第19話。祝福のカタチ

「酷い顔をしているな」


 私は上手くやれたのだろうか。


 私が来夏らいかの父親に体を弄ばれた、あの日。来夏が父親の前に現れたのは、その行為の途中だったと話をしてる。


 しかし、実際には初めの一回目は何時間も前に行われていた。二回目からは私も数えることをやめていたが、例え何回でも結果は変わらなかっただろう。


「いや、以前よりはマシな顔だな」


 私の体に変化が起きていた。


 それに気づいた時には、あまり驚きはしなかった。もしかしたら、何かの間違いだと考えたこともある。だが、月日が流れるほど、体の変化が大きくなっていた。


「あの男の子供か……」


 腹の膨らみが、実感させる。


 まだ学生である私が誰かに話せることではなかった。白雪しらゆきが家を出て行き、一人だけの時間がある私にはやるべきことがあった。


 それは高校を卒業することだ。


 体の変化を隠しきり、卒業を目指す。時期を考えてみれば、ギリギリ間に合うはずだ。そして、卒業をした後に、私は一人で子供を産むことを考えていた。




 それなりに腹の膨らみが多くなった時、なるべく休むようにした。卒業に必要な分は足りており、体の負担を考えながら学校に通うことにした。


 結局、私は卒業式には出られなかった。


 多くの人の目がある場所で、姿を晒すのはよくないだろう。私の努力のおかげか、妊娠していることに気づいた人間は誰もいなかったはずだ。


 母親も卒業式には来れないと言っていた。だから、母親にも知られはしないだろう。卒業式のあった翌日には、私の体が最後の変化を迎えようとしていた。


「予定通り、か……」


 もうすぐで、私の子供が産まれてくる。


「くっ……」


 想像を絶する痛みが私の正気を奪う。


 一人で子供を産むなんて馬鹿な考えが浮かんだ時点で既に私は正気ではなかったのかもしれない。だが、動けなくなるほどの痛みが、私の計画を狂わせてしまった。


 このまま子供が無事に産まれてくる確証はない。


 少しでも気を抜けば、意識が飛びそうだ。


 それに痛みが酷くなるほど、自分が間違ったことをしていると自覚する。このまま何の準備もしないまま、子供を産むことが、どれだけ無謀なのか。


「……っ」


 全身から嫌な汗が吹き出している。


 視界がボヤけているのは、痛みに耐える為に強く目を閉じていたせいか。朦朧とする意識の中で私は幻覚を見ていた。


椿綺つばき!」


 いや、幻覚に触れられるわけがない。


「白雪……何故、ここにいる……?」


 私は白雪の体に触れて、目の前に存在することを確かめた。白雪の後ろには見覚えのある男も立っていた。


「椿綺、このお腹……妊娠してるの?」


 白雪が私の体に触ろうとしたが、腕を掴んで止めた。


「私に触れるな」


 振り絞った声での威嚇。しかし、私の声で白雪が怯むことはなかった。


「椿綺、病院に行かないと!」


「必要ない……私は一人で……」


「馬鹿なこと言わないでよ!」


 知っている。私は馬鹿な人間だ。


 これが私の罰だからと、一人で受け入れようとしていた。あの男の子供を身ごもったことも、その罰を確かなものとする為に。


「椿綺、お願いだから……」


 白雪が今にも泣き出しそうな顔をする。今はただでさえ自分のことで手一杯だと言うのに白雪に気を使う余裕はない。


「椿綺……お姉ちゃん。本当はわかってた」


 妊娠の話か。いや、時期を考えても白雪が私の妊娠を知っているはずがない。


「今までずっと、お姉ちゃんは椿綺に助けられてたのに。お姉ちゃんは椿綺に酷いことを言って……勝手に家を出て行って……だから、椿綺はお姉ちゃんのことを信じてくれないんだよね」


