踊り場の鏡
毒島(リコリス)*書籍発売中
旧校舎の噂
旧校舎の三階と四階を繋ぐ階段の踊り場には、全身が映る大きな鏡がある。
夕方四時から五時の間にその鏡に触れると、別の世界に行けるらしい。
友達が持ち込んだのは、そんなどこにでもある学校七不思議の一つだった。
私は気乗りしなかったけれど、友達に連れられて仕方なく、放課後の旧校舎を訪れた。
傾いた西日が窓から差し込み、赤く染まった鉄筋コンクリートの校舎は、しんと静まりかえっていた。
無理もない。この老朽化の進んだ古い校舎は、夏休みに取り壊されることが決まっていて、元々あった音楽室や理科室の機材は、あらかた仮設校舎に運ばれた後だ。
今更用がある者は、誰もいない。
「なくなる前に、七不思議を確かめに行こう」と言い出した物好き以外には。
二人分の足音と話し声が妙に高く響く中、友達の数段後ろを付いていく。
一階から上り、そろそろ息が切れてきた頃、例の鏡は現れた。
友達がぺたぺたと触ってみるが、当然ながら奇妙なことは起きない。
スマートフォンの画面で時間を確認すると、四時四十分を少し過ぎたところだった。
「気が済んだなら帰ろう」
私は友達に声を掛けたが、
「アンタも触ってみてよ」
友達にそうせっつかれ、それで気が済むならとため息をついて、画面の通知を確認しながら片手間に鏡に触れた。
「ほら、何も起きないじゃん」
鏡面のひんやりとした感触に顔を上げる。
と、後ろにいるはずの友達の姿が、鏡に映っていなかった。
慌てて振り返っても、もちろんいない。
「いたずら? ダルいんだけど」
言いながら、死角になっている階段の手すりの向こうを覗き込んでも、いない。
「ちょっと、どこ? マジで怒るよ」
ふざけて一階まで下りたのか。いや、それなら足音がするはずだ。
そう思いながらスマートフォンでメッセージを送るが、既読すら付かない。
一階まで戻ってきても、友達はいなかった。
まさか私を置いて帰ったわけじゃあるまいし、と窓の外を見て、違和感を覚えた。
グラウンドで練習しているはずの野球部がいない。
気付けば吹奏楽部の音色も聞こえない。
私は急いで旧校舎の外に出た。一縷の望みを掛けて教室棟に入り、自分たちの教室に戻る間にも、誰ともすれ違わない。
そして辿り着いた教室には、やはり人の気配はなく、ただ夕焼けに染まった机と椅子が並んでいるだけだった。
私はとうとう、スマートフォンの通話ボタンを押した。案の定というべきか、コール音が聞こえるばかりで、友達は出ない。
「夕方四時から五時の間にその鏡に触れると、別の世界に行けるらしい」
不意に、友達の声がよぎる。
ここが別の世界ならば、旧校舎のあの鏡にもう一度触れば、戻れるのでは。
時計は四時時五十五分を回っていた。私は慌てて教室を出た。
今までこんなに必死に走ったことがあっただろうかと思うくらい必死に走った。
鏡の前に戻って来た時には、今にも吐きそうなくらいに息を切らしていた。
倒れ込むように鏡に縋り付き、戻れ、戻れと念じた。
そのうち息が上手く吸えなくなり、手の先が痺れ、頭がぼんやりとしてきて――私は意識を失った。
「ねえ、大丈夫? 起きてよ」
聞き慣れた声に揺すられて、私は目を覚ました。
「ちょっと脅かすために隠れてたら、急にいなくなるんだもん。びっくりしたよ」
そう言って、友達は上の階を指さした。
なんだ、下に下りたのがいけなかったのか。人とすれ違わなかったのも、きっとただの偶然。
それか、夢でも見ていたに違いない。
「結局何も起きなかったね」
「……うん」
差し伸べられた手を掴み、立ち上がる。
「帰ろう」
へらりと笑う顔に微笑みを返してから、私は首を傾げた。
――私の友達は、こんな顔をしていただろうか。
踊り場の鏡 毒島(リコリス)*書籍発売中 @ashita496
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