お姉ちゃんは月の向こうがわへ

我堂 由果

第1話

 一カ月前、お姉ちゃんが交通事故に遭った。

 歩道を歩いていて暴走車に轢かれた。そしてそのまま帰らぬ人となった。

 お姉ちゃんはI大学の四年生だった。就職も決まって、最後の学生生活を楽しんでいた。それなのに。


「お姉ちゃんに会いたい」


 私は気が弱かった。小さな頃はいつもお姉ちゃんの後ろをついて歩いていた。学校に通うようになっても友達ができなくて、すぐに気の強い子にいじめられた。それを知ったお姉ちゃんはいじめっ子を呼び出して、取っ組み合いの喧嘩をした。先生に見つかって年上のお姉ちゃんが怒られたけど、お姉ちゃんは先生に抗議して、それでお姉ちゃんが先生から睨まれて、それでも私を守り続けてくれた。

 高三の時、どんなに勉強しても成績が上がらなくて、第一志望を諦めようかと思った時、お姉ちゃんはつきっきりで勉強を教えてくれた。大学生のお姉ちゃんはもっと友達と遊びたかっただろうに、私の勉強を優先してくれた。

 お姉ちゃんはいつも私のそばにいてくれた。支えてくれた。でももう、お姉ちゃんはいない。二度と会えない。


「会いたいよ、お姉ちゃん」


 自分の部屋でスマホの中の写真を見る。数カ月前に二人で行った旅行の写真。笑顔のお姉ちゃん。笑顔の私。この時はこんなことになるとは思わなかった。お姉ちゃんと楽しく過ごしていた頃の写真を見る度、動画を見る度、いつの間にか涙が溢れてくる。今日も視界がぼやけて、溜まった涙が両目から零れ頬にいくつもの筋が伝った。


 せっかくお姉ちゃんと頑張って勉強して合格した大学なのに、通う気が起きない。行っても講義に集中できない。友達と話していてもちっとも楽しくない。だからもう大学には行かなくなった。部屋に引きこもってお姉ちゃんとの思い出の物ばかり眺めていた。

 

 突然、スマホの通知音が鳴った。音も違うし画面を確認もしたが、通知は自分のスマホのではない。とすると、お姉ちゃんのスマホ?

 お姉ちゃんの事故当日の荷物が戻ってくると、スマホは私がもらった。お姉ちゃんと私はとっても仲良しで、私のスマホはお姉ちゃんの誕生日、お姉ちゃんのスマホは私の誕生日がパスワードだったから、私はお姉ちゃんのスマホを開けることができた。でも何だか悲しくて、いくら仲良しでもお姉ちゃんに悪い気がして、写真やビデオ以外のお姉ちゃんのプライベートを覗こうとは思わなかった。


 でも通知音。誰かからどこかから、お姉ちゃんに連絡がきたのだ。お姉ちゃんのスマホを机の隅にある充電器から外して待ち受け画面を見る。モーモーと名乗る人物からメッセージが届いたとの通知が表示されていた。出だしの文章が『福地美記(ふくちみき)です。歌奈(かな)ちゃん……』となっている。


「福地美記ってお姉ちゃんじゃん!」


 福地美記はお姉ちゃんのフルネームだ。なぜお姉ちゃんが自分のスマホに、自分で連絡を入れているの? だってお姉ちゃんは死んじゃったのに。連絡なんてできるはずないのに。

 きっと誰かのいたずら。でも誰が、一体なんのために? 

 でももしこれがお姉ちゃんからだったら、どこかで生きているんだったら、死んだのがお姉ちゃんじゃなかったら……。

 私はアプリを開いてメッセージを読んだ。


『福地美記です。歌奈ちゃん、返信ください』


 メッセージはそれだけ。送信者はモーモー。モーモーがお姉ちゃんなの?


