ワンダーランド

立談百景

10時開店

「やー、やっぱね。ヅマは来てくれると思っとったっちゃん。バリ嬉しい」

 闇バイトで宝石店を強盗して捕まった久司山に面会に来たのは、どうやら俺だけらしい。留置場の久司山は悪びれた様子もなく、ヘラヘラとしていた。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だが憎めないやつだと思っていたがここまで馬鹿だとは思ってもみなかった。

「マジさ、お前なんしとうとやって。ビビるわ」

 久司山には俺以外に友達もおらず、前に聞いていたところによると身寄りもなく、会いに来たのは俺だけらしい。

 久司山とは最初はただのパチンコ仲間で、同じ店で同じようなタイミングで並んだり、同じ台を打ってるうちになんとなく顔見知りになった。久司山の髪は黒く綺麗な長髪で、開店前に並んでるといつもいるから目立っていたのだ。お互いタバコを吸わないからかパチンコ屋でも行動範囲が何となく似ていて、何となく話しかけるうち、いつの間にか頻繁に連むようになった。

 こいつが逮捕される二日前にも俺の部屋でパチプロのYouTubeを見ながらダラダラ酒を飲んでいたのに、何故こんなことになってしまったのか、目眩を覚える心地がした。

 留置場の面会室で向かい合う久司山は、その黒い長髪が揺れるたび、鬱陶しそうに頭を振る。普段はコイルタイプのヘアバンドで髪の前と横を後ろに流して押さえていたが、没収されたのだろう。

「とりあえず差し入れ預けとうけん。金と、一応なんか歯ブラシとか。それから服。寒くなるらしいけん、防寒着とか渡しとる」

「おーマジ? ありがてー。アメニティっぽい歯ブラシってキモいけん好かんっちゃんね。さすがヅマ、オレんことよう分かっとうやん」

「いや分からんし。つーか大丈夫なん?」

「大丈夫って?」

「いや……なんやろ。なんかここの生活とか、弁護士付けたりとか」

 どんな理由で久司山が闇バイトに手を出して強盗なんてやってしまったのかは分からないが、それでも人を傷つけたり殺したわけでもなく、闇バイトだって何か事情があってのことだと思うし、まあ、いまこいつの力になれるのが俺だけなら、どうにかしてやりたいと思う。

 しかし久司山は、こちらのことなど構うことなく言う。

「なーんもわからん。いや、でもまあ良いとって、そんなことは」

「よくないやろ」

「いや、良い」と久司山はヘラヘラしたまま、なぜかそう断言した。

「はあ?」

 俺はその言葉の意味がよく分からずに問いただそうとしたが、面会時間も限られていたので「……まあいいわ」と、それを聞き流した。

「俺の方でなんか調べられることは調べとくけん。明日か明後日か、また差し入れ持ってくるけど、他に欲しいもんある?」

「マジ? じゃあジャンプの先々週の号から持ってきてくれん? 呪術の続き読みたい」

「いいけど」

「うーわマジありがてえ。あ、それとシャンプーとかいけるとかいな。髪が軋むっちゃんね、ここのシャンプー」

「シャンプーはいけんらしい。トリートメントも」

「え、そうなん? なんでやろ」

「薬品やけんやない? 知らんけど。――ヘアゴムは入れとうけん、使いい」

「センキューセンキュー、ありがとう」

 とりあえず、久司山は留置場の生活に参っている様子もなく、とは言え罪を犯して良心の呵責に耐えきれないといった様子もなく、いつもの久司山のままで俺は少し安堵する。

 大丈夫、大丈夫だろう。

 首謀者でもないし、反省の色が態度に見えなくとも罪は認めているはずだ。実刑判決が下っても執行猶予がつくかも知れない。そうすりゃ今度は、もう少し目の届くところに久司山を置いておくのが良いだろう。

 そうこうしているうちに面会時間が終わり、俺は「また来るわ」と言い残して留置場を後にする。

 ――久司山が留置場で自殺したのは、俺が三度目の面会に行ってから三日後のことだった。

 最後の面会で、ジャンプで好きなキャラが死んだのがショックだと、やはりヘラヘラしながら話していたのを憶えている。

 久司山は俺が持ってきたジャンプのページをちぎって丸めてちぎって丸めて飲み込んで飲み込んで、窒息して死んだ。特に遺書なんかは残ってなかったらしいが、自殺だと判断されているし、俺も自殺だと思う。

 久司山は死んでしまった。

 最後までヘラヘラしていた久司山が何を考えて闇バイトに手を染めて、何を考えて死に至ったのかは分からない。マジで連絡のつく知り合いが俺の他に居なかったらしい久司山の遺骨はクソ面倒くさい手続きを踏んで俺が引き取り、いま俺のアパートの冷蔵庫の上にある。

