本屋の魔女ユリア

紫吹明

1冊目


「えぇっ……! なにこれ!」

 とある街の片隅。赤い屋根の小さな家に少女の叫び声が響いた。黒いワンピースを身にまとい、室内だというのにとんがり帽子をかぶった少女はハタキを手にしたまま一冊の本を見つめる。表紙を眺め、恐る恐る持ち上げて背表紙を確かめ、それからそうっとページをめくってみる。

 ごくり。少女がつばを飲み込む音が誰も居ない通路に響く。次の瞬間、少女はハタキを放り出すと本を抱えて大声で叫びながら走り出した。

「師匠! 師匠ー!」

「ちょっと。なんの騒ぎ? 掃除は終わったの?」

 師匠は、ふたつ隣の通路にいた。少女とよく似た黒い服を着てメガネをかけた金髪の女性だ。顔をしかめる彼女に、少女はひるまず抱えてきた本を突き出す。

「見てください! これっ……!」


「子供の本が、字のない絵本になっちゃいました!!」


 そう、子供の本。少女が持ってきたのは、この本屋の児童書コーナーに置いてあったものだ。平積みになっていたのだから人気作だろう。それなのに、表紙にも背表紙にも中身にも、文字が一切書かれていないのだ。これでは売り物にならない。

 しかし。

「……そう。”食われた”のね」

「へ?」

 少女と裏腹に、女性は顔色一つ変えずに本を受け取るとなんてことないように頷いた。そのままどこかに歩いていこうとする女性に少女は慌てて追いすがる。

「ちょ、ちょっと待ってください! いいんですかその本? っていうか食われたって何!? 師匠、何か知ってるんですか!?」

 足はもつれそうになるけれど、口はきちんと動いて訊きたいことを言葉にしていく。そんな少女に女性は手を挙げて落ち着くようジェスチャーしながら口を開いた。

「知ってるも何も、あなたにも話したでしょう? この店でたまに本が食われる――文章が消えてしまうこと」

「えっ」

 覚えがない。少女の足がピタリと止まり、瞳が左右に泳ぐ。師匠からの話を思い出そうとするけれど、浮かんでくるのは昨日の献立、書いたポップの文言に新作のお菓子のこと……。

「……えへへ?」

「こら、笑ってごまかさないの。まったく……」

 女性はひとつため息をつき、おもむろに手を伸ばすと事務室の扉を開けた。それから半身だけ振り返り、少女を見つめてにっこり笑う。


「こういう時はね、本屋の魔女の出番なのよ」


 今の、決め台詞だった気がする。ぴこんと勘を働かせた少女は、真面目な顔で力強く頷いてみせた。

 ……頭をコツンとされた。



 事務室には抽斗つきの棚と灰色の机、それから何に使うのかよくわからない文具がごちゃごちゃ置かれている。部屋の隅からパイプ椅子を二つ持ってくると、少女――ユリアは勢いよく腰を下ろした。もう一つの椅子には女性が座り、手にしていた本を机の上にのせる。

「それで師匠、今から何をするんですか?」

 白い電球に照らされた本を見つめながら、ユリアはわくわくと尋ねた。師匠と呼ばれた女性――アンナは頭痛をこらえるように額に手を当て、おもむろに口を開く。

「食われた本の戻し方は一つ。中に描かれた絵を見てストーリーを読み解くことよ」

「あ! 超古代なぞなぞ!」

「……判じ絵のことかしら? そういうトンチの要素はあまり無いんだけど……。どちらかといえば、挿絵を見てどのシーンか当てるクイズみたいなものね」

 言いながら、アンナは改めて本の表紙を指し示す。師匠の動きにつられるようにユリアも表紙の絵を覗き込んだ。そこに描かれているのは、見慣れない建物の前で笑う男の子たち。年の頃はユリアと同じくらい、十代に見える。ごく普通の子供向け小説の表紙イラストだが、やはりそこにはタイトルも著者名も書かれていない。

