先日、兄が異世界転生していった件について――。

皇魔ガトキ

【短編】先日、兄が異世界転生していった件について――。

「――たかし! たかし!」

 ある日の夜、鈴木家の一室で私の母が叫んでいるのが聞こえた。ただ事では無いと思って母が叫んでいた兄の部屋へ行くと、PCのモニターを前にして突っ伏していた兄の姿と、それの肩を揺さぶる母がいた。部屋の入口の傍には食べられずに置かれていた昼食のオムライスが、哀し気にラップで覆われて置かれている。そして新しく握ってきたであろうおにぎりが三個程、皿から転げ落ちて部屋の床に散乱していた。遅れて晩酌をしていた父もやって来て兄をゆっくりと寝かせる。

「お、お父さん……」

「大丈夫だ、しっかりしろ」

 狼狽える母に父はほろ酔いながらも、冷静に落ち着くよう諭していた。私も恐る恐る部屋に入り、兄の手首に手を当ててみた。

 ――脈は無い。

 急ぎ救急車を呼んだが、程なくして兄が亡くなったのを告げられた……


 兄は二十歳だったが、中学のころから引きこもりの所謂ニートと呼ばれる生活を送っていた。そんな兄とも子供の頃こそよく遊んでもらい、それなりに慕っていた。

 だが私も高校に上がる少し前から一日中家にいて寝て起きてを繰り返しているだけだった兄とは疎遠になっていき、最近は正直同じ家にいるだけでも鬱陶しく感じる程に思っていた。だからだろうか、自分が思いのほか冷静でいる事に驚く。むしろ心の何かが晴れているような気さえしていた。

 兄の死が告げられ、泣き崩れる母。それを介抱する父の顔も、どこかしら嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。だが母も表にこそ出さなかったが、兄の面倒を見るのは相当辛かったのだろう。いざ葬儀が始まる頃にはすっかり元通りになり、いつもの明るい母に戻っていた。

 そして親族のみで慎ましやかに行われた葬儀の最中、お経を唱えているお坊さんが我慢しきれずに思わずお尻からガスを「ブッ」と出してしまった瞬間、私は噴き出してしまい、それにつられて皆も笑いを堪えきれずに式場はあっという間に笑顔で溢れんばかりの楽しい空間に様変わりしてしまう。

 もし今この場に兄がいたら。

「ちょっ、お前ら人の葬式でふざけんなよ?!」

 と、文句の一つも言ってきた事だろう。だが、皆が普段兄に対しどのような視線を送っていたのかを知るのには十分な出来事だった。


 葬式が終わり、兄の遺品整理を行おうと先んじて家の二階にある彼の部屋に入った私は、両手に軍手をはめて、ごみ袋片手にとりあえずパソコンの周りを片付ける事にする。

「やれやれ、あんなお兄ちゃんでも死んでみるとあっけない物ね……」

 と、乱雑に置かれた雑誌を揃えようとしてマウスに触れた瞬間だった。パソコンがスリープモードから立ち上がり、パスワードを求める画面になる。

「あっと、付いちゃった。そっか、これやってる最中に死んじゃったんだっけ」

 何となくあの兄が生前何をしていて死んだのかが気になってしまった。とりあえず兄の誕生日何かを入力してみる……が、エラーと出てしまった。

「そりゃそうだよね、映画じゃないんだから。本人の誕生日とか普通パスワードにするわけないか」

 改めて周囲を見渡すと、モニターの奥に倒れていた写真立てが目に入る。見たところもう数年同じ状態だったのか埃をかぶっており、触るのも少し躊躇する程だった。改めて写真立てを起こして見てみると、そこには子供の頃家族で海に行った時に撮った写真が飾られているのを見つける。まだ小学校一年生だった私は、三つ年上の兄と仲良く腕を組んで笑って写っていた。

