危機一髪!

里予木一

危機一発

 キキー! というブレーキ音が響き渡り、巨大なトラックが私――外岡美鈴とのおかみれいに襲い掛かる。その様子を冷静に眺めて、周囲を見渡した。――よし、周りには誰もいない。


 そのままトラックは私の方に突っ込んできて――そのまま私の髪を掠めて通り過ぎた。人生でもう何百回目かの、危機一髪、というやつだ。


 特に周りに被害もないのでそのまま買い物へ向かうことにした。トラックの運転手も私には気が付かなかったのかそのまま行ってしまった。これもいつものことだ。


「……こんな生活、いつまで続くのかな」


 小さい頃から、私は常に危険に襲われ、文字通り危機一髪の状況で、それを回避してきた。とはいっても、別に自分の意志で避けているわけじゃない。何もしなければ、その危機は勝手に髪の毛一本の隙間で私を掠め、去っていく。ただ、周囲に人がいるとそれを巻き込んでしまうのだ。


 実際に数年前、私の両親が危険に巻き込まれ、大怪我をした。それ以来、私は一人で暮らし、人と関わらない生活を送っている。一人暮らしで、高校も通信制、極力人込みには近寄らない。ただ、この危険は一日一回と決まっているようなので、それに遭遇した後は気を抜いて外出することもできた。


 さっきまでよりずいぶんリラックスした状態で、町を歩く。すると――。


「危ない!」


 頭上から、声が聞こえた。


「……え?」


 上を向く。そこは建設中のマンションのようだった。大きな、鉄骨が。世界がスローモーションになる。なんで、今日はもう、危険は終わったはず……あ、そうか。


 何のことはない、危機一髪で回避できる危険が過ぎ去っただけで、それとは関係ない普通の事故も、人生においては起こりうるのだ。――そんな当たり前のことを忘れていたなんて。


 あぁ、死んだかな。


 危機に対する回避をする必要がなかったから、とっさに足が動かない。――私の人生、何のためにあったのかな……。諦めと共に、目を閉じた。そして。


 ゴン! と、鉄が何かにぶつかる、大きな音が響いた。続いて、何かにのしかかられ、倒される。


 ……おかしい、痛みがない。恐る恐る目を開けると――。


「いてて……大丈夫?」


 私と同じ年くらいの青年が、目の前にいた。どうやら、私を庇ってくれたらしい。――傍らには鉄骨。青年は髪を短く整えた頭をさすっている。……さすっている? 鉄骨が当たったのでは? なんでそれで済む?


「あ、あの、大丈夫?」


「ああ、うん。俺、石頭だから。いやー、危機一髪だったね」


「いや、石でも鉄骨がぶつかってきたら砕けると思うけど……?」


 危機一髪というか、危機だろう。直撃だ。なんなんだこの人。鉄人か?


「あぁ、確かに。そうか。鉄頭? いや、鉄より硬いんだから、なんだろう。チタン頭? ダイヤモンド頭? ダイヤモンドヘッドって聞いたことあるな、なんだっけ」


「確か、ハワイにあったような……いや、そうじゃなくて!」


「あぁ、ごめんごめん、女の子に覆いかぶさったままは失礼だな。よっと」


 特に血が流れたりもしていない。実は頭にぶつかったりはしていないのか? いや、でも頭押さえてるし……。


「あの、ほんとにアレにぶつかったの……?」


 鉄骨を指す。


「そうそう。危ないよね。俺以外だったら死んでるよ」


「いや、むしろなんであなた生きてるの……?」


「なんでだろうね。俺頑丈なんだ。人並外れて」


「はぁ……」


 頑丈。頑丈で済むのか。ダイヤモンドヘッドを持つ火山の化身とでも言うのだろうか。


「あ、ヤバい。遅刻する。予定あるんだ。君は怪我無い?」


「う、うん。大丈夫」


「オッケー。じゃあこれで! ちゃんと周りには気を付けるんだよ!」


「あ、あの! 名前は!」


 とっさに質問が飛び出した。


「俺? 俺はまもる! 堅山かたやま護、だよ! 縁があればまた!」


 そう名乗って、青年は風の様に去っていった。


「堅山護……地球の平和を守るロボットとかだったりするのかしら……」


 慌てた作業員が降りてくる様子が目に入る。とりあえず、色々聞かれるのも面倒なので、私もさっさと退散することにした。


◆◇◆◇◆◇


 それからしばらくの間。ある時は通りすがりの強盗にナイフを突きつけられ、ある時は謎の爆発に巻き込まれ、ある時はハイキングでクマに襲われ。


 それらすべての危機一髪のタイミングで、堅山護が現れて、すべてのダメージを引き受けて去っていった。……いや、本当に何者?


「ここまでくるとむしろ彼が危険に引き寄せられる性質を持つのかもしれないわね……」


 ぶつぶつ呟きながら歩く。人と会話をする機会があまりないのでつい物事を口に出す癖がついていた。


「――あ、でも。彼とは、もう何度も話してたっけ」


 家族以外と何回も話したのは、久しぶりだ。大体は相手を気遣うセリフだったけど。


「……なんで、助けてくれるんだろう」


 別に、見ず知らずの高校生なんて放っておけばいいのに。頑丈だとは言え、一歩間違えたら死んでいたに違いない。――もしかしたら。私が危険に襲われ、それを危機一髪で潜り抜けるように、彼は危険に巻き込まれて、それを危機一発で脱する力でも持っているのだろうか。


「そうでもなくちゃ、説明はつかない、か」


 だとしたら。彼の存在は私にとって大切なものになりうるのかもしれない。


「でも……彼は必ずその身で危機を受けている」


 私はギリギリで避けることができているが、彼は鉄骨も、ナイフも、爆発も、熊の爪もすべて受けている。当たり所が良かったのか、今のところほとんど怪我は負っていないが、それがいつまでも続くとは限らない。


