夢を見ているようだ。

 夏休み最後の土曜日。わたしの方が恥ずかしくなってしまい、彼を直視できなくなっていた。プログラミング講座は最終回なのに、初老の女性講師やその生徒たちはおらず、わたしと彼の二人きりのレッスンになった。


 わたしはこれまでのおさらいのプリントを彼に渡すと、横に座った。彼女の座っていた席である。どうせ二人だけだからと、彼にはマスクを外させており、鼻の下のうっすらとした毛に目をやる。――もう食べても許されるだろう――。わたしは念のため、彼の手を握る。彼も恥ずかしいのか、プリントから視線を離さずに握り返してきた。わたしはそれを合図として、握ったままの手で彼の鼻の下から唇に触れる。一瞬、ピクッとするが彼は動かない。マウスを持つ手が少しだけ震えている。


 ようやくやってきた捕食の時間である。自宅でもいいのだが、このような外部で行うのも悪くはない。一生の記念にしようと、それなりの身なりと手入れはしてある。わたしは彼を名前を呼ぶと――


「そこまで」


 ツカツカと力強い靴音が複数近づいてくる。わたしは慌てて講師に戻って、彼へのレッスンをするが、遅いようだ。パンツスーツの女性が黒い手帳のようなものを見せながら近づいてくる。後ろには大柄な男性制服警官が二人いる。


「生活安全課の者です」


 ああ、終わった、と思った。どうしてもっと早く捕食しなかったのか。彼との幸福な未来への条件が揃ったことに、胡坐をかいたのがいけなかったのか。そんなことはないはずだ。わたしと彼以外、誰もこの恋を知る者はいないはずなのに。


「――そう、貴女が売ったのね」


 わたしはその場にいない女の子の顔を思い浮かべて笑った。彼女に恨みはない。そんな感情よりも、彼を完全に手に入れられなかったことへの後悔しか感じていない。


「……先生」


 こんな状況の中でも手を繋いだままの彼は、わたしをまっすぐ見て言う。


「大変なことになったようですが、先生のプログラミングのように、修正デバッグ、出来ますよね?」


 わたしは繋いでいる手を離し、その手を彼の頬にあててから、肩をすくめる。


「ごめんなさいね。どうやら、できそうにはないみたいだわ」


(終)

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デバッグできない恋 犀川 よう @eowpihrfoiw

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