『お姉ちゃんです。異世界に転生しました』


 私が返信をためらっていると、次にそんなメッセージが流れてきた。





 どうしよう、どうしよう。今はやりの転生。でもそれは漫画や小説の中のこと。現実にはないってわかっているのに、これ、絶対いたずらだってわかっているのに。それなのにお姉ちゃんかもしれないと思ってしまう。お姉ちゃんであって欲しいと思ってしまう。お姉ちゃんだったら、本当に異世界に転生したんだったら……私はお姉ちゃんと話したい。


『本当にお姉ちゃん?』


 私はその文字列を送信してしまった。


『うん』

『異世界にいるの?』

『魔法のある昔のヨーロッパみたいなところ』


 その後も話を続けた。お姉ちゃんは異世界で平民の家の娘に生まれ変わった。教会の能力判定で転生者として聖女認定を受けて、聖女として教会に引き取られた。聖女は貴重なので教育や生活が保障される。代わりに魔物が発生する土地を浄化し、怪我人や病人を治療し、毎日祈りを捧げるそうだ。


 お姉ちゃんは地球の文明について、その世界の学者たちに説明した。地球で使っている機械のいくつかを作り出せたそうだ。そしてとうとう携帯電話とよく似た機能を持つ魔道具が開発された。そしてそれをなん度も改良した結果、こちらの世界のスマホにも文字列だけなら繋げられるようになった。

 でもそれは大変難しい作業で、制限時間があるらしい。その日はそれでやり取りは終了した。





 次の連絡は今度の土曜日二十二時と、あの時の最後にお姉ちゃんが書いていた。私は次の週末が待ち遠しくて仕方なかった。お姉ちゃんと話ができると思うと大学にも通えた。だって部屋に閉じこもっているって言ったら、きっとお姉ちゃんはそんなの駄目だって言うと思うから。お姉ちゃんに心配かけたくないから。


 でも大学に行っても、誰にもこのやり取りについては話せなかった。だって誰かに話したら、きっと『騙されてる』とか、『何かあったらどうするの?』とか、このやり取りをやめるように言われてしまうとわかっているから。

 

 大学生になってサークル入って友達はできたけど、私はやっぱり気弱で内向的。その性格を優しい友人たちは心配してくれている。お姉ちゃんに頼り切ってて、世間知らずだってことも自覚してはいる。きっと友達たちは心配してくれて、やり取りをやめるように説得してくると思う。でもなんて言われても私はやめられそうにない。だってここ一カ月間ずっと感じていた底なしの寂しさを、あのやり取りが一瞬で埋めてくれたから。

 

 お姉ちゃんは今度、どんな話をしてくれるだろう。私はどんな話をしよう。そう考えるだけで元気が出るのだ。毎日が楽しくなるのだ。だからやめられない。私だけの秘密だ。





『辺境の山に魔界へ通じる穴が開いて、魔王がやって来た』


 お姉ちゃんは聖女として帝国軍とともに、人間界に現れた魔王城へ向かうらしい。準備が整い次第お姉ちゃんは戦争に行く。大丈夫なのだろうか。


『ちゃんと学校行ってる?』


 それなのにお姉ちゃんは私を心配してくれる。


『ちゃんと行ってるよ』


 やっぱりお姉ちゃんに心配された。大学へ戻っていてよかった。嘘じゃなく、胸を張って学校へ行っていると言える。これから戦いに行くお姉ちゃんに心配かけちゃだめだ。しっかりしなきゃ。


『ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと生活してる』

『よかった。でも無理は駄目だよ』

『大丈夫』


 その日はそこまでで終わった。

 大丈夫、無理はしてない。お姉ちゃんとこうして週一でも話せるんだから。大変な状況のお姉ちゃんからいっぱい元気をもらっているんだから。





「歌奈ちゃん、先輩たちとの懇親会行ける?」


 サークルの友達から声をかけられた。


「歌奈ちゃん、やっと学校へ来られるようになったばかりだから、辛いならお休みでも大丈夫だよ。先輩に言っとく」

「ううん。大丈夫。一次会だけでも行くよ」


 以前と同じように生活しなくちゃ。お姉ちゃんはきっと私が今まで通りに過ごすのを望んでいる。週末の報告でも『今週は、〇〇〇、なんてことがあったよ』って報告したい。メソメソ家に閉じこもってないで、友達と楽しく過ごしているって書き込みたい。お姉ちゃんを安心させたい。





