ずっと“2人”の生活だったらしい

misaka

2人の生活は今なお続く――

 私は、子供のころからアイドルに憧れていました。


 ステージの上で歌って、踊って、笑って。男女問わず人々を魅了するアイドルと言う存在は、私にとって、とても輝いて見えました。


 だから、東京の高校に入学したのを機に、私はアイドルの道を志すことに決めたのです。


 両親のもとを離れて一人暮らし。駅チカで、コンビニしかなかった場所につい最近スーパーが出来て。立地も申し分ないのに、とある理由で格安のワンルームの物件に住む。小さな事務所のオーディションを受けて、無事に合格。同年代のことグループを組んで、ステージに上がる機会にも恵まれました。


 もちろんメンバーの脱退だったり、不祥事だったり。色んなことはありましたが、それすらも前に進む力に変えて。


 一歩ずつ、一歩ずつ。私は夢への道を歩んでいました。


 さて。無名のアイドルにとって、自分を覚えてもらうための挨拶と「個性」というものはとても大切でした。


 そんな事情を理解しているため、事務所が私を「視える子」と売り出したのにも納得できました。お化けが視える、というあれです。


 もちろん、他にもたくさん、そういう設定のアイドルの子は居ました。ただ私の場合は、本当に“視る”ことが出来ました。


 物心ついた時から、黒い影のようなものがはっきりと見えるのです。小さな頃はその黒い影も私にとっては当たり前で、良く話しかけたりしていました。その姿を同級生に見られて、からかわれたこともありました。


 実はそのからかいで心を病んでいた時、アイドルと言う存在に救われたりしたのですが、ともかく。私にとってお化けや幽霊が視えることは当たり前だったのです。


 恋愛禁止を始めとした厳しい私生活の管理もありましたが、少しずつ有名になっていきました。


 スケジュール管理もアイドルの基本。小さな頃から癖になっているカレンダーへの予定の書き込みを終えた私。高校2年生になり、ちょっとしたラジオ番組に呼ばれるくらいまでになっていました。


 再来週の「収録」と書かれた日付に、私は花丸を付けます。


 こうして大きなカレンダーに事細かに全ての予定を書き込むのは、予定が仕事で埋まっているのがちゃんと目に見えるから。自分が前に進んでいると実感できるからです。


 アイドルを夢見てから始めたこの習慣。一時は携帯のスケジュール帖を利用していたのですが、やっぱり実物のカレンダーを使った方がしっくりときました。


 「ライブ」「レッスン」以外で埋まった初めてのカレンダーを何度も見てから、私は眠りにつきました。


 その夜。私は、金縛りで目を覚ましました。私にとっては珍しいことではありません。幽霊やお化けたちにとってはよくあるいたずらです。


 ただ、いつもと違ったのは、私の枕元に立つその幽霊の姿が、黒い影ではなくはっきりと見えたことでしょうか。


 赤いトレンチコートを着た、長い髪の女性の幽霊。それが1体、ベッドで金縛りにあっている私を、見下ろしていたのです。


 長い髪のおかげで、顔などは見えません。が、コートの袖から見えた白い手には、血の付いた包丁が握られているのが見えました。


 ただ、その時の私は恐怖よりも先に、感動していました。これだけ人とそん色ないレベルではっきりと見えた幽霊は、初めてだったのです。


 東京には、これほど強い怨念を残して死んでしまった人が居たのかと。この人の存在こそが、私が住むこの家が格安である理由なんだと、妙に納得してしまいました。


 実際、これまでも些細な変化はあったのです。天井や壁から奇怪な音が鳴るなんて序の口。洗った食器が勝手に崩れたり、家に帰ると部屋が荒らされていたり、ユニットバスが濡れていたりする事なんて、日常茶飯事でした。


 どうやらそうした怪奇現象は、私ですらはっきりと姿を確認できるほどの強い怨念を持つ、この女性が引き起こしていたみたいでした。


 その赤いトレンチコートを着た女性の霊は、ですが、私に何かをしてくることはありませんでした。血の付いた包丁は握ったままで、家のとある一点――ユニットバスをじっと見ているだけなのです。


