崖っぷちの投棄~この手をはなさない~

寺音

これは美しき愛の物語である

「くっそぉ……」

「もう手を離してカルロス兄さん! このままでは兄さんまで一緒に」

「ふざけんな! 俺だけ助かるなんて、そんなことできるわけないだろうが⁉︎」

 俺は叫んで、相棒兼妹の「ユーリ」の右腕を一層強く握った。


 下級から中級程度のモンスターが出る洞窟ダンジョン。ちょっとした小遣い稼ぎと「運動」ができればと、俺と妹は軽い気持ちで足を踏み入れた。


 ここいらじゃ、ちょっと名の知れた兄妹冒険者である俺たち兄妹。予想通り、余裕で洞窟の最深部にたどり着いた。

 人の手が加わったと分かる、つるりとした岩の天井と壁、そして床。既に何人もの冒険者たちに探索され尽くしたのか、そこには何もなかった。

 何か売れそうなものでもないか、と俺たちが周囲を探索していると、突然轟音を立てて地面が揺れ、足場が崩れ始めたのだ。


「出口の方に走るぞ!!」

 そう妹に声をかけ、俺は唯一の出入り口へと一目散に駆け出す。しかし、あともう少しで脱出というところで、妹の悲鳴に足を止めて振り返った。

 目に写ったのは、足を踏み外し奈落の底へと落ちていく妹の姿だった。俺は咄嗟に腕を伸ばし、間一髪で俺はユーリの腕を掴むことができたんだ。


 しかし、それだけだ。不安定な体勢では妹の体を持ち上げるどころか、なんとか落ちないように踏みとどまるので精一杯。

 ユーリの体は頼りなく宙に揺れており、穴の下には無数の針の山。こんなところ、落ちたらまず助からない。串刺しだ。俺の額に冷たい汗が流れていく。


 それでも妹の手を離すわけにはいかない。手を離せと告げる妹に、俺は精一杯の笑顔を見せる。

「心配すんな! 兄ちゃんが、なんとか引き上げてやるからよ!」

 とは言ったものの、妹は小柄とは言え職業は剣士。筋肉があるからか、思ったよりも重い。後方支援が基本の魔法使いである俺が、どこまで支えられるか。

 せめて、あと少し俺にパワーが、もしくは妹がもう少し軽ければ。


 その時、心配そうに俺を見上げていた妹が、力強く頷いた。

「分かった! 私も諦めないよ、兄さん」

 妹の青空のような瞳には、目映い光が宿っている。頼もしいが、一体何を。


「とりあえず、身につけている防具は全部外すね!」

「は?」

 突然そう宣言した妹は、片手で器用に胸当てや籠手などの防具を外していく。それらは耳障りな音を立てて落ちていくが、オイオイ、一体どうした?


「いや、待て待て! 防具を外す!? なんで!?」

「私が重くて持ち上がらないんでしょ? だったら、私が軽くなれば良いのよ! 幸い、ここのモンスターは倒しちゃってるわけだし、命が助かるなら防具なんて安いものだよね!」

「ええ!?」

 いや、それはそうなのかもしれないけど、そういうことで良いのか?

 そんな単純な話なのか、これは?


「あと、剣も捨てて良いかな。二本もあるし、一本あれば十分だよね」

「いや、お前双剣が売りの剣士だろうが」

 今まで二本で戦ってきた意味。


「それと、調理器具も要らないね! フライパンとか包丁とか意外に重たいんだよねー。おやつにとっておいたビスケットは――もったいないから今食べちゃおう! あ、兄さんに借りてた本、こんな所にあったのか!? でも今は返せないね。兄さん両手ふさがってるし」


 ユーリは、アイテムバッグ(容量無限だが入れたものの重さはそのまま)から色々なものを取り出しては、放り投げていく。

 妹よ、洞窟探検をなんだと思ってるんだ。というか、無駄なものを持って来すぎじゃないか?

 

「あと、さっき洞窟の壁から取り外した宝石も……もったいないけど命には変えられないよね!」

「足場が崩れたの、それが原因じゃね!?」

 自業自得じゃんか! 考えなしに行動すんなってお兄ちゃんいつも言ってるでしょ!?


