勝手に送別会~俺やめないんですけど~

サクライアキラ

本編

「佐藤さん、これまで本当にお疲れ様でした~。退職しても忘れないでください。それじゃあ乾杯」



 とある居酒屋の大部屋にて、送迎会が行われていた。


 スーツを着た男性とオフィスカジュアルの女性が入り乱れる。人数は40人を超えていた。


 この雰囲気に一人だけ耐えられない人物がいた。


 それは、俺こと佐藤祥太、今日の主役だった。




 まさか自分の送別会だとは思っていなかった。退職にする予定は全くなかったからだ。




 別に送迎会だからと言って、ドラマやアニメのように、「○○君 送別会」とか「○○君 これまでありがとう」みたいな看板は決して出ていない。ただ、あるのは野木様ご一行という案内板だけだった。



 全く心当たりがなかったので、この幹事であろうと考えられた同期の野木嘉人に話に行く。


「おう、佐藤。本当に急だったな。やめるなんて」


「いやいや、え?」


「同期がいなくなるのは寂しいもんだよな」


「俺別に……」


 辞める予定はないんですけど、と言おうとした。ふと見ると、野木の周りの社員は、幹事の権力を使って席をコントロールしたのか、若手の女子社員が多い。とはいえ、知らない女子社員だった。その知らない女子社員たちがいかにも「長年お疲れ様でした」という無言の送別をしてくる。ここでやめるとも言い出しにくい。


「そもそもなんで送別会なんて?」


「いや、そら同期が辞めるんだから当たり前だろ」


 意外に情に熱いやつなのかと思いかけたが、こんなにも知らない社員を呼んでいるあたり、ただ人の退職にかこつけて女の子と飲み会を開きたかっただけだろうと推測された。


「そもそも誰からやめるって?」


「誰からも何も、みんな知ってるだろ。お前がやめること」


 知らなかった。よく思い出してみると、確かに最近会社の周りの人たちがやけによそよそしくなっていた気がした。気づいていなかったが、いつの間にかやめることにされていたからだったらしい。


「本当2年半お疲れ様」


 野木はただ噂に従って、送別会を開いただけだとわかったので、その場から離れた。いったん整理するために、トイレにこもった。



 現在25歳、ようやくアラサーに突入したところだった。新卒で入社して2年半、最初に配属になった経理部で経理の腕を磨いてきた。元々法学部で経理は門外漢だったが、この間簿記1級まで取得し、次は公認会計士を目指そうとすら思っていたほど、経理の仕事にのめり込んでいた。それだけ経理の仕事は好きだった。それに職場環境も悪くなかった。別にプライベートに干渉してくることもなく、でも普段は当たり障りのない雑談で盛り上がれる。権力争いもない。その意味で、辞めるなんて考えたこともなかった。


 唯一、最近になって入社以来ずっと上司だった玲香さんがやめてしまった。それだけはショックだった。ここだけの話、相当好きだった。ただ、プライベートの話をする機会を逃したまま最終的にやめてしまった。ショックすぎてやめた理由を聞けなかったが、玲香さんはもう32歳だったので、おそらく寿退社だった。いつも猫がいるから早く帰らないと、と言っていたが、猫というのは隠語で本当は彼氏のことだったのかもしれない。日に日に、玲香さんから相手にされていなかったことに気付き、自分が嫌になった。


 ただ、もう玲香さんは会社にいないのだから、失恋相手と顔を合わすこともない。実際には失恋すらさせてもらえていないが、とにかく仕事に専念して忘れようと思っていたくらいで、やめようなんて一ミリも思っていなかった。


 それにオフィスラブ的な観点で言えば、新入社員の萌絵ちゃんと今とても仲が良い。少なくとも、そう思っている。萌絵ちゃんというのは、胸が大きめで、見るからにぴちぴちの若い女の子だった。女子大出身でミスコンのファイナリストにもなったこともうなづけるかわいさだった。玲香さんがやめた後、その萌絵ちゃんと良い感じに話すようになっていたので、別になんら問題もなかった。



 結局、やめる理由なんて一つもない。だからこそ、ここでなし崩し的に辞めさせられるという雰囲気を打破しないといけない。もちろん、退職届を出していないのでやめさせられないとは思うが、既に送別会が開催されてしまっている。ここから否定しても、送別会をした人という認定はされてしまうだろう。早いタイミングで否定すれば良かったが、完全にタイミングを逃がした。


 となると、ここからいかに退職しないことを伝え、それが理解されるようにするか。ここが腕の見せ所だった。おそらく方法としてはドッキリという形に持っていくのが一番だろう。普通に飲み会開いてもなかなか人は集まらないだろうから、送別会という体でみんなで仲良く話したかったということにでもすれば、一応の体裁は繕えるだろう。そもそも飲み会が嫌いなので、みんなと話すために飲み会なんて開くわけもないんだが、飲み会が嫌いなことをバレてもいないだろうから、大丈夫だろう。