「ああ……そうだ。お前みたいな出来損ないの姉のせいで……私の人生はめちゃくちゃだ」


 私は白雪の腕を掴んで握る。


「お前さえいなければ……私はもっと自由に生きられていた……」


 また私は、くだらない嘘をつく。


 私には始めから何も無かった。白雪に依存をして、縛り付け、私の生きる理由を無理やり作っていた。


 だからか、白雪が家を出ていった時、私は解放感を得ると同時に喪失感も味わっていた。この腹の中にいる子供は、与えられた罰であると同時に私にとっての希望だった。


「ごめんなさい」


「どうして、謝るんだ……」


「お姉ちゃんは、椿綺のお姉ちゃんだから」


 白雪が私の体に触れてきた。


「何の真似だ、離せ……!」


「もう椿綺の言うことは聞かない」


 抵抗しようとしたが、私にはその体力も残っていなかった。白雪に抱き抱えられて、家から連れ出される。外に出た先で、車の後部座席側に乗せられた。


 運転席には、あの男が座っていた。


「随分と手際がいいな……」


「お姉ちゃんの好きな人は、優しい人だから」


 さっきは白雪の隣でおどおどしているように見えたが、運転席に見える背中は頼もしく見えた。この男に白雪を任せることに不安もあったが、それも杞憂だったのかもしれない。


「白雪……すまなかった……」


「どうして、謝るの?」


「私には罰が必要だった」


 あとどれくらいで病院に着くかわからない。それでも、姉妹が仲直りする時間くらいはあるだろう。


「私は白雪を傷つけたことを後悔していた。だから、白雪がいなくなった後、私は男を受け入れ、この子を妊娠した……」


「椿綺……お姉ちゃんは傷ついてなんかないよ。だって、椿綺はお姉ちゃんの為に言ってくれたんだから」


 白雪の手が私のお腹に触れてきた。


「それに罰だなんて言い方はやめてよ。これから産まれてくる子供は……椿綺にとって、そんなものじゃないでしょ」


「ああ……そうだな……」


 この罰を受けるのは私だけでいい。産まれてくる子供に背負わせる罪なんて何も無い。例え、父親と母親がろくでもない人間だったとしても、子供だけは幸せになるべきだった。


「白雪。私は……」


 私は白雪の手を握った。


「お前に幸せになってほしかった」


 この気持ちだけは本当だ。


「椿綺。私達は一緒に幸せになれるよ」

 

 また白雪が理想を語っているのか。


 この世界は白雪の願いを叶えられるほど、優しくはなかった。だけど、私はそんな白雪の理想が今は少しだけ、羨ましく感じていた。


「お姉ちゃんは椿綺の味方だから」


 何故、私は一人で頑張ろうとしていたのだろう。


 白雪は私を裏切ったりしない。そんな簡単に失われる関係を長い時間続けていたわけじゃない。


 結局、私のやったことは全部無駄だったのか。


「白雪……ありがとう……」


「ううん。私の方こそ……ありがとう」


 これで仲直り出来たのだろうか。


 随分と呆気ないが、それも私達らしいのかもしれない。姉妹のくだらない喧嘩は、これで全部おしまいだった。


 しかし、幸せがあるなら、不幸も存在する。


 白雪と仲直り出来たことが私にとっての幸せだと言うのなら、私が受けるべき罰は残っていた。


 最後に訪れる不幸はどれほどのものなのか。




 病院に着いてからのことは、あまり覚えていない。


 出産を迎える時、私の傍には白雪が居た。永遠にも思える時間の中で、白雪は私の手握っていてくれた。


「椿綺、頑張って」


 何度も白雪が私を励ましていた。


 少し鬱陶しいとも感じたが、私が最後まで頑張れたのは白雪のおかげだった。


「はぁはぁ……」


 長い苦しみから、ようやく解き放たれた。


 私の耳に届く、産声が心に落ち着きを取り戻す。


「……っ」


 だが、私は気づいてしまった。


 周りにいた人間の顔色がよくないことに。それは白雪も同じだ。皆が向ける視線の先には私が産んだばかりの子供がいるはずだ。


「私の子は……」


 不安を押し殺すように、必死に手を伸ばす。


「何故、見せない……」


 白雪が一度、私の顔を見た。


「あの!お母さんにも見せてあげてほしいな!」


 白雪の一言で戸惑いで満たされていた空気が変わった。私の元に運ばれてきた赤ん坊の姿を見た瞬間、彼女らの表情の意味を知ることになった。


「椿綺……女の子だよ」


 これは私に与えられた罰なのか。


 もし、もっと早く病院に行っていたら。ソレに気づくことも出来たのではないか。これほどの強い感情を抱くことはなかったのではないか。


 人間のカタチに決まりなんてない。


 だが、私から産まれたばかりの赤ん坊には足りないモノがあった。


 これから先の未来、私の子供に多くの苦労が待ち受けていることは容易に想像が出来てしまう。


 母親として、私は何をするべきなのか。


 子供の幸せの為に出来ることを考えた時、私の頭に浮かんだ答えがあった。この先、この子が生きる為に必要なことだ。


 そして。私は、覚悟を決めた。


「さよなら……私の……」


 私は自分の子供を捨てることを選んだ。


 両親も白雪も私の選択を納得はしないだろう。それでも私は構わなかった。自分勝手に子供を産んだのなら、自分勝手に捨てるだけだ。


 それが、椿綺という人間の本質だった。

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