 妹の珍行動に気が抜けたのか、ガクンと俺の膝が折れ体勢が崩れる。

 ヤバい。

 咄嗟に足に力を込めるが、思ったように力が入らない。腕も膝も感覚がなく、痺れている。


 妹は軽くなったのかもしれないが、俺の腕はほとんど力が入らない。

 くそ、こういう時、俺が重力制御魔法か風魔法を使えたら。


「カルロス兄さん……! やっぱり手を離して!」

「馬鹿! 黙ってろ!」

 こんな仕方がない妹だが、俺は兄貴だ。妹を見捨てるわけがないだろうが。


「せめてあと少し、何か、何か方法は」

「あ」

 俺の呟きを聞いたユーリが、突然、間の抜けた声をあげた。


「どうしようかなーあれはなー、さすがにマズイかー? んー、でもまぁ、良いか! 捨てちゃえ」

 一瞬、何かを悩む素振りを見せたユーリは、背中のアイテムバッグから何かを取り出し、下へと放り投げた。

 その瞬間。


「うおぉっ!?」

 嘘みたいに、ユーリの体が軽くなる。

 何故だ? いや、そんなこともよりも、これはチャンスだ。

 俺は最後の力を振り絞り、ユーリの体を上まで引っ張り上げる。

 勢いで俺に抱きつく形になった妹を抱きしめ、俺は深く安堵の息を吐いた。


「危機一髪、だったな……!」

 肩で息をしながら、俺は乾いた笑い声をあげる。全身が重いし、腕も足も声もみっともなく震えていた。手から伝わるぬくもりに、力が抜けていく。

 無事に、二人とも助かったのだ。

 しばらくして体を離すと、随分と軽装になった妹の姿が目に映る。


「兄さん、ありがとう……」

「これからは油断するなよ」

 俺と同じ、稲穂色の髪の毛をくしゃりとなで回す。剣の邪魔になるからと短く切られたそれは、意外にも柔らかい手触りをしていた。

 そう言えば、最後のアレは何だったのだろうか。


「――なあユーリ。最後に捨てたアレはなんだったんだ? アレを捨てた途端、急にお前が軽くなったんだけど」

 ああ、と妹は少し表情を曇らせて言った。

「ポプリよ。その、ジェイスがくれた」

「ジェイスが?」


 ジェイスというのは、ユーリの恋人だ。町で花屋を営んでいて、体が弱いとかで冒険者にはなれないのだと言う。

 だから、いつも妹の無事を祈って冒険に送り出してくれているのだが、捨てたのはそのジェイスがくれたポプリって言ったか?


「そのポプリは……鉄の花でも入ってるのか? もしくは滅茶苦茶重たい入れ物に入ってるとか」

「普通のポプリよ。小さな袋に入れてあって、お守り代わりに持たせてくれたの。ただ、これを渡してくれた時に――」

 妹はちょっぴり困ったような表情で、ジェイスの口調をまねていった。


「『ユーリ。今日もまた行ってしまうんだね。このお守りを僕だと思って持っていって! 絶対に無事に帰ってきてね! でないと』」

「でないと?」

「『君との思い出が残る花屋に火をつけて、僕はすぐに君の後を追うよ』って」


「それは…………………………重いな」

「……重いよね。彼のことは大好きだけど、さすがに花屋の存続まで背負えないかなって。だから、これを捨てさせてもらえば『心が軽く』なるかな、なんて」


 ん?

 いや、待て待て。アイツの愛が重たいのは今に始まったことではないが、精神的な重さと物理的な重さは関係ないだろうが。

 あれ?

 でも、ポプリを捨てた後、確かに妹の体は驚くくらい軽くなった訳で。つまり、どういうことだ?


「そのポプリ――おかしな呪いとかかかったりしてないよな?」

「兄さん。ジェイスはただの花屋だよ? 呪術師でも魔道師でもないんだから、そんなことできるわけないでしょう?」

 だよな、そうだよな!

 俺は深く考えるのを止め、とにかく二人とも生きて帰れることを喜ぶことにした。




 後から考えてみれば、アイツの花屋って町の中心部にあるよな。万が一、妹が帰ってこないなんてことになっていたら、最悪町の一つが燃え尽きていた可能性も……?

 どうやら、別の意味でも危機一髪だったようだ。


 妹よ。

 幸せなら止めないが、その、もう少し恋人の愛を軽くしてもらってくれ。頼むから。

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