『帝国軍と魔王軍が毎日衝突している』


 戦争が始まった。お姉ちゃんは聖女として帝国軍の負傷者を治療しているらしい。魔王を倒せるのは勇者だけ。兵士たちは勇者のために道を切り開く。


『今週、歌奈ちゃんはどうしてた?』


 授業に出たこと。サークルの懇親会に出たこと。友達と有名スイーツ店に行ったこと。他にもいっぱい報告できた。


『お姉ちゃん、安心したよ。心置きなく頑張れる』

『お姉ちゃん、絶対に生き残って』

『私は野戦病院にいることが多いから大丈夫だよ』


 でもその病院に魔物が来たら……。私は毎日神様にお祈りしようと思った。お姉ちゃんが生き残れますようにって。





『こっちは頑張っているよ。歌奈ちゃんは?』


 私は今、大学二年生。単位の試験を来週に控えている。それなので今週は毎日図書館で友達と勉強していた。お姉ちゃんのことがショックで引きこもっていた間の遅れを取り戻さないと。友達も先輩も応援してくれて、とっても親切にしてくれる。


『頑張る』


 試験が終わったら大学そばの有名店の季節限定ケーキが食べたいな。お姉ちゃんも早く魔王を倒して帝都の有名店のケーキが食べたいって。いつかお姉ちゃんとケーキの話で盛り上がりたいな。お姉ちゃん、元気で帰って来てね。





『勇者が魔王を倒した』


 それから一カ月以上戦争は続き、とうとう勇者が魔王を倒し、お姉ちゃんたちが勝利した。おめでとう、よかった。でもまだやることが一杯あるみたい。魔王の開けた魔界と繋がった穴を塞いで、人間の世界に残った魔物を全滅させて、怪我人全員を帝都に戻して、戦場となった土地を浄化する。

 まだまだお姉ちゃんの活躍が必要なんだって。お姉ちゃん頑張って。





 それから毎週少しずつお姉ちゃんの仕事が完了していって、一カ月後やっとお姉ちゃんは帝都に戻って来た。


『勇者のパレードもあったんだよ』


 帝都中の人たちがメインストリートに集まって、盛大で華々しいパレードだったんだって。これからお姉ちゃんは教会に戻る。聖女の仕事に戻るんだって。でもお姉ちゃんは未婚だし婚約者もいないから、沢山の地位の高いイケメンたちから求婚されていて、この中から相手を選ぶように言われている。


『誰を選ぶの?』


 そう聞いてみたら。


『秘密』


 と言って教えてくれなかった。でもまだ当分は独り身人生を楽しみたいとも言っていた。究極、結婚しなくてもいいかなって。





 今日は金曜日。明日またお姉ちゃんと話せる。今回はずっとできなかったスイーツの話がしたいな。

 ウキウキしながら大学の正門を出たところで、「福地歌奈さんですよね」と男性に声をかけられた。誰だろう。初めて見る人。でも背が高くて、スポーツやっているのか引き締まった体型で、整った顔立ちなのに、ちょっと困った表情がとても優しそうに見える人。素敵な人だなと思う。女の子にもてるだろうな。

 その隣には背の高いとても綺麗な顔立ちの女の人。スタイルもよくて、長いストレートの髪もツヤツヤで、モデルさんみたいな美人。二人並ぶと芸能人みたい。理想的なカップルに見えて、とっても人目をひいていた。


「はい」


 『只者ではないオーラ』、を放つ二人に見惚れてしまって何も考えられず、するりと肯定の返事をしてしまった。「歌奈、返事しちゃだめだよ。警戒感なさすぎ」と、隣を歩く友人から側頭部を、拳で押すように小突かれた。

 そうだよね。周りに頼ってばかりじゃダメ。自分がしっかりしないと。


「なんの用ですか!」


 友人は私の代わりに怖い声で言ってくれた。私もこういう声を出せるように頑張らないと。

 でも。その二人は顔を見合わせ頷き合ってから、私の前の地面に両膝をついた。どうしたんだろう、服が汚れるよ、と思っていたら。


「「すみませんでしたー!」」


 次にとった二人の突然の行動に、私は呆気にとられた。隣を見ると友人もポカンと口を開けて固まっている。

 驚いたことに、その見知らぬ美男美女の二人は大声で謝罪の言葉をハモらせながら、私に向かって土下座をしたのだった。





 大学そばの喫茶店のテーブルに四人で座る。私の正面にイケメンさん。左斜め前に美人さん。そして私の左隣に友人が座った。イケメンさんが奢るのでなんでも好きな物を頼んでと言われたが、この異常な事態のせいか、結局四人ともブレンドコーヒーを頼んだ。


