第15話 狩場のきじの -院宣を貰え- 五

「足利は光厳院への忠義を証明できるか否か?」

 鋭く声を放って勧修寺経顕は道誉たちを睨め回した。道誉は柔らかく微笑んだ。

「勧修寺卿、それは勿論。お聞き及びかと存じますが、京を騒がす悪党たちの怒りの矛先は後」

「後醍醐帝であり、悪党共は足利の手の者ではない、であろう。

 院はすでに、失政を敷いた後醍醐帝を打倒し平穏な世を取り戻すご覚悟だ。そのために共に戦う武士を欲し、剣となる武士たちへ院宣を賜るとまで仰せだ」

「!! ……恐悦至極。それでは、」

「そして汝ら足利がそれに相応しいかどうか、見極めることが私の務めだ。さあ答えよ、汝らが院を裏切らぬことを証明できるか!」


(不味いですな……)

(どうしました三宝院殿?)

 数歩下がった所で三宝院賢俊が隣の赤松則祐にささやいた。

(道誉殿が流した噂が功を奏し、院は後醍醐帝と戦う姿勢を見せています。しかし足利と結ぶにあたり、その戦力ではなく裏切らぬかどうかを判断基準にされてしまうと、足利の説得力はひどく弱い。さあ道誉殿はどう巻き返すか)

(いきなり解説がお上手!! だが確かに……)


「裏切らぬ証明でございますか。ならば足利大将のお子をお預けいたしましょう」

「戯言を申すな。足利は鎌倉に我が子を留め置いたまま裏切りの反旗を上げたというではないか。人質も帝の御恩も神仏への誓いも、汝らは我が身があやうくなれば容易に切り捨てる、違うか?」

 鋭い切り返しに道誉は無言で汗をたらした。


(取りつく島もありませんね)と則祐。

(……おそらく、勧修寺卿は足利を追い返すつもりでしょう。一切妥協をお見せにならないとは)と三宝院。

(そんな……! ここまで呼んでおいて?)

(それです。不承知なのに参上を許している、つまり足利を恃もうとしているのはひとえに光厳院の強い意向と見受けられます。勧修寺卿さえ突破すれば院宣への道は明るい)

(しかし、あのかたくなな勧修寺卿にどう首を振らせるのですか?)

(そ、それは……)


 道誉はしばし目を閉じた後、勧修寺経顕をひたと見据えた。

「勧修寺卿、この乱世において誰しも他人を裏切る可能性は拭いきれません。皆すでに幕府を裏切っております。

 卿が裏切りを警戒されるのはなぜでしょうか?」

「ひとえに光厳院の御身に危害が及ばぬように。それのみだ」

「なるほど。ならば必要なことは、裏切らぬ味方をただ待つことではなく、裏切られぬよう、裏切られても良いように自ら立ち回ること、そちらではないでしょうか?」

「む……私に意見するか」


(道誉殿は裏切る裏切らぬの奥にある、勧修寺卿の願いの大元に訴えかけようとしています。通じれば良いが)


 道誉はすぅと息を吸った。

「足利を裏切らせぬよう縛る方法はございます。例えば院宣を下したことを世に広く知らしめれば、足利が後醍醐帝へ寝返る道をつぶせます。もし院の御身に危機が迫っても、我が近江で必ずお守りいたします。そして院宣の大義を得た足利は、必ず勝ちます。

 天下が院のお手許に戻ったあとも、院の善政が行き渡れば全国の民は有事には院の御為に立ち上がるようになりましょう。それには足利が大いに役立ちます。足利は鎌倉幕府と後醍醐帝両方の政治を補佐し、政治の蓄積は他家の追随を許しません。

 いかがでしょうか? 足利と結べば末長く光厳院をお守りすることができるのです」


 ひと息にまくしたてた道誉を眺めて、勧修寺経顕はしばし沈黙していた。

「……近江か。近江のどのあたりなのだ?」

「は。東近江は柏原にて」道誉は安堵に胸を撫で下ろした。

「その手前の番場宿も汝の領地なのか?」

「? 左様にございます」

 道誉は勧修寺経顕の意図をつかめないまま返答した。が、次の瞬間自分のうかつさに青ざめた。

「……番場宿には行ったことがある、院に付き従うて。滅亡した六波羅を脱出し、北条の武士たちに連れられて鎌倉へ向かっていた。しかし誤報で味方は分断され、院は肘に矢を受け、そして番場宿で野伏の妨害を受けて北条の武士たち四百余名は一人残らず腹を切った。

 血の海の中で消えゆく武士たちのうめき声を光厳院は最後のひとつまで聞き届けられた。そしてそのかたわらに、私はいたのだ。

 あの後、野伏を掃討したと、鎌倉幕府は滅亡したゆえ再び京へお連れすると出てきたのが汝であったな、佐々木道誉! 今にして思うとあまりにも事が足利にとって上手く運びすぎた。汝が裏で糸を引いていたのか? その策の中で光厳院を野に放り出し矢を放ち武士と心中させる寸前までぞんざいに扱ったのか?

