感じやすい悠々さん

茉莉花-Matsurika-

第1話 危機一髪

私は政令地方都市で一人暮らしをするキャリア女子冷水悠々32歳。清水と書かない方のしみずさんを32年続けている。大企業に勤めている為安定していると思われがちだが、私のいる企画経理部の忙しさは退職者や休職者を2割5分で輩出するもっとも過酷な部署である。

新卒で見れば3割が休職という実績を持ち、人材不足も甚だしい。


主な仕事内容は銀行や他社との金銭的な取り引きであるが、人手不足解消の為業務のマニュアル作りを進めていることが、仕事を増やし負担になっている。


わたしの斜向かいに座るぽっちゃりとしたシニア再雇用の溝端さんは今日もこっそりお菓子を食べながら仕事をしている。お菓子を禁止されているわけではないが人目が気になるのかマスクの中で口をもぐもぐする。その姿が私には欲に抗わず生きる感じがして以外と好きだ。

まあ私はしない。


「溝端さん、すみません。ここの数字が間違っていたので訂正と、印鑑漏れあります」


「あー本当だねー。ありがとう、ありがと」


溝端さんは最近、小さなミスをする。大したことのないミスだが大きな企業の中でこういったミスをすることはその人の信用を落とす。小さなミスが積み重なって大きな事故を引き起こす引き金になるからだ。


今日1番のミスは溝端さんがマスクをせずにお菓子をもぐもぐしていた事だ。口元から飛んだチョコレートの汁が請求書に付着したのだ。ティッシュで拭って薄茶色の東京タワーのような模様になり困り果てていた。


「あーやっちゃった、まずいなこれは」


「溝端さんどうしました?」

 

「冷水さん、どうしよう。請求書にチョコレートつけちゃったの」


「あーそれは…再発行してもらいますか?」


「えーいやよー、お菓子食べてるのバレちゃうもの」


「そうですねー、じゃあ修正テープで消してからコピーするとか」


「あっそれいいね。やってみる」


この行動ひとつとっても、口をきちんと閉じて食べていない、更にマスクも忘れるという2つのミスだ。

溝端さんは仕事も積極的で好印象なのだが最近毎日何かしら忘れている。社会人10年目の私の研ぎ澄まされた第六感でそう感じる。


ある日の午前中、溝端さんが業務でオンライン振り込みを行っていた。権限のある男性社員と二人一組になって行う業務で、間違えることなく円滑に行わなければならない。

溝端さんは、パソコン端末の前にすわり男性社員は後ろに立って画面を確認している。送金専用のスペースで周りでも粛々と業務を行っている。




……ざわざわ…………ざわざわ………………




胸騒ぎが聞こえる。もし間違えてもわたしに害は無いが業務の遅延を起こし回り回って仕事が押し寄せてくる。二人一組で行っているので私があれこれ口をだすのはいささかおかしい。無事を祈るしかできない。




しかし、私の祈りは届かなかった。



「おーい、これどうなってるんだ」課長の声に反応が早かった私が1番にかけつける。


「何かありましたか?」


「この金額あってるのか?」


一枚の紙を受け取り一文字一句間違いなく確認していく。


「¥10.000.000と¥100.000.000ゼロが一つ多いです」


「溝端さんどうなってるんだ。これでは当社の損失じゃないか」


請求書の金額を桁違いで入力していた。1000万円の払い出しが1億円の払い出しとなっている。周りの社員は耳がダンボになり事の成り行きに聞き耳を立てている。一大事が起きた事を察した人間がざわつき始めた。



こうなるから私の力がいる。メガネを持ち上げ胸を張り不穏な雰囲気を吹き飛ばす一言を放った。



「課長、私に一度任せて下さい。」



周りは静まり返り、悠々の一言に職員は神に願うように嘆願した。



「頼むよ冷水さん。このとおり。」



急いで銀行の担当者に連絡をとる。本来ならば一度振り込んでしまったものを無かったことにはできない。

だから私は必殺技をつかう。




「もしもし、三峰商事の冷水と申します。

担当の✖︎✖︎✖︎さんをお願いします。

あっお世話になっています✖︎✖︎✖︎さん、実は今、振り込み金額を間違えてしまいまして、取り消しをお願いしたいんです。

そうですよね。出来ないですよね。でも✖︎✖︎✖︎さん、✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎の件で私は✖︎✖︎✖︎さんの事を✖︎✖︎✖︎しまいましたし、つまり✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎の✖︎✖︎✖︎を✖︎✖︎✖︎して✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎なんて✖︎✖︎✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ ✖︎✖︎✖︎ということで、急ぎお願いします」


電話を切り10分もしないうちに折り返し電話がかかってきた。


「お世話になっております冷水です。あっ、処理終わりましたか?ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」




周りの反応は暖かく、もうお金を取り返したのかと驚きを隠せない。


「今回は再鑑定者の小山君も金額の相違を見落としていたのも原因か。溝端さんも小山君も冷水さんがいなかったら大変な損失になっていたんだよ」課長がぼやく。


「申しわけありませんでした」二人は声を合わせて部長に頭を下げた。



時すでに遅しと思いがちだが、銀行側にも事情がある。支店長の大隈氏とは異業種交流会で

知り合い趣味のカラオケで意気投合した仲だ。だからと言ってなんでもお願いを聞いてくれるわけでは無い。カラオケ中に支店長にきたラインにふと目をやるとそこにはハートの絵文字を使った愛のメッセージが書かれていた。その後支店長はカラオケから一人離脱したので『これは!』と思い跡をついて行った先に見てしまったのだ。

ラブホテルに入る姿をカメラに収め、然るべき時に発動しようと考えていた。

銀行員も人間なわけで間違いが起きることがある。しかしそれを顧客が気づく前に取り消しなかったことにしている事実を知っている悠々は1分でも早く大隈支店長を脅して振り込みを帳消しにしようと考えたのだった。




損失をギリギリで免れたもののヒヤリとした事象が発生してしまった為、課長から聞き取り面談に二人は呼び出された。

印鑑もれや転記ミスなど細かなものをいれると毎日何かしら忘れている溝端さんが心配でならない。


「面談どうでした?差し出がましいのですが溝端さん、最近特に不備が多くなって心配なんです。何かありましたか?」


「課長には話さなかったらんだけど実は認知症のテストを軽い気持ちで受けてみたら認知症予備軍っていわれたのよ。もう、ショックだったわー」



やはりそういう事か。

年齢的にはまだ早く思えるが溝端さんの脳の萎縮が起きているようだ。失礼な話で合っても本人に伝えた方が結果的に好転する事もあるだろう。



「今より悪化させない方法に切り替えて前向きにいけばいいんじゃないでしょうか?」


「そうねー、先生に言われた通りに食生活から見直さないといけないかもね」




こうして悠々は会社の危機と溝端さんの危機を救った。





……ざわざわ…………ざわざわ………………



あぁ、また近くで何か起こりそうな胸騒ぎを感じる…。

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感じやすい悠々さん 茉莉花-Matsurika- @nekono_nomiso_

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