「この頃は皆で仲良く過ごしてたな――」

 思い出にふけりながら、ふとパスワードに自分の誕生日でも入れてみるかと思い立つ。そして入力欄に名前と誕生日を合わせて「Miyo0304」と入力してみる。

「なーんてね……って……え、まじで?!」

 パスワードは呆気なく通ってしまった。そんな、お兄ちゃん……

「正直キモいんですけど……」

 そして映し出された画面には動画サイトのとあるVtuberのライブ配信の跡地が。メインにはケモ耳を生やした二次元美少女がほほ笑んだ静止画が表示されており、今は再生されていない。しかし良く見るとこのライブ配信は開始5分で終了しており、表示されている再生回数はたったの1。つまり視聴者は一人で、その間に「神焔のゴッドバロン」なる名前の人物が一万円もスパチャを送っていた。日付を確認すると亡くなった日と合致する。つまり状況的に兄が送ったのは明白だった。

「死ぬ直前まで何やってたんだか。さぞ楽しい人生だったんでしょうね。にしても、いい歳して何が神焔のゴッドバロンよ。しかもニートのくせに一万円もスパチャしてるし……お母さんが泣いたのも無理ないわ。でも五分で終わる配信って何……?」

 不審に思った私は再生ボタンを押して動画を見てみることにする。だがマウスに手をかけ、クリックしようとしたその時だった――。


 動画サイトは一瞬砂嵐のようになったかと思うと見知らぬ女の子が白く明るい、天国のような部屋からこちらを見ている画面に移り変わった。歳は私とそう変わらないだろうか。しかし来ているスーツはデザインこそコスプレっぽい気もしたが、ピシッと襟元も正されており高そうな素材を使っていることは分かる。

「え……?」

 色々と情報量が多すぎて戸惑う私に、画面の向こう側の少女も驚く様子を見せる。

「おっとー、まだ人がいたのか。こりゃ失敬」

「あ、あなた、誰?」

「私? 私はハナ」

「ハナ……ひょっとしてVtuberの中の人?」

「いやいや、むしろ裏方の人だよ」

「へー……って、あれ? 何でマイクも無いのに私たち会話出来てるの?」

「……おっと、こりゃまた失敬。この事は忘れてくれ。そんじゃ」

 と、向こう側が切ろうとしたがこのチャンスは逃してはいけないと私の本能が告げていた。恐らく今切れたらもう二度と会う事は出来ない。そんな気がして思わずモニターを掴んで声を荒げてしまった。

「待って! 鈴木……じゃない、神焔のゴッドバロンについて何か知ってる事はない?」

「神焔……? ああ、鈴木たかしさんか。あなたお知り合い? ひょっとして彼女さんだったりしたとか? って、筋金入りのニートにそりゃ無いかー。あははー」

 初対面でいきなりゲスいな、と思うも正直驚いた。どういう事だろう、兄と知り合いなのだろうか?

