おれ、脱走する。そして危機一髪。
翌日——。PT号作戦の決行日。
目が覚めると、AI荷台がジリジリと音を立てて大和の部屋に入ってきた。朝ごはんの時間だということだ。大和はその荷台から笹を取り上げると、いつものようにそれを食べ始める。するとそこに、大和の担当飼育員のカワムラが入ってきた。
大和はカワムラを見る。彼のつぶらな瞳はウルウルと潤んでいる。大和にはその意味が理解できない。しかしカワムラは唇を噛みしめながら、大和のところに歩み寄ってきたかと思うと、大和の背中をぎゅっと抱きしめた。
「お前。今日、ここから出なくちゃいけないんだ。ここから出たら危ないんだぞ。お前の母国からも狙われるし。うう。僕は、僕は……お前が大好きだったよ」
カワムラはそう言って泣いた。大和はむしゃむしゃと笹を食べ続ける。
(ここにいるのが一番いいんだろう。そんなことはおれがわかっている。けどよ。カワムラ。お前が教えてくれた中国ってとこに、行ってみたいって思ったんだよ)
大和は、右手を後ろに回し、ぎゅっとカワムラの肩を引き寄せた。カワムラは涙で目を赤く腫らしていた。大和は「うんうん」と頷くと、そのもふもふの腕で、飼育員を抱きしめ返してやった。
「感謝するぜ。カワムラ」
「へ!? お前、言葉が——」
すると、彼は「ぐへ」っと奇妙な声を上げて動かなくなった。床に落ちた彼を見つめて、大和は思った。「人間は柔でいけねえ」と。
「悪いな。おれ、言葉しゃべれるんだわ」
がらんと開いたままになっている入り口に視線を遣り、大和は一気に駆けだした。廊下には誰もいない。まさか、この温和なパンダが脱走を試みるなど、誰も思ってもみないことなのだろうか?
(しかし。どうやって逃げ出すか。きっと追手がすぐにやってくる。おれの走行時速はマックスで30キロ。人間の乗り物だったら、すぐに追いつかれちまう。なにか——)
大和は周囲をゆっくりと見渡した。すると、ふとAIの荷台が声を上げた。
「ズイブン ト オコマリ ノ ヨウデスネ。オタスケ デキルコト ガ アリマスカ?」
大和は「お前、早く走れるか」と問う。すると、AI荷台は「ジソク 200」と答えた。大和は「気に入った」と笑ってから、その荷台に乗り込んだ。
「頼む。おれは中国に行くんだ」
「チュウゴク。ウミ ハ ムズカシイ カモ シレナイ ケレド。フネ ニ ミッコウ スレバ チュウゴク マデ イケル」
「うっし。そのプランで行こう」
大和はAI荷台にドシリと乗り込んだ。
「オモイ。スコシ ソウコウソクド ガ オチマス」
「そこをなんとかしてくれ」
「ゼンショ シマショウ」
AI荷台はそう答えると、静かに走り出す。それから、エレベーターに乗り込んだ。しかし——ブー。ブザーが鳴ってエレベーターは動かない。
「ち、重量オーバーか!」
「アッチニ ギョウムヨウエレベーター ガ アル。ソレナラ、セキサイカジュウ ヲ クリア シマス」
「最初からそっちに行けよ」
一匹と一台がもたもたとしていると、そこにカワムラの帰りが遅いことを不審に思った他の飼育員が姿を現す。
「大変だ! 緊急事態、緊急事態!! 大和が脱走した! 大和が脱走した!!」
「ち」
飼育員はそばに設置されているエマージェンシーボタンを押した。途端に周囲の電源は落ち、赤色灯が点滅し始める。ブウブウという耳に突くようようなサイレンも鳴った。
AI荷台は急発進する。そして、そのまま業務用エレベーターに向かった。非常電源が作動しているのだろう。業務用エレベーターは稼働していた。荷台はそこに素早く乗り込んだ。
その間にも警告ランプは点滅し、サイレンの音が鳴り響いている。
チンという音と伴にエレベーターの口が開いた。すると、そこには大勢の飼育員たちが麻酔銃を構えて控えていたのだった。
「くそ!」
