カスは宇宙人を凌駕する

巡ほたる

カスは宇宙人を凌駕する

 その青年は走っていた。

 その走る姿は鬼気迫るものであり、幼い子供が見ればその異質さに表情を崩し途端に泣き叫んで助けを求めたであろうほどの恐ろしさを兼ね備えていた。

 何故青年は走るのか。走らねばならないのか。

 その理由を明かすため、少々時間を遡る。


 青年の部屋はネバーランドと呼ばれている。呼んでいるのは彼を含む彼の悪友五人組である。

 何故ならば彼の名前が『根羽田』だからだ。

 五人の内誰かが面白おかしく彼らの溜まり場となっている根羽田の部屋を『ネバーランド』と呼んだら案外耳障りが良かったため、即座に定着した。

 昨夜も彼らは彼らがネバーランドと呼ぶ六畳間で阿呆を演じていた。

 一時人気を博した漫画を売り払った金で買ったたこ焼き器で、たこ焼きパーティーに興じていた。だが肝心のタコは高いのでたこなし焼きが大量生産されそうになる直前、ネバーランドの住人のひとり、軽井沢がチーズを持って参上した。彼らは軽井沢を神と崇めた。

 一通りチーズたこ焼きの宴に身を浸していた根羽田はあることを思い出した。

 明日は大学受験の試験の日である。

 そもそもこのたこ焼きパーティーは大学受験に挑む根羽田を鼓舞する決起集会であったのだ。

 急に冷静になった根羽田は酒を飲んでぐだぐだに酔っぱらっているネバーランドの住人たちを叩き起こし、追い出して就寝した。

 根羽田にはもう次がない。

 明日の試験で彼の人生は大きく左右されるのだ。

 理由は彼が三浪人だからである。

 最初の受験では単純に学力が足りず落第した。

 次の受験では寝坊で試験に出られず落第した。

 次こそは必ず、と親に頼み込んで一年の猶予が与えられたが、その一年の猶予は今終わろうとしている。

 そして次の日、快適な眠りから目覚めて根羽田は叫んだ。

 あと三十分で会場受付が終了する時間だったからだ。


 昨夜の酒が抜けきらなかったのが原因か、いつもの癖で目覚ましのタイマーをかけずに就寝したことが原因か――今更そんな原因分析は意味がないことだ。

 受付終了まで残り二十分、根羽田は諦める訳にはいかなかった。

 このままでは自分は受験に失敗し実家に強制送還、田舎で十把一絡げの会社になし崩し的に入社し社会の歯車として生きて行かねばならない。

 まだだ。

 根羽田はまだ悠々自適な『学生』というブランドを手放したくなかった。

 この受験に合格すればまた四年『学生』でいられるのだ。その最後のチャンスを逃すのは彼の矜持に反する。

 親の仕送りによる快適な生活。

 ネバーランドの住人たち。

 即席麺とジャンクフード。

 すべて手放すには惜しい代物ばかりだ。

 そして彼は走る。

 そんな彼の頭上に降り立った影は、パトカーより幾分高く、パソコンの回線の調子が悪くフリーズを繰り返すたびに起こる不快な接続音に少し似た音を発して、彼の存在をかどわかしたのである。


 正月も明け、人々の活気がめでたい雰囲気から日常の営みに移行する気配を感じながら、軽井沢は散歩をしていた。

 昨日の悪友・根羽田を鼓舞する決起集会と銘打って行った自堕落たこ焼きパーティーは自分がチーズを持って参加したため神と崇められ気分がよかったものだが、その後根羽田に追い出されて渋々住まいに帰らざるを得なかった。まさか受験生本人である根羽田が自身の置かれている状況をチーズたこ焼きで忘れるとは思わなかったのだ。

 軽井沢は酒を飲むと眠りが浅くなる体質である。

 それゆえ、酒を飲んだ翌日は早朝に起きてしまい、今こうしているように散歩をするのが恒例になっていた。

 駅では緊張した面持ちの高校生などを見かけて「ああやはり今日は試験の日だったのだな」と思い、悪友もきっとこんな顔をして試験会場に臨んでいるだろうと頭の片隅で考えていた。

 根羽田が合格すればいいなが一割、今日は寒いなが九割脳内を占める軽井沢の目の前に、急に現れたのはどう見ても宇宙人だった。

 身体は銀色、吊り上がった目は白目がなく空洞のように真っ黒い。服らしい服は着ていないように見受けられるが、もしかしたらガスが固まってできる全身タイツタイプの服かもしれない。

 そんなあからさまな宇宙人は、変に反響する声で軽井沢に話しかける。

「ワレワレハウチュウジンダ」のテンプレはなかった。

「あなたが落としたのは善性のカスですか、悪性のカスですか」

 そう言って宇宙人が首根っこを掴んで軽井沢に示したのは、誰あろう軽井沢の悪友の根羽田だった。

 軽井沢は怪訝な顔をした。

 ――いや、これはもしかしたらチャンスなのではないか。

 軽井沢は良くも悪くも適応力があった。

 ――目の前のこいつが本物の宇宙人だったとして、それを出版社にタレ込めば小銭稼ぎになるのではないか?