 何かを伝えようとしている。そう思った私は休日、お風呂掃除も兼ねてユニットバスを徹底的に捜索してみました。……が、結果は何もなし。


 換気口の裏に前の住人の物だろう近所のスーパーのビニール袋やペットボトルのゴミがあっただけで、例えば女性の遺骨だったり、因縁物があったようには見えませんでした。


 が、来る日も来る日も、女性の霊は現れます。何をするでもなく、お風呂場の方を見ているのです。


 しかし、芸能活動に学校生活と忙しかった私は、いつしか女性の霊の警告を無視するようになりました。


 だからかもしれません。


 ある日、私にストーカーと呼ばれる存在が現れました。いつ自宅を知られたのかは分かりません。ただ、私が眠ろうと部屋の電気を消すと、決まって玄関のドアがガタガタと音を立てるのです。


「ねぇ、開けて? 開けてよ!」


 何度も扉を叩いては私の名前を呼び、玄関を開けようとしてくるストーカー。一度、音が鳴り止んだ時に恐る恐るスコープを覗いてみたのですが、そこは真っ暗。


 いいえ、性格には、真っ暗だったのではありません。


「ねぇ、そこに居るんでしょ?! ねぇ!」


 扉のすぐ向こうで、ストーカーの声が聞こえます。そう、ストーカーがスコープの向こうから、部屋の中を覗いていたのです。つまり、私が真っ暗だと思っていたソレは、ストーカーの瞳でした。


 私は幽霊に鳴れているのであって、恐怖に慣れているわけでは無かったようです。たまらずあげてしまった悲鳴に、扉の向こうでストーカーが興奮しているような声を上げています。


「きょ、今日は鍵を壊すために小さい斧も用意したんだ? こんな薄いドアなんて、すぐに破ってあげる! もうすぐ会えるね!?」


 ストーカーがドアをこじ開けて入って来る。分かっていても私の足腰には恐怖で力が入りません。幽霊より人の方が怖い。そう言っていた人々の言葉の意味を、この時の私は身をもって知りました。


 逃げないと。そんな意思とは裏腹に、全くいうことを聞かない身体。なんとなく、扉の向こうでストーカーが斧を振りかぶった気配を感じます。安い物件。ストーカーの言う通り、薄い玄関扉など、凶器を使えば簡単に突破されてしまう。


 近所の人が通報して、警察が来るまでのその間。私はストーカーにもてあそばれることになる。覚悟した、まさにその時でした。


 毎晩私の枕元に居た赤いトレンチコートの女性の霊が、スッと玄関扉の向こうに消えて行ったのです。あ、この幽霊は物を透過する……物に触ることができないのか。そんな発見は数秒後、扉の向こうから聞こえてきた悲鳴によって、かき消されました。


 慌ててスコープを覗いてみれば、そこには、左胸に小さな斧が刺さった状態で倒れているストーカーの姿がありました。


 この後すぐ、私の家の周辺は赤色灯で埋め尽くされることになりました。が、結局はストーカーの事故死と認定されたようです。


 幽霊の仕業かもしれない。そう正直に言った私の言葉が聞き届けられることは、ありませんでした。


 後日、私は、改めて女性の霊について……。つまり、私の家について調べることにしました。すると、出てきたのは、事故物件に関してまとめたる、とある記事です。


 どうやらこの部屋には、ヒモ男と彼に貢ぐ女性が住んでいたそうです。女性は派手な格好で出歩いていたらしく、記事では自身の身体を売ってお金を稼ぎ、男性に貢いでいたと書かれていました。


 ですが、およそ1年前、女性は複数の男性に暴行されたことを苦に自殺。一緒に住んでいた男も食い扶持ぶちを失ったようで、失踪してしまったそうでした。


 結局、女性の霊とストーカーの死の因果関係は分からないまま。ですが幽霊という存在に慣れ親しんだ私としては、女性の霊が何らかの力で私を助けてくれたのだと信じています。


 だから。例え彼女が事件の後も部屋にとどまっていようと。変わらずお風呂場の方を見ていようと。しばらくすると、部屋を荒らすだけにとどまらず、冷蔵庫の中の物を食い散らかしたりするようになったりもしましたが、構わないのです。


 もう少しでストーカーに押し入られ、暴行される。そんな危機一髪の状況を救ってくれた、恩人なのですから。


 愛着がわいてしまった私は、今もなお怪奇現象が止まないこの部屋に住み続けています。もちろん、私を助けてくれた心優しい幽霊1体と、一緒に。

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