「これ見てお話の中身を当てるってこと……?」

 思ったより細くうわずった声が出て、ユリアは慌てて自分の口をおさえた。師匠であるアンナはそんなユリアに向かってにっこりと笑みを浮かべる。

「そうよ。とは言ってもさすがにこれだけじゃ無理だから、中身を見ていきましょうか」

「……はぁい」

 見たところでわかる気がしないけれど、始まってしまったものは仕方がない。ユリアは両手をぎゅっと握りしめ、アンナの手がページをめくっていくのを睨むように見つめた。


 はらり、と紙同士のこすれ合う音が響く。現れた絵はどこかの家の中だった。頬杖をついた女の人が窓の外を見つめている。空は青く、壁には十二時を指した時計が描かれている。

「え、男の子じゃないの……!?」

 ユリアは思わず身を乗り出して叫んだ。声こそ上げないものの、アンナも目を丸くしている。表紙に描かれた男の子たちの物語だと思っていたのに、これはどういうことだろうか。

 慌ててページをめくると、同じ女の人がどこかに電話をかける姿が描かれていた。カレンダーは七月、二十日の日付に赤い丸がつけられている。

「夏休みだ……。じゃあやっぱり男の子の話? あ、合宿とかでしょうか!」

「そうね……。この人は母親なのかしら。まだ情報が足りないわね」

 お互いに考えを口にしながら、再びアンナがページの隅に指をかける。


 はらり。現れたのは一転して殺風景な部屋の絵。何かの機械を前に、男の子がマイクに向かって話していた。男の子の目はきらきらと輝き、頬もうっすら色づいている。

「わぁ、楽しそう……!」

 男の子の表情につられるようにユリアの声も弾む。

「この子、表紙の右側に描かれていた子ね」

 一方アンナは冷静な声で指摘した。角度も表情も違うけれど、確かに輪郭や髪型が同じだ。この子が主人公なのだろうか。

 何を話しているのか、なぜこんなに楽しそうなのか。次々に疑問が浮かんでくるけれど、何もない部屋でマイクに向かう男の子は当然何も教えてはくれない。

「とりあえず先に進みましょう!」

 今度はユリアがページをめくった。


 はらり。画面が一気に暗くなり、月明かりの下でどこかの建物に集まる男の子たちが姿を現した。かなり人数が多い。数えてみると二十人が描き込まれていた。男の子たちの姿は丸い縁取りに囲まれ、四隅に空白がある。

「これはたぶん回想シーンね」

「なるほど……。作戦会議でしょうか!」

「その可能性はあるわ。林間学校とか合宿とか、決められていた予定ではなさそうな雰囲気」

 夏休みに、男の子たちが集まって作戦会議。冒険の予感がひしひしとする。


 はらり。場面は殺風景な建物に戻り、灰色の壁を背に二人の男の子がおじいさんと話している。男の子の片方はマイクで話していた子、もう片方は表紙の左側に描かれていた子だ。対するおじいさんは汚れた服を着ていたずらっぽい笑顔を浮かべている。

「あ、これ知ってます! 神様のテスト!」

「えっ」

 おじいさんを指さして、ユリアはにんまりと笑みを浮かべた。こう見えてたくさん本を読んでいるし、知識だってそれなりにあるのだ。

「急いでる時に足の悪いおじいさんが現れて、『うーんうーんたすけてください』って言うんですよ! それで主人公が放っておけずに助けてあげて、実は神様だったおじいさんから素敵なお礼をもらうんです!」

 つまりこのおじいさんは主人公たちを試しに来た神様で、ちょうど今お礼をもらうところなのだ!

 そう高らかに解釈を宣言して、ユリアは大きく胸を張った。……が。

「……この何もない建物の中で?」

「あっ」

 訝しげなアンナの質問に、あっという間に笑顔が引っ込む。神様のテストはだいたいが川やら道やらを渡るもので、男の子たちはずっと建物の中にいるわけで……。

「うわーん! ちょっと解けたと思ったのに!!」

 失敗を悟ったユリアは思いっきり天を振り仰いだ。帽子がぱさりと後ろに落ち、二つ結びにした青い髪が揺れる。アンナが指を振ると、帽子はふわりと浮き上がってユリアの頭に収まった。

