第18話。椿綺の母親
私は一人での生活にも慣れ始めていた。元々、家事は自分でやっていたのだ。白雪が居なくなったところで、何が変わるわけでもなかった。
あれから白雪とは連絡をとっていない。弁当屋に行けば会える可能性もあったが、今の私に合わせる顔はなかった。
「今日は何を作るか……」
冷蔵庫を覗き込んでいる時にテーブルに置いていたケータイが鳴った。ただのメッセージならいつでも確認出来るが、その時の私は妙に気になってしまいすぐに確かめることにした。
メッセージを送ってきた人物。それは私がよく知っている相手だ。最近はまったく連絡を寄越さなかったというのに、今回送られてきたメッセージの内容は私を呼び出すようなものだった。
「仕方ないな……」
私は準備をしてから出かけることにした。
日が沈み、私は夜の街を出歩いていた。
普段なら足を運ばないような場所。この辺りなら白雪と顔を合わせることもないだろう。
私が呼び出された店の前まで行くと、そこにはスーツを着た、容姿の目立つ女性が立っていた。仕事終わりなのか。ご苦労なことだ。
近づけば、顔がよく見える。
白雪の何十年後かを想像させる姿。しかし、彼女の持つ長い黒髪は白雪のモノとは違い、指先で感触を確かめたくなるような美しさだ。雪のような白い肌と合わさり、口さえ開かなければ、儚さすら感じさせる。
これが自分の母親だというのだから驚きだ。
「待たせたか?」
「いいえ。今来たところよ」
わずかな微笑みを見せる母親。それは先程までの凛とした表情とは違い、大人びた雰囲気の中に無邪気さを感じさせるものだった。
「とりあえず、入りましょうか」
私と母親が二人で入った店は焼肉屋だった。どうやら、個室があるようで、それなりの声で会話をしても問題はなさそうだった。
テーブルを挟み、向かい合って席に着いた。
「好きな物を頼んでいいわよ」
母親は私にメニュー表を渡してきた。受け取って目を通してみるが、やはり肉ばっかりだった。
「どうして、焼肉屋にした?」
「私が肉を食べたいから」
相変わらず、この見た目で肉が好きなのか。
「……白雪は呼ばなかったのか?」
今になって気になったことを聞いた。
「返事がなかったから。来ないわ」
白雪が母親を無視した理由はわかる。もし、母親の誘いに乗っていたら、この場で私と顔を合わせていただろう。
喧嘩別れをしたということもあって、簡単によりを戻せるわけではなかった。特に白雪の方は私に色々言われて、意地になっているはずだ。
「
「そんなところだ。あまり気にしないでくれ」
「椿綺。何があったか、話しなさい」
別に隠すようなことでもなかった。
私は白雪が働き始めた頃から、大喧嘩をして白雪が家を飛び出したところまで。すべてを母親に話すことにした。
「それは椿綺が悪いわね」
過去の話を終えた後、母親から告げられた言葉は的確なものだと感じた。私は自分のやったことが正しいとは思っておらず、白雪を責めるのは間違っている。
「私はどうするべきだった?」
「そうね」
母親は話を聞きながらも、肉を焼いていた。
「私は何を間違えた?」
白雪は知らないと思うが、母親が実家に帰ったという話は嘘だった。実際は以前からの仕事を続けており、いつでも母親とは会うことが出来た。
それでも母親が家を出たのは、働く姿を白雪に見せたくなかったからだろう。母親は不器用な人間だ。仕事と家族、その両方を平等に扱えないことが母親の悩みでもあった。
だから、母親は私に白雪を任せた。
白雪が一人で歩けるように妹として支える。
それが私に与えられた役割だった。
「椿綺。私はアナタに白雪と仲良くするように言ったと思うのだけど」
「あのままだと、白雪を腐らせるだけだった」
「白雪が現実から目を背けていること?それは椿綺の勘違いよ。あの子が口にする頑張っているというのは、それは言葉通り、血反吐を吐くような思いだと言うのに」
私は白雪が努力を言い訳にしているように見えて否定をしてしまった。努力だけなら誰でも出来ると、私は白雪に冷たく接した。
「どういう意味だ?」
「椿綺は白雪がどんな子供だったか知っている?」
「今も昔は変わらないだろ」
私は何も知らない。アルバムとして残されていた白雪の写真を見たことはあったが、白雪の口から何も語られることはなかった。
「子供の頃の白雪は空っぽだった」
「空っぽ?」
「白雪はどんなモノにも興味を示さなかった。笑ったり、怒ったり、泣いたり。色々な感情を私の中に忘れてきたみたいに。白雪は人間として欠けていた」
初めて聞いた話だ。今の白雪は感情豊かで、よく笑顔も見せる。母親の語ったことが全部作り話だと感じるのは、私が今の白雪しか知らないからだろう。
「私は白雪が元気に育ってくれるなら、それでよかった。けれど、その時の白雪はキッカケ一つで消えてしまいそうな、そんな雰囲気があったのよ」
白雪から感じる曖昧さ。それは本来の白雪が持っている、人間としての本質か。私も母親と似たようなことを感じたことがある。
「でも、白雪は変わったんだろ?」
「ええ、そうね。何処か遠くを見ていた白雪の瞳に初めて意志のようなものを感じた瞬間。その日のことは今でもよく覚えているわ」
母親がカバンから財布を取り出した。財布の中から何か写真のようなモノを出すと、私にソレを渡してきた。
「これは……」
そこに映る三人の姿。
「この写真、お父さんが撮ってくれたのよ」
「白雪は……笑っているな」
母親の腕に抱かれた赤ん坊の姿と、その隣で幸せそうな笑顔を見せる幼い頃の白雪。ああ、この顔ならよく知っている。いつも白雪が私に向ける笑顔と同じだ。
「アナタが生まれた日から、白雪は人間らしく生き始めた。それまで目を背けていたことに向き合い始め、姉らしく振る舞う努力もした。だけど、白雪の心はそれほど強くはなかったのよ」
私には印象に残っている出来事があった。
それは白雪が高校を卒業した時の話だ。母親の姿を見て育った影響か、白雪は進学ではなく就職する道を選んだことがあった。
だが、結果だけを言うなら、白雪は失敗した。
周りからのプレッシャーに耐えられず、白雪の心が折れてしまった。白雪が仕事をせずにずっと家に居たのは、白雪なりの現実逃避だったのだろう。
なのに、私は白雪に何と言った。
「きっと、白雪は今でも引きずっていることがあるわ。それでも頑張っているのだから、ちゃんと褒めてあげないと」
「ああ……そうだな……」
結局、私が勝手に苛立ちを感じて、自分勝手に白雪を傷つけただけだ。私の言葉が白雪の人生にどれだけの影響を与えるか、知りもしないで。
ただ、よかったと思えることもあった。私が自分に与えた罰に、より強い意味を持たせられたのだから。
「一つ。頼みたいことがある」
母親の話を聞いても、私は白雪とよりを戻すという考えは浮かばなかった。ようやく私から白雪は離れられたのだから、連れ戻す必要なんてなかった。
「なにかしら?」
「もし……孫が出来た時に……子育てに苦労していたら、それを手伝ってやってくれないか?」
これは私なりの選択だった。私が母親に頼み事をするのは、これっきりになるだろう。
「ええ、構わないわ」
いずれ白雪にも子供が出来るはずだ。そうなった時には母親の協力もあった方が安心出来る。きっと、母親は優しいおばあちゃんとして、頑張ってくれる。
だから、何も恐れる必要なんてない。
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