アザミノ
狛口岳
道中にて
鬼に呪われた一族。
私の姓―亜佐美之という名を耳にした者は、皆揃ってこのレッテルを貼り付けてくる。それがどれだけ私たちを苦しめているのか、彼ら彼女らは知らない。そして知ろうともしない。何故なら“亜佐美之の人間”はこの世界の強者で、どんな敵も一瞬で殲滅してしまうから。その名を有する人間へ期待と希望を抱き、感謝し、それを超えて羨ましいと嘆き、妬み嫉み罵り出す。身勝手極まりない話だが、それを甘んじて受け入れるのも私たちの生まれながらの宿命だった。
この世界には、遥か昔から現代に至るまで実に多種多様な生物が存在し、進化を遂げてきた。それは動物や植物、人間然り、魑魅魍魎の生まで。地域天候の種類によって異なる性質を持つ異形たちは、日本では“物の怪”と呼ばれ、人のみを襲い喰らい生きている。なぜ人だけを襲うのか、他の動植物には害をなさないのか、詳しいことは未だ解明されていないことの方が多い。故に物の怪に対抗する術も未熟かつ不足しており、これまで数多の犠牲が生まれた。
だが、そんなバケモノたちを制圧する力は少なからず存在する。古人たちはそれを“虚(うつろ)”と呼び、その力を有する者を虚人(うろびと)と称した。
日本は古来より虚人が多く生まれる傾向にあり、他の国よりも物の怪に対抗しうる戦力を十分に有していた。その結果、物の怪たちとの闘争で退廃的になる国が増え続ける世界情勢の中、我が国だけは独自の成長を遂げ、世界一安全な場所と称されるようになった。
そんな世界屈指の戦力を持つ国の中で、武の象徴と呼び声高い家系がある。それが私たちの血筋、亜佐美之家だった。
平安の時代、記録として残っているものでは870人の血肉を喰らったとされる史上最恐の鬼――獄閻童。これが亜佐美之の血に呪いをかけた物の怪の正体だ。獄閻童を討伐せんと躍起になった虚人の一人、つまりは亜佐美之の先祖に当たる人物が奴を瀕死の状態まで追い込んだが、我が物顔で暴れ回っていたバケモノにとって、自分が殺されるかもしれないという屈辱は初めての感覚だったのだろう。あとは封印を施すだけというほんの一瞬の油断を突かれ、憎悪に近いどす黒い呪いをかけられたらしい。代々伝わる先祖本人の手記にその際学んだ油断の恐ろしさが長々と綴られているので、真偽の程は確かである。さて、そんな先祖の気の緩みが招いた呪いであるが、その中身は至極単純なものだった。
亜佐美之の鬼化。
鬼のように血肉を喰らうバケモノに。無駄に知能が高かったが為に思いついた、亜佐美之を確実に苦しめるための呪縛だった。自分を窮地に陥れた人間の血縁者を皆殺しにするでもなく、人の血肉しか喰って生きることのできない自分の境遇を人間に味合わせるという皮肉の効いた呪いだ。一歩間違えれば亜佐美之が迫害を受けても可笑しくない。結果としては初めにも話した通り、迫害どころか必要不可欠な存在としてこの世に歓迎されているため、先祖たちが上手いこと事実を隠し偽造したのは言うまでもない。
今を生きる亜佐美之たちは、一族の経営する献血団体を媒体として生存に必要な分だけの血を摂取している。もちろん極秘のことである。通常の呪いの悪影響といえばその程度で、代わりに得た人並み以上の身体能力と治癒能力は寧ろ恩恵の域に値する。むしろこれが最低限のステータスになっているため、実力主義かつ弱肉強食な節のある亜佐美之ではそれだけだと最弱に等しい。例え外でチヤホヤされるほど強くても、家の中では無能と呼ばれる者もいる。雑用や使い走りは彼らの仕事で、上位の者たちはよほどの案件でない限り物の怪討伐へ出向くこともない。それが許されるほど、同じ血筋でも力には雲泥の差が生じるのだ。差別、とまではいかないものの、上と下とでは分かり合えないことの方が多いのは確か。これも全て獄閻童の狙い通りなのではと思うほど、呪いは亜佐美之をじわじわと苦しめていた。
と、だいぶ偉そうに語ってはいるものの、私自身はあまり呪いの影響を強く受けていない凡の側。一応虚を宿して生まれたため、力の限りを尽くしてなんとか中の下辺りの地位にしがみついている。ギリギリ主力たちのサポートポジション。つまるところ雑用万歳だ。虚を宿していて尚この立ち位置なのだから、亜佐美之が武の象徴とされるのも泣く泣く納得するしかない。私たちにとって虚などおみくじで言う小吉程度のもの。亜佐美之の大吉は虚人として生まれることでも、かと言って虚の無い無能に生まれることでもない。鬼の呪いを色濃く受けた、“鬼子”として生まれることに意味があるのだ。
傲慢で豪快で非道で無情。獄閻童の呪いにあてられた子は、皆揃ってこの4つの性質のうちのどれかに当てはまる。そしてそれに非難の声を上げることさえままならないほど、鬼子は圧倒的な力を有して生まれてくるのだ。私たち“並子”と呼ばれる大多数の亜佐美之が丈夫であるのは前述通り、鬼子はそれを優に超える。巨石を殴れば粉砕し、モノを投げれば壁を貫通。地を蹴れば数キロ先まで大移動し、骨が折れたとしても数分で接骨、全快に至る。そもそも怪我という怪我をしたことがなく、それどころか痛みに鈍感になっているというのだから恐ろしい。まさにバケモノだ。寧ろ世間に受け入れられているのが不思議なほどで、同じ血筋であってもその力を目の当たりにした時は畏怖の念を抱かずにはいられなかった。敵わない。この一言に尽きる。
でも、だからこそ亜佐美之は安泰なのだろう。
“目には目を、歯には歯を”という言葉があるように、人々はバケモノ退治をバケモノに任せてしまった。鬼子が万が一にも人間を襲ってしまうかもしれないという懸念を抱いていたとしても、亜佐美之あっての平和な暮らしを知ってしまったがために、誰も私たちを迫害することができないのだ。もちろん腫れ物のように扱われたり、遠巻きにされたりすることが完全に無いというわけではないが、それでも亜佐美之を、特に鬼子を忌み者と見做す人間は極端に少なかった。何故ならば、鬼の呪いが生まれてから今日に至るまで、私たちが一度も人間を襲わなかった、という事実が“人の害とならない”信頼として積み上げられてきたから。この信頼を失うことがない限り、亜佐美之の安泰は続いていく。これまでも、これからも、人としての地位を守ることができるのだ。
私たちは恐れている。
人が物の怪を恐れるように、亜佐美之は人から忌み嫌われる未来を恐れている。
誰よりも強いのに、誰よりも弱い。
人に成りきれない、歪で悲しい生き物――それが亜佐美之の実態だ。
そんな私たちが縋るもの。
それは、私たちを支配し、抑制してくれる人。
それは、私たちを決して人として扱わない人。
それは、他人を全く信用しない人。
冷酷無慈悲な女王様――亜佐美之怜子ただ一人。
人並みを願った亜佐美之たちと、その女王様。彼ら彼女らの乞い物語の、始まり、はじまり。
アザミノ 狛口岳 @komaguchi
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