ロッカーに閉じ込められたら

あんたなんか食べてやらない

 何がどうなったらこうなるのだろう。


 背中のすぐ後ろに、触れるか触れないかくらいのひやっとした冷たい感じ。目の前には白いシャツ。顔は上げたくないので上げないけど、私の頭のすぐ上にみなみの顔があることはわかる。ドン、と後ろから押された衝撃で南のお腹あたりに両手をついてしまっていてかなり気まずい。


 今、私と南は人2人がみちみちに入れるくらいの狭いロッカーに閉じ込められている。部活が終わって美術準備室に掃除用具を返しに来ただけだったのに、箒をロッカーの奥にしまう南に後ろから声をかけた瞬間、誰かに背中を強く押されて前のめりに躓く形で南を巻き添えにロッカーに詰められたらしい。なにが起こったのかを理解するより早く、外から控えめなガチャ、という音が聞こえた。


 え、なんで?


「ねえ、鍵閉まった音したよね今」


「したな」


「出られないの?これ」


「誰かが開けない限り無理なんじゃないか」


 ガン、と南が体を横に動かして扉に体当たりする。その衝撃に私の体も揺れるけど、揺れるだけで身動きはできなくて、制服が擦れる音だけがやけに耳に残る。扉は思ったより厚さがあるみたいで、内からの体当たりでは開きそうもない。南がふう、とため息をついた。


「これはあれだな」


「どれよ」


「エロ漫画とかでよく見」


「それ以上言ったらマジでぶん殴る」


 この状況でそんなこと言ってみろ、と南を睨むと、顎を上げて私の頭を避けるように目線をそらした。ホントにバカ。救いようのないバカ。これで我が美術部の副部長とか信じられない。後輩がかわいそう。


 ロッカーの上の方にある細い隙間に私は背が届かないので、なんとか外の音を聞いてみるけど誰の足音もしない。放課後だし他の部活の生徒が残っている可能性はある。あとは見回りの先生か。とにかく早くここから出してほしい。そうなると声を出し続けるべきなのかな。というかホントになんでこんな目に。腹立ってきた。


「閉じ込めたやつ心当たりある?」


「ありすぎてわからん」


 そうか、南ってこういうやつだった。部活では比較的おとなしく絵を描いてるから忘れてたけど、頭が良すぎて人の気持ちがわかんないみたいなところがあるから、ちょこちょこ人に恨まれていたりするんだ。この前南の性格を知らない後輩の女の子に告白されて、その数秒後に思いっきりビンタされてたって噂で聞いた。何言ったんだろこいつ。


 まだ美術室に部員が何人か残っているはずだし、私たちがまだ帰っていないことに気付いてもらうのが一番早いか……。もうロッカーを2人でめちゃくちゃに揺らして壊しちゃうって手もあるけど、最悪横倒しになって状況が悪化しても嫌だし……。


「なあ、喜多きた


「なに?」


「どうせすぐに出られないなら、このロッカーの外は危険地帯だということにしないか」


「え?」


「ここから出られない理由を妄想して遊ぶんだよ」


 妄想……?なに言ってんのこいつ。次の言葉を探すうち、南が突然話し始めた。


「今日、朝起きたら突然世界はゾンビで溢れていて、俺たちは命からがらこの学校に逃げ込んだ。慌てて身を隠せるロッカーに2人で入って安心したのもつかの間。ア~ウ~という大量のうめき声が外から聞こえてきて、ゾンビは今にも学校に入ってきそうだ」


「昨日やってたドラマ?」


「頭が悪いなお前は。だから妄想だよ妄想」


 何を不機嫌そうに意味不明なことを言い出したんだこいつ。ゾンビ?うめき声?このロッカーの外は全部ゾンビで埋め尽くされていて、ここもすぐに……。うわ、よくあるゾンビ映画のやつだ。想像すると怖いかも。


「ゾンビは腐った足を引きずり廊下を進んでくる。ズル…ズル…という不気味な音が響いて、思わず俺たちは互いの口を押えるんだ。絶対に声を出してはいけない。呼吸の音も気付かれてはいけない。心臓の音が外に聞こえていないかビクビクしながら、閉じていた目をおそるおそるゆっくり開けると、ドアの隙間からゾンビが手を入れようとしているところで……」


「やめて!」


 ビクッ、と南の体が跳ねた振動が私に伝わる。ドアの方をチラリと見ても、隙間なくピタリと閉まったままだった。ゾンビはいない。いないいないいない。


「なんだ怖かったか」


「怖いっていうか気持ち悪い」


「強がるなよ」


 ふふ、と南が嫌みに笑う声がした。硬めの髪が私の頭にかかる感触がするから、頭を下げて笑っているんだ。ムカつく。このまま軽くジャンプでもしてやろうかと思ったけど、思ったより体が密着していて無理だった。


