不可抗

フカ





「親父のなあ親父の、目玉に指突っ込んでるときがなあ、忘れられんのよ」


伊田いだはそう言って馬乗りんなって社長の目玉もぐりぐりえぐる。きれいな目ん玉かっぴらいて、髪ゴムちぎれてバラになった長い髪の毛の隙間から、じっとくたばった社長を見つめる。

俺はというとなんだろうか、俺が頭蓋骨ぶち割った社長を、伊田が好きほうだいしてるのを見て、なんだずるいな、とか思ってる。ただ、親父のアタマをカチ割ったときよりはあんまり心が踊らんかった。アタマが割れとる親父のアタマをもう別に、必要ないのにレンチでがこがこ叩き続けるとき、俺はこの世で最上なんな、ざまみろ、さんざ殴りやがって、ざまあみろ、俺は勝ったわ、親父に勝ったしなんか、この世のくだらんまじでくそみたいなのに、そのときだけは俺の人生持ってかれてない気がした。

初めて自分で何かできたわ、と思った。

伊田は社長を親父て呼びながら目ん玉ぶちびち引っこ抜く。

伊田は楽しそうだ。



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伊田とおれは同じ会社で部品を作ってる。鋳型に出てきた金属のバリをとる。週に五日か六日かひたすらひたすら、それ。毎日毎日そんなことばっかりしてて、まあつまらんけど仕方がなかった。社長に拾ってもらっただけでも有り難いと思わんじゃいかん、おれも伊田も親父ぶち殺して、子どものころ捕まってたから。

二年前に伊田が来て、社長がお前仲良くしたれて言うから、ハイて答えて昼飯に行く。仕事の時間もみんなかぶるし、歳も二十五、二十六でラーメン好きだったから、半年ちょっとで親父の話をするぐらいにはなる。伊田はおれがぶち込まれてたの知ってたし、おれも知ってた。どうやったん。聞かれて、アタマカチ割ったや。返したら笑われる。なにで?にはレンチ。て言ったら俺は、佐々木のジジイが事故して壊したコンクリブロック叩いてやった、て言うからおれも笑った。


伊田もおれもそれぞれ親父にボロクソ殴られて、変なくっつきかたしてる骨が何個かあった。そのせいで冬んなるとあばらがいたい。あばらは、割箸とかしてくくれないから折れてそのまんまくっついて、みしみしする。

ふたりであばら指さして、おれはここな、近いな、とか話してるのは楽しい。医者は金持ちが行くとこ。それ言ったら伊田も親父が言っとったわあて手え叩いた。親父がどんなモン使って、俺らの骨へし折ったかを話してるとき伊田は目えキラキラしとる。自分がどんなふうにして、親父のドタマカチ割ったかを話してる伊田は声がでかい。ラーメン屋はシンとする。だから、おうカラオケ行かんか。て言われたときは笑う。お前うた歌えるんか、て聞くとふざけろて笑われる。


ばっちい作業着ぬいで着替えて、男ふたりでカラオケ行った。伊田がなんか店員の男になんか喋って、24なて言われたからジュースは?て聞くと決まっとるて言いながらみちみちに氷入れて、コーラをついだコップを二個持ってきた。


おれはうたヘッタクソだし知ってる歌もほとんどない。子どものころに観てたアニメのうたにした。伊田がなつかしーって言った。曲が流れたから声を出す。昔にきいてたはずなのに、自分で声出せば歌の音がぜんぜんわからん。めんどうになって画面に流れる文字を普通に読んだ。


伊田がへったくそ、て言うから、マイク渡して続きを歌わせる。伊田が声出した途端たまげる。うまかった。こう、うまく言えないけど、声の出かたが違かった。伊田ひとりしか歌ってないのに、三人くらいいるみたいだった。ぶ厚い声で伊田は最後まで歌って、目えぱちくりしてるおれ見てピースした。


それから、めんどいこととかしんどいこととかあった日に、カラオケ行って親父の脳ミソの話を伊田とする。そうするとなんか元気になった。ふだんはあんまり匂いもしないが、それを口から出してるときは鉄生臭い匂いがして、血の温度も思い出して、なんだかなあと思う。熱が入って、おれも伊田もうるせえし、おれも伊田もボロ家にいるから声が筒抜けになるから、よく平日にカラオケは行った。

やすいイモをソースにくっつけて食べながら、伊田が上手に歌うのを聞く。歌い終わった伊田はいっつもソース残せや、て言った。二曲三曲うたって脳ミソ。ホントだったら、金持ちが行くとこの主の、お医者しか見れんヒトの脳ミソ見れたこと、おれも伊田もいいことだと思っていた。

でも伊田は歌上手いからそのうち、脳ミソじゃなくて伊田がうたうのをおれはずっと聴きたかった。伊田は色んな歌を知ってて、歌えばどれも上手かった。なんで?って聞いたら、店行ったら流れるし、テレビ見とっても流れる。聞いたら覚える、て言っていた。

一回なんか知らんけどおれは伊田の歌きいて泣いた。その曲には映像もついていて、絵を描く女の子がハブられているやつだった。その効果もあるだろうが、伊田のきれいな声がなんかその曲にぴったりで、ケチャップとマヨネーズつきのイモ持ったまま黙ったまま、勝手におれはボロクソに泣いていた。目え開いたままじっと泣いてるおれに伊田はドン引いて、腹でも痛いんか、とか婆さんみたいなことを言う。おれは首を振った。もっと歌ってほしかったが、伊田はなんかこう、なんかを元に戻すみたいにまた脳ミソの話をしだす。


おれは伊田の歌が好きだったけど、伊田は親父のはみ出る脳ミソのほうが好きだった。仕方がないんかもしれん。おれの親父がおれを殴るとき、それは酒飲んで帰ってきたときだけだった。坊主頭を真っ赤に変えて、変なところにシワ寄った顔でおれを見つけたときだけだ。もちろんふざけろとは思って、親父が、夜に出てけばおれも出るようになる。そうすればおれは大丈夫だった。

伊田の親父はトイレに行って、小せえ伊田が廊下を通ると、きれたりきれなかったりした。伊田の親父は座った目えして伊田を見る。飯を食うとき、伊田が味噌汁から飲むと茶碗が飛んでくる、かといって米から食っても湯呑みが飛んでくる。疲れたアタマでうっかり味噌汁飲んでしまって血の気が引く、飛んでこない。おまえも味噌汁好きか、とか言われる。だまされて、つぎ味噌汁飲むと鼻がぶち折れる。毎日ルールが変わる。

だからもう、伊田が楽しそうならいいやって、おれは伊田のとなりでコーラをちみちみ飲んだ。


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