鶏肉屋の恐怖!店先で「オ・イ・シ・ヨ」と鳥が泣く

雨鬼 黄落

恐怖の鶏肉



寝返りをしながら、声にならない声で呟いた。


「あぁ、起きてもた……」


それは当然だろう。

隣で寝ている妻の目覚まし時計がなったからだ。昨日仕事で刺さる出来事があったからか、何かモヤモヤとするものが解消されない。


それは納豆をかき混ぜた箸にいつまでも糸が絡み、なかなか次の行動を取れないもどかしさに似ているかもしれない。


起きると今日という日が始まって行動しないといけなくなる。だけど脳が拒否し身体を動かせず、何も手をつける気分になれなかった。


だからこそ、いつまでも夢の中に浸っていたいと思ったわけだ。しかし、それほど愉快な夢を見ていたわけでもなかった。


起きた瞬間、太陽の光が目に刺さり、その刹那、霜のようにその夢は消えていった。


目は閉じていたが、起きてしまったという意識、ゴーストはしっかりと現実に呼び戻されていた。時々、眠ったままゴーストが呼び戻されないとどうなるだろうって考えることがある。


夢の中で夢だと認識せずに過ごしているが、起きて初めて夢だったと、生きているんだと認識する。そのまま夢という別世界と行き来できたら楽しいだろうにと思う。まぁ、現実逃避かもね。


今日は休みの日だが、妻は仕事、娘は土曜日も登校日の学校に通っている。そのせいか、土曜日の朝は不機嫌になっている。娘はキリスト教の学校に通っている。


土曜日も登校するというのは、神は七日目を休日とすることを決めたことから来ているのか?そうとなると生徒から、


「神様は現実をわかっていない」


と紀元前の神様なる人物への恨み節が聞こえてきそうだ。


伊集院友徳は今、一つのことを考えていた。


平日なら、朝起きて下へ行くとコーヒーが用意されている。いつもそのコーヒーが朝ごはんなのだ。それ以上何かを食べると気分が悪くなったり、通勤電車を途中下車してトイレの長い列に並び、人生最大の汚点にならないか冷や汗をかくことなる。


しかし、今日、友徳は休日。コーヒーはないはず。それとも妻は起きてくることを予想して作っているか。どうでも良いことだが、何か気になってしまう。


友徳はゴソッとおもむろに起き出してトイレに行き、それから下の階へ降りて行った。


「おはよう……」


と妻に声をかけた。毎朝、パンを2枚食べないといけない妻は時間に追われながらもしっかりとパンに齧り付く。


「……おは」

————今、話しかけるな!忙しい!喰らうのに!


と言わんばかりに妻が迷惑そうな視線をブン投げてきたのがわかる。


————この分ではコーヒーはないな!


それが友徳の第一印象だった。そしてテーブルに目をやると、いつもの黄色のコーヒーカップから、コーヒーの香りと共に湯気がゆらめいていた。


どうやら、友徳が起きていたことを妻は悟っていたようだ。連れ添って20年。阿吽の呼吸というところか。


友徳の胸に熱い情が蘇る…… 

数週間前、コロナで息子と妻を隔離した。そうしたことで友徳がこれまで気づいていなかった妻の家族への心遣いに触れることができた。


うちのトイレはコントローラーがついていて、そこを操作することで水を流せる。よく考えると絶対にトイレから持ち出すことがないコントローラーなのだが、壁から外して自由に持ち運べてしまう。


ある意味無駄な機能なのだがその日、電池切れしていた。これが意外にも友徳にとって痛恨の一撃となった。


いつもコントローラーからしか水を流さない友徳はコントローラー以外で水を流せないという、ありそうでこれまでに陥ったことのない状況に置かれてしまった。


友徳は大きなお腹が邪魔でなかなか回転しづらい体をよじって便座の側面を探してみた。パナソニックならこういう状況を想定してなにかしらボタンが付いているはず。


それも身体をよじって手が届く範囲に。ところが、流せるよ!って語りかけてくれるような取手も機能も見当たらなかった。


———一体パナソニックのこのトイレの設計はどうなってんだ!コントローラーが生命線かよ!


友徳は思わず舌打ちしてしまう。

ちなみにウォシュレットすらも使えなくなってしまった。


汚物から醜悪な臭気が放たれる。このままここに長居しては体臭と勘違いされるほど染み付いてしまうのではないかと友徳は違う方向に頭がよぎる。


こんなことはこの家に住み始めて十数年になるが一度もなかった。それはたまたまコントローラーが切れる状況に遭遇しなかっただけなのか?