大和はからだを小さくして、荷台の中に身を滑り込ませた。一部はみ出しているのは気にしない。そのはみ出している毛をかすめて、銃弾がすり抜けていった。
「逃げ場はねえ。もう正面から突破しろ! お前の中には武器ないのかよ?」
「ブソウ ハ シテイマセン。ボウダンシヨウ ニハ ナッテイマス」
「なんでだよ。なんでそこだけ、うまい具合になってるんだよ!」
荷台は急発進したかと思うと、飼育員の中に突っ込んでいった。
「危ない!」「退避」という声が聞こえ、現場は混乱に陥った。その混乱に乗じて、荷台はあっという間に屋外に飛び出した。
そこは動物園から離れた博物館の近くだった。公園に来ていた人間たちは、パンダの突然の出現に悲鳴を上げた。それと同時に空からの爆音。自衛隊の戦闘機F-2だ。
「なんて手際の良さだ! やべえ! あいつはやべえ。あれには、あれには……もふもふを追尾してくるミサイルが搭載されているじゃねえか!」
バシュンっと風を切るような音に、ミサイルが発射されたと理解する。周囲を見渡しても、もふもふしているのは自分だけだった。もう後には引けない。感知され、ロックオンされたということは、地の果てまでも追いかけてくるということだ。
荷台を追って、軽装甲機動車が追ってくる。中から男が拡声器を出して叫んだ。
『どうだ。パンダ。お前の命は我々の手の中。わかったか? さあ、パンダよ。さっさと、おとなしく戻らないと、ほら——もふもふだけを感知して、地の果てまで追いかけていくミサイルが、お前のケツにぶち込まれるぞ』
「クソ。ダメだ! おれには。おれにはやりたいことが……」
「ミギ ナナメ コウホウ ヨリ ツイビガタ ミサイル ガ セマッテ イル。ソノ キョリ100」
大和の脳裏には走馬灯のような映像が流れてくる。
(笹をもっと食べておけばよかったぜ。ああ、カワムラの結婚式に出てやるよって約束したのに。あいつ、彼女もできなかったな。早く彼女見つけろよ。行き遅れちまうぜ)
ミサイルがもう眼前まで迫ってきた。無理。無理だ——そう思った瞬間。
「にゃあ」
大和とミサイルの目の前に、一匹のもふもふ猫が躍り出た。首輪についた金色のプレートがキインと鳴った。
「こ、こいつは!」
ミサイルはもふもふの対象物が二つに増え、誤作動を起こしたのだろうか。一瞬の隙が生まれる。大和は目の前の猫を抱きかかえてから、そばの池に飛び込んだ。一瞬、対象物を見失ったミサイルは大和を追ったが、そのまま大和の頭上を掠めて、近くの弁天堂に激突する。
その衝撃に、周囲はパニック状況だ。弁天堂はあっという間に燃え上がる。観光客は、わあわあと声を上げ、スマホで撮影をしたり、その場から逃げ出そうとしたりして、押し問答を繰り広げている。
大和を追いかけていた軽装甲機動車は行く手を阻まれ立ち往生しているようだった。
水面を伝って燃え広がっている中、大和は猫を抱えたまま、慎重に水面下を泳ぎ、そしてそっと離れた岸にたどり着いた。
「危なかったぜ……。なんだ。この猫。飼い猫か。お前のおかげで助かったぜ」
「にゃ~」
猫はパンダの頬を一舐めすると、何事もなかったかの如く、姿を消した。その後ろ姿を見送り、躰をブルブルと震わせて水気をとった。背後からは、あのAI荷台がぷかっと浮き上がってきた。大和はそれを力任せに引っ張り上げた。
「おう。生きているか」
「ピコ。ポコ。ボウスイ カコウ サレテイルノデ、マッタクモッテ モンダイ ナシ」
「そうかよ。じゃあ、行こうぜ。相棒。中国へ」
大和は荷台に飛び乗ると、さっさと上野公園を脱出したのであった。
—了—
おれ、危機一髪 雪うさこ @yuki_usako
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