おれと伊田がつるみはじめてしばらく経って、まわりが妙に冷たくなった。

聞こえるように人殺しがよ、とか止めた機械の向こうで言われる。おれと伊田はわりと真面目で、真面目に会社に来ていたから給料がちょっとだけ高い。共用ロッカーにぶち込んでいた給与明細が勝手にむしられていた。伊田もぞうきんつまむみたいに、ビリビリになった明細つまんでおれに見せる。

ロッカーに鍵はついてない。スマホは無くなる、財布も無くなる、服は破かれる。靴ん中には黒いなんかが入ってる。財布は別に、裸で小銭をじゃらつかせれるが、服と靴は地味にきつい。スマホは高くてだいぶきつい。服を買うにも金がいるし醤油は、洗っても臭い。

アルバイトのときもおんなじで、社員になってもなんも変わらん。腹は立つけど、仕方がない。ガキのころからずっとこう。ベンキョもできん、仲良くもできん。貧乏人だ貧乏人だて先に手え出すのそっちのほうだ。人殺しなのも本当だから、おれはだまる。伊田は、たまにきれる。ただ、まあ、社長も前科があるから、おおごとにはならなかった。ならなかったが、ぶち切れた伊田がほかの社員をぶん殴るたび、首になったら悲しいわ、と思ってた。病院送りと警察沙汰にならんように伊田はうまあく殴った。それでもおれは伊田がおらんようになることは嫌だった。


嫌だったのに伊田はついに社長を殴りやがった。

冬で、工場は寒かった。ぺらい手袋はなにも意味ない。金属のどこかしらに触るたんびにきんと冷たい。

その日は伊田だけ残業頼まれて、でもカラオケ行く予定があったから、じゃあおれも残ります、そのほうが早く終わるから。社長は若干渋い顔したが、首を縦に振る。一時間だけの予定だったがおれは便所に行きたくて、終わるまで持たなそうだから途中で抜けて用を足した。戻ってくると社長と伊田がもめていた。

平たく言えば金が無くなってたんだよな。会社の金が。でそれが伊田のかばんにぶち込まれてた。止めた機械のかたわらで、社長がそう言った。

そんなん誰が信じるの。伊田がやったのは人殺しだ、なにも盗んでない。

でも知ってるよ、おれらの人生はいつだってそうだ。

社長は伊田を信じなかった。いやたぶん、伊田じゃないってわかってたけど、これで理由ができてしまった。万引き犯と人殺しが同じくヒトを殴ったとして、それは同じ行為じゃない。社長の顔はこわばっていて、目をそらす。おれは伊田の顔を見た。

伊田はなんかうっすらと笑って、一瞬間があいて、次には社長が床に倒れてた。

社長も限界だったんだろな。最初におれを会社に入れちゃったから、前例ができてしまって人殺しがふたりになった。

会社の中でことが起きるならまだしも、よそで起きたらどうしようもない。社長はヒトを轢いていたけど、わざとじゃないし飲酒でもない。妻子もいた。おれらとは違ったのに。

自分の真上に仁王立ちする伊田に向かって、人殺し、て社長は言った。

伊田は左手に金属のデカい部品を持ったまま。

おれは手ぶらだったけど、すぐそこに同じ部品があった。


なんか、よくわからないけど、伊田が人殺して呼ばれたのが許せなかった。いや人殺しなんだけど、伊田は優しい優しい親父を殺したんじゃないだろう。伊田の頭はへこんでる。右の耳の後ろのあたりの頭蓋骨が陥没してる。歯あ食いしばって外に逃げる伊田を、後ろからトンカチ持って殴って追いかけた親父だ。そんな親父をぶち殺してなにが、なにが人殺しだよ。


馬乗りんなって母さんを殴るおれの親父を思い出した。

その後頭部カチ割るみたいに、社長の頭に金属振り下ろした。

伊田が声出すからそっちを見た。伊田はずいぶんびっくりしていた。ずるずるて床にずれていく、脳ミソはみ出た親父に覆いかぶさられた母さんの顔にそっくりだった。


デカい金属でおんなじように社長のアタマもがこがこ殴る。不可抗力だったとしたって、あんたも人殺しなんだから、よそに人殺しなんて言うなよ。

社長の頭皮がべろべろ捲れて血が出る。半開きになったまぶたのフチを血が伝って、目じりに垂れる。

あれ、て思った。あんまり楽しくない。親父を割ったときにあった、血がアタマが湧くような感じが、あるにはあったが薄っぺらい。おれは金属を振るのをやめた。すると伊田が、おれを左に突き飛ばして続きを始める。

伊田はいきなし社長の目玉に指突っ込むから面食らった。肩に指をかけようとして、なんか足がもつれてよろける。指はくくった伊田の髪の毛に引っ掛かり、髪ゴムが吹っ飛んだ。

ぶわって広がる伊田の黒髪を見る。床屋に行くのめんどくさいわ。耳切られたら嫌だもの。伊田の耳にはミミズが這ったみたいな跡がいくつもあった。

伊田を止めようと横にまわった。伊田の口の端が、引きつり上がってた。

「親父のなあ親父の、目玉に指突っ込んでるときがなあ、忘れられんのよ」

ぶつぶつそうやって言いながら、社長の耳をめりめりしたり目玉のところをぐりぐりいじる。伊田は楽しそうだった。おれはあんまり楽しくないのに、伊田はまだ楽しそうだった。おれはなんだ、なんだろうね、なんだ、ずるいな、と思った。

思ったし、伊田はまだずっとそこにいんだな、とも思った。

「伊田」伊田をよぶ。しばらくは返事なかったが、社長の目ん玉と耳ぜんぶもいで、やることなくなったんか知らんけど伊田がこっち向く。目の焦点が合ってない。泣いてんだか笑ってんだか、変な顔でおれに言う。

「なあ。もういい、もういいよなあ、頑張ったって無駄よなあ」

「な」

「いまさらよお、俺らみたいの頑張ったってどうにもならん。もうおしまいよ」

「なあ」

「なあもうふたりでこの世のクソ親父みんな殺したろうや」

「……そうしよか」

「で捕まったらよお、おんなじとこいこう。おんなじ刑務所だったら楽しいで」

「、雑魚寝しよや」

「楽しみなあ」

そうやって言うと伊田は笑う。おれは、ああ、伊田が楽しそうならいいやて、また思った。


「刑務所たまに祭りやるよな、のど自慢とか」

「やるな」

「伊田あ歌ってくれや」

「なんでよ」

「おれ伊田歌うのききたい」

「おまえボロクソ泣いとったしな」

「おう。また泣かしてくれや」

「馬鹿か。まかしとき」

「おう」


みんな泣かしてくれや、と思った。おれらみたいなんみんな泣かしてほしい。みんなボロクソ泣いとるの見て、そしたら伊田も脳ミソじゃなくて、伊田のこと好きになってくれるかもな、と思った。



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不可抗 フカ @ivyivory

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