 帽子越しにユリアの頭をぽんぽん撫でて、アンナは微笑みながら口を開く。

「まあまあ、良い挑戦だったと思うわよ。……それに、ほら。おじいさんがこの子たちの仲間になるっていうのは合ってるみたい」

「へ?」

 思いがけない言葉にユリアが顔を上げると。机の上に広げられたページでは、先程の二人の男の子がおじいさんを広場に案内していた。広場では多くの男の子たちが輪になって彼らを待っている。人数を数えてみると、輪になった子たちとおじいさんを連れてきた二人を合わせてちょうど二十人だ。

「作戦会議をしていた二十人と、仲間になったおじいさん……。ってことは、この建物が拠点……!?」

「きっとそうね。その作戦の内容が解ければ……」

「これがなんの本かもわかる!」

 読みは外れたけれど、無駄ではなかった。ユリアは再び笑みを浮かべ、勢い込んでページをめくる。


 はらり。現れたのは、建物の前に集まる大人たちの姿だった。男の人が数人と女の人がたくさん。男の人はメガホンを持ち、建物の方を睨みつけている。よく見ると、建物の窓からは男の子たちが覗いていた。

「これって! 大人と子供の対決ってことですよね!」

「そうみたい。このメガホンを持った人は教師かしら……?」

「ふむふむ……夏休みに、男の子たちが集まって、先生と戦う、と……」

 ユリアはポケットからメモ帳を取り出し、愛用のペンでわかったことを書きつけていく。二十人の子供、おじいさん、などのキーワードも書き留めた。


 はらり。ページをめくると、紙を広げて設計図のようなものを描いている男の子の姿が見えた。紙の端には何やら文字も書いてあるが、潰れていて読み取れない。

「秘密兵器!?」

「さすがに無理があるわよ」

 歓声を上げるユリア、それをばっさり切り捨てるアンナ。背景に机や椅子、板のようなものは描かれているけれど確かに武器を作れるようには見えない。

「うーん……じゃあ何を作ってるんでしょう?」

「そうねぇ……戦いの準備ではありそうだから、トラップとか」

「えー……地味……」

 トラップと聞いて、ユリアの頭には黒板消しやらネットやらが降ってくる仕掛けが浮かぶ。それが悪いとは言わないけれど、なんというかメインストーリーらしくない。それよりは、やっぱり無理矢理にでも秘密兵器を作ったほうが盛り上がるはずだ。

 釈然としない気持ちを抱えながら、ユリアはしぶしぶページをめくる。


 はらり。食べ物の入った袋を掲げてみせる綺麗な女の人と嬉しそうな男の子たち。

 はらり。テレビカメラの前で一人暴れる先生と囃し立てる男の子たち。アナウンサーの真似だろうか、マイクを構えた男の子もいる。

 はらり。おじいさんを先頭に地下道のようなところを通って公園に出る男の子たち。


 しばらくはストーリーのよくわからない絵が続いた。わかるのは男の子たちの暮らしが充実しているらしいことと、やはり男の先生は敵らしいということぐらい。

「さっきの設計図、出てきませんね……」

「そうねぇ」

 女の子と話す男の子たちの絵を眺めながら、ユリアは頬杖をついて呟いた。せっかく先生が登場したのに、新兵器もトラップも出番はなし。空気と戦う先生の姿は愉快だったけれど、ユリアは早く設計図の答え合わせがしたかった。

 絵の中の男の子たちは拠点を抜け出してどこかのアパートを見ている。作ったもののお披露目はもう少し先になりそうだ。


 はらり。押し入れから縛られた男の子が出てくる。

 はらり。男の子たちが気弱そうな男を取り囲んでいる。

 はらり。何人かの男の子が気弱そうな男の肩を叩いている。


 アンナの指が次々にページをめくっていく。

 そして。


 はらり。何度めかの音と同時に、再び拠点の前に立つ先生たちの姿が現れた。テレビカメラの前で暴れていた先生とは違う、残りの先生たちだ。斜め上から見下ろすような構図で、先生たちの顔と同時に拠点の中の様子も見える。

