柑橘戦争序説

石川ライカ

柑橘戦争序説

 凡ての果物は爆弾である。

 パイナップルが舌を溶かしているということがわかったのは一八九二年のことだった。それはアメリカ生化学の父とも呼ばれるチッテンデン博士の報告によるものだった。当時は「我々がパインを食べている時、パインもまた我々を食べているのだ」というようなジョークとして話題になった程度であったが、蛋白質分解酵素として発見されたブロメラインは人々がパインを食べる際のぴりぴりとしたかすかな抵抗として愉しまれるだけではなく、段々と人類の発展に寄与していくこととなった。今思えば原始的な、親しみを込めて「パイナップル」と呼ばれていたアメリカ軍のマークⅡ手榴弾は何かの皮肉だったのだろうか。パイナップルの中に含まれるブロメラインは科学者によって次第に軍事研究の一つの可能性として食されていき、やがてそれは人類を食す植物としての果物の発見へと発展して、濃縮還元による果実兵器の製造へと至った。当初こそ火薬と濃縮された果実が詰められた爆薬、弾薬が作られる程度のものだったが、次第に果汁工学による製果技術が発達し、本物の果実と見分けがつかない兵器が現れた。果実戦争時代の幕開けである。


(注1)最初の果実戦争については後世の柑橘類がもたらした影響から鑑みて、「第一次柑橘戦争」と呼ぶ向きもある。ここでは政治的な力関係による人類の(繰り返される)歴史について語る必要はないと判断し、技術史としての側面のみ記述する。


 もっとも一般的な果実兵器として知られているのは西瓜型爆弾であるが、その後の爆発的な技術発展によって《cf.果実兵器におけるカンブリア爆発》、様々な果物の兵器転用の可能性が検討された。特に舐瓜型爆弾はその強度と希少価値から従来の徹甲弾と同様の運用がなされ、「フルメタル・スウィーツ」としてその悪名をほしいままにした。そしてその有数の産地として知られた北海道・夕張では特別に生産流通部隊が編成され、一切の慈悲を排したメロン熊のエンブレムは全世界の人々に恐怖を刻みつけることとなった。

 ……このように果実戦争史を淡々と記述していくのもこの文章の価値を下げる一方だと思われる。ここで一兵士によるやや文学的な述懐を引用しよう。より正確に言えば、その青年が戦場において綴った、ジャック・デリダの一節にまつわる回顧である。それは次のようなものだ。


《贈与というものがあるとしたら、その可能な唯一の贈与とは、贈与の贈与です》


 彼はこのように書いている。「哲学者の文章はどうしてこうもややこしいのだろう。でも、僕が思うに、これはやっぱり愛についての言葉だと思う。愛はややこしいものだから。」ここでの議論は神が人間に与えた唯一のものこそは「名付け」という(本来神が持っていた)贈与の力であり、それ故に無限者としての神の有限性へと議論は移っていくが、この青年のシンプルな感慨こそが果実戦争における(神の)果実と人間の関係の変化に対する市井の感覚とは言えないだろうか。戦史において零れ落ちてしまうものが彼らの声として残響しているように思えてならない。


(注2)ここで引用されている議論は、デリダのある年のセミエールの中で盛んに議論されたものだった。私が実のところなぜこの青年の手記を引用したかというと、それはセミエールで設けられた一年間の議題が実に示唆的なものだったからだ。それは『他者を好んで食べる』というものである。ここで私は門外漢のままデリダの議論に参入していく蛮勇は振るわない。しかし、引用する価値は十分にあったものだと信じている。


 果実戦争はいったん終幕を迎えた。正確に言えば、第二フェーズに入ったと言えばいいだろうか。それが「柑橘戦争」である。威力を高めた大型兵器化の一途をたどっていた果実たちはその進化の果てに本来の果実の質感や重量を取り戻し、それは人間と果実の関係がまだ穏健だったころの果実の姿と見紛うほどだった。そして時代は大艦巨峰主義から諜報戦へと変わり、戦争は酸味のきいた柑橘類が左右するようになった。柑橘類は小型で軽量ゆえに複数携行することが可能であり、苺や葡萄類と違って比較的長期の任務に適している。しかし、某国で行われた同時多発檸檬爆弾の脅威が白日の下に晒されてからは、レジスタンスや地下組織がこぞって柑橘戦争に参入し、果実警察はその複製された柑橘類の検挙に躍起となった。世界は瞬く間にディストピアへと変貌した。そして私はある人物から地下世界で暗躍する一人の男の話を聞いた。「彼」が英雄となるのか、はたまた血に塗れた人殺しとなるのかは果汁で果汁を洗うこれからの柑橘戦争の趨勢によるところだろう。おや、誰か来たようだ……


(注3)蜜柑を剥き、慎重にシリンダーに装填していく。おもむろに銃を構え、狙いをさだめる。向こうに見えるのはなめらかな着弾点だけ。なんの感情もなく、誰の意志でもないかのように、引き金を引く。今にもはち切れそうな橙色の肉にむかって撃鉄は振り下ろされる。ささくれだった果肉の一粒一粒が散弾として誰かの皮膚の上で破裂する。


 ここに書かれている言葉はアルカリ性の弾丸だ。比喩じゃない。近ごろ組織は本物と判別不可能なアルカリ性の黒インクを開発した。じわじわとおまえの指先や網膜が融解を始めていることに気づいていただろうか。これは序章であり――終章だ。おまえがどこまで読んでいるのかわからないが、もう手遅れだ。少なくともこんな論文とやらを読んでいる「奴ら」は死に絶えるだろう。冥土の土産に教えてやる。「序説」だとかを書いていた奴はもういない――じゃあお前は一体誰だって? そうだな、スネークとでも呼んでくれ。ただしオレンジ色の綺麗なやつだ――論述の時代は終わった。これからは酸味を伴うことば、死につつあるおまえたちにわかるように言うならば、「詩的なことば」の時代がよみがえる。生き残りたければ多少の渋みは我慢するんだな。

 ――凡ての果物は爆弾である。

 この一文が既に原子崩壊しつつある爆弾そのものだ。そうだろう?

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