「お、お兄ちゃんとどういう関係なの……?」

「お兄ちゃん? そうか、ひょっとして妹さんだったりした?」

「え、ええ。私は鈴木みよ。えっと、ハナ……さん?」

 私は何とかして話を長引かせて少しでも情報を貰えないか粘る事にする。するとハナさんは「ごめんごめん」と軽く誤るとひそひそ声で語り掛けてきた。

「言っても信じて貰えないだろうけど、私こう見えても時空管理局捜査官対応管理員ってやつなのよ」

「え、時空……何?」

「時空管理局捜査官対応管理員。とどのつまり、神様の指令でいろんな世界を救うために頑張る捜査官を管理してる人ってわけ。あ、これね?」

 ハナさんは唇の前で人差し指を立てて見せる。その仕草は女の私から見ても可愛いなと思ったし、目の前のスレンダーで小柄な彼女が嘘をついているとも思えなかった。

「な、なるほど……つ、つまりお兄ちゃんはその捜査官? ってやつだったって事?」

「違うよ」

 色々と頭の中を整理しようと尋ねてみるが、あっさり否定された。

「違うの?!」

「鈴木たかしさんは、その捜査官に任命されたエージェント……みたいな?」

「えーっと、よく分からないんですが……」

「つまり、たかしさんは特別な力があったので見込まれて、異世界に転生させられたって事」

「……は?」

 突如飛び出した「異世界」というワード。ぶっちゃけ、時空管理だの捜査官だの、聞き慣れない単語の連続でパニックになりそうだった所へ、異世界ときた。

「だーかーらー、大魔王倒すために転生していったの!」

「だ、大魔王???」

 もう何が何やら滅茶苦茶だった。

「あ、そうか。これ夢なんだわ」

「あー、まあ、そう思いたくもなるよね」

 現実逃避する私に、ハナさんは思いのほか同情してくれた。

「いやー、正直私もまだ配属されて間もないって言うか。あ、何ならその捜査官から送られてきた映像見てみる?」

「え、映像が有るんですか?」

「うん。ちょっと待ってね――っと、ほい。これ最新のやつね」

 彼女が画面の外で何かキーボードらしき物を操作したかと思うと画面が切り替わった。そしてそこには中世の街並みのような場所で学生服を着ながら頭に小さなドラゴンを乗せ、先程のVtuberにそっくりなケモ耳の女の子やエルフの女の子、剣を持った女の子たちと仲良く歩いている姿が映し出される。

「……って、あああ、あのお兄ちゃんが女の子たちと並んで歩いてるぅぅぅ?!!」

「それだけじゃないよ」

 ハナさんがそう応えると、別のシーンも映し出される。森の中で、まるで王子様のようなイケメンの青年と共に炎やら氷、はたまた電撃を使った魔法を駆使し、モンスターたちと勇ましく戦っている兄の姿が。

「あ、あり得ないわ……そう、AIよ! 最近はAIによる動画の生成も出来るようになったって聞くじゃない? いやあ、人類の進歩って凄いわね!」

 そんな兄の活躍っぷりを認めたくないと私の全身全霊が拒否していた。そして画面はまたハナさんとのマンツーマンに戻る。

「疑り深い妹さんだなあ。ま、数年間もニート生活やってたのに、異世界に行った途端女の子に囲まれながら魔法使って活躍して、本人はハーレム王になるとか公言してるくらいのくず野郎だから気持ちは分かるけどさ……

 あ、それならあなたも転生してみる? あなたのステータス確認させて貰ったんだけど、どうやらお兄さん程ではないにせよそこそこ戦力になるっぽいのよね。どう?」

「……は?」

 何だかとんでもないことをサラッと言われた気がした。前半に言ってたハーレム王とかいうゲスの極みも確かに気にはなるが、私にも転生しろって言わなかったかしら?

「あなたも行ってくれればこの任務の成功率上がりそうな気がするんだけど」

「じょ、冗談じゃないわ!」

「ひょっとしたら、イケメンの王子様と結ばれちゃう、なーんてこともあるかもよ?」

「え?!」

「今のところお兄さんもその王子様と良い感じに友達関係になってるみたいだから接点としては全然有り。

 更にそこへあなたが王子と一緒に活躍でもしてごらんよ。王子としては最初はたかしさんの顔がチラついてそうでも無かったはずなのに、いつの間にかあなたの事を意識してる自分に気が付いちゃったりして、何かもう、放っておけない存在になっちゃったりしちゃったりして?!」

「え、え?!」

「やがて二人が激しい戦いを切り抜けた先に待っているのは、めくるめく王宮での絵にも描けないバラ色の生活と来たもんだ!」

「ええー?!

 ……って、そんな安い誘い文句に乗ると思ったら大きな間違いなんだから!」

「何だよー、ちょっとその気になったくせにー。

 う~ん、そう思うとやっぱたかしさんって特殊だったんだな……」

 危なかった。危うく私まで異世界に転生させられる所だった……

「ち、ちなみにお兄ちゃんってどうやって異世界へ転生したの?」

「ああ、さっき見た映像の中にケモ耳した可愛い子がいただろ? その子にスパチャして」

「す、スパチャしただけで?」

「うん。今みたいに拒否られるのも面倒だったんで、スパチャして気があるのが分かった瞬間に問答無用で死んでもらったんだ。最も本人は死んだ実感もなく量子分解されて、異世界に魂送られたら即生き返らせられたんだけどさ」