 そう決心して、出ようとしたとき、トイレに足音が2つ聞こえた。


「てか、佐藤さんがやめて良かったですよね」


 どうやら若手社員らしい。男子トイレなので、当然男だ。


「そうそう、あの人細かいんだよな。全然ちょっと出張の仮払いの金をもらいに来ただけなのに、手続きとかもうるせーしさ」


「それな。別にこっちが勝手に使うわけじゃねーし」


「でも、お前いつも全然関係ない領収書出したりしてるじゃん」


「あれもさ、俺ら安月給なわけじゃん。だから、ちょっとくらい給料上乗せみたいな感じでやってくれれば良いのにさ。結局怒られるんだよな」


「まあ、確かに給料少ないよな。1万くらい多めに経費請求したって別にいいよな」


「それで俺らめちゃくちゃ頑張るよ。たった1万で気持ちよく仕事できんだから、出せよな」


「まあこれから佐藤さんいなきゃテキトーにごまかせるんじゃね」


「だな。早く辞めてもらって、気持ちよく会社に出社しようぜ」


「ああ」


 二人は出ていった。おそらく割と出張の多い営業部の若手社員の二人だろう。そんな1万くらいのために、実質的には横領っていう犯罪しようとするなんて、なんて馬鹿なやつらなんだろう。むしろ、こっちが指摘していることで、犯罪を未然に防いでやっているというのに、あの態度はいただけない。そういうしっかり仕事している部分は評価されていると思っていたが、意外に嫌われているんだと実感した。


 とりあえず、それはそれとして、何とかやめるドッキリだったことにして、やめないで済むように準備しないといけない。




 自分の席に戻る前に、野木とすれ違った。すれ違い際に野木から言われた。


「そう言えばさ、お前がやめるって話、あの今日乾杯の挨拶してた巨乳の子が言ってたらしいよ」


 ミスコン新入社員の萌絵ちゃんだ。


 良い感じだとこっちは勝手に思っていたが、何か恨まれていたのだろうか。確かに最近よく仕事を一緒にしているし、多分一番話している。その萌絵ちゃんから聞いたとなれば、噂も信憑性が増すだろう。ただ、なぜそんな噂を広めたのか、それがわからなかった。




 自分の席に戻ってきた。こういう会でも一応部ごとに席が固まってしまい、経理部ゾーンに席はあった。隣の席は萌絵ちゃんだった。


「ちょっと、佐藤さん。どこ行ってたんですか~。主役いないとダメじゃないですか」


「ごめんごめん」


 生ビールを飲む。既にぬるくなっているというのもあるが、元々ビールの味が好きではないので、全然楽しめない。今は味のまずさ以上に、やめるという根も葉もない噂を広めた張本人がいる気まずさがより楽しめなくさせている。せめてカシオレくらいなら幾分かましだっただろうが、最初は生ビールという文化が未だ残っているこの会社では一杯目だけはビールでいかないといけない。


「あのさ、萌絵ちゃんさ。俺やめるって話どこから聞いた?」


「はい、どこだったかな。でも噂になってましたよね」


 萌絵ちゃんの方も噂によってという説を使うらしい。


「そんな噂になってたんだ」


「はい、みんな知ってましたよ。なんで知ってたんですかね」


「萌絵ちゃんはいつごろ知ったの?」


「いつだったかな?」


「あのさ……」


「もしかして、噂されてるのが嫌だったんですか?」


 嫌も何も、やめる予定がない。


「何か寂しくなりますねー」


 そう声を掛けられると、少しうれしくなる。ただ、ここで喜んでいる場合ではない。少なくとも、萌絵ちゃんは何か悪意を持って噂をまいたわけではなく、回ってきた噂をさらに拡散しただけだろうと思った。どのみち退職がドッキリだったことにするためには、何人かの仕掛け人役が必要だ。それなら、まずは萌絵ちゃんにその仕掛け人になってもらうべきだと考えた。