 骨壺への遺骨の入れ方があまり良くなかったのか、骨壺か箱の作りが甘いのか、冷蔵庫のドアを開け閉めする度に中の骨が僅かにかららと鳴っているような気がした。

 パチンコ屋に朝から並んでも、あの長髪を見かけることはもうない。

 俺がユニコーンで負けてるのをヘラヘラしながら小馬鹿にしてくるやつはもういない。

 別に大した関係じゃなかった。久司山はただのツレだ。

 お互い張り合いのない生活をしていて、見通しのない今を共有しながら、ダラダラとフリーターをやって手に入れた時給をパチスロの横の縦長い穴に吸いこませるだけの日々だった。趣味もない、遠出も嫌い、飯だってすき家とかジョイフルで十分。酒も好きじゃないしタバコも吸わない。女も居着かない。

 俺たちは別々の人間だったが、別々である必要もなかったんだろう、なんて思う。

 同じようなもんが、何となく混ざったように連んでいるだけ。

 ただ意義のない人生を過ごし、そして俺は生きてて、あいつは死んだ。

「吾妻さんて、なんていうか、無の人ですよね」

 久司山が死んで一年くらいが経ち、あるときバイト先の同僚からそんなことを言われた。クソほど暇な深夜のコンビニの夜明け前、暇つぶしの雑談の会話も尽きたとき、俺の空虚さを悪気なく――いや、悪気はあったのかも知れないが、とにかくそう評された。

「ああ、まあそうかもスね」

 なんて、俺は相槌を打つ。

 それから会話が続かないことを察し、それ以上は面倒になった同僚が今度は悪意たっぷりに言った。

「はは、吾妻さんの墓参り、誰も来なさそう」

 その瞬間、俺の頭の中に留置場の久司山の言葉が甦る。

 そして俺はその言葉の意味をようやく理解した。

 ――良くねえよ。

 良いわけねえだろ、馬鹿がよ。

 俺はその日のバイトが終わってそのまま銀行で有り金を全部引き出して10時開店のパチンコ屋に並んでユニコーンで有り金を溶かして最後に辛うじて勝った一万円でホームセンターに行ってバールと軍手とタオルと適当なサイズの鞄を買って作業服店で目出し帽を買って靴屋で安いスニーカーを買って100円ショップで包丁を買って家に帰って買ったものと久司山の遺骨を骨壺から出して鞄にガラガラと入れてスマホで近くの宝石店の場所を調べる。

 なあ良くねえ、良くねえよな、久司山。

 馬鹿野郎、畜生、最悪の気分だ。

 俺は宝石店へ向かう。

 宝石店の脇の路地で目出し帽を被り、深呼吸をする。

 握ったバールの重さが分からない。全身が痺れるように感じる。

 そして――客のいない宝石店の窓が、振り下ろされたバールの力で割れた。

 俺が勢い押し入ると店の中に警報ベルが鳴り響き、防犯用のシャッターが降りる。しかし俺は店員に包丁を突きつけながらショーケースのガラスをバールで破壊し、宝石を鞄の中に流し込むように入れていく。一通り宝石を鞄に詰めると、入り口の降ろされたシャッターを蹴ったり殴ったり体当たりして外に逃げようとしたが、人の力ではビクともしなかった。

 もたもたしてるうちに、やがて外からサイレンの音が聞こえてきた。俺は宝石店のバックヤードに回り込んでトイレの小さい窓から路地裏に出ようとするが、しかし身体がつっかえ、なんとか出られたと思った瞬間、顔面から路地裏に転がり落ちた。

 落ちると同時に、口を閉めてなかった鞄の中身が路地裏にしゃらしゃらと弾けるように飛び出る。

 名前も知らねえ宝石と、多分砕けたガラスと、それから、久司山の遺骨。

 それらが混じって路地裏の隙間に入る陽の光の反射を受けてきらきらと輝き、畜生、あまりに美しかった。

 砕けちまえば、混ざっちまえば、みんな同じようなもんだろ。

 俺は地面に伏したまま腕を伸ばし、手が届いた何かを掴んだ。

 ――しかしその瞬間、俺の身体は誰かに押さえ付けられた。周りを見ると、何人もの警察が狭い路地裏に押し合いへし合い、俺を取り囲んでいた。

 身動きが取れない。伸ばした腕も体重をかけられ、力が入らなくなる。

 掴んだ何かは俺の手から溢れたが、何を掴んでいたかは終ぞ分からなかった。

 久司山、なあ、久司山。

 俺とお前に違いがねえなら、俺はそこに行かなきゃダメだろ。

 俺とお前に違いがあるとするのなら、俺はジャンプを読んでないから誰も差し入れちゃくれないって、多分、それくらいのもんだと思うから。


(了)

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