その瞬間を待っている
黒月水羽
縮まりそうで縮まらない距離
十代の少年少女の背中に翅が生える奇病、クピド症候群。その専門病院は病気の特異性から虫籠と呼ばれている。
真っ白い廊下や天井はいかにも病院らしいが、廊下を歩く少年少女が着ているのはパジャマではなく街で見かけるような私服。街との違いはその背中に大きな切り込みが入っていること。理由は簡単。穴を開けないと翅が通せないからだ。
大きな翅、小さな翅。真っ黒な翅に透明な翅。一色もあれば二色もあり、翅と一言で言っても多種多様。それを揺らしながら歩く人間の姿を見られるのは世界広しといえど虫籠だけだ。
すっかり日常になってしまった異常を眺めながら俺は廊下を進み、温室へと足を進めた。虫籠内には長く入院する患者を飽きさせないようにボードゲームなどのゲームがまとめられた遊戯室やら、音楽室に美術室と様々な部屋があるが、中でも利用されているのは談話室と温室。
温室はドーム状の大きな建物で、木々と芝生が植えられた公園のような場所。日光を求む翅のために作られた施設であり、ごく一部の患者が空を飛ぶために利用する場所である。
クピド症候群は発見された当初、飛翔病と呼ばれていた。病気が世間に知れ渡った切っ掛けが空を飛ぶ子供が各地で複数目撃され、何人かが落下死したためだ。
恋をしたら翅が落ちると分かるまでは未知の恐ろしい病気とされていたが、今は世界一美しい病気と評されている。治療法がわかったところで、落下死するリスクは残っているのに、世間はそのことを忘れてしまったらしい。
温室に足を踏み入れたとたんに上がる温度、眩しい日差しに俺は目を細めた。
翅が日光を浴びるために設計された温室は暑い。空調が機能していると聞いたが、どれほど効果を発揮しているのかよくわからない。
近場のベンチは談笑する患者たちで埋まっていた。皆知った顔だ。親しくなくとも病院という区切られた空間で寝起きを共にしていれば自然と顔と名前を覚えてしまう。
その中に探す人物はいない。あたりを見回しながら奥へと進む。温室はそれほど広くない。すぐに見つかった探し主は珍しい人物と並んで空を見上げていた。
「なんで小口さん?」
俺の声に気づいた二人が振り返る。新田は陽気に手をふってくれたが小口さんは俺の顔を見て一瞬おびえを見せる。目つきが悪い自覚があるし、金髪にピアスというのは一部の人間、とくに大人しい女子には受けが悪い。分かったうえでのファッションなので今更気にしないが、おびえさせてしまったことは悪いなと思う。
「ヒロ~、小口さん怖がってるだろ。ほら笑顔!」
新田が自分の頬をわざとらしく指しながら口角を上げる。ニカッという音が似合う新田の笑顔には人の緊張をほぐす効果がある。俺の表情も緩んだが小口さんの緊張も解けたようで安心した。それを狙っての新田の行動なら感謝しなければいけないのだろう。
「新田、小口さんって珍しい組み合わせだな」
「別に珍しくもないよ。同じ翔ちゃんの飛翔大好きクラブだし」
新田は「ねー」と小口さんに笑いかけたが小口さんはうろたえた。よく分からんクラブに勝手に所属させられていたら驚くだろう。というかそのクラブ、いま適当に考えただろ。
「クラブはとにかく、大空がとんでるとこみたくなる気持ちはわかる」
俺は新田の隣に並んで空を見上げた。鉄骨で区切られた温室のドーム。その中を背中に透明な翅の生やした大空が飛んでいる。その姿は最初から翅を持って生まれてきたみたいで、クピド症候群が病気だということを一瞬俺に忘れさせる。
飛翔病といわれていたクピド症候群だが、全員が空を飛べるわけではない。体は小柄で翅が大きいのが理想的。それに加えて運動神経が必要である。
大空はそれを全てそろえていた。現状では一番長く、高く飛べる患者である。大空以上に飛べる存在が今後出てくるかどうかは分からないと医療スタッフである四谷はいっていた。
俺は自分の背にある翅を見つめる。俺には似合わないピンク色の小さな翅。こんな翅では数センチ浮くことすら難しく、自由に飛びまわる大空に対して憧れや羨ましさを感じることもある。
だが、それ以上に飛ぶ大空は楽しそうで、見ているこちらも楽しくなるのだ。
「ほんとはずっと見てたいけど、そうすると翔ちゃん落ちちゃいそうだから」
新田は苦笑する。体を駆使している以上限界はある。スポーツと同じく、飛び続ければ体力も集中力も落ちる。その後に待っているのは落下。高いところから落ちれば死ぬし、途中なにかで翅を傷つけても死ぬ。
見た目の華やかさとは違い、空を飛ぶという行為は大きなリスクを伴う。
「小口さん、そろそろ翔ちゃん呼び戻すよ」
小口さんは残念そうな顔を一瞬浮かべるものの止めはしない。小口さんも空を飛び続けるリスクはよくわかっている。毎日大空の飛ぶ姿を見てストップをかけている新田がそろそろだというのならばこれ以上は危なのだと分かっているのだ。