 大学正門前でのあの状況。その光景は目立つ。当然立ち止まって見ている学生もいるし、テレビのロケではないか(イケメンさんと美人さんだからかな)という声も聞こえるし、スマホで撮ろうとする人も出たので、一旦その場を離れることにした。話をしたいとイケメンさんに言われて、でも私一人では頼りないからと友人がついて来てくれた。そしてここ、喫茶店にいる。


「牛島樹(うしじまいつき)と申します。I大学の四年生です」

「牛島美月(うしじまみづき)と申します。樹の妹です。E大学の一年生です」


 二人はそう自己紹介をした。I大学はお姉ちゃんが通っていた大学で、樹さんはお姉ちゃんと同級生だ。美月さんの通うE大学は私の通っている大学。美月さんは私の一年後輩ということになる。


「メッセージアプリのモーモーって、俺なんです」


 樹さんは両手の平を両太ももについて、両目をギュッと瞑って頭を下げた。


「すみません」

「あの異世界話を考えたのは私なんです、すみませんでした」


 樹さんに続いて美月さんも同様に頭を下げる。この中でただ一人、話がわからないであろう友人に、モーモーについて説明をした。私が説明をしている間に二人は頭を上げて、私をチラチラとみては目が合うと居心地悪そうにその目を逸らしていた。


「なんなの! そのいたずら!」


 話を聞いた友人は、速攻で二人を怒鳴りつけた。丁度その時店員さんがコーヒーを運んできてくれて、友人の剣幕を見て怖かったのか一瞬だが動きが止まって、テーブルにコーヒーを置くのをためらっていた。店員さん、驚かせてごめんなさい。


「いたずらじゃないんだ!」


 樹さんはバンと音を立てて両手をテーブルにつき、私に向かって前のめりになりながら、友人の言葉を否定した。カップが揺れてカチャカチャと鳴る。他のお客さんが一斉に私たちを見た。騒がしくてごめんなさい。


「俺とフッチー、すみません、いつもそう呼んでるんで……お姉さんはサークルの友人でした。二年前になります。お姉さんが俺に『妹だよ』って、写真やビデオを見せてくれたんです。歌奈さんはまだ高校生で、でもとってもかわいくて、俺、お姉さんに紹介してくださいってお願いしたんです。そしたら『JK好きの変態か』って軽蔑されて」


 樹さんは前のめりをやめるとテーブル上の両手を太ももに戻し、少し下を向いて頭を振った。


「でも俺、JKだからとかじゃなくて。ほんとに歌奈さん俺のタイプど真ん中で、どうしても諦めたくなくて、歌奈さんが成人したら紹介してくださいって俺、必死に頭下げて」


 テーブルへ向いていた樹さんの顔がさらに下へと傾き続け、自信なさげな視線が彼の太もも辺りまで落ちる。


「『じゃあそれまでに私が認めるような男になって。あんた顔はいいけどなんだか全体的に頼りないしダサい。歌奈は大人しい子だから、優しくて頼りがいのある将来有望な男性を紹介したいの』って言われたんです。『どれだけ歌奈に対して本気かこの二年で見せろ』って。俺大学の成績も上げて、就活頑張って就職先決めて、ひょろひょろだった身体もジムで鍛えて、資格の勉強も始めて、流行りの服や、デートの仕方とかも調べて、とにかくフッチーに認めてもらおうと」

「本当です! 私も兄が頑張っているの、ずっと見てましたから。協力もしました。兄は努力したんです」


 美月さんも樹さんを援護する。


「そしてあの日、フッチーが事故に遭った日」


 姉が亡くなった日と言われ、私はドキッとした。思い出すと今でも胸が痛くなって苦しくなるから。


「フッチーがメッセージアプリに新たにグループを作ってくれたんです。『ここに歌奈を招待するよ。歌奈が大丈夫って言うまで、三人でのやり取りだからね。でも歌奈に振られたらすっぱりと諦めるんだよ』って。俺とフッチーが登録したそこに、あの日歌奈さんに入ってくれるようにお願いするつもりでした。そして誠心誠意、俺の気持ちを伝えようと」