「次は喜多だぞ」


「え、私もやるの」


「当たり前だろ。気がまぎれる面白いやつで頼む」


 面白い妄想って一体……。私、こういうお話を作るとかそういうの苦手なんだよなあ……。現国もいつも点数低いし。うーん……。ロッカーから出られない理由、理由……。


「じゃあ、このロッカーの外が海なのは?」


「海?」


「そう。今朝普通に登校して、部活して、掃除用具を返しに来たら突然足元から水が上がってくるの。それで、しょうがないからこのロッカーに逃げ込んだ。そしたらどんどん流されて、大海原に来ちゃった。周りは海意外なんにもない。ちょっとでも動けばロッカーは転覆しちゃうから、私と南は下手に動けないまま、どんどん流されていく、っていう……」


 何喋ってるんだろ私……。ロッカーの隙間から入ってくる月の光、足元でちゃぷちゃぷいう水、波の音、想像してみたらちょっと素敵かな、なんて。よく考えたらロッカーが縦の状態のまま流されるわけもないし、横倒しになったら隙間から水が入って終わりだ。ていうか、横倒しになったら今より大変な体勢になっちゃう。うわ、想像しちゃだめ。


「ふうん。それは面白そうだな」


 うんうん、と頷いているのかな。南の顎が私の頭のすれすれを通る感覚がある。面白そう、って意外だ。絶対馬鹿にされると思ったのに。


「海に出たら、ずっと晴れが良いな。雨が来たら転覆しそうだ」


「……うん」


 ゾンビも海までは追って来れないしな、と南が笑う。あ、ゾンビ設定も混ぜるんだ。泳げるゾンビとかいないのかな。いてもサメに食べられちゃうか。


「それで、どうする?とりあえず島を探すのか?」


「うーんそれもそうだけど、水とか食料がないと死んじゃうよね」


 島にたどり着くまで何日かかるのかな?そこまで飲み食いなしで行けるもの?海水はしょっぱくて飲めないし、食べ物なんて……生の魚?でも扉が開かないなら捕まえることもできないもんな。ロッカーの中ってすごく不便だ。


「食料か……。確かに重要だな」


「でしょ?なんにもないんだよここ」


「まあ、なんとかなるんじゃないか」


「なんともなんないでしょ。あとトイレとか……」


「最悪先に俺が死んで、お前が俺を食べれば良い」


「え?」


 ガタン!と外から大きな音がして、鍵をガチャガチャ回す音がした。「お~い。2人共、いる?」あ、あずまの声だ、東の声!


「ほんとにいた」


 ギィ、といつぶりかの扉が開く音がして、少し驚いた顔の東が立っている。はい、と伸ばされた手を取って、外へ出た。ああ、なんだか呼吸がすごく楽。ロッカーの中って息苦しかったんだな。


「箒返しに行くだけなのに遅いなって思って。俺部長だから鍵かけないとだし」


「ありが」


「ご苦労東!まだ帰らず美術室にいろ!」


 ありがとう、を言い終わる前に、南が猛ダッシュで廊下の向こうへ消えていった。偉そうな捨て台詞に全くひるまず、はいはい、と東が返事をする。


「なにあれ」


「トイレにでも行きたかったんじゃない?」


「ああ、だから」


 だからか。なんか納得がいった。気がまぎれる話、段々適当になる相槌、最後に見た顔の脂汗。トイレを我慢していたからか。それは早く出たかったはずだ。危機一髪。間に合ってくれて私としてもありがたい。本当に。


「災難だったね」


「ホントだよ。今何時?」


「16時30分」


 私と南が美術室を出たのは部活終了時刻の16時15分を少し過ぎた頃だったはずだから、10分ちょっと閉じ込められていたことになるのかな。割と長かったのかも。ロッカーから出られない妄想なんて突然言い出すから、あまり長く感じなかった気がする。ゾンビと、海の話。


「良かったね」


「うん。見つけてくれてありがと」


「いや、そっちじゃなくて」


「え?」


「顔、赤いの。南にばれなくて」


 うえ、という自分でもどこから出たのかわからない声が出た。その恥ずかしさも絶対ある。あるけど、頬に当てた手のひらは東の言う通り赤いらしく、いつもより熱かった。南にバレなくて、なんて言うから、さっき見た余裕のなさそうな珍しい表情が浮かんできた。いやいやあれトイレ我慢してただけだから!


「ゾンビに食べられちゃえばいいのに」


「ゾンビ?」


「なんでもない」


 私がゾンビになっても、どれだけお腹が空いても、絶対にあんたなんか食べてやらない。だってお腹壊しそうだし。とりあえず今は早く、早く早く、世界から切り離されたロッカーでの出来事を忘れたい。




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ロッカーに閉じ込められたら @kura_18

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