終章 車輪が軋むように君が泣く

 決闘から一カ月が経った。

 夏からそろそろ秋に移り変わりそうな中——僕と永久子さんは、夕暮れを背に街中をゆっくり歩いていた。

「永久子さん、昨日もテレビ出てたね。毒舌キャラで無双してた」

「猫被らなきゃと思っていたけれど、素の方が案外人気出るってわかって良かったわ」

「ギャップ効果が強い気もするけど」

「何か言った?」

「何でもありません!」

 永久子さんは「なら良いわ」と言いながら、路地裏に入ると僕の左手を握ってくる。ふとした行動にどぎまぎしながらも、その手を握り返した。

 ——恐ろしいことに、こんな行動をとりながらも、僕らは付き合ってはいない。

 所謂恋仲ではなく、友人関係で留まっていた。

 永久子さんはそれなりに有名になり、テレビや雑誌に取り上げられるようになってきている。ただ、アイドルではなくモデルや女優業に務めているため、恋愛禁止条例みたいなよくわからないものは無い。

 けれども、女性タレントとして活躍するには、男性人気も間違いなく必要なはずだ。

 それにも関わらず、永久子さんは手を握ってくる。

 でも恋人ではない。

 何だかよくわからなかった。

「……何か動き出すならせめて受験が終わってからだよなあ」

「その通りよ」

「新しい流れだね! こういう時って普通『え、何?』って聞いて濁すものじゃないの!」

「だって全部聞こえているもの。その答えを述べないなんて嘘になるわ」

「嘘で良いんだよそこは!」

 聞こえないように呟いたつもりだったのに全てバレてしまっていたことが非常に恥ずかしかった。

「それで、目的地はもうすぐなの?」

「ここを右に曲がった後に見えると思うよ」

「そう」

 淡白に返しながらも、左手の握る力が若干強まった感触で、永久子さんなりに楽しみにしているんだなということがわかって嬉しかった。

 今日は、永久子さんの模試第一志望判定がBになったことへのお祝い兼休息日だ。

 ——一カ月前の決闘が終わった後。

 永久子さんは芸能界への復帰を果たし、受験勉強も行うようになった。

 一緒に勉強をする相手は勿論僕——と言いたかったが、僕だけではなく木見城君も一緒だった。

 木見城君は永久子さんと同じ大学を目指しており、常にA判定を誇る天才だったことが一番の理由だった。

「というかそれ以外の理由は無いわ」

「それは酷いぞ永久子さん! 俺にだって感情というものがあるんだ!」

「良いじゃない——この環境は、木見城君にとってもベストでしょう?」

「ま、まあ……」

 一緒に勉強をしている人物は、もう二人いた。

 由実さんと宵闇さんだった。

 二人は受験戦争に乗じるということではなかったが、折角勉強できる環境があるならば乗っかろうという軽い気持ちだったらしい。

 とは言いつつも二人はそこそこに勉強が出来たため、そこそこの僕と一緒に勉強をする中、主に木見城君から勉強を教わっていた。

 由実さんに木見城君が教える度に宵闇さんがシャーペンを噛みながら憎たらしい目つきをするのが気にはなったが、木見城君も由実さんも気にせず微笑ましい空間を作り上げていた。

 宵闇さんはというと、由実さんと一緒に勉強をしている時非常に幸せそうだったので、彼女は彼女なりにこの時間に旨味を得ているのだろう。

「彰輝君、終わった?」

「もうちょっとで」

「そしたら次はこれね」

 一方僕はというと、永久子さんから山ほど課題を与えられるようになってしまった。

 そこそこの大学に入学出来ればそれで良い。

 けれども、どうせ行くのならば——助けたいと思う人の近くに居たい。

 そうなったら、東京の大学に行くしかないだろう。

 ただ、東京の大学で学力も学費もそこそこの大学は、愛知の近場の大学よりも微妙に学力が必要だった。

 その方針を永久子さんに伝えたところ、一瞬信じられないくらいの笑顔になった。

 すぐに真顔に戻し、一呼吸置いて、こう言った。

「良い心がけだわ。早速勉強しましょうか。うっかり私と同じ大学には入らないでね」

「え、何。ツンデレ?」

「そうよ」

「真顔のままその反応できるの凄いね!」

 ——という流れで、僕は受験勉強にパワーを結構割かなければならなくなってしまった。

 兄から気晴らしに旅行に誘われても全てを断らなければならなくなったほどだ。

 そんな兄は最近、僕が旅行についてこないからという名目で外灘先生と一緒に旅行を楽しんでいるらしい。今度一泊二日の旅行をすると言っていた。それはもう、全力で楽しんでもらいたい。

 そんなこんなで、僕を含む周囲の面々は、そこそこどころか結構幸せを感じながら日々を生きている。

 勇者の剣が無くても、この状況がずっと続きそうなことが何よりも嬉しかった——

「何をぼうっとしてるのよ」

「ああ、ごめん。幸せをかみしめてた」

「そう。良かったわね」

 僕の左手を握る右手が波打ってしまっているのが何よりもわかりやすく、愛らしかった。

 そう——ここまでは、勇者の剣が無くても——『選ばれし者』ではなくても掴み続けることが出来る幸せの話だ。

 僕はそこそこの人生で良い一方で、周囲の人は沢山の幸せを感じられるようになってほしい。沢山の人を、そこそこ手が届く範囲で助けたい。

 そんな思いを、僕は、未だに掲げている。

 だから、永久子さんが嬉しくなってくれるのであれば、そこそこ以上に頑張って東京の国公立の学校を目指す次第だ。出来れば教育系が良いなとも思い始めている。僕の『そこそこ』の範囲をわかりやすく広げられる分野だと思ったからだ。誰かに何かを教えられる身分ではまだないとは思いつつ、折角東京まで行くのならチャレンジはしてみたい。

 と、色々考えていたら、目的地に到着した。

「……彰輝。貴方正気?」

「正気も正気」

「え、だって……私のこと、わかってるわよね」

「永久子さんの好物がショートケーキっていう可愛いところがあるのもわかってるくらいだよ」

「調子に乗らないで」

 右手を力強く握られた。痛かったけれど、それでも手を離そうとしない意向を感じられてよかった。

 扉を開けて、受付をして、中に入る。

 永久子さんは目に見えるようにうろたえていた。

 当たり前だろうと思う。

 そこで僕は、こう言った。

「勇者の剣、持ってくれる?」

「へ……」

「物は試しってことで」

 永久子さんは泣きそうになりながらコクリと頷き、僕の左手から離れた右手に勇者の剣を出現させた。

 と、同時に、僕も勇者の剣を右手に持つ。

「永久子さん、触ってみて」

「あ、そうか……」

 永久子さんは途端に安心した表情になった。

 そして、目的地の最大の名物である対象に左手を差し伸べる。

 ——対象の名は、猫。

 猫が、永久子さんの左手を、舌で舐めた。

 けれども、永久子さんは——アレルギーを発症しなかった。

 ——勇者の剣を持つもの同士が対峙している最中、『選ばれし者』の身体能力は向上する。 

 アレルギーもなくなるという仮説は、外灘先生と実は立証済みのところだった。

 まあそんなことはひとまずどこかに置いておこう。

 『選ばれし者』になって良かったと、思えた。

 勇者の剣を指先で触れながら猫を抱きかかえる永久子さんの笑顔は、何物にも代えられない価値があった。

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旅行先で勇者の剣を引き抜いてしまった 常世田健人 @urikado

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