 でもその計画はそこで立ち消えてしまった。間に入ってくれるお姉ちゃんが事故に遭ったから。


「お兄ちゃんは『俺の恋は終わった』って落ち込んでるし、歌奈さんは大学で見かけなくなったから家で悲しんでいるんだろうなって思って。お姉さんのスマホのパスワードの話はお兄ちゃんが歌奈さんのお姉さんから自慢されたことがあって聞いてたから、絶対歌奈さんがお姉さんのスマホを見ているって思って。それで私、お兄ちゃんのスマホから勝手にあんな話を送ってしまって」


 今度は美月さんが少しずつ下を向いていく。そして両目は潤んで真っ赤、今にも泣きそうだ。


「俺が一番悪いんだ! 妹のやったことにすぐに気づいたのに、でも歌奈さんの返信見たら嬉しくて、止まらなくなってしまった。でも俺も妹もストーリー作る才能なくて、あっという間にベタな話が展開終了して、情けないことに、あとは謝るしかなくなった」


 モーモーはお姉ちゃんじゃなかった。そんなの当たり前だ。

 お姉ちゃんと樹さん二人でのやり取りもスマホに残っているらしいし、スマホ内をよく調べればモーモーはお姉ちゃんじゃないってすぐにわかるのに、私はそれをしなかった。きっと無意識に調べてはいけないと思っていたんだろう。

 モーモーの正体を知らなければこのまま連絡を取り続けられる。毎週お姉ちゃんとコミュニケーションが取れる。お姉ちゃんは死んだけど異世界で生き返ったんだ――私はそういう現実世界でずっと生きていたかった。それに浸っていたかった。


「私、怒ってないです」


 私がそう言うと美月さんが急に顔を上げ、その動きの拍子に、両目から涙が一粒ずつ零れた。そして私を見詰め目を見開く。樹さんも徐々に顔を上げ私を見詰めた。


「土曜日のあの時間はとても楽しかったです。あのやり取りがなかったら、私はいまだにお姉ちゃんを亡くしたショックから立ち直れなくて、自分の部屋にこもったままだったかもしれない。実際はお二人からだったけど、お姉ちゃんと話せたお陰で、お姉ちゃんから励ましてもらったお陰で、私とっても元気が出ました。これじゃいけないって、お姉ちゃんを安心させたいってわからせてくれました。外へ出ようって思えて、授業にも出られるようになって、大事な学生生活に戻れました」


 私が弱いから。だからあのやり取りに縋ってしまった。悪いのは樹さんと美月さんだけじゃない。いつまでもお姉ちゃんなしでは独り立ちできない私も悪いのだ。


「毎週私につき合って、元気づけてくれたお二人には感謝してます。これからは引きこもったりせずに一人で頑張れます。ありがとうございました」





 土曜日の二十二時。今日はお姉ちゃんとお話できない。その楽しかった時間は先週で終わったのだ。バッテリーの残量が少なくなったお姉ちゃんのスマホを机の上の充電器に繋げる。このスマホの持ち主はもういないけど、充電だけはしておきたい。その時、机の上に放置してある私のスマホが鳴った。


「え?」


 急いで画面を見ると電話がかかってきていた。樹さんではない。表示がお姉ちゃんからだから。


「え? え?」


 私は充電器に繋げられているお姉ちゃんのスマホを見る。そのスマホは大人しく充電されているだけで電話なんてかけていない。混乱した私は首を左右に振って二つのスマホを見比べる。


「お姉ちゃんになりすまし?」


 誰かのいたずら? 