「あーっ! 師匠、これ!」

 拠点の中に描き込まれたものを見て、ユリアは思わず声をあげた。作りかけの設計図と、端の部分が完全に一致している。ついに描かれた全体図は、無数の分かれ道に落とし穴、鏡やペンキの仕掛けを満載した――

「迷路……だったのね」

 目を丸くしたアンナが口元をほころばせて呟く。指先がニセ出口の扉を優しく撫でた。ユリアも赤いすだれの絵をそっとつついてみる。

「これはトラップですねぇ」

「これは秘密兵器ね」

 声が重なる。なんとなく師匠の顔を見られなくて、ユリアは急いでページをめくった。途端に三原色で塗られた人が見えて二人同時に吹き出す。青地に赤、黄色地に赤、全身真っ赤。どれも学校の先生にあるまじきど派手な色彩だ。


 はらり。ページをめくると、怒り心頭の先生と話す制服を着た男の人が見えた。生で見たことはないけれど一目でわかる、警察だ。

「えっ……先生、警察を呼ぶの?」

「きっともう打つ手がないんだわ」

「そんな、ずるいですよ……!」

 ユリアは声を荒らげ、先生の顔を親指でぐりぐりと押した。そんなことをしても物語の展開は変わらない。どうか子どもたちが負けませんように、祈りながらそっとページをめくる。


「……あ!」

 はらり、という音とほぼ同時にユリアは歓声を上げた。そこに描かれていたのは、突入の準備をする警察とこっそりマンホールに入っていく男の子たち。そこから地下の道を通って脱出するのだ。

「攻撃される前に逃げたら勝ち! ですよね?」

「ええ。拠点を移して次の戦いに備えるはずよ」

 ぱっと顔を上げたユリアの視線の先でアンナが力強く頷く。最後は二人でページに指をかけた。


 はらり。現れたのは青空。河原に集まった大勢の子供達。そして、その誰もが浮かべている晴れ晴れとした笑顔。

「やったぁ……! みんな無事脱出してハッピーエンド!」

「そうね! それじゃ、物語をまとめましょう」

 アンナの言葉に、ユリアは握りしめていたメモ帳を開く。


「夏休み、男の子たちがこっそり建物に集まって先生と戦う。おじいさんが仲間になったり、捕まっていた子を助けたり、先生たちを面白おかしくやっつけたりする。先生は警察を呼ぶけど、最後は突入される前に逃げ出してハッピーエンド!」


 書き溜めてきた内容をユリアが高らかに宣言した次の瞬間。本がひとりでに浮き上がり、強い光を放った。

「わ、眩しっ……!」

 ユリアはとっさに目をつぶり、メモ帳を持ったままの手を顔の前に翳す。バラバラとページがめくれる音が部屋いっぱいに響き渡る。しばらくして、どさりと何か重いものが落ちたような音がした。

 恐る恐る目を開けると。

「あ……」

 机の上には、見覚えのある文庫本が一冊転がっていた。表紙はさっきまでと同じ男の子たちの絵。けれどそこには『ぼくらの七日間戦争』、そして「宗田理・作」とはっきり書かれている。

「タイトルと、著者名……。ってことは……!」

「この本はすっかり元通りよ。ほら」

 微笑みを浮かべたアンナに差し出され、ユリアは文庫本を受け取って開いてみる。ページにはびっしりと文字が印刷され、絵にはならなかった軽快なやり取りがいくつも繰り広げられている。

「よかったぁ……!」

 戻ってきた本を抱きしめ、ユリアはため息をついた。それから椅子に深く腰掛け、もう一度表紙をめくる。



 本に没頭していく弟子の姿を見て、アンナは小さくため息をつく。この様子では今日店を開けるのは難しそうだ。

「まったく……。本好きなのは良いんだけどね」

 呟き、表のドアにクローズの札をかけるために事務室を出る。


 この店では、本が食われる。ある日突然店のどこかに現れる字のない絵本――それを読み解いて元の本に戻すのが、この店を預かる人間の役割だ。

 これは、そんな「本屋の魔女」の物語。


 次はいつ、どの本が絵本になるのか? 今はまだ、誰も知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本屋の魔女ユリア 紫吹明 @akarus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