「……もう、会わない方がいいな」


 おそらく私は、に狙われている。それはたぶん、運命とか、世界とか、悪魔とか、そういう類のものなんだろう。それを紙一重でかわしているのは、たぶん神か何かの加護なんだろう。多少頑丈なだけの青年では、いつか命を落としかねない。


「次にあったら、もう私に近づかないように伝えよう」


 決断をしたら、少し胸が痛んだ。……本音を言うと、この数日、彼と会話できたことは嬉しかった。新しい関係を構築して、徐々にお互いのことを知っていくなんて、ここしばらく経験していないことだったからだ。――たとえそれが、危機一発で命拾いをした直後だとしても。


 ふと、何かを感じて、空を見上げた。そこには。


「…………え?」


 先日の鉄骨など比較にならない危機。遥か上空。何かが、。視覚ではない、感覚で、理解した。


 次の瞬間、ポケットのスマートフォンからけたたましい警告音が鳴り響いた。取り出して、表示されたメッセージを読む。


「…………隕石?」


 どうやらこの地域に、星が降ってくるらしい。


◆◇◆◇◆◇


 私は全力で走っていた。あれは、あの隕石はきっと、私のところへ落ちてくる。予知めいた確証があった。隕石がどのくらいの大きさかわからないが、町中で落ちれば周囲を巻き込むことは間違いない。


「どこへ……土手? いや、人がいるかも。山……遠い。人がいないところは……」


 迷っている暇はない。私は近くで倒れている、鍵のかかった自転車に乗った。持ち主はきっと、このニュースに驚いてタクシーか何かで逃げたのだろう。


「生き残ったら、返します……!」


 自転車で近くの海へ向かう。隕石の落下地点予測もそちらの方角らしく、皆山の方へと逃げていったようだ。海へ向かうのは私だけ。――私一人で、いい。どうか、誰も来ませんように。


 海岸へ到着する。願った通り、無人だ。人がいた場合、最悪は海に入らなくちゃならないかと覚悟もしていたけど。


「サメに襲われたりしそうだしね……」


 呟き、砂浜で横になる。秋を過ぎた海は、肌寒い。空を見上げる。隕石は、アレだろうか。昼間だからか目ではよくわからないが、なんとなく感じ取ることはできた。


「私の人生、これで終わりかぁ」


 隕石を危機一髪で避けても、その余波で私の身体は消し飛ぶだろう。髪一筋の隙間で避けられる危険は一日一つ。立て続けに襲われる大災害にはたぶん太刀打ちできない。


「……爆発の時は、彼がいたから助かったんだよね」


 あの、堅山護という青年が、爆発の衝撃と、飛来する様々な物体と、炎から守ってくれたのだ。そうでなければ、私の命はもうなかっただろう。


「でもさすがに、今回は無理でしょう」


 下手するとこの地域一帯が消え去りかねない。隕石の大きさ、被害は想像もできないが、多少頑丈なだけの人が生き残れるとは思えない。


 両親へ何かメッセージを残そうかと思ったが、やめた。きっと困らせるだろうから。


「あーあ、来世は幸せになってやるからな!」


 迫りくる隕石。視認できる距離。自身が押しつぶされるであろう未来を幻視しながら、目を閉じた。そして――。


「――危ない!」


 ここ数日、聞きなれた声がした。


「……え?」


 目の前にあったのは、大きな背中。まるで、手を大きく掲げた、愚か者。


「な、なんで――!!」


 言葉が届く前に、隕石が届く。……こうして、危機に一発、目の前の青年に隕石が直撃し、私の視界は光に包まれ、轟音が鳴り響いた。


 あぁ……巻き込んでしまった。申し訳ない。だって。仮に、彼が隕石に耐え抜いても、その余波まではなくせないだろうから。きっと私は死ぬだろう。……そうしたら、きっと彼は、責任を感じてしまう。それが申し訳なかった。


「危機一髪、だったね」


「え?」


 巨大なクレーター。砂浜は完全に変貌し、私たちは穴の底にいる。……彼は、なぜかぼんやりと光り輝いていた。


「……ええ? うそ」


「俺もさ、さすがに死ぬかなーと思ったんだけど、助かったな」


「どうして……?」


「なんか、俺の身体には大昔の盾? みたいなのが埋まってるらしいんだよね。頑丈なのはそのせいだって。話半分に聞いてたんだけど、すごいな」


「……よかったぁ……」


 自分の命よりも、彼が無事で、彼が苦しまないで、よかった。


「うん。お互い無事でよかった。……しかしなんだって、こんなところに?」


 避難場所とは逆方向だろう、と彼は問う。


 私は、自分が危機に巻き込まれ、生き残る体質であることを伝えた。


「……そっか。大変だったな。なるほど、うん。決めた」


「何を……?」


 堅山護は頷き笑う。


「これから、君がどんな危機にあっても、俺が必ず守るよ。危機一髪、なんて起こさない。俺に一発当たったところで、なんともないからな」


「……どうして?」


「俺はさ、ずっと、人助けをして生きてきたんだ。でも、何のためにそれをやっているのか、なんでこんな力があるのか、わからなかったんだけど。でも。ようやくわかったよ」


 ――この力は、君を救うためのモノなんだ、と。


 その言葉に、涙が零れた。


 私が何で、危機に襲われるのか。よくわからないし、呪ったこともあったけど。


「――あなたに会うために、この力を持っていたのかもね」


 どちらからともなく、手を取り合った。


 この後、私たちは色々な危機に襲われる。でも、もう髪の毛一筋で避けるようなことは起こらなかった。だって、私にはがついているのだから。

 


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