第4話 知恵熱

 ある朝、起きたら倦怠感があった。母は僕の顔が赤いのを見て慌てて祖母を呼んできた。熱を測ったら37.2度あったからとりあえず病院に連れて行かれる事になった。もちろん、幼稚園は休むことになった。


 祖父の車で病院に向かう途中、母は

「つらいね、辛いね。私が変わってあげたい。」

と念ずるように僕の頭を撫でた。僕は転生者だと露見したときが面倒そうなのであまり言葉を喋らないようにしていたが、このときほどありったけの語彙を以て母に話しかけようと思ったことはない。


 結局僕はただの風邪だった。病院で聴診器を当てられて喉の奥を見られてインフルエンザの検査もした。ただの風邪と分かって母は少し安心したようだった。「赤ちゃんの風邪は怖いのよ。」とか言ってシロップで誤魔化しきれてない変な味のする粉薬を飲ませてきた。僕は赤ちゃんではないので大人しく飲んだ。


 その夜、僕は怖い夢を見た。そこには砂でできた舞台があってその上に碁盤の目のように石灰で格子が惹かれていた。僕はその舞台の下にいて僕はその上に。誰が呼んでいるとかではなくてそこに存在する厳然たる事実として僕には舞台に上がる義務があった。

 僕がその舞台にあがると案の定砂が崩れ石灰の格子は乱された。それは絶対になされてはならないことであった。いけないと言ってもやさしすぎる、それは人道にもとるレベルの禁忌であった。少なくともその場では、ということだが。

 だから僕は焦っていた。石灰の格子を乱したことへの後悔と自責が可哀想な小さな村をダムに沈めるように僕を襲った。背筋に粘度の高い汗をかき、それが蒸発して寒気がした。僕はどうすることもできずにただ立ち尽くしていた。気づくと辺りは真っ暗でそれは僕に罰を下しにやってくる。


 ちょうどそのタイミングで目を覚ました。背中には粘っこい汗をかいて頭痛がして息が上がっていた。

 部屋は豆電球だけが灯っていていつも隣で寝ている母がベッドの横の椅子に座って僕の手を握りながらじっと見つめていた。その瞳は僕の顔を映し、豆電球の柔らかな橙色の光を帯びていた。母は僕が目を覚ましたのを見ると僕に服を着替えさせた。汗で湿った服と違い、新しい乾いた服はとても快適だった。


 次の日の朝、起きると僕はすっかり元気になっていた。喉も頭も少しも痛まず、体もガラス細工のように軽やかだった。母は安心したようで、ずっとにこにこと笑っていた。大事をとってその日一日も家で大人しくしていることになった。だから僕の食事はまだお粥であった。僕はお粥があまり好きではなかったから梅干しをのせたり鰹節をかけたりした。


 僕は、つい2ヶ月前に幼稚園に入園した。入園式では僕よりずっと背の高い保育士が僕の手を引いて式場に入場した。式場は幼稚園の遊戯ホールみたいなところで壁には画用紙を「にゅうえんおめでとう」と切り抜いたものや、風船やチューリップ、動物などが貼ってあった。園長先生が挨拶をしている間、新入園児たちは神妙な、というより不安げな面持ちで座っていた。僕はというとすることもないので建築基準法について考えていた。


 やはりというべきか、二十歳の母親は目立つようで他の園児の母親から質問攻めに遭っていた。母の持ち前のコミュニケーション力をもってしても捌くのは大変らしく少し困った顔を浮かべていた。

 それでも式が終わったらすでにママ友を作って楽しそうにおしゃべりしていて流石だと思った。僕は母のところに戻る気にもならずそこにあった椅子に座って待っていた。保育士たちは忙しそうに親の相手をしていた。

「のぼるくんはなんでひとりでいるの?」

不意に横から声がしてそちらを見ると女の子がいた。幼児らしい4等身と黒くて丸い目、方の少し上で切りそろえられた髪の毛、喋りだすのを我慢してそうな薄桃色の唇、胸の名札「しよう」と書かれていた。漢字はどう書くのだろう。まさか枝葉末節の枝葉ではないだろうし、アウフヘーベンか、それもないだろう。名前に「止」という字は使いたくないだろうし。などと考えていると「しよう」は口を開いて

「なんでひとりなの、なんでしようとしゃべってくれないの、おかあさんはどこなの」

と矢継ぎ早に喋りだした。

「もっと質問を整理して喋ってくれないか?」

僕はたまらず言った。「しよう」はよくわからなかったようで、口を噤んで首をかしげていた。

「だから、そんなにたくさんをいちどにきかないでよ。」

僕はゆっくりと言った。彼女は理解したようで大きく一度頷いた。

「じゃあ、のぼるくんはなんでとめをあわせないの」

僕はびっくりして顔を上げると彼女の太陽を反射して飴色に光る瞳があった。彼女はにこっと笑って

「またね、ばいばい」

と言ってお母さんに連れられて去っていった。


 母は帰りの道中に

「登、かっこよかったよ、緊張したの?」

と僕に質問した。

祖母は僕に

「登ちゃん少し前まではとってもちっちゃかったのに。」

と言った。

祖父は僕に

「幼稚園、楽しむんだよ」

と目を細めて言った。


僕はそんなことよりもあの「しよう」という少女(幼女)が何を考えて僕に話しかけてきたのかが気になっていた。きっとそれは何かしらの意味があることだったはずだ。

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転生アンチテーゼ 木木 @seiji-shikin-problem

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