「あのさ、ここだけの話なんだけど……」


 萌絵ちゃんに小声で話した。


「何ですか?」


「実は俺さやめないんだよね」


「……」


 萌絵ちゃんは黙った。そして、俺を軽くたたきながら、


「もう~、冗談きついですよ~」


「いや、冗談じゃなくて本気で」


「でも、だって……」


 この反応を見て気づいた。萌絵ちゃんは噂ではなく確定的な情報を誰かから聞いたのだと。



「もしかして、誰かから聞いた?」


「えっと、まあ、そうですね」


「誰から?」


「言えません」


「なんで?」


「佐藤さんやめるんですよね?」


 これはやめるって言えば白状してくれる何かがあるらしい。一応うなづいてみる。





「なら言いますけど、実は課長とパパ活してるんです」





 聞きたくなかった。そもそもパパ活なんて遠い話だと思っていたが、実は自分の直属の後輩と上司がそういう関係だったとは全く気付かなかった。


 よく見ると、確かに萌絵ちゃんは家が貧乏だという割にはブランド物を身に着けていた。


「今服見ましたよね、そうです。これも全部課長からもらったものです」


「課長って奥さんいるよね」


「はい、だから不倫とかじゃないです。あくまでパパ活なんで」


 パパ活と不倫の違いがどこにあるのかは正直わからなかった。


「じゃあ、そのあくまでご飯とか?」


「先輩は、ご飯しか行かない私にブランド物のバッグとかくれますか?」


 暗にそれ以上の関係はあるらしいことを認めた。それなら不倫と何が違うのだろうか。


「まあお金の関係なんで。別に愛とかないです。お金って言ってもまさか会社まで入れてもらえるとは思いませんでしたけど」


 よく考えると、萌絵ちゃんは大手企業の総合職としてはいささか謎な経歴の持ち主ではあった。一応ミスコンのファイナリストではあったが、特段語学力や他に秀でたものはない。それに大学はいわゆるFランの女子大だった。過去に採用実績もない会社だった。


「課長が?」


「なんか色々上を説得してくれたらしいです。多様性だとか何とか言って」


 課長は採用にも協力していると聞いていたが、まさか完全に私利私欲だとは思わなかった。


「それじゃ、会社でも?」


「意外に先輩って下世話な人なんですね」


 パパ活をして入社した人に下世話と言われるとは意外だった。


「それである日聞いたんですよ。先輩がやめるって……」


 課長と萌絵ちゃんがパパ活をしていたことも驚いたが、それ以上に課長が勝手にやめると思い込んでいることの意味がわからなかった。


「俺課長にやめるなんて言ったことないんだけど」


「え?そうなんですか?でも、やめるって言ってましたけどね。で、やめるんですよね?」





 

 もう一度、トイレにこもって考えた。そして、気づいた。この会社は予想以上に終わっているんじゃないかと。経費に関しての意識がない社員、飲み会で女子をはべらそうとする社員に、初手は生ビールじゃないといけない昭和の価値観、パパ活する新入社員とパパ活女子を優遇する課長、こんな会社にこのまま残って良いのか。


 こんな噂だけに振り回されて、嘘情報を本当だと信じてしまうバカ社員の集まりで、これから会社が存続して行けるのか。


 ここまで考えると答えはもはや決まっていた。






「それじゃ、そろそろ1次会は終わりということで、締めの挨拶を今日の主役の佐藤から」


 そう言う野木に促されて、一番前に出る。



「今日はこのような会を開いていただきありがとうございました。心置きなく、退職できます。今まで本当にありがとうございました」


 内容のないスピーチをし、なぜか感動して泣く知らない女子社員。


 1次会で早々に帰宅し、翌日の朝退職届を提出し、そこから有休消化で一度も会社に顔を見せることはなかった。







 それから1か月、有給が間もなく消化し終わるとき、会社は倒産した。


 理由は、課長の横領だった。10年で10億以上の金を横領し、それをパパ活相手に使っていたということだった。そこで信頼を完全に失った会社はそのまま倒産ということになったらしい。


 俺には一応給料や退職金は全額振り込まれるが、他の人には出ないようだった。


 本当に危機一髪だった。あのタイミングで、勝手に送別会を開いてもらっていなければ、危うく大損するところだった。




 この横領事件のニュースを見ていると、電話がかかってきた。それは、先に退職していた玲香さんだった。


「佐藤君、久しぶり?元気?」


「元気ですけど、どうされました?」


「ちゃんと会社辞めた?」


「え?」


「私一応佐藤君がやめるかもっていう噂流しといたんだけど、最後課長に」


 退職するという噂の発信源は玲香さんだったらしい。


「あれ、玲香さんだったんですか?」


「うん、私元々横領告発するつもりで会社やめたんだけど、佐藤君が損するのは申し訳ないなと思って」


「寿退社とかじゃなかったんですか?」


「違う違う、付き合ってる人いないし」


「そうなんですか?てか、それじゃ、今回逮捕されたのって?」


「私が警察に話したからね」


「それなら言ってくれれば良かったのに」


「いや、まあもしかしたら佐藤君が課長につくかもなって思ったから、裏切られると困るし」


「そんなことしませんよ」


「まあ噂流せばあのバカ女にうっかりしゃべって、そこからやめるって噂が広がるだろうなって思ってさ。それで佐藤君ならちゃんと調べて、やめるって決断できると思ってね」


「意外に信頼しているんですね」


「まあそうだね」


 知らない間に玲香さんに救われていたのだった。


「あの、玲香さん、もしよかったらお礼も兼ねて今度ご飯行きませんか?」


「いいけど」


「退職金たんまり入ったんで、パパ活させてください」


 玲香が少し笑った気がした。やはり俺には玲香しかいない。何とか口説こうと策を練るのだった。

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