柳光司郎は改造人間である
宮杜 有天
柳光司郎は改造人間である
その戦いより三年後――光司郞はいまスーツ姿にネクタイを結んだ格好で住宅街を歩いている。
塀の続く生活道路。その十字路に差し掛かった時、背後から足音が近づいて来た。
光司郞は改造されたことにより聴力が常人の十倍である。だから背後から来ているのが体重の軽い人間の立てる靴音であり、その間隔からひどく急いでいることを理解した。あと十秒と経たずに自分を追い抜かしていくであろうことも。
そして前方の十字路、右方向からも靴音が聞こえてきた。こちらは後ろから来る人間よりも幾分重い。歩く速度は遅くまだ姿は見えないが、約十秒後にあの角から出てくることが予測できた。
光司郞は改造されたことにより思考速度が常人の十倍である。〇・一秒でそこまで考えると、更に〇・一秒を費やして取るべき行動を決定した。
背後からの足音が迫り、横から走って来た人間の姿が現れる。
光司郞は改造されたことにより視力が常人の十倍である。背後から走って来たのは十代の少女であり、紺色のブレザーを着た高校生であり、ショートカットの似合うその面立ちと口に咥えられた食パンを瞬時に見てとった。
少女が光司郞を追い抜いてから〇・三秒後、光司郞は予備動作を起こすことなく突如走り始めた。
光司郞は改造されたことにより運動能力が常人の十倍である。驚くべき速さで少女の横をすり抜ける。少女は自分が追い抜かされたことすら気づいていない。そのまま光司郞は十字路に飛び込むと同時に、右から走って来た人物を両手で捕まえた。
捕まったのは十代の少年。ブレザーに身を包んだ、背の高い男子高校生だ。顔はまずイケメンと言ってもいいだろう。スマートフォンを見ながら歩いている。
光司郞は改造されたことにより筋力が常人の十倍である。まるでマネキンでも掴んでいるような軽さで少年を持ち上げると、社交ダンスのターンのように軽やかに回った。
そのすぐ横を、ギリギリの間隔で少女が走り抜けていく。光司郞にも少年にもまるで気づいていない。
二人が着ていたブレザーが同じことから、同じ学校の生徒だと光司郞は気づく。少女が走り去った方向へ少年を降ろすと、光司郞は背を向けて歩き始めた。
あまりの瞬間的な出来事に、少年も自身に何が起きたのか理解していなかった。持ち上げられる前と変わらぬ体勢で歩き続けている。
「やべっ、このままだと初日から遅刻する!」
突如少年は顔を上げると走り始めた。横をすり抜ける時、手にしたスマートフォンの画面には地図が映っているのを光司郞は見逃さなかった。
そして少年が去っていくのを見ながら光司郞は満足げに頷く。目の前で起こるはずの事故を未然に防げたことに満足して。
ちなみにこの少年は
同時に
☆
正午を過ぎた頃、光司郞はオフィス街を歩いていた。周りには昼食をとりに出かけるサラリーマンやOLたちが数多く歩いている。光司郞は横断歩道まで来ると、赤信号で止まった。
「ねぇ、今日どこ行く?」
「こないだ見かけたキッチンカーはどう?」
「いいね、そうしよ」
横に並んだOL二人組のたわいのない会話に、光司郞の顔が思わず綻ぶ。今日も平和だ。あの戦いの日々は無駄ではなかったのだ。
信号が青に変わる。一斉に人々が動き出した――その時、
「お、おい!」
「突っ込んで来るぞ!」
信号を無視して一台のトラックが横断歩道に突っ込んで来た。信号が変わったばかりなのが幸いし、ほとんどの人間は渡らずに逃げ出した。だが一人だけ、サラリーマンが横断歩道を渡っていた。
光司郞は改造されたことにより視力が常人の十倍である。そのサラリーマンはまだ若く、しかし目はうつろでふらふらと歩いているのを見てとった。顔には濃い疲労の色を浮かべている。恐らくトラックが突っ込んで来ていることにも気づいてはいまい。
そしてトラックの運転手は気を失っている。
「きゃーっ!」
光司郞の周りで一斉に悲鳴が上がった。
光司郞は改造されたことにより思考速度が常人の十倍であり、反射神経も十倍である。筋力も十倍ではあるが今から飛び出してもギリギリ間に合わない。ならばやることは一つ。
〇・一秒の思考の後、光司郞はズボンのベルトを撫でるように左手をスライドさせた。瞬間、ベルトのバックルがある位置に無骨な長方形の物体が現れる。横方向に小さなレバーのついたそれは、光司郞が変身するためのアイテムだ。
「変身」
静かにそう言い放つと、右手を素早くバックルのレバーに当て左から右へと倒す。光司郞の体が光に包まれた。同時に光司郞がトラックへと走り出す。ここまで時間にして〇・七秒。周りにいた人々には横断歩道の途中に突如光が生まれたように見えただろう。
激しい衝突音が辺りに響いた。その音で初めて、青年は何かが自分の間近まで近寄っていたことに気づく。更に横に何かいるのを見て、青年は腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。
青年の前には変身した光司郞が立っていた。鍛え抜かれた筋肉をそのまま鎧にしたような外骨格。スキンヘッドの頭部には昆虫のような大きな複眼が二つ。額からは武者兜のような角が生えている。その姿は限りなく黒い。