 きょうび宇宙人やUFOの目撃情報にどれほどの価値があるのか軽井沢には専門的知識がなかったが、胡散臭いオカルト雑誌くらいなら記事の端っこにでも取り上げてくれるかもしれない。

 とりあえず事実を述べて様子を見ることにした。

「落としてもいないし見捨てても構わないんですが――俺が落としたのは毒にも薬にもならないカスです」

 言っておいてしまったと思った。この質問がもし軽井沢の知るあの童話から引用されていた場合――軽井沢はとんでもないカスを両方押し付けられることになるのではないか。

 案の定、宇宙人は童話通り続ける。

「正直者のあなたには両性のカスを――」

「いやいらねっス」

「そう言わずに!」

 宇宙人は食い下がった。

 この短い会話の中で、根羽田がどれだけ宇宙人相手に狼藉を働いたのかなんとなく察せられた。ならばなおのこと宇宙人が差し出す両性のカスを受け取るわけにはいかない。

 根羽田の性格はカスだが、軽井沢の性格もなかなかカスだった。

「なんで不良債権だってわかってる奴をふたりも引き取らなきゃならないんすか、そっちで処分してくださいよ。地球上ならあいつを求めてるやつも少しくらいならいるでしょ。俺を巻き込まないでくださいよ」

 一方的にまくしたて、軽井沢は宇宙人の横を通過して去っていく。取り残された宇宙人は肩を落として飛行艇に戻って行った。


「あ、上官おかえりなさい。……って、ええ!? あの地球人、地球人に受け取ってもらえなかったんですか!?」

「ああ……おかしいな、地球人は仲間意識が強く、道徳的だと聞いていたのだが……」

 上官は部下に差し出された経口補給液を受け取りながら頭を抱えた。

 部下の作業していた机の更に向こうの開けたスペースに、彼らの頭を悩ませる地球人が床に寝そべって柔らかなクッションに身を埋め、モニターを見て菓子を食い、ゲラゲラと笑っていた。

「あー上官殿帰って来たんだ。ねーこのテレビ、アニメは映んないの? 俺異世界転生モノ好きなんだけど、見たいんだけど。でさ、このお菓子味薄いよ。もっとポテチみたいにガンガン添加物マシマシのやつちょうだいよ。ね、俺って大事な地球人のサンプルなんだろ? だったら優遇しなきゃね、ね、上司のひともそう言ってるんだもんね。あー俺ラッキーだったな、これで宇宙人に一生養ってもらえるなら、大学の受験とか試験なんてする必要ないもんな!」

 上官は抱えた頭がもっと重くなるのを感じた。

 だから上司にはアブダクションする地球人の質は選んでほしいと再三申告したのに、今回も懲りずに「ちょっとおバカな子が見たいな」という要求のもとアブダクションした地球人は驚くほどのカスだった。

 上司は地球人マニアでどんな地球人でも可愛いと言い切れる愛護に溢れた人物だが、あまりに愛護に溢れすぎているせいで盲目的なのだ。地球人を優遇したい地球人マニアの気持ちを推し量ることは難しい。きっと上司はこの地球人さえ「可愛い」と言って甘やかしてしまうだろう。この地球人の要求を無限に叶え続ける必要があるということだ。それは彼らに生き地獄が用意されていることと同義だった。

 このままでは母星の一角をこのなんの役にも立たない地球人に占領されることになる。

 それはなんとしてでも避けなければならない。

 地球人にすねかじりされる我々など、惨めすぎて直視できない。

 ――ゆえに、彼の記憶にある彼を引き取ってくれそうな人物にコンタクトを取ったが、まさかのけんもほろろに拒否されて、上官は戸惑った。

 地球人マニアの上司が愛読する地球人の間で長い間読み継がれている書籍によると、あのような問答をすれば地球人は喜んで対象を受け取るはずだったのだ。

 なのに結果は散々で、飛行艇の乗組員は全員絶望していた。

「……引き取り手があれば、上司の方も納得して諦めてくれると思ったんですが、断られたのでは、もう……」

「どうします、あの地球人に食べられて、我々の娯楽食はもう底をつきそうですよ」

「地球食の輸入も今では課税の対象になっていますし、このままでは経費で落とすことも難しく……」

 もはや彼らの前に立ちはだかる危機的状況は有無も言えぬほど深刻なものへと変貌していた。

 上官は頭の切れる傑物と謳われていたが、こんなところでこんな危機に瀕するなど想像したこともなかった。

 だが――やはり彼は傑物だった。

 土壇場でこそ、頭脳は最適解を導くことができる。

「コンピュータを起動しろ! さっきの地球人が言っていた。『地球上ならあいつを求めてるやつも少しくらいならいる』と! この世に誰にも求められない存在などない! こいつを待っている者を特定して、そこに送りつけるんだ!」

「上官!」

「上官!」

「シュプレヒコールはあとだ! 地球人の記憶を消せ! そして転送用意だ!」

 上官の命令で検索を終えた部下が驚きの声を上げた。

「ありました――上官、ひとつだけ、彼の来訪を待つ地球人のいる場所がありました!」

「よし――そこに落とせ! 始末書は私が書く、だから――あの地球人をサンプルに回収することは白紙とする!」


 べしゃり、と、根羽田は顔面から着地した。

 なにやら頭がぼんやりとするが、走りすぎて酸素不足になっているだけだろう。時は一刻を争う。早く受験会場に行かねばならない。

 根羽田が顔を上げると、きょとんとした顔の女性がいた。

 業務用の机とパイプ椅子。横には「○○大学 受験会場」と書かれた貼り紙がある。

「ま――間に合った!」

 根羽田は歓喜した。

 危機一髪、遅刻することなく、受験会場に辿り着いたのである。


                了

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カスは宇宙人を凌駕する 巡ほたる @tubakiya

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