くまをかぶる

石川ライカ

くまをかぶる

 くまは言った。

「きみは毎日たのしそうだね。僕なんか動くたびに寂しさと空腹で涙が出るよ。」

「そんなことないよ、僕だって人間らしい悩みごとに毎日押しつぶされそうなんだ。」

「それは君が人間だからだよ。でもくまにはくまの哀しみがあるのさ。友だちはみんな穴の中に引っ込んでるし、たまの買い物で出掛けてもすれ違うこともない。この切実な寂しさは君にはわからんだろうね。」

「ふん。でも君にはいい寝床も新鮮な食品が売ってるスーパーマーケットも近くにあるじゃないか。僕なんて毎日宿題が出るんだぜ。先生はワークライフバランスってものを履き違えてるよ。」

「ワークライフバランス、か。そうなるとくまのワークは一人で寂しく眠り続けることかな。君にはわかるかい?目を開けたら薄暗い土の中で、澄んだ匂いでまだ冷たい冬が続いているってわかるんだ。全く土の匂いがしないんだ。自分で掘った穴には僕の毛が沢山落ちていて、自分の匂いに満ちているんだ。自分の匂いはよくわからないんだけど。」

「いつまで寝てても起こされないなんて天国じゃないか。僕はどこに行っても規則正しい生活をしろって言われるし、はやく大人になって不規則な生活を手に入れたいんだ。その点くまはちょっとした先輩なんだけど、口調はほかの先生と似てるな。でもちょっと悲観しすぎだよ。」

「言ったじゃないか、寂しさがいまのくまの仕事なんだって。」

「寂しさをひとりじめするなんで横暴だよ、じゃあ君が世界一寂しいってのかい。僕だって家にお母さんもお父さんもいるのにベッドで泣いちゃう夜があるよ。その日嫌なことがあっても、お母さんに話したら悲しそうな顔をされるし、お父さんは難しそうな顔をして苦しそうに黙っちゃうんだ。まるで僕が悲しめてるみたいで、そういう時は布団の中で丸くなるんだ。なるべくまんまるになって、枕をお腹の上に抱きしめて、布団の中で冬眠するんだ。君みたいにね。でも、空気穴をあけておかないと苦しくなっちゃうから、けっこう難しいんだよ。そうして泣きたい気持ちをぎゅーってつぶして、苦しい気持ちに変えて、ぎりぎりまで丸くなったらぷはって顔を出すんだ。そしたら外の空気がとてもつめたくて、ちょっとだけ爽やかな気持ちになれる。聞いてる?僕の話。」

「聞いてるよ。言ったじゃないか、くまの仕事は寝ることだって。寝ることのプロだから、寝たふりも上手いんだ。でも空気穴なんて考えなかったな。第一くまは計画的だから、自分が丸くならなくても快適に眠れるように、穴は余裕を持って掘ってあるんだ。外国で発掘されたティラノサウルスの死因は床ずれだったんだぜ。寝るってことは大仕事なんだ。でも、狭くて小さいこともちょっとはいいことがあるのかも。きみのベッドは小さいの?」

「昔寝てたベッドは今よりもっと小さくて、うーんと伸びると頭と足がベッドの端にくっついたんだ。そのまま木のワクを頭と足でえいって押すと、ぐねって広がるんだ。お父さんは信じてなかったけど、まるでベッドの王様になったみたいで楽しかったな。でもいまのベッドもくまのサイズからしたら小さいんじゃないのかな。」

「じゃあ今度小さな寝床というのを味わってみたいな。君のうちはくまに寛容かい?」

「わかんない。くまを家に連れてきたことはないし。でも、友だちを連れてきたこともないし、お母さんにくまだよ!って言うんじゃなくて、友だちだよ!って言えば友だちってことになるかもしれない。お母さんだって僕に友だちができたら嬉しいだろうし、くまと友だちを天秤にかけたら、くまに勝ち目はないよ。」

「じゃあ僕は君の友達になろう。でも勘違いするなよ、それは見せかけの友達だし、もっと言えばビジネスの関係だ。僕は小さな寝床を味わうことができるし、君は友だちをお母さんに紹介することができる。それに、一緒に布団にくるまって眠ることができる。くまと眠るのなんてなかなかレアな体験だよ。それにほら、冬は街中で見かけるくまも少ないだろうし。それになんてったって、二人で寝たら二倍温かいんだぜ。そうだ、来るべきくまステイに備えて、ちょっと練習しておこうか。」

 僕はそのあと、特別にくまのお腹を触らせてもらって、お腹の毛はちょっとだけ柔らかいんだと教えてもらった。でもそんなの嘘で、腕のまわりのちくちくする毛と一緒で、ふつうに固かった。でもたしかにお腹は温かくて、僕はその日くまのお腹で眠った。くまも眠っていたと思うけど、眠りのプロだから、うそ眠りかもしれない。

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