「あ、危なかった……もし王子の話に乗せられ続けてたらひょっとして私も?」

「うん、こっちも作戦の成功率は上げたいからねー」

「……ハナさんって、可愛い顔してやる事怖いのね」

「え、私が可愛い? なははー。そんな事言われたの初めてかも。あ、ありがと」

 そう言って頬を赤らめて鼻をかく彼女は、本当に照れているようだった。


「で、みよさんは――って、今改めてプロフィールを確認したんだけど、私とタメだったんだね」

「そうなの?! 私、てっきりハナさんの方が年上なんだとばかり……というか、さっきからステータスだのプロフィールだの、そんなプライベートな情報全部分かってるっていうの?!」

 どうやら向こうは超常的な存在だと理解し始めていたので自然と受け入れる所だったが、受け入れられない事もやっぱりある。

「そうだよ? 今更何言ってるんだか。こっちはその気になれば一瞬で転生くらいさせられるんだからさ」

「そ、そうよね……」

 ――するとその時、ドアをノックして母がおもむろに入ってきた。

「みよー。何あんた、誰かと喋ってたの……って、お兄ちゃんのパソコンの前で何やってんの?」

 私は咄嗟に、画面を見せたら何かまた面倒な事があるんじゃないかと思い、慌てて立ち上がって全身で隠していた……のだが、あまりにも突然の事だったので歌舞伎役者が見栄を切るようなおかしなポーズのまま固まってしまっている。

「な、何でもない……ちょ、ちょっとお兄ちゃんがいた部屋の空気というか、雰囲気に触れてみたくなったというか……?」

「何やってんだか。変な事やってないで、夕飯出来たから早く降りて来なさい?」

「う、うん。分かった。あとちょっとできりの良いところになるから」

「今日はすき焼きにしたからね」

「うわぁ、楽しみー。すぐ行くね」

「早く来るのよー」

 そして母は何の疑いも無く部屋を出て扉を閉めて行った。

 私は急いでパソコンの画面に視線を戻す。

「ご、ごめんね。そういうわけだからもう行かなきゃ――って、あれ?」

 だが、そこにハナはもういなかった。

「あれ? あれ?? ……そっか、なんだもんね……」

 ちょっと友達になれたと思ったので残念だったが、時空なんちゃらってのが本当なら、私なんかに構ってられるほど暇では無いのだろう。

「……ハナさん、お兄ちゃんをよろしくね」

 そう呟くと、私は何事も無かったようにパソコンの電源を切った。

「じゃあね」


 ――そして私が居間の食卓に着こうとした時だった。家のチャイムが鳴る音がする。

「みよー。お母さん今手が離せないから代わりに出て―」

「はーい」

 しかし母に言われてインターホン用のモニターを確認するが誰も写っていない。

「?」

 一応確認の為に出てみる。

「もしもーし、誰か居るんですかー?」

 でもやっぱり何も応答は返ってこない。心配したお母さんが声をかけてくる。

「あら、誰もいないの? ひょっとしてお父さんかも。さっきビール買いにコンビニ行ってくるって出て行って、鍵はお母さんが閉めちゃったから開けられないのかも。みよ、あんたちょっと玄関行って見てきてよ」

「はいはい」


 そして玄関に着いた私は開錠して扉を開く。

「お父さん? ねえ、鍵忘れたって――」

 と、外を覗いたその時だった。

「わっ!!」

「ひやぁぁぁっ!!」

 大きな声と共に足元から飛び出してきたのは、さっきまでパソコンの向こう側にいたハナさんだった。私は思わず腰を抜かして尻もちをついてしまう。

「あはは。私だよ私―。びっくりした?」

「び、びっくりって……え、え、なんで?! なんでハナさんが?!」

「言ったでしょ、私は時空管理局捜査官対応管理員。このくらいちょちょいのちょいだっつーの!」

「……ちょ、ちょちょいの……」

 まだ心臓がバクバクして何も出来ないでいる私に、彼女は手を差し伸べ、続けて言った。

「すき焼き、私も食べたくなったから来ちゃった!」

「来ちゃったって……」

 何とか立ち上がると、彼女は相変わらず怖いことを笑顔で言ってくる。

「えへへ、気が向いたらいつでも転生させてあげるから、その時は教えてね」

「あ、あはは……遠慮しとくわ」


<終>

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