たばこの日

煙 亜月

たばこの日

 立ったままその侍を見下ろす。まあ、このお侍様は駄目じゃろうな。当世具足があっても、こうもどてっ腹に鉛玉を喰らっとったらな。


 出自の卑しい儂はお侍なんかにゃなれず、耕せど耕せど小作農、年貢をちょいと納めりゃ財も何も吹き飛んでゆくようなしがない農奴よ。

 

 その儂がどうして合戦場にいるかというと、当然のことといえばいい返す言葉もないんじゃが、領主様が戦に出せるようなお武家様を多くは持っとらなんだからじゃ。

 さらに儂は子も嫁も質に取られてな、お前が立派に死んで来たら子も嫁もいい生活をさせてやると、こう来たわけじゃ。


 ほとんど着の身着のままの出立じゃった。懐刀しか持たぬ、何の役にも立たない雑兵。死ぬときに吸おうと、煙草葉と豆煙管だけは懐に忍ばせて向かった。こんな儂のような雑兵、死ぬだけの人の盾、もしくは賑やかしじゃ。


 もうすぐ、あと半刻もせんうちに儂は死ぬ。


 戦は、戦況は呆気なかった。お侍も雑兵も数の上でこちらの圧倒不利で、そこかしこで敵軍の勝鬨が聞こえるほどじゃった。大音声の足音、雄たけびに囲まれた儂は、ああ、そろそろじゃな、と懐刀を取り出した。首筋を切るか、喉を突くか。いずれにせよ痛そうじゃなあ。死にとうない、ああ、儂は死にとうない。サダ、すまん。普段は照れくさくていわんが、儂はお前が一番じゃった。子どもらも元気に育てよ。どうか、どうか儂は立派に死んだと、誰でもいい、誰かが伝えちゃくれんかのう。


「があっ、ぶっ、あ、ああ」


 びっくりして尻もちをついて、そのまま後じさりする。「お、お侍様?」

 まだ息があった。しかし。

 

 立ち上がって見分するに、腹の傷が深すぎる。黒い鎧も潰れ、刀傷こそないものの、侍のへたり込んでいるこの血だまりから察するに、もう長くはない。何をどうしようが駄目じゃろうな。儂はお侍に近寄る。簡単な文字書きなら寺子屋で習うた。この旗印を読むと、敵陣のものじゃ。憎くはないが、殺す必要はあるだろう。少なくとも手柄にはなる。

 懐刀を順手に持ち、血だまりに膝を突く。

「——っ、あ、こっ——た、ま——おっ」介錯を乞うておるのか? こんな深手だ、じきに痛みも感じなくなる。そうお侍に伝えると、「た——ば、こ——」

 

 今、はっきりと「煙草」といった。一服分しかない自分の煙草葉。どうしたらいい。介錯よりも迷う。この刃にかければ、功も称えられよう。しかし敵陣の、それも瀕死の侍に小作農にとっては貴重な——死ぬときに吸おうと思っていたくらいの——煙草葉を分けてあげるのか。

 

 だが儂もいずれ——ここで死ぬ。もう半刻か、四半刻で。

 

 豆煙管に刻みの煙草葉を詰める。火を熾す。幸いの晴天で、煙草葉の包み紙はすぐに火がついた。少し吸い、もくもくと煙を吐きだす。兜ごとお侍の頭を支え、煙管を口に持ってゆく。弱弱しいが煙管を吸い、ため息をつくようにその紫煙を吐く。

「かた、じ——な——」といってむせこむ。吐いた血で火が消えないよう、煙管を遠ざける。また儂は煙管をお侍の口に持ってゆき、これをもう二度、繰り返したのちお侍は死んだ。最後の言葉も血にむせ返った「かたじけない」だった。


 何頭もの、十頭か二十頭か、滝が打つような蹄の音。当世具足が鳴り響く音。馬のいななきの音、お侍の下馬する音。つまり、確実な死の音。

「そこもと、いずれの軍勢か! そこなもののふは貴様がやったのか!」

 声を張り上げた武士が抜刀し、ざっくざっくと大股で近づく。儂は平身低頭し、

「これなるはご領主様たる倉敷中庄勝之様が兵! 身分卑しく名乗る名も御座いません! 御刀の錆と相成るとあれば、この場で自刃を——」と懐刀を喉にあてる。


「ははは、ようやった! 貴様が討ったその武士はにっくき、神辺が房江五郎ぞ。まさか神辺も雑兵にやられるとはな。愉快じゃ!」


 敵軍の惣領を討伐したとみなされたらしい。里へ帰ると欲しいものをくれてやる、とご領主様——倉敷中庄勝之様は発し、儂は子と嫁の身の安全を、とお願いした。


「なんじゃ。そんなものでええんか? てっきり儂は、農地と小作人を腐るほどくれというもんじゃと思っておったが。そうなると、お前さんはもう戦には出とうないんか? 逃げ帰る敵将を討ったんじゃから、剣戟を習いたいとも申すかとばかり」


 ほどなく、自作農の身分といくばくかの農地を拝領し、元の暮らしに戻った。あのお侍様——神辺様に煙草を差し上げてよかった。もしあのまま友軍の増援が来、神辺様の首を刎ねたらどんなに偉くったって煙草も吸えやしない。儂も今ごろつくづく後ろめたい気になるじゃろう。


 剣を習えという誘いはしつこかったが、儂の手のマメを見たお武家様たちはそのたびにそそくさと帰っていった。

 嫁も子も健勝で、縁側に出て浴びるお日様も「あんたは間違わなかった、ただそれだけを誇りになさい」といっているように思えた。


 風の強い日は納屋で、おだやかな天気の日は外で、儂は煙管に刻みを詰めて火をつける。



 すぅ  ふぅ————。



 もくもくと上がる紫煙は、神辺様というお侍様にはええお線香になるかもなあ。






      たばこの日——了

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