最終話。とある少女の記録
「いつもこんなに遅いんですか?」
どこからか話し声が聞こえてくる。
「いいえ、今日が珍しいくらいよ」
窓の向こうに見える黒い空。もう夜なのに、おばあちゃんはまだ来てくれない。今日は帰りに好きな物を買ってくれると言っていたのに。
約束、忘れてしまったのかな。
「大変そうですよね。あの子の家庭って」
新しいあの人は嫌い。わたしを見る目が怖い。わたしは嫌われている。だから、もう話しかけない。
「そうね。来年からは小学校に通うことになるし、もっと大変になるでしょうね」
みんな、わたしのことが嫌い。
この場所にいるみんなも、わたしが嫌い。
わたしはすぐに転ぶから一緒に遊べない。怪我をするからダメ。女の子だからダメ。気持ち悪いからダメ。ダメなことばかり。
だから、わたしは寝転がって何もしない。
何もしない方が、みんな喜んでくれる。
でも、なにも楽しくない。
つまらない。
わたしは。
必要ない。
「あ、お迎えが来たみたい」
わたしは一人で起き上がった。
早く、おばあちゃんに会いたい。
わたしはリュックを背負わせてもらう。
「──ちゃん、また明日」
わたしの頭を撫でてくれる人。この人に頭を撫でれても何とも思わない。だって、みんなと同じ。わたしのことを要らないと思ってる人。
でも、おばあちゃんは違う。
おばあちゃんはわたしを必要だって言ってくれた。だから、おばあちゃんは好き。優しくて、暖かいから、わたしはおばあちゃんに早く会いたい。
「おばあちゃん……じゃない……」
そこにいたのは、知らない女の人だった。
女の人はわたしの近くに来て、同じ高さになるようにしゃがんでくれた。
「
わたしの名前を呼んでいる。
でも、困ったような顔をしている。
すごく悲しそうで、すごく優しい顔。
いろいろな心が、わたしに向けられる。
「おばあちゃんだが、今日はどうしても迎えに行けなくなったんだ。だから、私が代わりに迎えに来た」
「そうなんだ」
少し、残念。だけど、不思議だった。
この人を見ていると、胸がズキズキ痛む。
胸が痛い時には、おばあちゃんに抱きしめられると痛くなくなる。大好きで、好きな匂いのするおばあちゃん。でも、おばあちゃんはおばあちゃんだった。
周りのみんなが手を繋いで、一緒に帰っている人とは違う。わたしにはいない。わたしには。いないはずだった。
もし、わたしにもいるとしたら。
きっと、この人みたいに。
わたしをちゃんと見てくれる人。
わたしを嫌わない人。
わたしだけの。
ホンモノ。
「あ……」
わたしには二つとも腕が無い。
抱きしめてほしいのに。
変で。伝わらない。
この人には気づいてほしい。
「柑菜、私は……」
ううん。それじゃ、ダメ。
わたしから、離れる前に。
わたしは、飛び込んだ。
「……ママ」
ずっと、言いたかった。
ずっと、ずっと、会いたかった。
ママはわたしの体を優しく抱きしめてくれる。
「柑菜……すまなかった……」
どうして、ママが謝るの。
「お前を産んだあの日から、私は母親として何もしてこなかった。だから、どんな顔をして会えばいいか、ずっと、わからなかった……」
ママはわたしを強く抱きしめる。
ママから、わたしの好きな匂いがする。
「ママ」
ずっと。ずっと、ずっと、このままがいい。
「柑菜。私のことを恨んでないか?」
よくわからない。
「私の身勝手な理由で、柑菜を産んでしまった。だから、これから先、ずっと柑菜に恨まれても仕方がないと思っている」
ママの話は難しい。
「でも……それでも、柑菜が望むのなら……」
わたしが望む。
「これからは、私と一緒に暮らさないか?」
わたしには。ずっとママがいなかった。
「ようやく私の仕事も落ち着いたからな。今なら柑菜と一緒に暮らしても何も問題はない」
おばあちゃんは、いつの日か必ずママが迎えに来てくれると言っていた。それが本当になったのなら、わたしは望んでもいいのかな。
「ママと一緒がいい」
ママがわたしをだっこしてくれる。
暖かくて、安心する匂い。
「柑菜。遅くなって、すまなかった」
「ううん。ママは来てくれた」
ママにだっこされたまま一緒に帰ろうとしたら、わたしの知っている人がいた。時々、おばあちゃんの家に居る人だった。
おばあちゃんと同じくらい優しい人。
「
「
白雪お姉ちゃん。ママに似た顔だった。
「何のことだ?」
「ここに来る前は、不安で死にそうな顔をしてたよ。柑菜ちゃんに会って、逃げられたらどうしようって。変な心配もしてたし」
「柑菜とはずっと会っていなかった。柑菜にしてみれば、私は顔を合わせたことすらない知らない人間だ」
白雪お姉ちゃんがわたしの頭を撫でてくれる。
「でもさ、ここから見てたけど。柑菜ちゃん、椿綺がお母さんだって、気づいてたよね?」
「それは……」
ママがわたしの顔を見てくる。
「柑菜。私のことを覚えていたのか?」
「知らない」
「そうか。つまり、本能的な……」
ママが白雪お姉ちゃんに叩かれていた。
「椿綺。まだ柑菜ちゃんは子供なんだから、難しい話しちゃダメだってば」
「何を言ってる。柑菜は賢い子供だ。この知性溢れる見た目を見てわからないか?」
「見た目じゃ、何もわからないよ」
見た目。わたしの見た目はやっぱり変なのかな。
「ママ。わたし、変な子?」
「ああ。変だな」
変だとしても。ママには嫌われたくない。
「私みたいな人間をママと呼ぶなんて、柑菜は変な子だ」
「違う。そうじゃなくて……」
わたしは必死に腕を動かす。
「柑菜」
ママがわたしの腕に触れてくれる。
ママはわたしの体のことをちゃんと知ってる。
「お前は私の大切な娘だ。どんな姿をしていたって、私は柑菜のことを愛している」
「愛してる……」
それは、好きよりもずっと好きな、大好きだっておばあちゃんが言っていた。愛してくれるのは、わたしを本当に大切に思ってくれる人だって教えてくれた。
「ママ……」
「柑菜?どうした……どこか痛いのか……」
どこも痛くないのに。涙が出てくる。
泣きたくないのに、この暖かい気持ちがわたしの我慢していた全部をぐちゃぐちゃにする。
「椿綺。柑菜ちゃん、めったに泣かないんだよ。泣いたら、みんなを困らせると思ってるから、ずっと我慢してたみたい」
「……不器用なところは、私に似てしまったか」
ママがわたしの頭を撫でてくれる。でも、撫でられると、我慢しようとしても、わたしはもっと涙が出てきて、喉の奥が痛くなるくらい、声も出てしまう。
「柑菜、私の前では我慢しなくていいんだ」
みんなママの悪口を言っていたけど。
わたしはママのことが大好き。
誰よりも、ママが大好き。
「ママ。大好き」
わたしは、やっと言えた。
「私も……お前のことを愛してる」
わたしは幸せ。
これが幸せ。
わたしだけの幸せ。
「ママ。ありがとう」
愛してくれて、ありがとう。
背徳症状-椿綺の果実- アトナナクマ @77km
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