第16話 狩場のきじの -院宣を貰え- 六

《注意:北畠親房の解像度上昇により若干のキャラ変更が入りました》





 光厳院の院宣が届けられたのは、都落ちした足利軍が九州の武士たちを従え本州鞆の浦まで戻った時だった。帝と戦う大義名分を得た足利の軍勢は一気にふくれあがり、立ちはだかった楠木正成など帝方の豪将をことごとく打ち破って京になだれこんだ。

 後醍醐帝たちは御所から比叡山に退避せざるをえなくなった。北畠親房はその謹直かつ冷徹な眼差しで京を見下ろした。

「……あの消極的な光厳院が自ら動くとは考えづらい。足利方から接触があったはずだ」

「光厳院方の二条卿と頻繁にやりとりしていた者がおりました!」

「誰だ」

「近江の武士、佐々木道誉とのこと」

「近江といえば商人。もしや京の商人たちの不審な動きも奴が? ……いや、どちらにせよ消すのみだ、佐々木道誉!」

 親房は密かに歯噛みした。



 身を焦がす真夏の太陽の下、新田義貞は後醍醐帝の籠る比叡山を僧兵と共に護り、度々京に攻め寄せ、休む暇もなく奮戦をしていたが多勢に無勢。兵糧も底をつき、徐々に追い詰められていく。義貞は汗と切り傷にまみれた顔を必死に微笑ませ、高らかに声を放った。

「皆、大丈夫だ! 我らには後醍醐帝がついておられる。帝の元で戦う限り、必ず最後には勝つ!」

 しかしその叫びも耳の内で虚しく響き、ただただ疲弊し消耗されていく我が軍を見る。もしや、ここでも俺は雑に扱われているのか? 義貞はかぶりを振っていやな考えを追い出そうとしたが、じわじわと頭の中がそれに占められていく。

 郎党が慌てて駆け寄ってきた。

「よ、義貞様!」

「どうした?」

「帝のお召しです、直々にお話があると」

「戦中だが!?」

 とにかくも戦を切り上げて比叡山の仮御所に参じると、何やら重臣たちが勢揃いしている。その中心で帝はいつもの如く覇気を放っていた。

「よく来てくれた、義貞よ」

 その朗々たる一言だけで、自分がなおざりにされているのではという不安は吹き飛んだ。が、しかし。

「我らは、ここで解散する!」

 ……義貞は帝の意図を掴めない。

「義貞、汝の戦いぶりは実に見事だ。だが圧倒的な数の差があり、いずれ全滅は免れぬ。

 昨日、足利から講和と譲位の申し出がきたのだ。朕は一時これに乗り、帝の座を譲ることとする」

「一時……?」

「この戦を終わらせるための方便よ。その後に朕は再び天皇となり、この国を立て直す!」

「は、ぁ……ハッ、拙者はどうすれば?」

「汝には我が皇子、尊良と恒良を預け、今ここで朕は恒良に天皇を譲位する」

「有り難き……ハッ、天皇は主上おかみが再びなられるのでは?」

「そうだ」

 後醍醐帝は混乱する義貞をギラリと見据えた。

「義貞、この乱世を統べるに必要なものは何だ?」

「ひ、ひとえに正統な帝の御威光かと」

「少し違う。天皇の威光が人民にに与えられることだ。朕から天下が離れたのは、内裏の中で政務ばかりにかまけた故だと自省している。

 そして、悲しいかな人民は天皇の正統を分別できぬ。

 であれば、それを逆手に取って朕と皇子たちがみな天皇となり、天下の各所で威光を直に与えることができる。恒良はその第一手よ。さあ、北へ行けい義貞!」

 義貞は呆然と立ち尽くした。話は難しくて頭に入ってこないが、一つだけ思ったことがある。このお方は近付く者、それどころか同じ時代を生きる全ての者を自らの光熱で焼き払う、まさしく太陽の化身なのか。人間が近付いてただで済む存在ではないのか。ましてや、真っ当に功を労してくれる存在だと思うことが端から間違いであったのか?

 義貞は震えながら後醍醐帝に平伏し、二人の皇子を奉じて比叡山を北へ駆け降りていった。魂の混迷に慄く義貞が縋れるものはまた、混迷に突き落とした張本人からの命のみであった。



 秋、足利の擁する光厳院は弟君を新たな帝、光明天皇として即位させ、後醍醐は京に降り三種の神器を引き渡した。世の混乱は一時収まったかに見えた。

 しかし後醍醐は宣言通り京を出奔して南へ、天然の要害吉野に立て篭もり言い放った。

 朕こそが正統な天皇であり続ける!

 京に引き渡した三種の神器は偽物であり、本物は我らの手元にある!

 その言葉に後醍醐帝を慕う公家や足利と対立する武家がこぞって吉野に集い、吉野の朝廷は南朝、京の朝廷は北朝と呼称されるようになった。世に言う南北朝時代のはじまりである。



「……とまあ、なんとも目まぐるしい一年でしたね」

「目まぐるしいで納めて良いものでしょうか?」

 佐々木道誉は口を尖らせる赤松則祐を見てクスクス笑った。二人は京の佐々木邸で茶を飲んでいる。部屋の調度品は上質な黒の生地で揃えられ、しんしんと積もる雪の白さを際立たせていた。道誉も珍しく真っ黒な法衣をまとっている。

「これは駿河の茶ですか。本場の栂尾茶と違って明るい飲み味ですね」

「流石は則祐殿、芸道にも通じておられる」

「禅の修行の中で茶を嗜みまして」

 照れる則祐を道誉は噛みしめるようにいつまでも頷いている。その様子に戸惑っていた則祐は、柱の向こうにじとつく視線を感じてキッと振り返った。

「何奴!」

「ひっ!」

「わっ!」

「ちょ、ちょっと!」

 三人の曲者は驚いた拍子に部屋を仕切る几帳にけつまづき、盛大な音を立てて几帳ごと倒れ伏した。布がもつれて抜け出せずもがく様子は子供のようで、則祐はばつが悪そうに助け出しにかかった。

 十そこそこの子供が二人、布の海から這い上がり焦って走り去っていった。則祐が最後の一人の手を取って引き起こすと、そこには朱色の袖で頑なに顔を隠す娘がいた。年の頃は則祐よりいくつか下か。

「顔を見せておあげ」

 道誉が朗らかに声をかけ、娘はしぶしぶといった風に袖を下ろしたが、よほど恥ずかしかったかそっぽを向いた怜悧そうな顔が真っ赤にゆだっている。その顔の向きのまま道誉の横へ移動した娘を、道誉がクックッと笑いながら紹介した。衣も顔も真っ赤で、白と黒の世界に突然花が咲いたようだ。

「則祐殿、大変失礼しました。こちらは我が愛娘、るりと申します」

「はあ。こちらこそ、大声を出してしまい申し訳ない」則祐は気が抜けたように答えた。

「るりは悪戯好きな面もあるが、機転がきき家政をよくこなします」

「そ、そうですか……」

「いかがですか?」

「いかがですか、とは?」

「我が愛娘を貴殿の嫁に、というお話です」

「……!?」

「御父君円心殿の承諾は得ておりますよ」

 心底楽しそうに破顔する道誉に対し、若い二人は声もない。


 その様子を遠くから見つめる影が二つ……。

「兄上、なかなか好い人そうじゃないか」

「威勢は良い。だがあのじゃじゃ馬娘を御せるかどうか!」

 次回より、新章佐々木一家編のはじまりはじまり!

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