 でも何か予感がして、出なくちゃいけない予感がして、私は通話にしてスマホを耳につけた。


『よかった、出てくれた。歌奈ちゃん、お姉ちゃんだよ、わかる?』


 私は息が止まりそうになった。間違いない、お姉ちゃんの声だ。ずっとずっと聞きたかったお姉ちゃんの声だ。


「お姉ちゃん!」


 私の両眼に涙が溢れる。


『急にいなくなっちゃってごめんね』


 お姉ちゃんからは見えないのに、私は首を振る。溜まった涙が雫になって部屋の中に散った。


「お姉ちゃん、生きてるの?」


 私は酷い涙声で尋ねた。


『ううん。でもね、転生することになったの』

「転生?」

『本当はね、私は事故で死ぬはずじゃなかったんだって。だから神様の計らいで、他の世界で人生をやり直すことになったの。それでこうして一度だけ歌奈ちゃんと話させてもらえることになって』

「他の世界? 一度だけ? じゃあ、もう会えないの? 話せないの?」

『うん。ごめんね』


 再び涙が溢れ出てきた。瞬きしたら、両頬を涙が伝った。


『神様から色々聞いたよ。歌奈ちゃんがどうしているかとか、イッツキー、えーと、牛島のこととか』


 お姉ちゃんは樹さんをイッツキーと呼んでいるみたい。


『でも歌奈ちゃん、頑張ったんだね』

「うん、友達や先輩や樹さんや美月さんや、皆のお陰」

『よかった。歌奈ちゃんが元気になって』

「うん」


 そこで一旦話が途切れた。どうしたんだろうと思ったけど、きっと私を心配して、なんて言っていいか決められなくて言葉が出ないんだと思う。だから、それなら私から言おう。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。心配しないで。私、頑張れるから」

『歌奈ちゃん……』


 お姉ちゃんが鼻をすする音が聞こえる。きっとお姉ちゃんも泣いているんだ。


『歌奈ちゃん、イッツキーをどう思う?』

「え?」

『お姉ちゃん、イッツキーを歌奈ちゃんに紹介する気だったんだ』


 私は樹さんの顔を思い出す。あの一生懸命謝る顔を。


「いい人だと思う」

『もしつき合ってもいいと思ったなら、連絡してあげて。あいつ、今回はやらかしたけど、私がお勧め物件に成長させたから』


 樹さんとは喫茶店で別れてそれっきり。あの日はそれどころではなかったもの。


「考えてみる」


 と言ったけど、私のために二年も費やしてくれた樹さんに、正直私は惹かれている。


「お姉ちゃんはどんな世界に生まれ変わるの?」

『魔法のある昔のヨーロッパ風』


 それを聞いて私はモーモーを思い出し、泣いているのに笑いそうになった。


『の恋愛小説』

「ヒロインで聖女様?」

『まさか。貴族の悪役令嬢よ! 傲慢に育つはずの女の子の体に入るの! この子を素直に育てて、将来向かうであろう処刑台を回避してみせる! 原作糞くらえ!』


 お姉ちゃんは『頼もしい、私らしい選択でしょ』と付け足した。お姉ちゃんはその子を幸せな未来に導いてくれるだろう。


「頑張って、お姉ちゃん」

『任せて頂戴! え? あ、もうそろそろ時間だって』

「あ、お姉ちゃん、なんてタイトルの小説なの?」

『それは秘密』


 教えちゃ駄目って、神様との約束なんだって。


『歌奈ちゃん、歌奈ちゃんと過ごした時間は楽しかったよ。私の妹でいてくれてありがとう。元気でね、幸せにね』

「私も、私もお姉ちゃんの妹でよかった。今までありがとう、お姉ちゃん!」


 私がそう言った直後、電話が切れた。もっと感謝の言葉を伝えたかったけど、神様との時間切れなのだろう。

 すぐに私のスマホをに確認したら、通話履歴に今のお姉ちゃんとの通話は表示されなかった。お姉ちゃんのスマホにも履歴はなかった。今度こそ本当に、お姉ちゃんからのだったんだと思う。





 明日、樹さんに連絡してみよう。まずは週末に映画とかどうかな。ポップコーンとジュース買って、話題の映画見るの。

 それからファンタジーの恋愛小説を読んでみよう。何冊も読んでいるうちにお姉ちゃんが入った小説を見つけられるかもしれない。ヒント少なかったけど、なんとなく見つけられそうな気がする。


 窓を開けて空を見る。雲一つない夜空に大きな丸い月が見えた。煌々と天と地を照らす月。満月かもしれない。でもなんだか、いつもよりも光が青白い。あの月が小説への入り口かな。お姉ちゃんがそこへ向かっている気がした。

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