吹毛求疵

三鹿ショート

吹毛求疵

 どれだけ努力を重ねたとしても、私にとっては無駄な行為だった。

 そのことが判明してからというもの、私は怠惰なる日々を過ごすようになっていた。

 刺激の無い、退屈な毎日だったのだが、彼女という人間を知ってからは、その日々が変化を迎えることになった。

 優等生であり、見目も美しい彼女を見ていると、この世界は不公平だということを嫌でも理解させられる。

 不公平なる世界に対して怒りを抱いたところで無駄だということは分かっていたために、私はその怒りを、彼女に打っ付けることに決めた。

 勿論、私の行為が誤っているということは、理解している。

 彼女に八つ当たりをしたところで、一時的な憂さ晴らしにしかならない。

 たとえ彼女を潰したとしても、彼女のような人間はごまんと存在するために、その全ての人間に対して同様の行為に及ぶ必要が生まれるだろう。

 だが、私は全ての人間を対象としているわけではなく、彼女をとことん苦しめることを決めた。

 理由は単純であり、それは、彼女が私の身近な人間だったからである。

 見知らぬ人間を苦しめたところで、何も感ずることはないのだ。


***


 彼女を四六時中尾行し、何らかの失敗をした際に、その点を徹底的に糾弾することにした。

 しかし、観察すればするほどに、彼女がどれだけ素晴らしい人間なのかを思い知らされることとなった。

 常に他者を尊重し、笑みを絶やさず、それでいて自身を向上させるための努力を怠ることはない。

 全ての人間が彼女のように行動していれば世界は平和なのだろうが、残念ながら彼女は真似することが出来ない手本であるようだ。

 だが、彼女を知る人間は、私のように身勝手な怒りを抱くことはなく、尊敬の念を抱くだけで、それ以上の感情は存在していないらしい。

 そのことを知ったために、私という人間は、そもそもこの世界には不要なのではないかと考えてしまうようになった。

 彼女という人間を貶めることは、世界にとっては損失以外の何物でもなく、同時に、彼女を尊敬する人間たちに、私は石を投げられることだろう。

 そのようなことを考えるようになってから、私は台所の刃物を見つめることが多くなったが、己の肉体を傷つけるに至ることはなかった。

 優秀な人間に対して嫉妬しながらも、自身が苦痛を味わうということは避けるなど、身勝手にも程があるではないか。

 それでは、私は何のために生きているのか。

 それを見つけることが人生だという言葉は、聞き飽きた。


***


 今日も今日とて、彼女のことを尾行していたところ、不意に彼女の姿が消えた。

 何事かと思い近付いてみると、何者かが彼女を物陰へ連れ込み、乱暴しようとしていた。

 思わず、私は近くに落ちていた角材を拾うと、彼女を襲っている人間の頭部を殴りつけた。

 突然の痛みに相手は怯んだが、私が手を止めることはなかった。

 気が付けば、彼女を襲っていた人間は、地面に転がったまま動かなくなっていた。

 取り返しがつかない行為に及んでしまったのかと思っていたが、よく見れば相手はわずかに動いていた。

 然るべき機関に通報したところで、私はその場に座り込んでしまった。

 これまでに感じたことがないほどに、心臓が激しく動いている。

 やがて制服姿の人間たちが現われたところで、私はようやく、彼女の存在を思い出した。

 目を向けると、彼女は何時の間にか乱れていた服装を直し、制服姿の人間たちに事情を説明していた。

 其処で彼女は、私を指差しながら、何度も同じ言葉を吐いていた。

「彼が現われていなければ、どうなっていたことか、分かりません。そのような人間を罰するなど、私は受け入れることはできません」

 涙を浮かべながらそのように訴える彼女を見ながら、私は気が付いた。

 他者を貶めることに人生を捧げるよりも、他者を救うことで良い人間だと認められた方が、気分が良いではないか。

 困っている人間に手を差し伸べれば、誰もが笑顔と化し、争うことも少なくなるだろう。

 そのような単純なことに気が付くことができないとは、やはり私は、愚かな人間だったらしい。

 しかし、これは無駄な行為ではなかったと、私は信じていた。


***


 それから私は、他者の欠点ではなく、良い部分に目を向けるようになった。

 そして、そのことを相手に伝えるようにした結果、今では多くの人間と笑顔で会話をしながら過ごすようになったのである。

 私がどれだけ努力をしたところで、自身の能力に大きな変化が無いということは同じだったが、それでも、以前よりは良い毎日を送っているといえよう。

 過去の私が現在の私の姿を目にすれば、困惑することは間違いないだろうが、私は胸を張って、過去の己に告げることができる。

「一人の人間に嫉妬するよりも、二人の人間を褒めるだけで、良い人生を送ることができるだろう」

 過去の私がその言葉を即座に受け入れるとは考えられないが、やがてそのような未来が訪れることを、私は信じている。

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吹毛求疵 三鹿ショート @mijikashort

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