恋に落ちる音

今福シノ

短篇

 同じチームだからといって、その中の人間がみんな仲良しとは限らない。


 それがクラスであろうと、部活であろうと、そして――生徒会であろうと。


「よし、打ち合わせはこんなところかな」


 少しだけ制服を着崩した女子生徒が机から顔を上げる。彼女を誕生日席に、生徒会メンバーは長机を囲むような配置で座っていた。


「他に何か話し合っておくことはなかったと思うんだけど……どうかな、紘武ひろむ君」

「いえ、俺は別に」


 俺は淡々と返す。


「それから、安く名前で呼ぶのはやめてください」

「そ……そっか。では今日はここまでにしよう。みんな、おつかれさま」


 彼女がそう言うと、書記、会計、と順に席を立って「おつかれさまでしたー」と部屋を出ていく。俺もまた、カバンを肩にかけ出入口へと向かう。


「それじゃ、俺も仕事終わったんで」

「ああ、うん。おつかれさま、高峰たかみね副会長」

「会長、まだ残るなら戸締まりお願いします」

「わかった。鍵は職員室でよかったんだよね」

「はい。それ、前にも言いましたから」

「うん……おつかれさま」

「おつかれさまです」


 かぶせるように言うと、俺はさっさと生徒会室を出た。


 俺にとって彼女は――生徒会長、藤宮ふじみや野乃果ののかは敵だ。

 いや、敵だった、と表現する方が正しいだろう。


 2か月ほど前に行われた生徒会長選挙。そこに俺は立候補した。1年生の時から生徒会役員として働いていて、先生の覚えもよかった。俺が当選するのは約束されていた。そう確信していた。


 だけど突然現れて立候補した藤宮に、すべてを持っていかれた。顔立ちや振る舞いがいいというわかりやすい属性のせいで、立候補者の演説のウケ《・・》は段違いだった。生徒は誰も、演説の内容なんかこれっぽっちも聞いていなかったんだ。


 結果、俺は敗れ、次点の立候補者として副会長のポストにおさまった。


 クラスメイトの斎藤さいとうは「あの美人の藤宮さんと一緒に生徒会だぞ? うらやましいぜ~」なんて羨望せんぼうの眼差しを向けてきたけど、マンガじゃあるまいし、そんないいものじゃない。

 副会長となった俺は、藤宮をサポートする日々だった。


「ごめん、この資料ってどこに保管してあったかな」

「次の行事だけど、去年のを参考にしたいから教えてくれない?」

「高峰君、次の打ち合わせを一緒に――」


 はあ……。


 ここ数日を思い出すだけでため息が出る。先生は「高峰が力を貸してやってくれ」なんて言ってたけど、要は都合のいい小間こま使いだ。藤宮も俺のことを『自分が負かした相手』という認識をすっかり忘れている。

 まあいい。


「どうせそのうち音を上げるだろ」


 去年の生徒会長の働きぶりを1年間近くで見ていたからわかる。なかなかに大変な仕事だ。それを、あのルックスだけの藤宮に務められるとは思えない。どうせ内申点欲しさに立候補しただけだろうし。


 だからたとえそう・・なったとしても、今の俺は副会長だ。俺には関係ない。

 考えながら、ひとり夕暮れの帰り道を歩いた。



 ○ ● ○



「で、どうよ最近は」

「何が?」


 授業がすべて終わって放課後になった直後、前の席の斎藤さいとうがくるりとこっちを向いて言ってきた。


「決まってるだろー? 藤宮さんとの関係だよ。何か進展はあったのか?」

「あのなあ……前にも言ったけど、斎藤が妄想してるようなことは一切ないから」


 何が悲しくて選挙で敗れた相手と恋仲にならなければならないのだ。


「えー。会長と副会長でいいと思うんだけどなあ。それに高峰、女子との接点ないんだしここら辺でがんばらないとやべーぞ?」

「余計なお世話だ」


 ピシャリと言い切ると、俺は立ち上がる。


「お、生徒会に行くのか?」

「違うよ。生徒会の活動は月水金だから、今日は帰って勉強」

「はー、マジメだねえ。んじゃ俺も部活行くわー。じゃあなー」

「おう」


 あいさつを交わして教室を出る。生徒会はなかなかに忙しいが、かといって勉強をおろそかにはできない。生徒会所属で内申点を上げたのに肝心の成績が悪いようじゃ本末転倒だ。


