にわか雨と物思い

脳幹 まこと

不思議に身を委ねる



 土日やることがあるので、計画を立てながら歩いていると、雨が降ってきた。天気予報では晴れときどき曇りくらいだったから、傘は持ってこなかった。

 大掃除のときに圧縮袋から出したジャケットに雨粒がついて黒ずむ。雨脚は強まっていって、それなりに濡れることになったが、上を向いてみて驚いた。

 青い。少なくとも雨が降るとは思えない。知らない人に空だけ見せたら晴れだと判断するだろう。空全体は青と白と黒(灰色)と黄がまじって、物凄く混沌とした模様を描いている。

 真っ先に「好き」だと思った。こういう空模様の風景画が売り出されていたら買いたいくらいだ。

 生憎スマホ断ちをしていたので、好きな空を画像に残すことはできない。ということで、せいぜい目的地までの道中を見上げて歩くことにした。

 時間が経つにつれ空は晴れていく。太陽が顔を出しそうな気配すらある。しかし雨は弱まらなかった。夢のように感じられる。それか自分の視界がおかしくなっているのか。実際はそのどちらでもなく、私は不意にやってきた「好き」を目一杯満喫する。


 何故真上は青空なのに、雨はまっすぐ降ってくるのか。おそらくだが、ある程度の高度では強い風が吹いていて、まわりの分厚い雲から降ってきた雨がこちらに流れてくる。地上付近では風が吹いていないのでまっすぐに落ちているのではないか。

 原理を考えれば難しくはないのだが、かなり不思議な感覚だった。おそらく雲から雨が落ちるとき、一瞬で地上に到達するという先入観があるのだ。日常生活の中でそこまで細かく観察していない。太陽の光がおよそ8分30秒遅れで地球に到達することを知識の上では知っているが、それを体感することはないように。



 電車に乗る。

 青空はたちまち黒ずんだ雲に変わっていく。しかし西のずっと奥の方では日の光に照らされた神々しい風景が広がっている。

 黒だったものが白や青に変わると、人間は「改善」「成功」「希望」の物語を描き出す。

 人生で得た多くの経験が黒(雨)の印象、白や青(晴れ)の印象を設定するのだろう。それは青と緑から地球やエコを、赤と黒から火災や危険を、白と黄から善性や神々しさを見いだすのと同じだ。

 色だけでなく形、大きさ、匂い、音、重さ、位置、来歴、感情、差違。あらゆるものが象徴として、物語を構築する足がかりとなる。わざわざ誰かが教えこむまでもなく、各人がそれぞれ物語を描き出し、それを基に常識や価値観、好悪を構築する。


 何かの本に書いてあった一節が印象に残っている。

「科学は真実を指し示すのではないし、人に有益であるとも限らない。科学とは無数にある自然現象のうち、人が感知できる領域に対し、納得できるような考えを提案する分野である。科学の原動力は【あらゆる現象は原理がどれだけ謎めいていたとしても、大いなる自然が既に作り上げている】という点にある」


 科学であれ、哲学であれ、経済学であれ、何かを体系化して管理するには情報群を一定の方向に束ねたもの、物語が求められる。その物語の源となるのは、各人が様々に受けた体験であり、小さな物語達ということになる。

 その中には「善に・・裏切られる」「悪に・・救われる」といった体感的には妙な内容もあるだろう。統計をとるなら「悪に裏切られる」「善に救われる」の方がよほど高くなるだろう。しかし、そういった領分がゼロでないことも事実である。今回の「青空の雨に濡れる」という事象があるように。

「だからどうした」と言われたらそこまでなのだが、そういう妙な経験をしたら「気のせい」「間違ってる」「厄介だ」とか一蹴せず、大切にした方がいいと思う。


 技術がこれだけ発展しても、世界はやっぱり全然解き明かされていない。驚かされることの方がよっぽど多い。でもそれでもいいじゃないか。そっちの方が断然面白いだろうから。

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