小さな危機一髪

しらす

小さな危機一髪

 幼い頃の私には、そこそこ頻繁に危機が訪れていた。

 うっかり屋だった私は、日常的に何か大事な事を忘れて窮地に陥っていた。隠し事なんて苦手なのに嘘をついて、バレそうになってひやひやしたことも度々ある。

 それに昔から文章では饒舌なのに口から出る言葉は足りず、かつ説明が苦手で、大きな誤解を招く事も多かった。


 そんな私なので、幼い頃は毎日がダンジョン生活みたいなものだった。危機はいつも突然やってきて、幼い私にこの世の終わりのような気分を味わわせてくれた。

 しかし年齢が上がってくれば、ある程度注意深くもなり、語彙も増えて説明下手の私でも、周囲の理解を得られるようになっていった。

 その油断がある時、大変な危機を招いた。その時の事を話そうと思う。


 事が起きたのは中学校一年生の時だ。

 その日は体育でプールの授業があった。小学校に上がる前から、夏にはプールや海に行っていた私は、着替えにも慣れて、いつも通り服をさっさと脱いで水着を着ていた。


 中学生ともなると、胸が膨らみ始めたり、陰部に毛が生えてきたりして、羞恥心が出て来る頃だ。だと言うのにその頃の私は、女同士なんだから別にいいだろう、と思っていて、タオルで隠しもせず堂々とブラを脱ぐ少女だった。

 その分着替えは人一倍早くて、若干その事を誇ってもいたと思う。

 皆が早くから更衣室に入って、何十分もモタモタしているのを横目に、ギリギリの時間に入って皆より先に出ていく、というのがちょっと優越感があったのだ。

 いやはや、鼻持ちならない奴もいたものである。


 そんなわけでその日も、いつものように手早く着替えを済ませ、颯爽と更衣室を出た。

 授業がいつも通り行われ、準備体操の後、プールに入っていく。

 この時、私はふと違和感に気がついた。


 当時私が着ていた水着は、少しサイズが大きかったのか、よく体との間に空気が入って、それが胸元やお尻から抜けていくのを感じていた。

 不快でたまらないという程ではないが、押し出された空気が肌との間を通り抜ける感覚は、ちょっと独特だ。

 ところがこの日は、水に入ってもそれが起こらなかった。いつもなら一時間の授業中に何度もある事なのに、この日は一度も起きない。

 少し変だな、私の体型変わったのかな、とその時は思っていた。


 しかし今思えば、その時に気づくべきだったのだ。そうすれば大惨事が起こる前に防ぐ事も可能だったはずだ。

 何も気付かない私は、そのまま授業を終えて皆とシャワーを浴び、更衣室に戻った。体育の先生は同時に教室に戻っていった。


 こうして着替えを始めた私は、そこで予想外の事態に直面した。

 水着は上から捻り下ろすように脱ぐのだが、その日は腰から下がパンパンになっていて、なかなか脱げなかった。流石に寒いのでタオルで体を覆い、悪戦苦闘しながら水着を下ろし、やっとの思いで脱ぎ終わる頃には、更衣室に残っているクラスメートは半分に減っていた。

 今日はどうもおかしい。そう思いながら服を着ようとすると、なんとパンツがなかった。

 慌てて周囲に落ちていないか探してみたが、どこにも見当たらないし、脱いだ服の間などを探っても出て来ない。誰かが間違えて持ち去ったのか、とクラスメートに疑いの目を向けたが、もちろん残っている誰も持っていなかった。


 そこで私は、ようやくプールで感じた違和感を思い出した。恐る恐る脱いだ水着をビニール袋から取り出し、広げてみる。外れて欲しい予想だったが、予想通りパンツはそこにあった。

 なんと私は、パンツを脱ぎ忘れてその上から水着を着ていたのだ。盛大に水を吸ったパンツは、もはや履いて戻れる状態ではない。

 幼稚園の頃なら、替えのパンツがいつでも用意されていたが、ここは花も恥じらう年頃の娘たちが通う中学校だ。パンツの替えなどあろう筈もない。

 もし先生がいるうちに気付いていれば、どうにかしてくれたと思うのだが、先生はとっくに職員室に戻った後だ。


 窮地だった。咄嗟に頭に浮かんだのは、ノーパン健康法とかいう聞きかじりの単語だけだった。この窮地においては何の意味もない。

 私の人生、ここで終わりか。もはやノーパンで残りの授業をやり過ごすしかないのか。夏服のスカートは生地が薄く、少し透けるようなものなのだが、果たして帰るまで皆にノーパンだとバレずに済むのだろうか。様々な考えが一気に頭を過った。


 しかしその時、更衣室の隅で固まっている私に気付いた友人が、理由を聞いてくれた。

 私はどんな顔をしていたのだろう。よく覚えていないが、多分泣きそうな顔をしていたのだと思う。猛烈に情けない気分で、私は履く物が無いのだと告げた。

 友人は、しばらく一緒になって困った顔をした後、ふと思いついたようにスカートの下から、体育用のハーフパンツを脱いで、それを差し出してくれた。


 この頃、いや今でも女子中学生はよくやる事のようだが、スカートの下にハーフパンツを履くのが流行っていたのだ。

 流行にはほぼ乗らない私は、もちろんそんな習慣がなかったので、スカートの下はパンツ一丁だったわけだが、周囲に合わせるのが上手だった彼女はちゃんと履いていたのだ。そして友人の窮地に、それを貸してくれるような、本当に優しい人だったのだ。


 こうして私は危機を脱し、その日だけ流行に乗った振りをして無事に一日を終えた。

 もちろん借りたハーフパンツは、その日のうちに母に頼んで洗濯し、翌日急いで友人に返した。


 あれほど己の粗忽さを呪った経験も、またあれほど友人の存在を有り難いと思った経験もないと思う。

 今思えば小さな出来事だったが、当時の私にとってはまさに危機一髪、という事件だった。

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