「あ、参考書……」


 と、廊下を何歩か歩いたところで、宿題をするのに必要な参考書がカバンに入っていないことに気づいた。ええっと、たしか昨日カバンに入れたはずだけど……生徒会室で荷物を整理するので一度出して……あ。


「そうか。生徒会室か」


 記憶の糸をたどった結果、参考書のありかを思い出した。俺は回れ右をして職員室に向かう。今日は活動がない日だし、誰もカギを借りてないだろう。

 そう思っていたのに、カギはなかった。それが示すのは、誰かが部屋を使っているということ。

 いったい誰だ……?


 書記も会計も、今は活動日以外に生徒会室に行かなきゃいけないほど切羽せっぱ詰まってはないはずだ。

 俺が頭に「?」を浮かべながら再び廊下を歩く。そして生徒会室の扉を開けると、


「……会長?」


 そこにいたのは生徒会長、藤宮野乃果だった。


「紘武く、じゃなかった高峰副会長。どうしてここに?」

「参考書を取りに。そう言う会長こそ何をしてるんですか?」


 訊きながら彼女の机の上には、たくさんの書類が山積みになって置かれていた。よく見れば、去年の行事に関する資料だ。


「あはは。副会長にずっとおんぶにだっこじゃいられないからね。私なりにがんばろうと思って」

「…………」


 なんだろう。なぜかはわからないけど、俺は負けたような気がした。今は藤宮と何も争ってないはずなのに。

 そして、なんだかとてもまぶしいように見えた。


 ――ぽとん。


 すると、そんな小さな音が藤宮の机の脇から聞こえてきた。見れば、消しゴムが床に落ちてしまったようだ。


「おっとと」


 藤宮が拾い上げようと腰を上げ、かがむ。

 ……ずる。直後、そんな音が聞こえた。彼女の頭上にある資料の山が崩れかかっていた。

 まずい! このままじゃ、


「あぶないっ!」

「きゃっ」


 俺と藤宮の声が重なったと同時、書類が机からなだれ落ちた。俺の背中に。

 ふう。危機一髪ってところか。一気に落ちてきたこともあってちょっと痛かったけど、大したことはない。

 それよりも下にいる藤宮に当たらなくてよかった――


 ん? 下?


 俺はまばたきを素早く数回くり返す。目の前には、顔立ちの整った女子の顔。


 俺が、藤宮を押し倒す形になっていた。


 至近距離で俺の視界に映るのは、吸い込まれそうな綺麗で大きな瞳に、長くぱっちりとしたまつ毛。それから、それから紅潮した顔。

 そのどれもが吸い寄せられそうなほど美しくて……って、そうじゃなくて!


「わ、悪い! だっ、大丈夫か?」

「あ、えと、うん。ありがとう……」


 俺は勢いよく起き上がって離れる。バサバサと書類が床に散らばった。


「えっと、その高峰く」

「な、なんともなさそうならよかった! 書類はここにまとめて置いておくから! えーっとあとは参考書、あったった! よし! 俺は用事済んだから、あと戸締まりよろしくな!」


 まくし立てて、俺は急いで生徒会室を出る。藤宮と顔を合わせないようにして。

 そして生徒会室から距離をとる。ちらりと後ろを確認した。藤宮は……追ってきてないな。


「あ……」


 あっぶねええぇぇぇぇっ!


 なんだよあの顔! めっちゃかわいかったんだけど!? 近くで見たから? 近くで見たからなのか!?


「……あぶなかった」


 あとちょっとで好きになってしまうところだった。


 いけないいけない。そんなの、俺のプライドが許さない。俺と藤宮は同じ生徒会でもかつて戦った敵同士。相容あいいれない関係なんだ。


 落ち着け、俺。今日のはちょっとしたアクシデントだ。不慮の事故。そう不慮の事故だ。

 俺が藤宮を好きになることなんて、あり得ないんだから。


 ……でも、


 明日以降、彼女の顔を見れるだろうか。そんな形容しがたい気持ちを抱えながら、俺は帰路につくことにした。

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