デウスによって改造された光司郞の戦闘形態。プロトタイプ
〝
「なんだあれは!?」
だが、光司郞がデウスと戦っていたことを知る者はごく僅か。その名を知る者も。この場に居ようはずもない。
光司郞――〝
「ヒィ!?」
赤い複眼に見つめられ、青年が後退ろうとする。だが、腰が抜けた上に三十連勤で疲労困憊の体は言うことを聞いてくれなかった。そんな彼の目の前で〝
しばらくして自分は死にかけたのだと気づいた青年は、会社を辞める覚悟を決めた。
ちなみにこの青年の名は
同時にそのチート能力を嫉妬され、人々から恐れられ、最後には魔王として勇者に倒される運命も回避したのだった。
☆
〝
どうやら事故処理も問題なく行われそうだ。
〝
光司郞は改造されたことにより全ての能力が常人の十倍になっている。だが戦闘形態である〝
今の光司郞――〝
あの青年を助けることができたのも、変身して能力を百倍まで上げたおかげだ。
光司郞は自らの力が諸刃の剣となりえることを理解していた。自分の存在を知れば利用したがる者がが現れることを。
デウスなき今、自分の存在も表にあってはいけない。
『――か。―――け―!』
声が聞こえて来たのは場所を移動しようとしたちょうどその時だった。
光司郞は〝
『誰か。誰か助けて!』
意識を集中して聞き耳を立てる。今度ははっきりと聞こえて来た。少女の声だ。
〝
そこには四メートルはあろうかという白い巨体と、その前に二人の少女の姿があった。一人は地面に倒れている。
それを守るように立っている少女の顔は青ざめており、まだあどけない。制服を着ていることから中学生だろうか。ツインテールにリボンをした少女が、突然の闖入者を見てますます顔を青ざめさせる。
〝
それは獣のようだった。兎を思わせるその体躯。長い耳は両脇に垂れ地面にまで達している。脚は短いが腕は長く、手には鋭い鉤爪がついていた。瞳は赤く、口からは凶暴さを表したような牙が生えていた。
「デウスの
改人――デウスの作り出す改造人間――は格好こそ様々だが、どれも人と分かる形をしていた。目の前の兎もどきのように、獣らしい形のものはいない。
兎もどきが吠えた。敵と認識したのか、そのまま走りより攻撃を仕掛けてくる。
〝
一度飛び退いて距離を取ると左半身の構えをとった。左手を手刀にして前に出し、右の拳を思いっきり引く。
「その様子だと話は通じまい。一撃で片をつけさせてもらう」
右の拳が光り始めた。腰を落とし右脚に体重を乗せ力を蓄える。
その姿に危機感を覚えたのは本能故か。兎もどきの方が先に動いた。四つ脚で駆け出し、その距離を一気に詰める。
〝
「
数々の強敵を打ち破った〝
兎もどきの攻撃を間一髪ですり抜け、拳がその胴体に叩き込まれる。貫くための攻撃ではない。力を一点に集中し、内部から衝撃を与えて破壊する最強の一撃。
光だけが兎もどきの身を貫いた。同時に衝撃が内部に浸透する。
「ギシャァァァァァ!」
断末魔と共に、兎もどきの体が弾けた。だが血肉が飛び散りはしなかった。光の粒子となって消えていく。
「まさか、デウスに変わる新たな脅威か」
兎もどきが跡形もなく消え去った場所を見ながら〝
「助けて……くれたんですか?」
恐る恐るといった様子で少女が訊ねた。
「そちらの娘は……大丈夫そうだな」
それには答えず、〝
光司郞は〝
問いかけた少女は慌てたように倒れている少女を抱き起こす。自分を助けてくれたのかもしれない者の言葉を確かめるように顔を寄せる。すぐに気絶しているだけと分かり安堵の表情を浮かべた。
それを見た〝
「あのっ……あなたは誰何ですか!?」
去ることを察したのか、少女は先程よりも強い調子で問いかける。
「〝
その名乗りは少女の問いに答えたものではなかった。〝
少女たちをその場に残し、〝
ちなみにこの少女たちの名はツインテールの娘が
同時に崩壊する〝
☆
午後三時を過ぎた頃、光司郞は公園のベンチに座っていた。変身を解き、今はスーツ姿になっている。
公園ではベビーカーや小さな子供を連れたお母さんたちが談笑をしていた。子供は子供同士で遊んでいる。
その様子を満たされた表情で、光司郞は見つめていた。今ここには平和がある。あの戦いの日々は無駄ではなかったのだ。だが――
「あれはなんだったんだ?」
廃ビルに現れた兎もどき。改人とは違う未知の敵。もしかしたら新たな脅威がやって来たのかもしれない。
「ならまた戦うまでだ」
拳を握って呟く。世界を脅威から守る。それは大切な人と交わした約束だ。もう会うことのできない大切な人。彼女と交わした約束は一つだけではない。
彼女は光司郎が普通の人間として暮らすことを望んでいた。
柳光司郞は改造人間である。彼を改造した悪の組織デウスは世界征服を企んでいた。光司郞は人間の自由の為に単身でデウスと戦い、勝利したのだった。
その戦いより三年後――光司郞はいまスーツ姿にネクタイを結んだ格好で就職活動をしている。
〈了〉
柳光司郎は改造人間である 宮杜 有天 @kutou10
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