いやそうではない。


妻だ。その長い年月、妻が何も言わず、淡々と電池交換している様子が走馬灯のように脳裏に現れる。


そんな友徳はハッと気づいたことがあった。いつも出勤する際、妻が玄関に事前に靴を並べてくれていた事を今更ながら気がついた。


玄関に降りて行き、靴を履いて振り返り、見送る妻と子供達に「行ってきます」と挨拶をする。いつもの動線の中で、必ず靴がきちんと履きやすいように事前に並べられていた。


何気ない心遣いかもしれないが、そんな事に気がついた友徳は冬の外気温で氷のように冷たい玄関があったかくなった気がして自然と顔がほころんだ。

 

今朝、何気なくコーヒーカップを持っていつものようにテレビの前に腰掛けてコーヒーを啜った友徳は、温かいコーヒー飲みながら、いつもコーヒーを入れてくれる黄色のプーさんカップがテーブルに置かれていたのをみたとき、そんなことが頭をよぎり、ちょこっとあったかい気持ちになった。


友徳はソファーに身を沈めてコーヒーの香りを楽しみながら、『江戸時代の生活模様』という本に目を通していた。


深く読むつもりはなかったのでパラパラとページをめくる。


「フフフ……」


ある記事に目が留まって良いアイデアがひらめき、嬉しさが漏れる。

友徳はコーヒーカップをテーブルへ置き、静かに目を閉じた……


友徳は江戸時代にいた……


強風が吹けば、消し飛びそうなボロ屋の軒並みの通りを歩く。


カランコロンと下駄の心地よい音がそこかしこから聞こえる。女性は垂髪に着物、男性も髷に着物といった出立でなぜか違和感を感じない。


話しながら歩いている人、ふざけ合う童、風呂帰りでフンドシ一丁丸裸で歩く人、そんな行き合う江戸風景が目に飛び込んでくる。


行商人の威勢の良い声が友徳を雲一つない青空のような爽快な気持ちにさせる。

それでも目新しいものを目にして心躍る情はなく、まるでそれがいつも身をおく風景のように思えて不思議と落ち着いていた。


「ン?」


友徳はやや呆気に取られ茫然となる。聞き慣れない声で呼び止められた気がしたが、気持ち悪さを一瞬で感じ取っていた。


「オ・イ・シ・イ・ヨ」


およそ人とは思えない声が友徳の耳を誘う。ふと声のする方向に視線をやるとそれは人間ではなく、どでかい鳥だった。


種類はわからないがカラスでもなく、鳩でもない。ワシほどは大きくない。その鳥は木製の鳥籠の中で行儀よくして、店先に吊るされていた。

そして通りを歩く友徳に声をかけた。


「オ・イ・シ・イ・ヨ」


感情がない漆黒の目で覗き込んでこちらの様子を見ているようにみえる。まさか客かそうでないか吟味しているわけではないだろう。


その鳥は忙しそうに、落ち着きなく首を微妙に動かしている。ただカゴのなかでとまっているだけで暇なクセに。


時々、首を百八十度回転させ、黄色いクチバシで痒いのか、毛繕いか取り憑かれたように突いている。そして片目をギョロリさせこちらを覗き込み、


「オ・イ・シ・イ・ヨ」と鳴く。


なんとも気持ち悪い鳥だ。なぜなら、そこは鶏肉屋だったからだ。


ギョッとして目を疑うのは当たり前だろう。鳥に鶏肉屋の呼び込みをさせる店主は、商才があるとは到底思えなかった。


「誰が喰らうっていうんだ、その鶏肉。痛くて喰えるか!」


友徳が怪訝な顔になる。

しかし、百歩譲って客足を止めるための策だとしたら、吐き気はするが成功といえる。

その鳥からすれば、仲間の鳥の皮を剥がされ、首や羽も捥がれ、肉に斬り刻まれた屍体以外の何物でもない。


友徳が何者かに捉えられ、同じ牢から出された名も知らない外国人が目の前で生きながら解体されているのを見ているようなものだ。


「ハ・キ・ケ・ガ・ス・ル」


と話したいところだろう。

この鳥にとって、店主や通りを歩く人間が、血のしたたる同胞の肉に対して欲に溺れた眼で涎を垂らす物怪か妖怪にしか、見えないだろう。

 

