小関美穂について

宗教にはまっていたことがあります。

もちろん今は脱退…ていうのかな。ある日、唐突に無くなってしまったんです。


私がいたコミュニティは『子を愛する母の会』っていって、神様とか教祖様がいる宗教というよりも、ある共通点を持ったお母さん同士のサークルみたいな感じでした。

入る条件は、子どもを亡くしていること、男性禁制、つまりシングルマザーであったことの2点。

この2つを満たしていれば女性であれば誰でも歓迎されていました。

毎週皆で集まってお茶を飲みながらお子さんとの思い出を語り合ったり、お家のことだったり、趣味のことだったり、日常的なとりとめもない雑談ばかりしていました。

同じ様な辛い思いをした人ばかりが所属していたので、皆話しやすかったんだと思います。

入会当初の私も例外ではなく、新しいお友達ができた、そんな認識でした。


美穂さんが入会するまでは本当に楽しかったんです。

美穂さんは私が入会した年のちょうど1年後くらいに入会しました。

最初は体験みたいな感じで誰かの紹介で来たのを覚えています。とても印象に残る方でした。

長い髪を後ろに纏めて清楚な雰囲気でスラッとしていてお上品で、お洋服も何だか高級そうだったからどこかいいとこのお嬢さんだったのではないかと思います。


私たちは自分の子どもがどのような子だったかとか、死因はどうだったかとか辛い記憶を告白する義務はありませんでした。殆どの人は最初は話しません、辛いことを思い出してしまうから。それでも仲良くなってくると皆話してくれて、それに毎週集まってるから何となくは分かってしまうんですけどね。

でも、美穂さんは違いました。面識の無い私たちに、何から何まで全て教えてくれました。

美穂さんには当時11歳だったタクミくんという息子さんがいたこと、タクミくんの死因は事故死であったこと、一人暮らしの家は当時会を行っていた場所から徒歩数分のところにあり、会がある場合、毎回参加出来ること。

最後には私たちひとりひとりの手を取り、

「あなたたちは幸せになる権利があります。」

そう言ってくれたのを覚えています。


そこから美穂さんがここに馴染むのは早かったと思います。

誰に対しても誠実で細やかな気遣いのできる美穂さんは皆から好かれ、そのうち、美穂さんに会うがために会に参加する、なんて方もでてきました。

吉沢さん、あの会の創設者の方なんですけどね、吉沢さんも美穂さんのことをとても気に入ってしまって。

何かある度に、美穂さん美穂さんなんて。

美穂さんは毎度両手をとり、「ええ、ええ、」って静かに皆の話を聞いていました。

だからでしょうね。

一部の人たちの美穂さんを見る目が段々とおかしくなっていきました。

まるで美穂さんが神様であるように美穂さんに接するのです。

ついには吉沢さんが美穂さんのことを「次期代表に!」って会長を引退してしまいました。

私、その時、初めて美穂さんが怖いって思いました。

この人はもしかして、この会を乗っ取るつもりではないか。

でも美穂さんは決してそんな素振りは一切見せませんでした。

美穂さんはただ、皆の話は静かに聞いて穏やかに諭すだけで、会を自分のものであるように振る舞いませんでした。

会の在り方は変わってしまったけれど、美穂さんがいれば大丈夫、そう思わせてくれました。


あの会が一度だけテレビで特集されたことがあるんです。

ある日、テレビを買い換えたからせっかくだから家で見ませんかって美穂さんがご自宅でのお茶会にお誘いしてくれました。

でも、美穂さんのお宅は一人暮らしだからか大きく、寂しく感じました。

皆が思い思いにお茶を啜り、お菓子をつまみ、私たちの会が特集された番組を見る準備をしていると、物陰から美穂さんが「あなたに見せたいものがあるの」なんて言って私だけをお庭にある小さな倉庫に連れていきました。

目を疑いました。

そこにあったのはビニールシートが一面に敷かれ、壁には、男の子の写真を無理矢理拡大印刷したようなものを小屋の天井まで敷き詰め、中央には更に拡大印刷した写真が貼り付けられていました。

目の端に白いものが見えた時に、そういえば美穂さんは趣味で芸術を嗜んでいるなんて話をしていたな、やっぱり美穂さんはいいご家庭の出なのかな、なんてどこか呑気な、現実から目を背けたようなことを考えたりしていました。


「私はここでタクミが生き返るのを待っているの。」

「あなたには是非タクミのことを覚えていてほしい。」


なにも考えることができないまま皆がいる所まで戻ると、どうやら例の番組を見終わったらしく、ほぼ全員が不服そうな顔をしていました。

あまりメジャーでは無い局で取り上げられたのは知っていましたが、なんでもほんの数分のホラー番組で特集されたらしく、ホラー番組とうちの会がどのような関係があったのかは知り得ませんが、不名誉な取り上げ方をされたため、やれ許諾を取らずにこんなものを作るなんてどうかしてるとか、やれあの男の子は誰なんだとか、皆が口々に不満を垂れ流す中、美穂さんは静かに微笑み続けていました。


あの後、美穂さんのお宅は火事に遭われ全焼してしまいました。

火元はあの倉庫だった、そう会の人から聞いています。

美穂さんとはあの火事の後から一度も会っていないし、会にも参加されなくなりました。

美穂さんが実質的な教祖になってしまった会は、美穂さんがいなくては活動が行えず、程なくして会自体が無くなってしまいました。

現在はかつて仲良くさせていただいていた会員の方たちとは誰とも連絡をとっていません。


そういえば、一度だけ美穂さんに写真を見せていただいたことがあります。

あの日、お庭の倉庫に連れていかれたときに見た男の子の写真を小さくしたものとまったく同じものだったから、やっぱりあれがタクミくんなんだと思います。

でも、おかしくないですか?

なぜ美穂さんは頑なにあの写真だけを使い続けるのでしょうか。

普通の母親だったら自分の子供の写真を何枚も撮っているものですよね。

それに、あの写真、卒業アルバムの個人写真みたいだなってずっと思っていたんです。

つまり、美穂さん本人ではなく、誰か別の第三者が撮ったもの。

美穂さんにはあの写真だけしか使えない理由があるんだと思います。

タクミくんの写真をあの一枚しか持っていなかったとか。

だから、卒業アルバムを直接コピーして、だから、あんなに画質が荒かったとか。

でも合わないんです。

美穂さんはタクミくんが11歳のころに事故で亡くなった、そう言っていました。

11歳で亡くなったなら小学校を卒業していないはず。

卒業アルバムなんて作られていないはずなんです。

私の考えすぎかもしれないけれど、美穂さんは本当にタクミくんの母親でしょうか。

タクミくんって本当に存在していたんでしょうか。

今となっては何もわからないんですけどね。

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怪談 @yaruzo714

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