あとがき 女が死ぬ、物語が死ぬ、ゼロ年代が死ぬ
今でも自分の大学生活を思い出すことがあるのだけど、あの時期はほんとうにつらかった。
とにかく学生生活やアルバイトに失敗し続ける日々の中で、将来の希望なんてまったくなかった。自分は働けない。どこにも居場所がない。死ぬしかない……というところをぐるぐる回り続けて、たどり着いたのが読書だった。
大学の生協で買った、佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』、中学生のころから愛読していた滝本竜彦『NHKへようこそ!』、乙一・古屋兎丸共著の『少年少女漂流教室』、いずれの本にも共通するのが、おおざっぱに言うと「ダメ人間の人生が上手くいく」話で、今思えば、わたしは読書で現実逃避していた。
当たり前だが、人生は小説のように上手くいくわけではない。
「なんで自分はこんなゴミみたいな人生ばっかり……! 信じてたのに……!」
そうだ、小説家だって成功した人間じゃないか。自分はなんの才能もないし、努力もしていないのに、なぜ主人公たちに重ねてしまったんだろう。そんな日々でぐちゃぐちゃになったモラトリアムの時期に「ダメ人間が何もかもうまくいかない」小説があったのなら、きっとそれに救われたと思う。
なのでこの小説は、大学生の自殺し損なった自分のために書いた。
しかし、これだけだと味気ないので、恥を承知でもう少し種明かしをしていく。
『女性の自己犠牲』というジャンルがある。
女性が死ぬ。何かのために死ぬ。誰かのために死ぬ。病気で死ぬ。事故で死ぬ。殺されて死ぬ。何かを託して死ぬ。
物語の中で、犠牲になるのは圧倒的に女性が多い。男性が死ぬより女性が死んだほうがドラマになりやすい。
先ほど述べた『NHKへようこそ!』『灰色のダイエットコカコーラ』それと、ゼロ年代・セカイ系で思い出す『最終兵器彼女』大学生のころデートで見に行って思いっきり憤慨して帰ってきた映画『陽だまりの彼女』、『NHKへようこそ!』は女性が死んでこそないものの、「女性と出会ったきっかけで人生が変わっていく」というテーマは似通っていると思う。
もしも自分が何かをテーマに書くならば? という自己の問いに、真っ先に思い浮かんだのが『ゼロ年代の意趣返し』だった。
なのでこれは自分なりの、ゼロ年代への応答である。作中の主人公『滑川』は人をよく観察し、他者(特に依田先輩)をたまに空想上の理想にあてはめる。空想にふけるその一方で、まわりのことはうっすら軽んじている。彼に良心や正義感がないわけではない。ただ、『滑川』は物語を押し付けた罰として、ひるがえって自らもまた物語になってしまう。
それは裏を返すと、書き手である自分にも通じることだ。わたしは小説という媒体を、人というバンドマンを、作家を、理想を押し付けてしまった。だから小説に裏切られたのだ。わたしはあまりにも美しい物語を過剰に崇拝しすぎてしまった。
美しすぎる童話を愛読したものは、大人になってから、その童話に復讐される。(寺山修司)
そういうことだ。そしてこの物語もまた、女性が死ぬ。自分をテーマパーク(空想上のもの)だと語る女性、その物語を殺して物語になる主人公、そういう呪いの小説だ。
今回、身を切るように執筆をしていたが、歌舞伎町文学賞には一次選考には残ったものの、書き手であるわたしが辞退したので結果はここで終わりとなる。
特にそれについて深く語りたいわけじゃない。端的に言えば、わたしは小説を書くこと(そして、自分のこと)しか興味がない。ただ、この小説が自分のもとに帰ってきてくれて、良かったとは思う。
この前、寝る前の空想が入り混じるぼんやりとしたひと時に、『滑川くん』がうっすら出てきたことがある。
「あなたが死んだら俺の小説が発表できないから、死なないでね」と言った気がする。
そんなわけで小説をカクヨムに発表したのだけど、滑川くんはどう思っただろう。
たぶん、わたしが人殺しをさせたのを、恨んでいるだろうな。
[歌舞伎町文学賞一次選考通過作品]僕が殺人鬼に到るまでの物語 階田発春 @mathzuku
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