「オ・イ・シ・イ・ヨ」


という言葉しか知らないその鳥が本当はどう思っているのだろうか。


もし言葉を話せるのならば、その可愛らしい声色でおぞましい、罵りの言葉が聞けるかもしれない。


通りを行く他の客の顔を見るとそんな鳥の気持ちを知ってか、知らずか苦笑いで通り過ぎていく。誰も買おうとする者など皆無だ。


「コ・レ・デ・モ・ク・エ・ル・カ」


と言われているような気がするからに違いない。


しかし、意味もわからず、「オ・イ・シ・イ・ヨ」という言葉しか話せない鳥はもしかしたら、「こんな言葉も話せるんだよ」と小さな子供が母親に褒めて欲しいばかりに自慢げに話すような気持ちなのかもしれない。


だとすればその鳥が意味を知ると全身の羽が抜け落ち、それこそ鳥肌もんに恐怖するだろう。 


友徳はそんな事を思いながらその鳥を眺めていた。

そんな友徳の中で沸々と沸き起こる義侠心に、自身、戸惑いすら覚えていた。


あまりにも哀れすぎる。鳥ならばその羽を大きく広げて、人間には見れない青空から、風に乗って優雅に空を泳ぎながら下界を眺めるべきなんじゃないか!


それこそが翼を与えられた鳥の特権なのではないか。


そう思えてならなかった。

鳥籠に閉じ込められた鳥をなんとかしてやりたいと、溢れる水が水面張力をも打ち破って流れ出るように、はやる気持ちを抑えきれずにいた。


友徳の額から妙な汗がしずり落ちる。店主に視線をチラリと投げると、意を決して鳥籠に手をかけて蓋を開け放った。


その鳥がこの地獄から逃れ、鳥籠から青空に羽ばたく姿を想像していたが、友徳は心臓を鷲掴みにされたかのようにギョグンとせざるを得なかった。 


なんとその鳥は鳥籠から逃げようとはしなかった。


何事もなかったかのように行儀よく止まり木にすましてつかまり、飛び出そうとは決してしなかった。そして、


「オ・イ・シ・イ・ヨ」と言葉をかけた。


「そいつはね、親鳥が巣で待つヒナに餌をやっていたところを狩ったんでさ。巣を覗くと数匹のヒナがピヨピヨとオラに声をかけるじゃねぇか。なんだか可愛くてね、そのままオラが育てることにしたのさ。そしたら、懐いちまって!」


襷掛けして斧のような刃物で骨ごと叩き割ろうとガンガンガンと威勢の良い音をさせる店主が何事もなかったかのように友徳に声をかけた。


店主はホロリとさせるつもりで話したのだろうが、その話は友徳の背筋を凍らせるには十分だった。


ゾッとする疑問が浮かぶ。


———その数匹いたヒナはどうなったというのか?


鳥籠にいるのはたったの一匹だったからだ。何匹も飼育するのは大変だ。誰かにやったか、それとも独り立ちできるまで育てて逃したのか。


鶏肉を商売にする店主は自分の罪に苛まれ、正義心に目覚めたとも考えられる。ふと友徳は店主を見た。


満面の笑みで鬼の金棒のようなナタをふるい、鶏肉を斬り刻んで血飛沫を浴びる店主を。なんだか鼻歌で音頭をとりながら切り刻む様子は心から仕事を楽しんでいるようには見える。 


おそらく、程よい鶏肉に成長した兄弟たちは店先に並んだことは想像に難しくなかった。そしてこの鳥は通行人に、「オ・イ・シ・イ・ヨ」と声をかけている。


友徳は顔面蒼白となり、吐き気をする。


この通りを歩くたびにこれから気をかけなければならなくなった。いつまで店先で「オ・イ・シ・イ・ヨ」と声をかける鳥がいるかが気になるからだ。


いなくなった時、それは店先に鶏肉にされて並んでいることになる。飛んで逃げようとしない鳥に哀愁の視線を送りながら友徳は店をあとにした。


その友徳の背中に「オ・イ・シ・イ・ヨ」と泣き叫ぶ声が容赦無く浴びせかける。


なにかしら、可愛い声色で

「タ・ス・ケ・テ」と聞こえた気がした……




「パパ!車で送って!車で。土曜日はみんな親に送ってもらうんだよ、パパ」


友徳は娘の声で起こされた。

どうやら小説のネタを考えながらうたた寝していたらしい。

夢から帰国した友徳はすっかり冷めてしまったコーヒーを啜った。次の小説のネタに使えるか吟味していたのだ。


まだまだ甘いが恐怖感を追記すればネタとしては使えそうだとほくそ笑んだ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鶏肉屋の恐怖!店先で「オ・イ・シ・ヨ」と鳥が泣く 雨鬼 黄落 @koraku_amaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