怖気が走るのを感じて、僕は立ち止まってしまった。一応は顔見知りだから軽く会釈でもして、そのまますれ違ってしまえば良かったのに。僕はそのまま階段を上ってくる戸叶が傍に来るまで、ただ立ち尽くしていた。


 正直に言えば僕はこの子がちょっと怖い。超絶美少女だから近寄りがたいというのはもちろんそうなのだけど、それだけじゃない。


 実のところ戸叶は、可愛さってだけなら周囲と比較するとその美少女っぷりが突出しているというわけではない。本土から疎開してきた人たちの遺伝子がよっぽど綺麗にデザインされているのか何なのか、島はともかくギガフロートには美女美少女が溢れているので単なる美しさだけならむしろ埋没してしまうほうである。和風美少女というジャンルに限定したとしても、まだ候補が多すぎて名前があがるのは後の方だろう。


 戸叶は周りと比較すれば常識の範囲内と思える気質なのでウチの学校ではまったく目立たず、野郎どもの話題にあがることも少ない。髪を長く伸ばしていないせいか印象がやや幼くて、着飾った花魁の周りで控えてる女の子っぽいというか、サブキャラ感がある。ステルス性能に特化した和風美少女という滅茶苦茶限定したランキングでもNINJA的なやつらが台頭してきて、やっぱり圏外になる。それが戸叶だ。


 そんなこけしステルス少女である戸叶をなぜ僕が少しばかり過剰に意識してしまっているのかというと、これには単純な理由がある。本当に些細で、しかし無視できない理由。それはたまに『お前絶対僕に惚れてるだろ』と思わせるような微笑みを浮かべるからである。心当たりも理由もなく向けられる好意の圧が、ちょっとヤバい。


「こんばんは、迦峰くん」


 それは今、この時も。いや、ほんと何で?


 僕の凡顔は自分で言うのもなんだが希少度は振り切っていてUR余裕なんだけど、だからといって大した価値はない。


 女の子たちはやっぱりルッキズムの権化だし、イケメンにキャーキャーいうのが標準仕様だ。男女比が多少狂おうが、その価値観は揺るがない。


 それに男の絶対数が減ったとはいえイケメンはそれなりに居るのだから選り取り見取りだ。うちの学校には乙女ゲームで例えるなら攻略対象カラーひとセットと二軍・サブキャラ・ニッチな需要を満たすためのお笑い要員から鬼畜眼鏡まで揃っている。凡顔を視界に入れる必要はない。


 そんなわけで、UR凡顔とかいうガッカリな存在である僕のステルス性能は高い。いくら希少生物であっても意識を向けることができない妖精さんのごとく、女子の視界から魔法のように除去されているのが現実だ。 


 そんな僕を視界に入れて、あまつさえ微笑みかけてくる戸叶の存在は、凄まじい破壊力があったのはいうまでもない。一時期の僕は無意識にこけしのようなシルエットに反応したり、我が家のテレビ棚に飾られたこけしを見るたび妙な気分になって自分の部屋に飾ってみたりと自分でも謎の奇行を繰り返した。


 わかってはいるのだ。要するにただ自意識過剰なだけである。


 しかしこれが中々に厄介で、自覚しているにも関わらず自制が効かなかった。このままでは自分の中の何かが決定的に拗れると考えた僕は、自己暗示に頼ったりもした。 


『戸叶は誰にでも愛想が良いので、特に僕にだけ微笑みかけてくるわけではない』


 何度も繰り返し念じたそれは、事実としてそうなので誤解の余地はない。しかしそれを強く、強く意識しないとただ微笑まれているというだけで、このザマである。自分のチョロさに本気で驚く。


「ふふ、びっくりしたなぁ、こんなところで会えるなんて」


 ――だけど、今も。


 戸叶が自分に向けるそれが、妙にまとわりつく。見えない手が頬から顎にかけて撫でる感触を感じるとか、特別な何かだと思ってしまうのでほんとビビる。ただ夕焼けの色に染まっているだけなのに、頬を赤らめて嬉しくて興奮しているように見えるのは何なの? いやまぁ、クソ長い階段上ってきたんだから多少ハァハァ息が荒くなっていても当たり前なんだけど。