俺は両耳を塞いで小口さんに視線を向けた。俺の視線に気づいた小口はんはハッとした顔をして同じく両耳を塞いで新田から距離を取る。
俺も同じように新田から離れた。といっても見える距離にいるので大した効果はないのだが、気持ちは大事だ。
新田は大きく息を吸い込んだ。拡声器なんて持ってないから上空にいる大空に声を届けるには叫ぶしかない。それは分かっているが、よくそんな大声が出るものだと毎回驚く。
「翔ちゃん! 今日はおしまい!!」
空気を震わすような大声は抑えた俺の手を貫通した。入り口付近のベンチにいた患者にも間違いなく届いているだろう。
上空の大空にも届いたらしく、自由気ままに飛んでいた大空は上空で停止する。表情は見えないが、不機嫌そうな大空の顔は想像が出来た。
渋々といった様子で大空が降下の耐性に入る。それに重なるように新田が叫んだ。
「小口さんも待ってるよ!!」
その瞬間、大空の体が傾いた。自分の手足のように扱っていた翅の動きが明らかに鈍っている。翅が動かなければ当然落ちる。俺は慌てて大空の下に移動したが、大空も落ちないようにと踏ん張っているせいで落下地点が定まらない。
原因は小口さんという名前である。
クピド症候群は恋をしたら翅が受け落ちる。大空と小口さんははたから見るとむず痒いような両片思い状態を長らく続けていたから、いつ翅が落ちても不自然ではない。
たとえそれが飛翔中であっても。
飛翔病と呼ばれていた頃、飛んでいる最中に恋を自覚して落下死した患者がいたらしい。それを思い出して俺は青ざめた。
「翔! 頑張れ! もう少し!」
新田はよろつきながら降下してくる大空にいつになく真剣な顔で叫んだ。俺も続いて叫ぶ。なにを言ったか分からないほどに必死だった。
俺達の声に反応したのかは分からないが大空が持ち直す。しかしすでに地上までの距離は近づいていたのかうまく操作が出来なかったようで地面にぶつからないよう無理やり軌道を変えていた。そのまま勢いを殺しきれず木にぶつかる。
というところで受け止める人がいた。小口さんだ。
反動までは殺しきれなかったのか地面に倒れる形になった小口さんだが、しっかりと大空を受け止めていた。その姿に俺はホッとする。小口さんも大空もパッと見では怪我がなさそうだ。
「け、怪我はな……」
倒れた体制から勢いよく顔を上げて叫んだ大空の言葉が不自然に止まった。俺は不思議に思いながら二人の方へと近づき、その状況を見てなんともいえない気持ちになる。
「俺、こういうの少女漫画でみたことある」
「いうな。新田」
ていうかお前、少女漫画とか読んだことあるのか。少年誌の方が好きそうな顔して。
なんて考えてしまったのは現実逃避なのだろう。
現状を簡単に説明するなら大空が小口さんを押し倒している。そのうえ大空と小口さんの顔が近い。鼻がくっつきそうとかいうあれである。それに気づいた二人の顔は真っ赤だった。
「なんであれで翅が落ちないんだ?」
「たぶん、二人ともそれどころじゃないんじゃない?」
クピドの翅は恋を受け入れた瞬間に落ちる。つまり、二人は目の前にいる好意を抱いた相手にいっぱいいっぱいで、恋のことなんて考える余裕すらないらしい。
「談話室行くか」
「そうだねえ。今の状況見られたって知ったら翔ちゃんキレそうだし」
冷静になったら見られたことはすぐ気づくだろうが、こちらも気まずいので怒られるとしても後でいい。あまりじっくり見ては大空はともかく小口さんが可哀想だ。
「新田、飛んでる最中に小口さんの名前出すの禁止な」
「反省した。翔にも謝る」
二人に背を向け歩き出しながらいえば、いつになく真面目な返答が帰ってきた。声と同じく神妙な顔つきを見て一番怖かったのは新田だったのだと気づく。
自分の何気ない一言で友達が死にそうになったのだ。本当は良かったと駆け寄りたかっただろうに、二人のことを気にして離れた新田は思いやりがある。
「もしかしたら、もう翔ちゃんを呼ぶこともないかも。これで二人も自覚するでしょ」
一転してウキウキした様子で話し出す新田に切り替え早いなと思ったが、新田の言うことも最もだ。あの二人は何か切っ掛けがあれば翅が落ちるだろうと誰もが思い、見守っていた。荒療治になってしまったが、これがきっかけになったのであれば結果的には良かったのだろう。
「吊り橋効果ってやつ?」
「それそれ」
俺達は顔を見合わせ笑い合いながら談話室に向かう。二人の翅が落ちていたら盛大に祝ってやろうと二人で決めていた。
のだが、談話室に現れた二人の背にはしっかりと翅が生えており、距離が縮まるどころか若干広がっていた。
それを見た新田が「なんでだよ!」と力いっぱい叫んだのも仕方がないことだと俺は思う。
その瞬間を待っている 黒月水羽 @kurotuki012
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