 やはりそのような者に院の命運を委ねることはできぬ!」


 勧修寺経顕のあまりの気迫に道誉はまごついた。

「いえ、番場宿での一件は痛ましいことでしたが、私はただ院をお助けしたのみ。決してそのような裏で操るなど、」

「口では何とでも取り繕えよう。だが、汝のずる賢く流れるような口ぶりに、あの夜のことを思い出さずにはおれぬのだ。院が何と言おうとも、私は院をお守りするため汝らとは組まぬ」

「お待ちください、それではいかにして天下を取り戻すのですか? 我らなくして、」

「そもそも私は院に、乱世に御身をさらしていただきたくなどない。雪降る御山のように清らかで何にも動じぬあのお方を魑魅魍魎の裏切り上等のいやらしい手つきで汚してはならぬ!」

 

 その時、混乱するやりとりを黙って聞いていた赤松則祐が憤怒の表情で道誉の隣に並んだ。言い争っていた二人は虚を突かれて口を閉じた。

「……勧修寺卿、貴方に問いたい。志を高くもち戦う覚悟を決めた主君に従いながら、なぜ貴方はその覚悟を共にしないのですか?」

「無礼であるぞ。院は為政者である前に現人神だ。その御身を保つことこそ臣下の務め」勧修寺経顕は冷たく言い放った。

「為政者でも現人神でもいい、貴方はその盾となっても構わない主君のそばにいられるのでしょう?! 分かりませんか、主君と共に走り続けられることがどんなに得難い幸運か!!」

 勢いあまって立ち上がった則祐を、道誉が必死で抑える。

「則祐殿、落ち着きなさい!」

「離してください道誉殿! この方は我らとではなく光厳院と話すべきだ!」

 呆気に取られていた勧修寺が問うた。

「道誉殿、この突然興奮しだした若者は何だ?」

「わきまえぬ物言い、お許しください。先だって忠義を尽くした主君を亡くしたもので」と道誉が汗を飛ばしながら答える。

「そうか……。お悔やみ申し上げる」

 そう言ったきり勧修寺経顕は考え込んだ。

「……想像したくもないが、院も万が一お隠れになることがあれば、きっと最後まで平穏をもたらせなかった世の民を心配しておられるであろうな……」

 そう言って顔を上げた勧修寺経顕の眼には、先程と打って変わって落ち着いた光が宿っていた。道誉はこの機を逃さない。

「勧修寺卿、光厳院が立ち上がることでその身に危険が迫ることもあるかもしれません。ですがそれを乗り越えて院の治世になればこそ、民にとっても院にとっても真の安全がもたらされるのではないでしょうか」

「……分かっておる」

 勧修寺経顕は大きくため息をつくと、則祐に向けて頭を下げた。

「若者よ、礼を言う。私は目先の院の御身の為をばかり考えて、院の御心に添うことをないがしろにしておった。

 そして……戦う覚悟を決めたのならば、足利を用いるが最良の策だ。私の見極めは終わった」

「……!! 有難うございます!」道誉たちは平伏した。

「さあ、奥へ進むが良い。恥ずかしながら院はこの見極めを全てお聞きになられている」


 道誉たちが勧修寺経顕に案内されて離れの最奥へ着くと、大きな窓辺に座り遠く比叡山を見上げる人影があった。道誉たちは平伏して言葉を待つ。

「……汝らの言葉は全て聞かせてもらった。朕は平穏な世のために汝らの力を借りる。朕がその力に報いるかどうか、その眼で見極めよ」

「院、そのような不敬な振る舞いを促されますな!」と勧修寺経顕。

「経顕、乱世に出るとはそういうことだと、朕も思う。汝はどこまでもついて来てくれるのだろう?」

「……お聞きのとおりでございます」勧修寺経顕は顔を赤くして俯いた。

 光厳院は道誉たちに向き直ると、手ずから書状をしたためた。

「さて、ここに院宣を賜り、足利を我が軍とする。疾く全国に発布せよ」

 道誉たちに安堵と喜びが広がった。

「恐悦至極に存じまする」と道誉。

「足利軍は九州まで落ち延びています。早速私が届けて参りましょう」と三宝院賢俊。

「よろしくお願いします、三宝院殿!」と則祐。

 こうして、道誉の記録に残らぬ大仕事は幕を閉じたのであった。次回、なおも動き続ける世情と道誉の身辺を早足に紹介して本章も終わりへ向かう。

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