朝寝坊は3000万+αの得

あるかん

第1話

 目を覚ました瞬間に、感覚で確信する。

 

 __ああ、やってしまった。


 飛び起きてスマートフォンの画面を開く。時刻は7時52分。アラームを設定していたはずの時刻からは既に50分以上経過している。


 最悪だ。


 今日だけは寝坊する訳にはいかなかったのに……。それもこれも、上の階の住人が明け方近くまでバタバタ騒いでいたせいだ。おかげで全然寝付けなかった。やはり大学近くのアパートなんかいつまでも住むもんじゃない。


 僕はベッドを飛び降りると自己ベストを大幅に更新する速度で着替えを終え、リュックを片手にメゾンマロニエの103号室を飛び出した。


 僅かな希望に縋る思いで朝の住宅街を全力でダッシュする。寝起きの身体が一斉に悲鳴をあげているが、耳を貸す余裕はない。

 交差点を曲がって大通りに出る。100mほど先のバス停にバスが止まっているのが見える。


 頼む、間に合ってくれ……!


 全身全霊で走りながら、バスに向かって念力を送る。

 しかし、バスはそんな僕を嘲笑うかのようにウインカーを焚きながら、バス停を後にして行った。


 「そ、そんなぁ……ゼェ、ゼェッ……ゲホッ!」


 思わず僕の口から情けない声と嗚咽が漏れる。

 膝に手をついて大きく肩で息をしていると、ポケットの中でスマートフォンが振動し始めた。

 着信相手は……見なくても分かる。今1番喋りたくない相手、仕事仲間の「安田」だ。

 頭をフル回転させ、バスに乗り遅れた言い訳を考える……駄目だ、何も浮かばない。

 爆弾のスイッチを押すような気持ちで、僕は通話ボタンを押した。


 「も、もしもし……」

 「澤口か!?お前、電話出るのおせーよ!……いや、そんなことより、すぐにそのバスから降りろ!」

 「ひっ!ごめんごめん、実は、バスには乗れな……え?」

 「いいから早く!そのバスは……」

 

 そのバスがなんだったのか知る前に、安田の声はとんでもない爆発音で吹き飛ばされてしまった。ごうっ、と風が押し寄せ、全身の毛が逆立つのを感じる。


 顔をあげると、僕を置き去りにして走り出したはずのバスが200mほど前方でもうもうと黒煙をあげ停車していた。車体は既にオレンジの炎に包まれている。

 

 僕はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、安田の存在を思い出すとスマートフォンを耳に近づけた。


 「……チッ、間に合わなかったか……あれ、でもまだ電話は繋がってるな……おい澤口、生きてんのか?」

 「うん、僕は生きてる……それより、僕が乗る予定だったバスが目の前で爆発したんだけど……」

 「だから早く降りろって言ったろ?というか、爆発音が随分小さかった気がするけど、お前バス乗ってなかったのか?」

 「ああ、まあね。ちょっと色々あって……それより、なんで急に爆発したの?え、偶然?」

 「馬鹿、そんなわけないだろ。俺たちの仕事を邪魔しようとした奴らがいるんだよ。それでバスごとお前を消そうとしたんだ」


 あまりに物騒な単語に僕は外だということも忘れて思わず大きな声を出してしまう。


 「え!?僕を消すって……だって、僕にこのバスに乗るように言ってきたのは組織のやつらだろ?」

 「ああ、その中にスパイがいたんだよ。上の連中は裏切り者探しで大騒ぎだ」

 「そっか……それじゃあ今回の仕事も中止ってことか?」

 「ん?……いや、実行の中止指示は出ていない。むしろこっちは相手方の不手際で支障をきたしてるんだ。多少ふっかけてやっても文句は言わせない……それとも危うく死にかけたんで怖気ついちまったか?」


 電話口でも安田のニヤけた顔が思い浮かぶ。もちろん、返事は決まってる。


 「……いや、やるさ」

 「よく言った。それでこそ俺の相棒だ。安心しろ、お前の取り分は2倍、いや3倍は用意してやる。それじゃ、よろしく頼んだぞ」


 そう言って安田は電話を切った。

 前方のバスは轟々と炎をあげ、周囲には早くも野次馬たちが集まり出して騒ぎになっている。

 もし今朝寝坊せずに予定通り家を出ていたら、僕は今頃あのバスと一緒に骨まで残らず焼け焦げていた。

 そう思うと今更ながら背筋が冷える思いがした。知らぬ間に僕は危機一髪の状況に置かれており、なんとかそれを潜り抜けていたらしい。

 そう思うと、この後の「仕事」なんて、全然大したことはない、むしろ簡単なことのように思えてきた。

 

***


 後続のバスはもちろん来るはずがないことが分かっていたので、僕はさっさとタクシーを呼んで目的地であるJR犬頭駅へと向かった。


 交差点を挟んで立つ商業ビルの屋上から駅前の広場を見下ろしてみる。既に多数の人だかりができていたが、肝心の標的ターゲットの姿はまだ見えなかった。

 

 安田から聞かされた今日の標的、与党衆議院議員「下利沢げりざわ 美知郎びちろう」。

 歯に衣着せぬ物言いと強気な外交姿勢で若い世代を中心に人気を集め、巷では次の総裁候補No.1だと専らの噂だ。

 そんな彼の街頭演説がこの犬頭駅の駅前広場で行われるとあって、多くの支持者や野次馬が続々と集まってきていた。

 既に演説の舞台は設営されているものの、肝心の下利沢の姿が見えない。


 ふと、嫌な予感がよぎる。


 つい先ほど爆発事故があったばかりの市内で、政治家が呑気に街頭演説などするだろうか?

 もしかしたら連中はバスの爆発事故が「下利沢の身を狙ったテロリストの犯行」だと勘違いするかもしれない。まあ、実際狙われていたのは僕なのだけれど。

 だとしたら、まずい。もし下利沢が現れなかったら、タクシー代を損するばかりか肝心の報酬も手に入らなくなってしまう……。


 だが、僕のそんな心配は杞憂に終わった。

 広場に集まった人々のざわめきが、にわかに興奮し、黄色い声援へと変わった。 

 驚いて顔を上げ、見てみると、舞台上に1人の男が姿を現し、声援に応えるように手を振っていた。

 でっぷりとした体型にトレードマークの紫色のネクタイ。間違いない、下利沢議員だ。


 僕はリュックから取り出していた「ソレ」を肩に掛けて構え、下利沢の赤ら顔に狙いを定める。なるほど、胃腸は頑丈そうだ。


 よくよく考えてみればあの爆発事故は僕を始末するためのもの、つまり奴らの差金だ。それを理由に中止するはずがない。むしろ、「テロに屈しない強い下利沢」をアピールする材料になるのだろう。

 そういえば、彼の選挙ポスターにもそんなような文言が書かれていた気がする……あれ、なんだっけ?

 まあ、どうでもいいか。


 僕は愛車カブにガソリンを入れる時のような気軽さで、引き金を引いた。


 

 

 





 

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