 可愛いってのはほんと暴力だと思う。たった一人の綺麗な娘が気まぐれに向けるソレが、僕の脆弱な何かを簡単に捻じ曲げることができてしまう。まわりにうようよ居る美少女どもが一斉にこちらに視線を向けたら、僕は簡単に死んでしまうのかもしれない。


「旧校舎に行ってきたの?」


 旧校舎は立ち入り禁止だ。旧校舎まで一本道なこの場所で会った以上ごまかしようもないけど、素直に認めていいのかどうか迷う気持ちもあるが……。


「あ、うん」


 口が勝手に答えてた。頭の中で色々ごちゃごちゃ考えていても、結局僕はこんな反応しかできない。必要以上に距離感を保った人付き合いのぬるま湯で生きてきたから、スキルが磨かれてない自覚はあるけど我ながらダメな感じはする。


 噂になってる旧校舎で何をしてたのか勘繰られるのは、ちょっと不味ったかなぁと思う。まぁ戸叶一人にバレたところで、今更どうということもない。卒業したら本格的に探索者として活動するつもりだし、島を離れたら会うこともない。


「そういう戸叶こそ、今から行くつもりか? もうすぐ暗くなるぞ」


 いくら何でも夜に潜るなら、今の僕が身に着けているような日帰りの装備じゃ全く足りない。薄着にパーカー一枚羽織っただけの戸叶が行くわけもないと思っていたから、それは本気で言った言葉じゃなかった。


 だけど、


「大丈夫だよ」


 軽く笑う戸叶に、さっきまでとは違う意味で戦慄した。危険度が跳ね上がる夜の旧校舎に今から何しに行くんだ? つか、そんな軽装で正気か?


 よく見ると戸叶はやけに本格的なハイカットのトレッキングシューズを履いており、すらりと伸びた脚と相俟って格好良い。だけど本格的な探索者向け装備といえそうなのはそれぐらいだ。バックパックすら無しでまともに旧校舎の探索なんてできるわけがない。


 いつの間にか僕の腕に手を添えて、戸叶が耳元で囁く。


「……一緒に行く?」


「……」


 密やかな吐息と、良い香りがする。距離が近い、近い。


 過去一近い距離に人が居るせいで、ぞわぞわする。やっぱり僕に対する距離感おかしくねぇか? いや、他人に対する距離感がおかしいのは戸叶に限らないけど、いざそれが自分に向けられると違和感が拭えない。


「えーと、晩飯まだだし?」


 適当に自分でもよくわからない受け答えをする。


「じゃあ、食べたら行こ?」


 袖を引く戸叶。


「……行かない、夜は怖いし」


 なんかグイグイ寄ってくる戸叶も怖いし。

 

「えー、返答は『はい』か『イエス』だよ?」 


「……!」


 ついにゼロ距離で密着して、喉から変な声が出そうになる。


 ジト目で頬を膨らませてむすーっとしながら、抱き着いてコアラみたいになってるこいつらの他人に対する距離感は馴染めない。他の奴らなら日常茶飯事ではあるのだけど、こういうのが普通とは思えない。


 でも息が詰まりそうになったのは、そういう事じゃない。


「お前……」


 しっとりと汗を含んだパーカーの生地越しに伝わる感触が、想像を超えたヤバさを伝えてくる。

 

 小柄でぱっと見メリハリ少なめの戸叶だが、その身体はとても柔らかい。僕も一応思春期なので、ほんとならその柔らかさに動揺したり感動したりするのだろうけど、今はそれどころじゃなかった。


 抱き着かれた瞬間に連想したのは、ネコ科の猛獣が持つような柔軟で強靭な筋肉だ。腰に回された手から否応なくわかってしまうその存在感と増した厚みが、純粋に生物としての格の違いを伝えてくる。相手を刺激しないように慎重に力加減を調整して身体を離そうとしても、別に強い力で抑え込まれているわけでもないのに逃げられる気がしない。


 戸叶はたぶんゴブリンくらいなら、そのフィジカルだけで瞬殺できる。肉体強度が大差ない僕も同様だろう。組みついて背骨をへし折るくらいは朝飯前に違いない。


 当然、普通の女の子にできる所業ではない。


 ――魔人。

元からそうだったのか転生したのかはわからないけど、ごく身近にいた同級生が人間辞めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界との接触で壊滅的状況だけど、探索者になって冒険したい ヴァノ紙片 @vano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